第三十五話「傀儡の魔法」
レイたちが光神教の宿舎に行っている間、アシュレイとステラはギルド本部に残り、魔族の傀儡となったパーティの情報を待っていた。
(もし、傀儡となったカースティたちが翼魔に情報を渡したと判れば、レイは必ずルナのいるリッカデールに向かうはずだ……カースティたちが街から出ていないことを祈るだけだな……)
アシュレイはそんなことを考えながら、情報を待っていたが、なかなか情報が入らず、結局光神教との交渉を終えたレイたちの方が早く帰ってきた。
「カースティたちの情報はまだ無い。どうする、レイ?」
アシュレイの言葉に、彼は冷静な表情を崩さない。
彼女が意外そうな顔をする中、彼は首を横に振り、
「どうするって言われても……あと二時間もしたら夜になるんだ。そうなったら、動きようが無いよ」
アシュレイは「ルナが心配ではないのか? 無理をしてでもリッカデールに向かうと言うと思ったのだが」と意外そうな声でそう言い、彼の目を見つめる。
レイは出来るだけ平静に見えるよう普通の口調で話していく。
「心配だけど……もし翼魔に情報が渡ってしまったのなら、僕が馬を飛ばしても間に合わないよ。それに今はこの街をどう守るかの方が大事なんだ。僕の策で大勢の人が死ぬかもしれない。ルナには悪いけど、彼女だけに関わっているわけにはいかないんだ」
そう言うレイの手は強く握られ、彼が無理しているようにアシュレイには見えていた。
(本当は行きたいのだろうが、あの防衛計画の立案者として、我慢しているのだろう。ここは私が代わりに行った方が……)
「判った。お前がこの街を離れられないのは理解した。だから、私が行こう。間に合わぬかもしれんが、それでも何もしないよりは……」
レイは彼女の言葉を遮るように、
「今から行くのは危険だよ。それに既に引き揚げの伝令は送られているんだ。明日の夜には知らせが届くはず。そうなれば、少なくとも六組のパーティが固まって帰ってくる……それなら、そう簡単にはやられないはずだよ……こう言ってはいけないんだろうけど、ルナのためにアッシュを危険に晒すつもりは無いよ」
彼の落ち着いた口調にアシュレイは口を噤む。
(相当無理をしているが、これ以上言っても無駄だろう。私の安全を考えてくれるのは嬉しいのだが……)
ステラはアシュレイほど悩んでいなかった。
元々、ルナと言う女性に反感を持っていたこともあり、更に自分がレイの下を離れることができないと考えていたからだ。
ステラはアシュレイに近づき、
「レイ様のおっしゃるとおり、今から馬を飛ばしても明日の昼頃にしか、リッカデールに着くことはできません。その時間はヘーゼルさんのパーティも森に入っているでしょう。アシュレイ様が無理をされても、連絡がつくのは明日の夕方にしかなりません。それなら、カースティという方の行動を確認して、明日の朝一番で出発しても変わりはないと思います」
彼女はアシュレイに話し掛けているが、その言葉はレイに向けられていた。
(こういう風に言わないと、この方の心は壊れてしまう。明日の朝まで時間を稼いだけど、それまでに情報がないと……)
二人の心配は的を射ていた。
(カースティという人のパーティは、昨日まで偵察に出ていた。ということは、魔族はかなり焦っていたはずだ。今日の朝、ルナの、月宮さんの居場所をしつこく聞いたことが、その証拠だ。それなら情報を聞いたら、すぐにでも伝えに行くはず。恐らく、昼頃には情報が渡っている……もちろん、今から行っても間に合わないのは判っている。でも、もしかしたら、魔族の手違いが起きるかもしれない……)
彼は小さく首を振り、自分が巻き込むことになる人々のことを考えていた。
(……でも、僕の策で街の人も戦いに巻き込むことになった。それにルークスの農民兵たちも……街の人は自分で決断したし、農民兵たちは僕が関わらなくても、戦いに狩り出されたかもしれない。でも、だからと言って、その人たちに対する責任がなくなるわけじゃないんだ。だから、僕はリッカデールには行かない! もし、そのせいで月宮さんが魔族に攫われることになったとしても……)
午後六時になって、カースティたちに関する情報が集まり始める。
彼女のパーティメンバーは、情報課でヘーゼルのパーティに関する情報を入手すると、皆バラバラに行動したようだ。
午後五時になってもメンバーは誰も宿に戻っておらず、リーダーのカースティが北門から出て行ったという情報だけがあがっていた。だが、彼女のその後の消息は判っていない。
残りの五人のメンバーについては、門から出て行ったという情報はないが、未だに脱出する市民が多く、それにまぎれた可能性があり、確定的なことは判っていなかった。
レイは焦慮を隠し、静かに情報を待っていた。
(やっぱり、街から出て行ったのか……とすると、魔族に情報が渡った可能性が高い……)
彼はこれ以上、ここにいてもすることがないと、宿に戻ることにした。
ランダルに宿に戻ると伝えると、明日の朝一番に軍議を開くため、参加してほしいと伝えられる。
レイはそれに頷き、アシュレイ、ステラと共にギルド本部を出て行った。
南地区にある“荒鷲の巣”亭に向かう途中、薄暗い路地で、ステラが突然剣を抜き、彼を庇うように前に出た。
「誰! 姿を見せなさい!」
彼女の言葉に一人の獣人族の男が姿を見せた。
レイの前にゆっくりとした足取りで近づくと、片膝をつき、頭を垂れる。そして、聞き取れるギリギリの小さな声で、
「司教猊下より、アークライト様の指揮下に入るよう命じられたウノにございます。このような場所でのお目通り、真に申し訳ございません」
レイは彼の前に立つステラに「大丈夫だよ。ルークスの、光神教の手の者のようだ」と言って、ウノという獣人の前に立つ。
「司教から聞いている。僕の手伝いをしてくれるということでいいんだね」
ウノは静かに頷き、
「私とシエテの二名がアークライト様の護衛に、他の六名がご命令に従います」
彼がそう言うと、その後ろに七名の獣人が片膝をついて控えていた。
レイにはいつ彼らが出てきたのか判らなかった。
(いつの間に出てきたんだ? ウノという人が話し始めたときにはいなかったはずなのに……こんな人たちが敵にいたら、僕なんか、すぐに殺されてしまいそうだ……)
アシュレイは彼らの気配に気付き、剣に手をやっていたが、それでも剣を抜くまでには至らなかった。
(ステラ以上だ……アル兄――アルベリック・オージェ、マーカット傭兵団の腕利きの斥候――でも、ここまでの気配断ちはできまい……)
ステラはウノが出てきたときに腰の双剣を抜き放っていたが、その表情は苦りきっていた。
(悔しいけど、全員私より強い……この人たちが襲い掛かってきたとしたら、一人と刺し違えるのが精一杯……気配の絶ち方が私の“里”と少し違う気がするし、見たことがある人はいないわ……)
三人がそれぞれの思いを胸に抱いていると、ウノが再び口を開く。
「何なりとご命令を」
レイはその声に我に返り、
「こんな場所では何だから、宿でもいいかな?」
ウノは小さく首を振り、「我らは人前に姿を現しませぬ」と答える。
横からステラが小さな声で、「この人たちは普通のオーブを持っていません。奴隷の首輪をしていますから……」と耳打ちする。
(奴隷の首輪に所有者の情報なんかが入っているんだったな。ステラも奴隷の間はオーブを持っていなかった。だから、宿には普通に泊まれないと……)
「判った……ウノさんとシエテさんはそのまま護衛を。他の人たちは……明日の朝、やってほしいことを言うから、それまでゆっくり休んでほしいんだけど」
彼がそう言うと、ウノ以下八人の獣人たちは一礼した後、静かに闇に消えていった。
レイにはその様子が小説や映画などに出てくる暗殺者集団か忍者のように見えていた。
(何をやってもらうかだな。密偵狩りが一番向いてそうなんだけど、そうなると、冒険者たちとの軋轢が起きそうだ。街の周囲の警戒を頼むのが一番無難で確実か……)
アシュレイとステラにそのことを話すと、二人も賛成する。
特にステラは、悔しそうな表情を浮かべながらも、その有効性を保証していた。
「悔しいですが、私より遥かに腕が立ちます。レイ様ほどでないにしても、十分、翼魔に対抗できるはずです」
十二月十六日。
その日の朝は冷え込みが強く、外を歩く人たちの吐く息は白い。
夜明け前の午前六時に起床したレイは、顔を洗うため、井戸に向かった。
井戸に着くと、ウノの小さな声が聞こえてきた。
「ご命令はお決まりでしょうか?」
「まず、僕の邪魔はしないでください。僕の命が危なくなっても、僕かアシュレイ、ステラの誰かが助けを求めない限り、勝手に出てこないこと。それを最初にお願いします」
レイは彼らが自分の命を守るという名分で、勝手に戦闘を始めないように釘を刺した。
ウノからは明確な返事が無かったが、レイが「これが前提条件です。これを認めないなら、護衛は断ります」と言うと、小さな声で了承を伝えてきた。
そして、昨日の夜、アシュレイたちに話した街の周囲の警戒を依頼した。
「二人一組になって、街の周囲を警戒してください。どこかに魔族か、魔族の眷属が見張っているはずですから、それを排除して欲しいんです」
感情を排した声で「街の周囲の魔族および眷属の排除を行います」という答えが返ってくる。レイにはその声に危ういものが感じられた。
「無理はしないで下さい。もし、勝てないと判断したら、一人が敵を監視し、もう一人が私に情報を持ってきてください。くれぐれも命を粗末にしないように。これが最優先事項です」
「……承りました。では、日中は私ウノが近くに控えております」
そして、ウノの気配が消えていく。
(隠密を使う武将になった気分だな。しかし、彼らはいつ寝ているんだろう?)
食事もそこそこにギルド本部に午前七時前に到着した。
情報課に向かうと、早朝にも関わらず、ロイドの姿があった。
「魔族の傀儡、カースティのパーティの連中の所在が判ったぞ。奴ら、色街に潜んでいやがったんだ」
ロイドの話では、カースティともう一人の女性を除く四人が、西地区にある娼館にいたというのだ。
「……仕事が終わった後に色街に入り浸るのは珍しいことじゃない。だが、こっちで調べた話じゃ、色街に出入りするような奴はいないそうだ」
「その娼館におかしなところは?」
「特に無いが……そう言えば、調べた奴が、つい最近、新しい娼婦が入ったと言っていたな。“わざわざ、こんな時にここで働かなくてもいいのに”と言っていたな」
レイは頷き、「冒険者たちの身柄は?」と尋ねる。
「既に拘束してある。ラスペード教授にも連絡済だ」
レイは軽く首を傾げながら、「その娼婦が気になるな」と呟き、「その娼婦を拘束することは難しいですか?」と尋ねた。
ロイドは「そうだな。理由がないな……」とボソリと言ってから、
「さっき拘束した冒険者たちの事情を聞きたいと話を聞きに行くことはできそうだが……一応、監視は付けてあるが」
「判りました。ランダルさんに相談してみます。時間があれば、僕が行くことにします」
ロイドは頷き、「カースティと女治癒師の行方も判り次第連絡する」と言って、彼から離れていった。
レイは「今の話をどう思う?」とアシュレイとステラに尋ねる。
「そうだな。確かに娼館自体が怪しい。特にその娼婦だが、現れた時期が魔族の侵攻と一致する」
アシュレイの言葉にレイも頷く。
「翼魔族なら闇に紛れて街に入り込むことは可能だし、それに娼館なら外に出なくても不自然じゃないし、男の冒険者が通っても全然おかしくない」
「ですが、既に姿を消している可能性が高いと思います。冒険者の身柄を確保していますから、自分が疑われると感付いているのではないでしょうか? もし、魔族の手の者なら、既に監視を撒いて逃走していると思います」
ステラはそう指摘した。
レイは「そうかもしれない」と頷き、ランダルの部屋に向かった。




