第三十二話「不安要素」
作戦会議が終了し、レイはランダルに頭を下げて、彼の執務室を後にした。
レイは既にここペリクリトルに潜入している魔族の傀儡を探し出すべく、情報課に向かおうとしていた。
彼の後ろから一緒に会議に参加していたラスペードがにこやかに声を掛けてきた。
「傀儡を見つけたら、私に声を掛けてくれないかね。思いついたことがあるのだよ」
レイはラスペードの楽しそうな表情に苦笑しながら、「判りました。生きて捕まえられたら、必ず先生に見てもらいます」と言って彼と別れる。
情報課に向かう途中、アシュレイが「相変わらず、いろいろ考え付くのだな」と微笑む。だが、すぐに真剣な表情になり、
「魔族の密偵をどうやって炙り出すのだ? 奴らも簡単には尾をつかませぬだろう」
レイは少し声を落とし、周囲を見てから話し始める。
「六つのパーティについて、情報課の人に確認するんだ。ヘーゼルさんのパーティの情報を聞きにきた人がいないかを」
「ヘーゼル? ルナのことだな。しかし、なぜなのだ? 奴らは既にルナの情報を知っているのではないのか?」
「僕たちがティセク村から戻って一ヶ月以上経つのに、ルナは四日前まで無事だった。どのくらいの頻度で森に入っていたのかは判らないけど、ペリクリトルの出入りを見張っていただけでは、見付けきれなかったんじゃないかと思うんだ。もしかしたら、既にリッカデールで拉致されているかもしれないけど……」
アシュレイは「なるほどな」と頷く。
「確かに魔族が狙うのはルナだ。少なくとも密偵がいるなら、情報を確認する可能性は高いな」
「見張りがいたとしても、どこに行くかまでは判らないだろうから、アッシュが聞いたみたいに予定を確認した人がいるんじゃないかと思っているんだ」
レイたちはそのままギルドの情報課の部屋に入っていく。
情報課は相変わらずの忙しさでバタバタとしていたが、何とかロイドを見つけ出し、レイは単刀直入に用件を伝えた。
「ロイドさんにお願いがあります。僕たちの他に、ヘーゼルさんのパーティに関する情報の問合せをしてきた人がいるはずです。情報課の人たちに確認していただけないでしょうか」
ロイドは少し眉を顰め、「この忙しいのにか。無理だな」と即答する。
レイはやや口調を強め、
「忙しいことは判っています。これは最優先事項なんです。ランダルさんの許可は貰っています。ですから、大至急お願いします」
「司令の許可だと。口から出任せとは思わんが、念のため、確認させてもらうぞ」
ロイドはそのままランダルの司令部に行き、レイがランダルの参謀となったこと、密偵狩りの権限を与えたことを確認する。
急ぎ戻ってきたロイドは、
「了解した。ここと西支部、東支部にも確認させる。だが、本当に魔族の密偵が入り込んでいるのか?」
「判りませんが、その可能性は高いと思います。少しデリケートな話ですから、ロイドさんだけにお話しますけど……」
レイは魔族が人を傀儡化する魔法を使ってくる可能性があること、そして、先日偵察に出た六つのパーティが怪しいことなどを話していく。
ロイドはその話に驚き、「ドクトゥスの教授がいるのはそのためか……」と呟く。
「了解した。六つのパーティについてはすぐに洗い出す。念のため、監視も付けておこう。だが、何でヘーゼルのパーティの情報を知りたがるんだ?」
レイは答えることを躊躇い、「……今は言えません。これはランダルさんにも話せない情報なんです……」と小さく答える。
ロイドは「今は話せないほどの機密なんだな。俺も知らない方がいいほどの……判った。で、連絡はどう取ったらいいんだ?」と納得する。
レイはその言葉にホッとしながら、連絡方法について説明していく。
「定期的にここに顔を出します。あとはラスペード先生にも情報を流してください。闇属性魔法の専門家ではないですが、魔族については、僕たちより詳しいですから。それから、もし、怪しい冒険者がいたら、情報課で理由をつけて隔離してもらえませんか」
「隔離ね……それも司令官権限だな。了解した。前回の偵察について詳細を聞きたいと言って会議室にでも放り込んでおく」
レイはロイドにそう頼むと、光神教の様子を見に行くことにした。
残されたロイドは、今回の騒動が思った以上に悪い状況だと考え始めていた。
(これは本当にこの街が戦場になるな。家族は既に避難させたが、俺ものんびりしていると巻き添えを食ってしまうぞ。三年前なら別だが、引退してから訓練もやっていない。今の状況で魔族とやりあうのは無理だろう。密偵を狩ったら、アーマスウェイト――ペリクリトルから百km西にある宿場町――に逃げ出すことにするか……)
ロイドは今年三十七歳になる元四級冒険者で、結婚を機に現役を引退していた。元々、情報収集や分析が得意だったことから、ギルドの情報課に居場所を見付け、今の安全な仕事についていた。
(しかし、傀儡の魔法か……厄介な魔法だな。レイが言うとおり、この話が街に広まれば、疑心暗鬼で防衛体制もへったくれもなくなる……しかし、ヘーゼルのパーティにどんな秘密があるんだ? おっと、好奇心は猫をも殺すだ。下手なことに首を突っ込むと、あとが大変だ……さて、同僚たちにはどう話すかな……)
彼は部屋に戻り、ヘーゼルのパーティを調べたものがいないか、確認していった。
レイたちは商業地区である北地区に来ていた。
ここには商人たちが使う高級な宿があり、そこに光神教の司教、聖騎士たちが宿泊していると聞いたからだ。
(今回、こちらから接触するつもりはない。でも、向こうから接触してくる可能性はある。あの司教なら多少話はできるけど、あの聖騎士の隊長は話にならない。少なくともこちらの邪魔をしないように釘を刺したいんだけどな……)
宿に向かう途中、ある商会の倉庫に目が留まる。
ドクトゥスで見た農民兵たちが倉庫の前にいたからだ。
(聖騎士の後ろを歩いていた兵隊たちだな。こんなところで何をしているんだろう? 物資の受け取りとかなのかな?)
特に興味はなく、何となくその前を通り過ぎようとした時、倉庫の横で焚火を熾し、鍋で煮炊きしている姿が目に入ってきた。
彼らの鍋には麦粥らしき薄いスープが作られ、兵たちはそれぞれの器に大事そうに受取っていた。
(もしかしたら、空いた倉庫で寝泊りしているのか……食事も粗末そうだし、この寒空で満足に動けるのか?)
レイはここに至って、ようやく彼らが徴兵された兵士であることを理解した。
彼らは一様にやせ細り、満足に槍が使えるとは思えない。更に使いこまれた革鎧の下には粗末な薄手の服を着ているだけで、十二月の寒空の中で屋外にいる格好ではなかった。
(魔族の話を聞いて強制的に連れてこられたんだろうな。満足な防寒具もなさそうだし、チュロックにいかなくて良かったよ。今頃は雪が積もっているそうだから、あっという間に凍死してしまう……)
そして、ドクトゥスで話をしたガスタルディ司教と聖騎士のパレデス大隊長のことを思い出す。
(……それにしても光神教というのは、本当に酷い宗教だな。あの司教がじゃらじゃらと着けていた指輪一つで、あの兵士たちはもっとまともな食事ができるはずだ……勝手に監視を付けたことといい、自分たちは何をやってもいいと思っているんだろう)
一人の農民兵と目が合う。
その目には達観したような、すべてを諦めたような絶望の色が浮かんでいた。
(司教や聖騎士が死んでも何とも思わないけど、この人たちが殺されるのはかわいそうな気がするな。家族と離れた異郷の地で、死ぬ理由など知らされずに死んでいく。何とか助けることが出来ないか……)
彼が農民兵に同情していると、アシュレイが彼の腕を掴む。
「あの兵士たちに同情しているのだろうが、お前が口を出すことではないぞ。彼らの国の問題なのだからな」
レイは一瞬、“冷たすぎるんじゃないか”と反論しようとした。
「ここでお前が口を出せば、あの兵たちは更に過酷な目に遭うだろう。あの高慢な男が指揮官である限りはな」
アシュレイの諦めにも似た言葉を聞き、彼にも彼女が何を言いたいのか理解できた。
「……何が言いたいのかは判ったと思う。でも、光神教については何とかしなくちゃいけないんだ。その過程で何か出来ないか考えてみる」
アシュレイは小さく頷き、彼に同意した。
聖騎士や司教たちの宿舎は、ペリクリトルで一番高級な宿だった。石造りの土台に建てられた木造三階建ての立派な宿で、この状況でも混乱している様子は全くない。
普段なら大商人たちが集っているであろう宿だが、今は純白の服や装備を身に纏った“聖職者”たちが闊歩している。
レイはその宿の前を通過しようとした。
彼の後ろから「これはアークライト殿。偶然ですな」と声が掛かる。
彼が振り返ると、白い司教服を着たガスタルディ司教が立っていた。
(やはり監視者の連絡を受けたのか。ステラが時々監視の目を感じるといっていたから、やはりこいつらだったんだな。それにしては口調が少し変わったな。前は“レイ君”と呼んでいたのに。それにしても、こちらから“アークライト”と名乗ったことはないんだが、今更か……)
「ご無沙汰しております。ガスタルディ司教」
彼はそのまま通り過ぎようとした。
司教はにこやかな表情で、「お急ぎですかな」と彼を呼び止める。
「茶でもどうですかな? この辺りでは珍しいルークスの香草茶なのですが」
(どうする? ガスタルディ司教を抱き込めば、これからの戦いで邪魔されずに済む。だが、勝手に監視者をつけるような人だし……)
レイは僅かに躊躇っていた。
「そう警戒しなくてもいいのでしょう。今日はパレデス隊長もおりません。まあ、遠慮せずに中にお入りになりませんか」
(ここは一度話をしておく方がいいかもしれない。ステラは正体を見破られると厄介だから、アッシュと一緒に離れていてもらおう)
「判りました。ですが、我々も少し用事がありますので、後ほど伺うことにします」
ガスタルディは少し不満気な表情を浮かべるが、すぐに笑顔を作り直し、「それでは後ほど」と言って宿の中に入っていった。
三人はその場を急いで離れる。
「僕はあの司教と会ってくる。アッシュはステラと一緒に本部に先に帰ってくれないか」
その言葉にステラが、「私もですか」と尋ねる。
「ステラもというより、ステラに戻ってもらいたいんだ。あの司教は“里”の獣人を使っているんだろ。だとしたら、君の素性がばれるかもしれない。できれば、君を光神教関係者に会わせたくないんだ」
二人には彼の考えが理解できたが、アシュレイは光神教を信じられない。
「危険ではないか。ステラは本部に戻すとしても、私は戻る必要はない。暗殺などという手を使ってくるとは思わんが、アザロ――モルトンの街でレイとアシュレイを襲った光神教の司教――のこともある。お前を一人で行かせるのは……」
「大丈夫だよ。今回は一人の方がいいんだ。なぜ僕に監視者を付けたのか。なぜ言葉遣いを変えたのか。この街で何をしようとしているのか。その辺りを確認したいんだ。どうも僕一人にしか話したくないことがありそうだから、一人で行ってみるよ」
「だが、危険ではないのか。いくらお前でも、ステラ以上の腕の“監視者”が相手では分が悪い。もし、暗殺ということになれば……」
「大丈夫だって。今この街で騒ぎを起こせば、光神教自体が非難される。唯でさえ問題を起こしているんだ。気が立っている街の人たちを敵に回すつもりがないなら、僕の身の安全は保証されるはずだ」
アシュレイは納得いかないものの、渋々レイの考えを認めた。
ステラはレイが自分のことを考えてくれたことが嬉しかった。そして自分の存在が彼に危険を及ぼすかもしれないとも考えていた。
(私が行かない方がいいというのは判る。でも、レイ様が一人で行かれる必要は無いようにも思えるわ……でも、レイ様が必要なことだとお考えになるなら、これは必要なこと。あとはどうやって、この方の安全を守るかだわ……)
「お一人で会われるのは仕方がないですが、場所を変えられては如何でしょうか? 例えばギルド総本部の部屋を借りるというのはどうでしょう?」
レイはステラを真直ぐに見て、「安全を考えてくれるのはうれしいよ」と言った。
「だけど、今回は危険はないと思う。だから向こうが話しやすい場所で聞いた方がいいんだ」
レイはそう言うと、そこで話を打ち切る。
ギルド本部に顔を出したが、魔族の密偵に関する情報はまだ入っていなかった。
レイはその足でガスタルディ司教の泊る宿に向かった。




