第二十九話「再びペリクリトルへ」
十二月十一日。
レイたちは宿を引き払い、ドクトゥスを出発した。
空を見上げると、冬の澄み渡った青空が広がっていたが、彼には東のアクィラ山脈の山影からどす黒い瘴気のようなものが上がっているように見えていた。
東から来る避難民らしい荷馬車とすれ違いながら、三人は東に急ぐ。
二日目にアーマスウェイトの街を抜け、三日目にオートンの街に入る。
オートンの街にはペリクリトルからの情報により、多くの商隊が足止めを食っていた。
ラクス王国方面に向かう商隊は、北のカルドベックに向かう街道を進むことができるが、南のカウム王国方面に向かうにはペリクリトルを経由するしかない。
北に向かうにしても、ペリクリトル経由に比べて道が悪く、魔物や盗賊が頻繁に襲ってくるため、いつも以上に護衛が必要になる。
傭兵が減っている現在、カルドベックに向かうことを躊躇う商人たちも多かった。
このため、オートンの街は商人たちで溢れかえっていた。
「すごい人数だね。宿は大丈夫かな」
「そうだな。早めに宿を探したほうが良さそうだ。最悪、大部屋になるかもしれんな」
宿を探すが、大部屋すら空いているところはなかった。野宿をするしかないと諦め掛けたとき、「アシュレイじゃないか」と後ろから声を掛けられる。
三人が振り向くと、そこにはフォンスからペリクリトルに向かう途中で知り合った傭兵、ハンク・バロウズの姿があった。
ハンクは「久しぶりだな」と声を掛け、三人が馬を連れて歩いていることに気付き、
「宿を取り損なったな。二人部屋で良ければ都合をつけてやるぞ」
歩きながら、ハンクの話を聞くと、彼はドクトゥスからペリクリトルに向かう商隊の護衛をしていたそうで、今回の騒ぎで足止めを食ったと嘆いていた。
「前回で懲りたからな。商人たちは予定を変更して、カルドベックに行きたいと言ってきたが、今の戦力じゃ無理だと、ここに残っているんだ……」
レイはハンクと一緒に護衛をした時のことを思い出していた。
(兵隊アリ、ハーピー、大黒鴉、最後は四手熊だったからな。あれだけ襲われたら、ハンクさんも慎重になるよ)
宿に着くと、二人部屋に泊っていた傭兵にハンクが声を掛ける。
「お前ら飲んだくれて、半分は食堂のテーブルで寝てるんだ。俺の命の恩人に部屋を譲ってやってくれ」
彼は自分が泊る部屋に二人を入れ、二人部屋をレイたちに譲ってくれた。
アシュレイが二人に「すまんな。夜の酒は奢らせてもらおう」というと、
「赤腕ハミッシュの娘さんなんでしょう。そんな人に部屋を譲ったなんて逆に光栄ですよ。仲間に自慢してやります。でも、奢ってもらうのはありがたくお受けしますけど」
ハンクが「ちゃっかりしてやがるな。ハハハ!」と大笑いすると、二人の若い傭兵たちも釣られて笑っていた。
その夜、宿泊者で溢れる食堂で夕食を取りながら、ハンクから情報を聞いていく。
ハンクは一瞬苦い顔になり、
「やばい情報しか流れてこねぇ。オーガの話は知っているな。それだけじゃねぇみてぇなんだ。オークやゴブリンもいるそうだ。それも数千って数のな。ペリクリトルから各国に救援要請が飛んだらしいが、なかなか難しい。まだ、ラクスに入り込んだ魔族が抵抗しているそうだし、何せこの季節だ。チュロック辺りはもう雪が降っているはずだ。大軍を動かすにはかなり時間が掛かるだろうな……」
レイはオーガ、オーク、ゴブリンといった鬼系の魔物がペリクリトルの周辺にいることに胸騒ぎを感じていた。
(鬼系の魔物か……大鬼族、中鬼族、小鬼族もいるのか。それに翼魔族……やはり、こちらが主力でチュロックが囮だったのか。チュロックの魔族の動きがおかしいと思ったけど、こういうことだったんだな……)
「……今のところ、ペリクリトルは無事のようだが、魔物たちはゆっくりと近づいているそうだ。街の連中もここやカルドベック、ソーンブローといった街に避難しているそうだ」
レイはハンクの話を聞きながら、ルナを無事に連れ帰りたいはずの魔族が、なぜ大兵力をもって侵攻してきたのかについて考えていた。
(魔族は大規模な陽動作戦まで行って、ペリクリトルまで侵攻してきたはず。それも国を滅ぼせるほどの大兵力を投入して。そんなことをする必要は無いはずだ。少人数の魔族の魔術師が潜入して、冒険者を傀儡化すれば事足りるはずだ。下手をすれば、月の御子を失う可能性があるのに……)
そこで彼は小説の設定の一部を思い出す。
(確か設定では、ルナの母が逃げ出したとき、月魔族の指導者である“巫女”と呼ばれる女性に神託が降りていた。逃げ出した女の娘は“月の御子”であると。そして、御子を得た魔族は闇の神の力を得ることできると思い込まされた……)
そして、過去二回のティセク村周辺でのオークたちの行動についても思い出す。
(最初は月魔族の主導でカウム王国へ侵攻、同時に月の御子の奪還作戦が実行されたんだ。だが、魔族も一枚岩じゃなかった。鬼人族、特に中鬼族の指導者たちは元々、月魔族の魔法や神の力に頼ったやり方が気に入らない。敵は自らの力でねじ伏せればいいと思っていたからだ。そのため、“忌み子”である“月の御子”を、神託を無視して抹殺しようとした。だから、二度目の奪還作戦の時、中鬼族は暴走した。ルナの住んでいた村、ティセク村は中鬼族に操られたオークたちに皆殺しにされ、月の御子が死亡したと報告された……だが、月魔族はそれを信じなかった。何度もティセク村付近を捜索し、そして、ようやく月の御子の手掛かりを得た。ペリクリトルに月の御子らしい人物がいると……今回も中鬼族は月の御子、ルナを殺そうとしているのかもしれない……)
そこである事実に思い至る。
(ルナが生まれた十八年前、大規模な魔族の侵攻があった。そう、アッシュのお母さんが亡くなった時だ……アッシュのお母さんが亡くなったのも、僕の書いた小説のせいかもしれない……)
部屋に戻った彼は、そのことをアシュレイに語る。
「……アッシュのお母さんが亡くなったアクリーチェインの戦いも、もしかしたら僕の小説のせいかもしれないんだ……もし、本当なら僕は……」
アシュレイはその話を聞き、「お前の考えていることが私には理解できん」と呟く。
「……だが、私の母アビーが戦死するという話までは書いていないのだろう? ならば、仮に戦いのきっかけがお前だとしても、母が亡くなったことにお前が責任を感じる必要はない」
レイは「でも……」と何か言い募ろうとした。だが、アシュレイがそれを遮り、
「すべての人の死に責任があると考えるのは不遜だと思うぞ。母は父を守るために亡くなったと聞く。母は自らの意思で父を守ることを選んだのだ。それを自分のせいで死んだというのは、死者に対する冒涜だと私は思う」
何の気負いもなく、静かにそう言われて、レイは少し冷静になった。
「そうだね……僕は神様じゃないんだ。それに僕の小説のせいだと決まったわけでもない……ありがとう。少し気が楽になったよ……」
翌日は冷たい小雨が降る生憎の天気だったが、レイたちは朝早くにオートンの街を出発した。
ハンクからは一緒に護衛をしてもらえないかと頼まれたが、ペリクリトルの防衛に力を貸すというと、素直に送り出してくれた。
「あんたらなら間違いはないと思うが、死ぬなよ。だが、街のことを頼む。あそこは俺もよく世話になっているからな……」
十二月十四日の夕方。
レイたち三人はおよそ一ヶ月ぶりにペリクリトルに戻ってきた。
ペリクリトルの街は僅か一ヶ月で大きく変わっていた。
街には人影が少なく、呼び込みをしていた商店の多くも閉められており、武装した冒険者たちが急ぎ足で行き来している。その姿もいつも明るさはなく、重苦しい空気を纏っていた。
オーガの大群がいるという情報がもたらされた後、市民たちの多くが逃げ出した。更に到着する商隊の数が極端に減ったことから、商業活動も滞り、街の活気を奪っていた。
だが、街にはまだ多くの市民が残っていた。
他所に頼るべき者がおらず逃げ出すことが出来ない市民が多数だが、街を守ろうと立ち上がった市民たちも大勢いた。
南地区にある武器屋や防具屋には武器を求める多くの人々が出入りし、ここだけがいつも以上の活気に溢れていた。
レイはルナに会うべく、彼女の泊る“荒鷲の巣”亭に向かった。
荒鷲の巣はこの状況でも営業を続けていたが、多くの冒険者が森に入っているため、いつもより閑散としている。
宿の主人ヨアンにルナたちの現状を尋ねると、
「ヘーゼル――ルナのいるパーティのリーダー――たちは、三日前出て行ったぞ。結構奥まで行かなきゃならんと言っていたから、当分戻らねぇと思うぞ」
レイが「どの辺りに行ったか聞いていませんか?」と尋ねるが、
「リッカデール――ペリクリトルから北東に八十km行ったところにある村――から、森に入ると聞いた気がするな。戻ってくるのは少なくとも十日は掛かるんじゃないか」
リッカデールまでは、馬を飛ばせば二日の距離ではあるが、索敵方針が判らないため、彼女たちの行動が読めない。普通なら、リッカデールに戻るルートになるはずだが、森の中を抜けて直接ペリクリトルに戻ってくる可能性もある。
(下手に追いかけると、すれ違いになる可能性があるな。これじゃ、迂闊に動けないぞ。でも、十日後だと手遅れになる可能性もある……)
レイはルナたちを追いかけるべきか、それともペリクリトルで待つべきか悩んでいた。
ギルドで索敵範囲を確認する方法もあるが、森の中に入ってしまえば、僅か数百mずれただけでも相手を見つけられない。
(大人しく待つしかないのか……その間に自分に出来ることをやるしかないか……)
「とりあえず、冒険者ギルドの総本部に行こうと思う。ランダル――防衛責任者ランダル・オグバーン――さんに会えるとは思わないけど、ラスペード先生には会えると思う。まずは情報を手に入れないと」
アシュレイとステラは、レイが思いのほか冷静であることに驚いていた。
(レイは闇雲にルナを追いかけると思ったのだが、意外と冷静だ。まだ、油断は出来ないが、これなら無茶をすることはないだろう……)
(レイ様が落ち着いていらっしゃるのはいいことだけど、なぜか胸騒ぎがする。何かが起ころうとしているのかもしれないわ……)




