第三十話「白き軍師再び」
十二月十四日の午後五時前。
レイたち三人は、馬を宿に預け、ギルド総本部に向かった。
総本部は以前のような整然とした感じではなく、埃に塗れた冒険者たちが数多く出入りし、その多くが殺気立っているように見える。
レイはその様子を見て、状況がかなり悪いのだと直感した。
(敵の姿が見つけられないのか? どれくらいの冒険者を派遣しているのかは判らないけど、これだけ広い森になると、数千の兵でも隠すことはそれ程難しくない。特に食料の調達がほとんどいらない魔族軍なら森の奥に入っても問題ないからな……)
ギルド総本部に入り、魔術学院の教授、リオネル・ラスペードを探す。
受付で聞くと、防衛責任者のランダル・オグバーンの魔術顧問のような扱いになっており、ラスペードへの面会もスムーズにはいかなかった。
(ラスペード先生にもなかなか会えないくらいだから、ランダルさんに会うのは難しいだろうな。一応、ランダルさんに僕たちが到着したことを、伝えてもらうように頼んでおくか……)
レイは自分たちがペリクリトルに戻ってきたことをランダルに伝えて欲しいと、受付の男性職員に依頼した。
職員は最も忙しい防衛責任者に、どこの誰とも判らない若い冒険者のことを伝えることを躊躇ったが、念のため、ランダルにメモを渡すことにした。
職員はメモを持ち、ランダルの部屋に向かった。
ちょうど、会議を終えたランダルはそのメモを見て笑顔を浮かべ、すぐに自分の部屋に通すよう職員に指示する。
「すぐにその三人を連れてきてくれ。あと、ラスペード氏も探し出して、ここに来るよう伝えてくれ。大至急だ。頼んだぞ」
職員はランダルの顔に笑みが浮かんだことをいぶかしみながら、一階で待つレイたちを呼びに行く。
ランダルの部屋に通されたレイたちは、ランダルの熱烈な歓迎振りに驚く。
「よく戻ってきてくれた。“白き軍師”殿が来てくれれば、望みも出てくる」
ランダルはこの一ヶ月でかなりやつれていた。アシュレイは責任の重さが彼のような豪放な男をここまで追い詰めているのかと、戦慄に似た思いを抱く。
(いかにレイが“白き軍師”だとしても、この歓迎振りは異常だ。ランダル殿ほどの男がこれほどやつれるとは……何が起こっているのだ?)
レイも同じように感じていたが、
(ランダルさんとはそれほど長く話したわけじゃないけど、ちょっとやそっとのことで参るような人じゃなかったはずだ。そんな人が僕の顔を見ただけでホッとしているというのは、相当参っているんだろう……また、“軍師”を演じないといけないのか。柄じゃないんだけどな……)
隣の応接室に入ると、レイは「お時間をいただけるなら、今の状況を教えてください」と冷静な声になるよう努力しながら尋ねる。
ランダルはそれまでの笑みが消え、眉間にしわを寄せて話し始めた。
「オーガが三百以上いたという痕跡が見付かったのは知っているな。更にオークとゴブリンが二千以上、最低二千以上いることも判ったのだ。だが、奴らの居場所が全く見付からん。ここの冒険者の二割、六百人ほどを斥候として偵察に放ったのだが、未だに見付からんのだ……」
ランダルの話では十日前にオーガの痕跡を見つけてから、多くの冒険者を森に向かわせたが、数千もの魔物の居場所が特定できないそうだ。足跡を追った数組のパーティが消息を絶っており、魔族軍がいることは間違いないのだが、所在、規模などの正確な情報が全く入ってこない。
「いくら深い森とはいえ、数千の魔物が移動すれば、必ず痕跡は残る。それを追えば問題なく発見できるはずなのだが……ラスペード氏は、翼魔族が闇属性魔法を用いているのではないかと言うのだが、現状ではお手上げなのだ……」
「街の防衛計画はどうなっているのでしょうか?」
レイは一介の傭兵である自分が踏み込みすぎだと思ったが、街の防衛体制について尋ねていた。
「外壁を強化は命じているが、今は住民を避難させることを優先せざるを得ず、手が回っていない。はっきり言って防衛体制は全く出来ていないのだ。まだ、ギルドの上層部もここが戦場になるとは考えていない者もいる。北のラクスの増援に行ったのだろうと楽観的なことを言っているのだ」
レイはこの状況で防衛案が出来ていないことに驚き、
「必ずここを襲うんです! 少なくとも、すぐに何か手を打たないと、手遅れになります!」
レイはすぐに索敵に出た冒険者の報告を聞き、地図と照らし合わせていく。
ペリクリトルから東に二十kmの範囲には、今のところ魔族の痕跡はなかった。足跡を追って、更に東に向かった十のパーティのうち、四つのパーティが戻っていない。だが、報告に戻ってきた六つのパーティが索敵した範囲は、その四つのパーティの索敵範囲をカバーしており、足跡も消えていると報告されている。
(数千のオークやオーガが森の中を歩けば、少なくとも獣道のような、線上の痕跡が残るはずだ。それが見付からないのは、魔法で痕跡を消したか、報告がおかしいかのどちらかだろう。闇属性魔法は精神に作用する。戻ってきたパーティが魔族の傀儡になっていたら……どうする? 傀儡になっているかを調べる術は無い。下手に騒ぎ立てると疑心暗鬼を生むことになる……魔族が襲い掛かってくるのを待ち受けるしかないのか)
「敵の位置を探る方法はあとで考えましょう。今は防衛案を考える方が先です。この街の防壁を強化したとして、オーガの攻撃を防ぐことは可能でしょうか?」
レイの言葉にランダルは少し意外そうな顔をし、
「敵の位置を探らなくてもいいのか? 敵の情報を探るのは戦の基本だが……」
レイは無理やり自信に満ちた表情を作る。
「もちろん、その通りですよ。ですが、敵の情報が判ったとしても、防衛体制の構築が間に合わなければ意味がありません。今は最悪の状況を考えて、どういったことができるのかを考える方が重要でしょう。で、どうですか? 街の防壁の強化でオーガは防げますか?」
(ランダルさんほどの人が落ち着きを失っている。この街は元々魔物を退治するために作られた街だけど、戦争は想定していない。単発で襲ってくる魔物を狩るのは得意でも、守りは苦手なんだろうな。せめてソーンブローやカルドベック並の城壁で守られていたら、話は違ったんだろうけど……)
「無理だな。この街の防壁は精々五級相当の魔物程度にしか効かん。強化したとしても膂力の強いオーガ相手では三十分もあれば打ち破られる」
ペリクリトルの防壁は高さ四mほどで、丸太を突き刺して作ってある簡易なものだった。
街を広げるのに便利で、過去にも数回防壁を広げている。
「三十分ですか……それなら、街に篭るのは論外ですね……ランダルさんのご意見を聞かせていただきたいんですが」
「正直、敵の戦力がオーガ三百、オーク二千、ゴブリン二千と考えるなら、街の外で迎え撃つしかない。それ以上の兵力なら……逃げるしかないだろうな」
ランダルは最後にお手上げというジェスチャーを加える。
「敵を迎え撃つにしても、今の戦力はどの程度なんですか? 先ほど、冒険者の二割を索敵に回したとおっしゃっていましたが」
「二級、三級連中は呼び戻しているが、まだすべてが戻ってはいない。斥候に出した連中を除くと、今の戦力は六級以上が千五百、七級以下が五百というところだな。あとは住民たちによる義勇兵がいるが、使えるのは五百といったところか。ああ、光神教の奴らもいるが、俺は奴らを戦力と考えていない」
(全部合わせても二千五百。これに偵察に出ている冒険者たちが戻ってきたとして三千か。冒険者たちも命の危険を感じれば街から逃げ出すから、実質二千も残れば多いほうだろうな。光神教も邪魔をしそうだし……やっぱり街を放棄した方が早いような気がするな……)
「街の放棄は可能なんでしょうか? 今ならまだ間に合うと思うんですが」
ランダルは少し悲しそうな表情を浮かべ、
「街の放棄は無理だ。街を死守すると考えている奴が多過ぎる。今でも三万人以上が街に残っているのだ。第一、この近くに五万人もの人間を収容できる街はない……今は時期が悪い。これから本格的な冬になるんだ。避難民たちを分散させたとしても、粗末なテントでの野宿に近い状態になるだろう。満足な食料もなく、寒さに凍えるはずだ……街を出て凍死するか、街にいて魔族に殺されるか……」
レイはその言葉を聞き、ランダルの苦悩の表情の理由が理解できた。
(街を放棄することができれば、やりようはあるんだろうけど……一度、街を見てみるしかないな……)
レイは明日、街の様子を見てから防衛案を考えると言って、ランダルの下を辞去した。
彼が退出する前にランダルは、「いつでも俺の部屋に入れるようにしておく。そうだな、参謀の役職を用意しておこう」と声を掛けていた。
残されたランダルは、三十も年下の若者を見ただけで落ち着きを取り戻した自分がおかしくなっていた。
(相手は十八か十九の若造だぞ。俺は奴が生まれる前からベテランと呼ばれていたんだ。その俺があいつの顔を見て、話を聞くだけでホッとするとは……ハミッシュも同じことを思ったのかもしれんな。ミリース谷で……)
アシュレイはレイがいつもの調子を取り戻したことに安堵していた。
(いつものレイに戻っている。あの時と同じだ。父上たちがチュロックに派遣されると聞いたときと。これなら何とかなるかもしれん。だが、ルナのことはどう考えているのだろうか。ランダル殿に聞く素振りも見せなかったが……)
ステラもアシュレイと同じことを考えていた。
(レイ様は元に戻られた。ルナさんのことを聞かれなかったのは、ランダル様の様子が前と違ったから。でも、今のレイ様は必ず無茶をする。きっと、今も無茶な策を考えておいでのはず。私が止めなければ……)
レイがルナのことをランダルに確認しなかったのは、ステラの想像通りだった。
(ルナの、月宮さんのことを聞きたい。でも、今のランダルさんにその余裕はない。誰か知っていそうな人を探して、聞いた方がいいかもしれない。前にあったことがある情報課ロイドさんに聞く方が早いかもしれない……)
レイはランダルの部屋を出たあと、情報課の部屋に向かった。
既に陽は落ち、灯りの魔道具が多く点されているが、情報課の部屋は冒険者たちから入る情報を整理するため、さながら戦場のような忙しさだった。走り回っている職員にロイドのことを聞いてみるが、街のどこかにいるはずだが、誰も正確な所在を知らないとのことだった。
仕方なくルナのパーティの情報を近くの職員に聞いてみるが、「百以上のパーティを偵察に出しているんだ。五級クラスのパーティの所在など判るわけがないだろう!」と怒鳴られてしまった。
(確かにこの状況では無理そうだな。でも、早く伝えないと時間がなくなってしまう。一月一日には本格的な侵攻が始まる。あと半月しかないんだ。それまでに話をしないと……)
彼は情報課の部屋を出て、ロビーの椅子に座る。
「ルナの居場所を探したいんだけど、この状況だと無理だね。街の防衛も考えないといけないし……」
独り言を呟くようにそう言うと、アシュレイが彼の右手をとり、
「お前の悪い癖だぞ。ここには私もステラもいる。ルナの情報は私が聞いてこよう」
彼は「アッシュ……」と呟き、彼女の目を見つめる。
アシュレイはそれに目で応え、ステラに指示を出していく。
「ステラ、レイの護衛を頼む。特に例の監視者の“目”を気にしておいてくれ」
ステラは「お任せ下さい。今のところ、あの視線は感じませんが、注意しておきます」と頭を下げる。
レイは二人に「宿に戻ろう」といって立ち上がった。
その後、荒鷲の巣亭で宿泊している冒険者たちにルナたちの情報を聞いてみるが、やはりこの混乱で正確な情報を持っているものはいなかった。
月魔族のヴァルマ・ニスカはルナの行方を見失っていた。
(抜かったわ。まさかこれほど人の出入りがあるとは……)
十一月の半ばにティセク村から戻ったルナたちは、パーティメンバー、獣人の剣術士ファンの装備の補修が終わらず、十二月に入るまで、ペリクリトルに留まっていた。
リーダーのヘーゼルがレイの警告を気にしていたこともあったのだが、十二月に入ると資金的に苦しくなってきたため、一度近場の依頼を受けている。
このときは街に近すぎ、ヴァルマは手を出すことが出来なかった。
二度目の依頼を受けようとしたとき、ペリクリトル周辺でオーガがいるという情報が流れ、街は大混乱に陥った。このため、ヘーゼルのパーティは通常の依頼を受けることなく、ギルドの緊急依頼に回されることになる。
その時は多くの避難民や商隊が街を出て行ったことから、門を見張る翼魔はルナを見つけられなかった。
これにはラスペードによる魔族の傀儡の魔法に関する警告が効いていた。ランダルはラスペードの意見を聞き、街の周囲の警戒を強化した。そのため、翼魔が門や街道に近寄ることができず、見逃すことに繋がった。
ヴァルマは焦りを覚えながらも、一組のパーティに傀儡の魔法を施すことに成功していた。
レイの予想したとおり、オーガの足跡を追ったパーティの一つを襲撃して降伏させ、針状の魔晶石を体に埋め込んで傀儡にしたのだった。
ヴァルマはそのパーティに偽の情報を与えるだけでなく、ルナの情報を手に入れるよう指示していた。
(でも、大丈夫よ。傀儡たちは無事に街に入り込んだ。御子様を見つけ出して、我々のところに連れてくるだけでいい。最悪、情報だけでも持ってきてくれれば、何とかなる。後は時間との勝負だけ。オルヴォ――大鬼族の指揮官オルヴォ・クロンヴァール――は私の言うことに聞く耳を持っていない。だから、何としても、街に攻めかかる前に御子様に接触しなくては……)
今回の魔族の侵攻は月魔族の巫女イーリス・ノルティアが発案し、魔族たちの族長会議で承認されたものだった。
目的は月の御子の招聘だが、ペリクリトルへの侵攻の指揮はオルヴォに任されていた。
全体としてはラクスへの侵攻を囮とし、ペリクリトル周辺の戦力が低下したところで、街を制圧し月の御子を見つけ出す。
ペリクリトルは防備が薄いが、四箇所の門を制圧すれば、逃げ出すことは難しい。このため、圧倒的な戦力で降伏を迫った後、月の御子を見付けだして本国に連れ帰るというのが、今回の計画だった。
更にペリクリトルの女たちを使って戦力を強化し、一気に西に侵攻するというものも戦略目的に付け加えられていた。
イーリス自身、西への侵攻には興味がなかったが、大鬼族を始め、鬼人族が西への侵攻を主張したため、妥協したに過ぎない。
月魔族は八年前のティセク村での惨劇が中鬼族の暴走だと確信していたが、魔族軍は鬼人族が主力であるため、指揮権を得ることができなかった。そのため、妥協案として、中鬼族より理性的な大鬼族のオルヴォに指揮権を与えることにした。
(確かにオルヴォは話が判るほうだけど、鬼人族には違いがない。御子様を守るためには先に身柄を確保しておいて、オルヴォたちの侵攻の混乱を利用して、アクィラを越えるしかないわ。できれば混乱に乗じて、トーア――カウム王国とクウァエダムテネブレの国境の砦――の近くから東に逃げ込めればいいのだけど、そこまでは期待できないかもしれないわね……いずれにしても、早く御子様を見つけないと……)
その頃、ルナはリッカデール村にいた。
リッカデール周辺は五級クラスのパーティが偵察することになっており、六組のパーティが一辺十km、三十度の扇状の区域を担当し、リッカデールを中心に南側を半円状に偵察する。
ルナのいるヘーゼルのパーティは六組の真ん中部分、リッカデールの真南のセクターを担当していた。そして、本日の偵察を終え、リッカデールに戻っていたのだ。
ルナは村の宿で森の静けさに不気味なものを感じていた。
(森が静かだわ。この森のどこかに数千の魔族軍がいるはずなのに……今日も魔物に出会ったのは、僅か二回。それも角兎と大鼠だけ……)
リッカデール周辺は元々魔物の密度が高く、四級や五級の魔物が多く生息している地域だった。今回も五級クラスパーティには危険だと言われていたが、オーガのいる可能性が高いペリクリトル周辺よりは安全だろうと、ヘーゼルのパーティに白羽の矢が立った。
(それにしても、あの人、レイが言っていたことは間違いね。私が魔族に狙われているって言っていたけど、この前も何も起こらなかった。今回も危険な森に入ったのに、大した魔物に遭うことはなかったわ。ティセク村の調査の時の方がよっぽど魔物がワラワラ出てきたじゃない。きっと、あの人たちが狙われたのよ。そう、あのミリース谷の英雄たちを狙ったのよ……)
彼女は心の中に引っ掛かるものを感じながらも、自分が魔族に狙われているという事実を認めようとしなかった。




