第四十一話「ヴァルマの焦り」
十二月十七日。
ペリクリトルでは、昨夜遅くから小雨が降り続いていた。
標高の高いリッカデールと違い、みぞれこそ混じっていないが、それでもかなり冷たい雨だった。街の防御施設の強化を行う作業員たちは、その雨に体力を奪われ、何度も休憩を入れていた。
そんな中、ルークスの農民兵たちだけは休むことなく、作業に打ち込んでいた。街の男たちは、彼らのやせ細った体からのどこにそんな体力があるのかと首を傾げていた。
作業の責任者が彼らの体調を慮って休憩を入れるよう声を掛けるが、農民兵部隊の責任者であるアンガスは、笑顔でそれを断っていた。
「あんな立派な宿に泊めさせてもらって、うまい飯も食わせてもらってるんです。それだけじゃねぇです。酒まで飲ませてもらえるんですよ。聞けば、アークライト様が司令官様に掛け合ってくれたそうじゃねぇですか。そのご恩に報いねば、光の神様に罰を与えられてしまいますよ」
冗談めかして言っているが、彼の眼は真剣で、周りの兵たちもその通りだとでも言うように頷いている。
農民兵たちは貧富の差が激しいルークスの中でも、特に貧しい村の出身だった。レイが用意した宿は、彼らにとっては信じられないほど立派なところで、案内された時、彼らは自分の目を疑っていた。
食事についても、魚はともかく肉は年に数回しか食べることが出来ない貴重なものであり、それを毎日食べられると聞いて、今度は耳を疑った。更に酒が付くと聞いた時には、自分たちは聖騎士たちと間違えられたのだと勘違いし、それに納得してしまった。だが、それらがすべて本当のことだと聞いて驚き、そして、このような手配をしてくれたレイに感謝した。素朴な農民である彼らはこの恩にどう報いるかを相談し、レイに命じられたことを精一杯やると決めたのだった。
アンガスは、手を止めることなく、
「それにここで頂ける昼飯は腹いっぱいに食ってもいいし、それにうまいんですよ。そんないい物を食わせてもらっているのに、少々の雨で休むわけにはいかねぇですよ」
責任者はアンガスの言葉に笑顔で頷き、
「確かにここの昼飯はうまい。これもアークライト殿が手配してくれたものだそうだ。街を守るために頑張って欲しいと……そうだな、俺たちも疲れたとか言っている場合じゃないな。何と言っても、俺たちの街を守るためなんだから……」
その会話は周りにも聞こえ、休んでいた街の人たちも腰を上げ始める。
そして、ルークスの農民兵たちと笑顔で話しながら、作業を進めていった。
その話を聞いた防衛責任者のランダル・オグバーンは、隣に立つ参謀役のレイの肩を叩く。
「さすがは参謀殿だな。ルークスの農民兵ですら、使いこなすとは。いや、街の連中のやる気まで引き上げる策だったとはな」
レイはその言葉に「からかわないで下さい」と小さく言った後、
「本当に偶然なんですよ。農民兵たちの処遇に同情しただけですし、彼らに出来ることは街の防壁の強化くらいしか思いつかなかっただけなんですから」
ランダルは大きな声で笑いながら、「そう言うことにしておいてやろう」と更に彼の肩を叩く。
「だが、昼飯だけで、これだけ士気が上がると思わなかったぞ」
ランダルの言葉にレイは困ったような顔で、
「寒い中での作業は大変だろうから、せめて食事だけでもあったかいものをと思っただけなんです……」
「だが、その気遣いが兵たちのやる気を出すんだ。それを判っている奴は少ない。さすがは白き軍師殿だよ」
ランダルは彼の肩に手を回し、明るい表情で褒めていた。レイはその芝居掛かった仕草にランダルが何を狙っているのかを理解した。
(ランダルさんは僕の名声というか、名前を広めようとしているんだな。僕が軍師として優秀だとみんなが思えば、僕の穴だらけの策でも何とかなると思えるようになる。士気を上げるためには仕方が無いんだろうけど、“白き軍師”という名だけでも面倒なのに……)
レイは話題を変えるために、彼の考えた罠について話し始めた。
「既に何度もお話していますけど、僕の策を使うには東から攻めてもらわないといけないんです。今の状況だと、魔族の主力はフリーハンドでこの街を攻めることが出来ます。一応、東から攻めたくなるように策は考えますけど、敵がそれを無視してしまえば……」
ランダルはレイの言葉を遮り、真剣な顔で「それについては俺に考えがある」と言った。
レイは「どのような考えでしょうか?」と聞くが、
「まだ、お前にも話す段階ではないからな。まあ、お前のほうでも準備を進めてくれ」
そう言って言葉を濁していた。
(どういう作戦なんだろう。僕にも言えないということはかなり危険なのか、それとも援軍か何かを期待するのか……これについては、僕の方でももう少し考えてみよう……)
その頃、魔族軍の主力であるオーガ、オーク、ゴブリンたちは、大鬼族の将、オルヴォ・クロンヴァールに率いられ、ペリクリトルの東、約三十kmの森の中に潜んでいた。
その数はおおよそ、オーガが五百、オークが千、ゴブリンが二千であり、魔物だけでも三千五百を超え、これに鬼人族の戦士が千五百人以上いるため、総勢五千を超える大軍だった。
オルヴォは月魔族のヴァルマとの約束を守り、月の御子の奪還が叶うか、年が明ける一月一日までペリクリトルへの攻撃を控えている。
(オークやゴブリンはまだマシだが、オーガどもの餌が減ってきた。そろそろ、ゴブリンを餌にする必要があるかもしれんな)
彼は巌のように静かに座っていたが、内心では焦りを感じていた。森の木にもたれかかり、眠るように座っている部下の戦士たちを見ながら、この無限にも感じられる待機時間に辟易していた。
(それにしても、ヴァルマはいつまで待たせるつもりだ。魔物どもはいいとして、大鬼族だけでも貴重な戦士が二百だ。それに中鬼族や小鬼族を含めれば、千五百以上の同胞がいるのだ。寒さはまだ問題ないが、食料は減り続けている……それにやることは山積みだ。ペリクリトルを占領するだけではなく、更に周辺の城塞都市を落とさねばならんのだからな……)
そして、遠くに固まっている中鬼族たちをちらりと見る。
(そろそろ中鬼族が暴発しそうだな。しかも、それを抑えるのが限界に近い……)
彼は内心の焦りを隠しながら、部下たちの様子を見るため、立ち上がった。
十二月十七日の夕方、ヴァルマはペリクリトル近くの森に到着した。
彼女はすぐに傀儡としたカースティたちに、念話による指示を出そうとした。だが、カースティたちは念話に全く反応しなかった。
念話と言っても明確な言語による指示が出せるわけではなく、観念的な指示が出せるだけだが、それでも傀儡とした者がいれば、明確な反応があるはずだった。
(この距離なら十分に届くはずよ。どこかに行ったのかしら? それなら、ミッシェル――傀儡の娼婦――に何か伝言を残すはず……)
彼女はカースティたちがロイドらギルドの情報課に捕らえられ、レイによって魔法が解除されていることを知らない。
そこで彼女は街にいるミッシェルに、明日の朝、街の外に来るよう命令を送った。
(傀儡の魔法は発見が難しいし、普通の魔術師には解除できないはず。まさか見つかるはずはないと思うけど……私の声が聞こえないということは殺されたか、遠くに行ったかのどちらかのはずね……)
彼女はそう考えたが、唐突に白い鎧を纏った若い男の顔が頭に浮んできた。
(あの白の魔術師が関係している? まさかね。いくら何でも無理よ……)
あり得ないと思いつつも、湧き上がった疑念は消えることがなかった。
十二月十八日。
ペリクリトルの空は、久しぶりに冬晴れが広がり、青く澄んでいた。
ヴァルマはペリクリトルの南の森で、傀儡としたミッシェルという娼婦を待っていた。
(北の森では御子様の護衛の獣人たちと鉢合わせになるかもしれない。でも、ここなら大丈夫。まだ、街から逃げ出す人が多いから、目立たないはずよ……)
ミッシェルは元々娼婦ではなく、北地区の小さな商店の娘だった。魔族が襲撃してくるとの情報で家族ともども逃げ出す予定だったが、父親が若い彼女だけを先に脱出させた。
最初は近所の避難民と一緒に行動していたが、小さな森に入ったときに一人になった瞬間があり、そこで翼魔に拉致され、傀儡とされた。そして、西地区の娼館に送り込まれた。
午前九時頃、フード付きの分厚いマントを羽織った若い女性、ミッシェルがペリクリトルの南門から出て行く。
彼女は南に逃げる市民に紛れ、アルス街道を一時間ほど歩いた後、誰も見られないタイミングを計って、東側の森に入っていく。
合図をしたわけでもないのに、すぐに月魔族のヴァルマが彼女の前に舞い降りてきた。
「何が起こっているの。判る範囲で報告しなさい」
ヴァルマの言葉にミッシェルは頭を下げてから、報告を始めた。
「カースティたちが捕まりました。私は何とか逃げられましたが、娼館は既に調べられ、私の名も知られていると思います……」
ミッシェルはカースティたちのパーティが全員捕縛されたこと、娼館にギルドの情報課の職員が調べに来たこと、更にそれを主導しているのが、レイらしいことを告げる。
ヴァルマは報告を聞くにつれ、表情が固くなり、レイが関与しているという話を聞いて感情を爆発させる。
「あの男が! あの男が邪魔を! あの魔術師は私の戦力を削るだけでは飽き足らず、また、邪魔を!……」
一頻り悪態をつき、何とか落ち着きを取り戻した。
「……判ったわ。どうやら、私自身が危険を犯さないといけなくなったようね。夜になったら、翼魔を使ってお前を街に潜入させる。ひと気の無い、隠れるのに適した場所に心当たりはある?」
ミッシェルは頷き、西地区の廃れた酒場があると答えた。
「その酒場の主人を傀儡にするわ。今日の夜、案内しなさい」
ヴァルマは自らペリクリトルに潜入することを決意した。
(これで捕らえられでもしたら、目も当てられないけど、こうでもしないと御子様を確保できない。後はどうやって御子様を連れ出すか……白の魔術師に獣人。本当、厄介だわ……)
時は遡り、十二月十七日の夕方。
ルナたちは途中の村で、ランダル・オグバーンが派遣したベテランの冒険者たちと合流した。
護衛の冒険者のリーダーは、リッカデールから二組のパーティしかいないことに首を傾げていた。
「ランダルさんから聞いた話じゃ、六組すべてがいるはずだったが?」
ルナのパーティのリーダー、ヘーゼルも首を傾げる。
「ランダルさんの指示で、二組ずつ引き揚げるって聞いているんですけど?」
その後、ヘーゼルらが事実を確認していくと、二人いるはずの伝令が一人しかいないこと、ランダルの指示が曲げられていることなどから、伝令が魔族に寝返っているとの結論を得た。
伝令のビリーはルナの監視をするため、同行しており、すぐに取り押さえられる。
ビリーは厳しい尋問を受けるが、自分は言われたとおりにしただけだと、魔族との関係を否定した。
ベテランの冒険者たちも、尋問の心得があるわけではなく、それ以上どうすることもできなかった。仕方なく、ビリーを縄で縛り上げた上で、ペリクリトルまで護送することにした。




