第二十七話「記憶」
十二月十日。
魔術学院教授のラスペードと魔術師のジニーが魔族の情報を携えてペリクリトルに向かってから十日が過ぎていた。
(昨日くらいに戻ってきてもおかしくはないと思ったんだけど、うまくいっているのかな……ランダルさん――ペリクリトル防衛責任者ランダル・オグバーン――も忙しいだろうし、もう少し掛かるかもしれないけど……)
ドクトゥスとペリクリトルは約二百km離れている。馬を使えば四日で移動できるため、ランダルへの面会が順調に行けば、昨日以降であれば、いつ戻ってきてもおかしくないとレイは考えていた。
彼らはここ数日、魔物討伐が日課となっていたが、昨日からはラスペードたちが戻ってくる可能性があるため、学院のある旧市街に戻っていた。
そして、十二月十日の夕方、旧市街にある宿、“賢者の離れ”亭にジニーが戻ってきた。
疲れた顔をしたジニーに対し、レイが「お疲れ様でした」と出迎える。
「本当、疲れたわ。食事をしながらで良ければ、今から話をするわよ」
レイたち三人に異存はなく、食堂で食事を取りながら、ジニーは話し始めた。
「天気が良かったから、順調に進んでね。四日にペリクリトルに入ったの。でも、すぐにはランダルさんに会えなくって……」
彼女の話では、到着したその足で冒険者ギルド総本部に向かったのだが、ペリクリトル周辺でオーガの大群を見たという情報があり、ギルド総本部は混乱の極みにあったそうだ。
オーガの数は千を超え、ペリクリトルの東二十kmほどのところにいるという情報であり、防衛責任者のランダルはその対応に追われ、ラスペードらは面会できなかった。
そして、翌日の五日、朝からギルド総本部に向かったのだが、その日は光神教の司教らがギルドに押しかけており、なかなか面会が叶わなかった。
何とか夕方に短時間だけ時間を貰え、魔族の情報――魔法陣が翼魔召喚のものであること、魔族が魔物を使役する方法の仮説など――を伝えた。
説明を聞いたランダルはその事実に驚き、翌日議会に諮るため、ラスペードにもう一度来て欲しいと依頼する。
翌朝、ギルド総本部で各地区の責任者とギルド長らからなる議会が開かれる。
その中でランダルがオーガの大群がいたという未確認情報を報告すると共に、ラスペードの持ってきた情報についても報告される。
オーガの情報については誤報ではないかとの発言が相次ぎ、冒険者ギルド長より、情報収集を強化する旨の妥協案が出され、承認された。
もう一つの魔族に関する情報では、魔法陣の存在が彼らの心胆を寒からしめ、更に魔晶石を使った人の傀儡化に関する仮説では、ランダルを除く全員が言葉を失った。
議会では魔族が存在していた事実と、傀儡化に関する仮説により、ペリクリトルに危機が迫っているという認識で一致した。
「……ラスペード先生なんだけど、ギルドに依頼されてペリクリトルに残っていらっしゃるの。まあ、先生も魔族の使役する魔物や傀儡となった人を調べてみたいとおっしゃっていたんだけどね。そこまでは良かったんだけど……」
ジニーはそこで口篭ってしまった。
アシュレイが「それから何があったのだ?」と先を促すと、
「オーガの情報がどうやら正しかったみたいなの……」
ランダルは議会の承認を待たず、オーガの情報を得た直後に高レベルの冒険者たちをその目撃現場に派遣していた。
そして、その冒険者たちが発見したのは、少なくとも三百を超えるオーガたちの足跡だった。
「……最初は誤報だと疑われたんだけど、行ったのが全員三級の冒険者パーティだったの。それだけのベテランが見間違いをするはずがないって、ペリクリトルは今、蜂の巣をつついたような状態になっているわ」
レイは魔族の侵攻が始まっていると気付き、
「実際にはどうなんですか? オーガに襲われた村があるとか、戻ってこないパーティがあるとか……」
「今のところ、混乱しているだけよ。まあ、アクィラ――ペリクリトルの東にある大山脈――に派遣されたベテランのパーティは戻っていないけど、今のところ行方不明のパーティの話は聞いていないわ……そう言えば、あれだけいた魔物たちの数が減ったって聞いたわ。カルドベック――ペリクリトルの北にある街――周辺で三級や四級クラスの魔物が出ていたのに、急にいなくなったそうよ……」
その話を聞き、レイは何か悪いことが進行していると感じていた。
(オーガが現れて、魔物が減った? やっぱりアクィラの奥にいた魔物がオーガに押出されてきたのかも……オーガが降りてきたから、魔物がアクィラに逃げ戻った。それなら辻褄は合う……)
「……私は七日の朝に向こうを出発したんだけど、結構な数の冒険者パーティが周辺の偵察に借り出されていたわ。アルドさん――ジニーのいたパーティのリーダー――も四つのパーティと合同で偵察に出るって言っていたし」
レイはその言葉を聞き、身を乗り出す。
「他のパーティの情報を知りませんか! ヘーゼルさん――ルナのいるパーティリーダー――のパーティの情報は!」
ジニーはレイの勢いにやや驚きながら、
「ごめんなさい。泊まった宿が違うから、ヘーゼルさんのところがどうなったかは聞いていないわ。でも、五級クラスのパーティは偵察に借り出されるはずだから、ペリクリトル周辺の森に入っているはずだけど……どうしたの? 突然」
「いいえ……ありがとうございます。他に何か情報はないですか」
「そうね……さっき光神教の話をしたけど、光神教の兵隊がランダルさんの指示を無視して森に入るって騒いでいたわね。あの貧弱な兵隊と馬を降りた聖騎士だけで、オーガに立ち向かうつもりみたいで、思わず失笑してしまったわ。ランダルさんが何とか思いとどまらせたみたいだけど、面倒が増えて大変そうだったわ」
ジニーの情報を聞いたレイは、今後どうすべきか悩んでいた。
(やはりペリクリトルに行くしかないのか……オーガが少なくとも三百以上だと、ペリクリトルの貧弱な防壁なんかすぐに破られそうだ。僕が行ったとしても、役に立つわけじゃない。それに……)
彼の頭には黒髪の女冒険者の顔が浮かんでいた。
(ルナが危険だ。街の中でも危ないと思っていたけど、森に入るのなら、いつ襲われてもおかしくない。ヘーゼルさんは慎重な人だけど、今回はギルドからの依頼だ。相応の理由がなければ受けざるを得ない……それに光神教のこともある。魔族に興味を持たれていると判れば、絶対に何か仕掛けてくる。それに僕への監視のこともある。どうも光神教と魔族の行動原理が似ているような気がするんだ……今はそれを考える時じゃない。ペリクリトルに戻るかどうかだ……)
ジニーが疲れたと言って部屋に戻ると、アシュレイが徐に話し始めた。
「……ペリクリトルに戻るつもりか? ル、ルナを助けるために……」
「迷っているんだ。戻るべきだという声は日に日に大きくなる。それに今のジニーさんの話を聞けば……正直、僕が行ってどうにかなるレベルじゃない。ミリース谷以上の戦力があの守りにくい街に迫っているんだ。でも……」
逡巡するレイに対し、ステラは「行くべきではないと思います」ときっぱりと言い切る。
「レイ様なら、ミリース谷の時のように凄い策を思いつかれるかもしれません。ですが、ペリクリトルにいる冒険者は、マーカット傭兵団の方たちのような精鋭ではありません。有効な策があったとしても、成功する可能性は低いと思います。それにレイ様は既に警告しているのです。それで義務は果たしていると思います」
「ステラの言うとおりだな。確かに冒険者たちを使うのは難しい。あの少人数のティセク村の調査でも従わせるのに苦労したのだ。統一した規律のない冒険者には、集団戦は厳しいだろうな」
「でも、今回はランダルさんが指揮を執るから、大丈夫じゃないかな」
アシュレイは「難しいだろうな」と首を振る。
「ランダル殿の指導力がどの程度のものかは判らん。仮に冒険者たちが従うとしても、あの聖騎士たちがいる。少なくとも光神教がいる限りは、考えた策が有効に機能するとは思えんな」
レイは力なく頷き、「確かにそうだね。でも……」と話を続けていく。
「僕が行けば何かが変わる気がするんだ。この考え自体がおかしいのかもしれないけど……このまま指を咥えていて、ペリクリトルが魔物を生み出す場所にされたら……少なくとも住民たちが逃げるのを手伝うくらいは……」
ステラが「行っても無駄です!」と強い口調で彼の言葉を遮る。
「今から行っても間に合いません! 五日前から動き出しているはずですし、もし、動き出していないなら、それは自己責任だと思います。それとも、ルナさんのことがそんなに気になりますか?」
レイはステラの真直ぐな言葉に驚き言葉を失う。隣にいるアシュレイも同様に驚いていた。
「ルナのことは気になる。これは否定しないよ。でも、それは女性としてとかじゃなくて……そう、同郷の……同郷?」
レイは唐突に言葉を止めた。そして、彼の中で繋がらなかった記憶が一気に蘇っていった。
(同郷……そうだよ。同じ日本人なんだ、ルナは。何でそのことに気付けなかったんだろう。和弓を弓道の作法で使うだけでも気付くはずじゃないか。ここでも精神操作が……ルナは僕の小説の主人公。そして、彼女は……)
アシュレイとステラは急に黙り込んだレイにどう声を掛けようかと戸惑っていた。
だが、彼の方が先に口を開いた。
「今、思い出したんだ。ルナは僕の書いた小説の主人公。そして、そのモデルは僕と同じ学校に通っていた“月宮 瑠奈”。僕が憧れていた、片思いの同級生だ……大事なことを思い出したよ。彼女は魔族にとって最も重要な人物“月の御子”なんだ。そして、月の御子が魔族の……月魔族の館で儀式を……ここから先は書いていなかったはずだ。でも、儀式が成功すると闇の神が現れ……いや、違う。別の……ああ、思い出せない!」
レイは頭を掻き毟りながら、必死に思い出そうとしていた。
「この先は書いていない話なんだ。プロットもあやふやなものしか書いていない。僕の頭の中だけにあったもの……思い出せない……破滅……」
苦しむレイにアシュレイとステラが駆け寄る。
アシュレイは「もういい。今は考えるな」といって、彼を強く抱きしめる。
だが、彼は「……世界の破滅……混沌……ルナ……」と呟いたまま、彼女の言葉に反応しない。
周りのテーブルでは、彼らの突然の行動に戸惑い、ざわめき始めていた。
ステラもレイに縋りつきながら、「部屋に戻りましょう、レイ様」といって、アシュレイに目配せをする。
二人はレイの体を支えながら、食堂を後にした。
部屋に戻ると、まだブツブツと呟いているレイを無理やりベッドに寝かしつけた。
「何が起こったのだと思う? 私にはレイの話が半分も判らなかったが?」
アシュレイが戸惑いを隠さずそう話すと、
「私にも判りません。ですが、ルナさんがこの方と同郷の方で、憧れ……いえ、恋心を抱いていた大切な方だと思いました。他の事は何か大変なことが起こるとだけしか……」
「そうだな。元いた世界で恋心を抱いていたのだろう。だから、初めて見たときにあれほど見つめていたのだ……ステラ、私たちはどうしたらいいと思う?」
アシュレイにしては珍しく、弱々しい口調で話していた。
「判りませんが、少なくともレイ様には元に戻って頂かないと。どうすれば良いのかは判りませんが……」
「お前の方が冷静だな。お前がいてくれて良かった。私は今、何も考えられない……」
ステラはアシュレイを見ながら、心の中で自嘲していた。
(私にはあなたがいたから。だから、レイ様がルナさんに恋をしていると判っても動揺は少ないの。でも、アシュレイ様、あなたは違う。あなたはレイ様に愛されていた。そう、女として愛されていたの。だから、この事実に動揺したのだと思う……)
「アシュレイ様。レイ様の手を握ってあげましょう。私たちがいることに気付いてもらいましょう」
アシュレイは頷くとレイの右手を握り、「レイ、私はここにいる。だから……」と呟いていた。
ステラも彼の左手を握り、必死に祈っていた。
(神様がいるならレイ様を、この方を私から取り上げないで! 私にはこの人しかいないの。この人しか……)
レイは二時間ほどうなされていたが、脳が疲れたのか、彼女たちが気付かないうちに寝息を立てて眠っていた。




