第二十三話「魔法陣起動」
十一月二十一日。
魔術学院教授、ラスペードへの訪問を終えたレイたちは、ジニーの案内で学院内を見学した後、宿に戻った。
アシュレイと共に二人部屋に入ったレイは、ラスペードと話したことについて考えていた。
(ラスペード先生の話だと、召喚の魔法陣は強引に呼びたいものを引き寄せることができる。但し、魔力が無茶苦茶いるから現実的じゃない。でも、魔力の絶対量が多い存在なら、神とか悪魔とかそんな存在なら、召喚することは可能だ。僕がこの世界に落ちてきたところには、魔法陣らしいものは何もなかった……)
そして、魔物の使役の話と自分の記憶の障害についても考えを進めていく。
(そもそもこの体は僕の体じゃない。僕は精神だけがここに呼び寄せられた。そして、その精神も記憶の一部が封印されている。魔物の使役の話では、闇属性なら精神を同化させることができるかもっていうことだった。精神の同化と憑依は違うのか?……この体の持ち主の精神はどうなったのだろう。僕の心に圧迫されて消えてしまった? それとも僕を呼んだ存在が邪魔なこの人の精神を消滅させた? どちらにしても、このレイ・アークライトという人の魂は消えてしまったんだ……)
彼は自分を呼んだ存在に対して、怒りを覚えていた。
(レイの魂を殺しておいて何をさせたい! 僕の心を弄って何をさせたい! 考えれば考えるほど、僕を呼んだ存在が邪悪に思えてくる! もし、神が正しい目的で僕を呼んだのなら、その説明をすればいい!)
彼はペリクリトルに戻りたいという心の声を必死に無視しようとしていた。
(ペリクリトルに戻るべきだという気持ちは日に日に強くなっていく。でも、この弄られた心の声に従って行動する気には絶対になれない。どれだけ苦しくても、逆らうことしか考えられない。僕に何をさせようとしているのか。目的を、そして、理由を知らなければ、どれだけの人が苦しもうと、僕は動かない。違う、動けないんだ。下手に動いて悪魔の手先になるくらいなら、手をこまねいているほうがいい……)
アシュレイは彼の苦悩に気付いていたが、その中身までは読み取れなかった。
(レイは今苦しんでいる。私がペリクリトルを離れるべきだと言ったから、それで板ばさみになっているのだ。私はどうしたらいいのだ……)
自分がペリクリトルで悩んだ時のことを思い出す。
(レイをペリクリトルから連れ出すことと、ランダル殿の依頼を受けることで悩んでいた時、レイは私の背中を押してくれた。だが、私には彼の背中を押すことが出来ない。そうすることによって、取り返しの付かないこと……そう、レイがレイでなくなりそうで怖いのだ……)
アシュレイはレイの横に座り、そっと頭を彼の肩に乗せる。
「お前が悩んでいるのは判る。だが、私にはお前に助言することができない。すまない。いつもお前に頼りきりなのに……」
レイはアシュレイの肩を抱き、
「大丈夫だよ。結論は出ているんだ。僕は自分の心に逆らうことに決めた。僕が動くことでたくさんの人が助かるかもしれない。でも、本当にそうなのか自信がないんだ。もしかしたら、それが狡猾な罠でもっと多くの人を不幸にするかもしれない。だから、どうして僕なのか。なぜペリクリトルを救う必要があるのか、それに納得しない限り、僕は動かない」
彼がそう強く宣言すると、アシュレイは意外そうな顔で彼を見つめていた。
(ここまでレイが強く言い切るとは……だが、レイがそう決めたのなら、私はそれに従おう……レイはこの決定を後で悔やむかもしれぬ。だが、その時は全力で彼を支えよう。それが私にできる唯一のことだ……)
翌日から魔法陣や魔物使いについて調べていくが、一向に成果が上がらない。
ラスペードの仮説についても異論が出ており、死霊召喚か死者復活の魔法陣だと言い切る教授もいた。
魔物使いについては更に混沌としており、レイたちが複数の魔物に襲われた話では、複数の闇属性の魔術師がいる可能性を示唆されたり、魔物使いではなく魔物に認識誤認――敵を人間だけだと認識させた――の魔法を掛けたと示唆されたりしている。
いずれにしても、魔物を操ることに対する対抗手段については全く判らず、いたずらに時間が過ぎていくだけだった。
無為な十日間が過ぎた十一月最後の日。
日課になっているラスペードの研究室への訪問のため、学院の門をくぐった。
門をくぐると、そこにラスペードが待っていた。
「待っていたぞ、アークライト君。今日は実験に付き合ってくれ給え」
レイは何のことか判らず、「どう言った実験なんでしょう?」と尋ねると、
「君たちが見つけた魔法陣を再現したのだよ。今から起動実験を行うのだが、君はかなり高いレベルの魔術師だと聞いた。そこで私の助手をやってもらうことに決めたのだ」
レイはラスペードの言葉に苦笑する。
「その実験は危険ではないのでしょうか?」
ラスペードは何を言っているのだという顔をする。
「何を言っているのかね? 実験に危険は付き物だよ。特にこれほど複雑な魔法陣の再現実験など私の記憶にある限りでも最大級に危険だが?」
さらりとそう言われて、レイは絶句するが、何とかやらずに済む方法は無いかと、自分が正規の教育を受けていないことを話し始めた。
「私は自分の魔術師レベルすら判らない“もぐり”の魔術師なのですが……」
ラスペードは更に不思議そうな顔をしてから、すぐに得心したような表情に変わる。
「そうか! 自分の力が判らぬから不安なのだな。よろしい。今から君の魔術師のオーブを作ろう」
レイたちが唖然としている中、ラスペードは一人で建物の中に入っていこうとする。
「早く来たまえ! オーブを作ったら、すぐに実験を始めるのだから」
レイは仕方なく、彼についていこうと武器を門番に預けようとすると、門番は首を振って受取らない。
「ラスペード先生から、今日は武器の持込を許可するように言われていますから」
彼は何が起こるのか不安に思いながらも、魔術師のオーブのことが気になっていた。
(魔術師のオーブは魔術師ギルドに入らないと、作れないんじゃないのか? それだと僕が全属性持ちだと魔術師ギルドにばれてしまう。拙いぞ……)
彼はラスペードに追いつき、魔術師ギルドに入るつもりはないと伝える。
「別にギルドに入らずともオーブは作れる。新入生用のものがあるからな。本来は入学と同時にギルドに登録されるのだが。ギルドに入るのが嫌だというならオーブだけ作れば良い」
そう言いながらもドンドン先を歩いていく。
レイはアシュレイに「どうしよう?」と相談するが、
「良い機会ではないか? ラスペード教授は研究にしか興味は無さそうだ。ならば、お前の力を知る良い機会だと思うぞ。だが、魔法陣の実験だけはやめさせねばならんが」
アシュレイの言葉にとりあえずオーブの作成だけだと無理やり納得し、ラスペードの後を追った。
学院の建物の奥には、冒険者ギルドや傭兵ギルドにあるオーブを作成する部屋とよく似た部屋があった。
手順は同じで木の箱の中に入り、体を走査される。レイが木の箱から出てくると、ラスペードが奥の部屋に入っていく。そして、十分ほどするとラスペードが魔晶石を手にやや興奮した面持ちで戻ってきた。
「アークライト君! 君は全属性持ちなのだな! それもその年でこのレベル、ほとんど私に匹敵するレベルに達しているではないか! どうだね。私の助手にならんかね!」
ラスペードはやや興奮気味にそう言うと、レイにオーブを渡しながら彼の肩をバシバシ叩いていた。
引き気味のレイは「研究はちょっと……」と言いながら、オーブを受取る。
まだ、ラスペードが勧誘の言葉を続けているが、レイにはその言葉が耳に入っていない。
彼はオーブの情報を見て固まっていたのだ。
(光属性レベル六十六? 他も四十台から五十台だ。宮廷魔術師でも五十台だったはず……元々高かったのか、それとも魔法で敵を倒しているから上がったのか……)
彼が出会ったラクス王国の宮廷魔術師エルマー・アネーキスでも風属性レベル五十三。学院の卒業生で冒険者としてのキャリアのあるジニーは風属性レベル二十五。レイの魔法レベルがいかに異常であるかがこの二人との比較でよく判る。
(光属性が六十六……光の連弩を使っていたからかな? それにしてもこれが光神教にばれると厄介なことになる……)
「ラスペード先生。すみませんが、僕の属性とレベルの話は内密にしていただけないでしょうか?」
レイがおずおずといった感じでそう言うと、ラスペードは不思議そうな顔をする。
「なぜかね? 全属性持ちと言えば数十年に一人の逸材。更にその若さでそのレベルは、隠すどころか誇るべきではないかね」
レイがどう答えようか悩んでいると、アシュレイが替わりに説明を始めた。
「以前、光神教とトラブルがあったのです。我々が闇の神殿を擁護したことを逆恨みして、光神教の神官が闇討ちを掛けてきたのです。その神官は処分され、既に死亡しておりますが、この事実が彼らに漏れれば……」
アシュレイがそこまで言ったところで、ラスペードが頷く。
「なるほど。彼らは光属性の使い手を一人でも多く抱え込もうと必死だからな。それに昨日、光神教本部から派遣された聖騎士や司祭たちがこの街に入っている。このタイミングでこの話が漏れれば拙いことになるな」
レイはその事実を知り、思わず声を上げてしまった。
「光神教ですか? どこに派遣……ラクスの魔族討伐ですか……」
ラスペードは頷き、
「先ほど、学院長を表敬訪問していたよ。そこで聞きつけたんだろうね。私が魔族の魔法陣について研究していると。私のところにも顔を出していったよ。まあ、なぜか知らんが用件も話さず出て行ったがね」
レイは“ラスペード先生が相手をしないから呆れて出て行ったんだろうな”と思ったが、口には出さなかった。
「判った。君の話は私の胸の中にしまっておこう。ジニー君もそれでいいね」
後ろについてきているジニーにもそう言うと、彼女が頷くのも確認せずに話を進めていく。
「それでは私の実験に付き合ってくれたまえ。地下の実験室に準備がしてある」
レイたちは引き摺られるようにラスペードに連れて行かれた。
レイはラスペードの後ろを歩きながら、
(光神教がこのままラクスへ向かうなら問題ない。でも、魔族軍がチュロックから森の中に撤退して二ヶ月近い。もうそろそろ決着がついていてもおかしくないし……もし、ペリクリトルで僕たちが手に入れた魔族の情報を光神教が知ったら……彼らは魔族を追って森に入るかも。それだけなら別に構わないけど、ランダルさんが引っ掻き回されなければいいんだけど……)
ラスペードは学院の建物の奥にある地下階に下りる階段を下りていく。
かび臭いでもないが、岩や土が湿った感じがする通路を進むと、頑丈な金属の扉の前でラスペードは止まった。
「この先はアークライト君と私だけが入る。君たちはここで待っていてくれたまえ」
アシュレイとステラが慌てて止めに入るが、
「大丈夫だ。死にはしない。うん、多分死にはしないはずだ。アークライト君ほどのレベルならば、まず大丈夫だ」
「そんな危険なことをレイ様にさせるわけには……」
「これをやれば、召喚や転送の術の秘密が判るかもしれないのだ。なあに、危険と言っても精々訳の分からん魔物が飛び出してくるくらいだ。アークライト君なら対応できるし、そもそも鍵は外から掛けるのだ。危険だと思えば、君たちも中に入ってきたらいい」
レイが諦め顔でステラに首を振ると、彼女も引き下がるしかなかった。
レイとラスペードの入った部屋は十m四方くらいの部屋だった。部屋の中央には三m四方の鉄格子の檻が作られ、その床には洞窟で見つけた魔法陣と同じものが描かれている。
「では、魔法陣に手を置き、魔力を流し込んでくれたまえ。君は何も考えなくてよい」
ラスペードはそれだけ言うと、すぐに檻の中に入っていく。そして、魔法陣の中に入ると、杖を構え、レイには聞き取れない複雑な呪文を唱え始めた。
「闇を司りし闇の神よ……」
ラスペードが呪文を唱え始めると、レイも慌てて鉄格子の間に手を入れ、魔法陣に魔力を流し込み始める。
複雑な文様の魔法陣からイベント会場のレーザー光線のような光が四方に放たれていく。
一分ほど経つと、ラスペードの額に汗が浮き始める。
それでも彼は呪文を唱え続けていく。
レイには精霊の力が魔法陣に出入している様子が感じられていた。
(凄い力が出入している。大丈夫なのか?……)
更に一分ほどすると、魔法陣の中心にぼんやりとした人型が浮かび始める。次第に形がはっきりしてきたと思ったとき、唐突に魔法陣の光が消え、人型は崩れていった。
レイが我に返ったとき、ラスペードは力尽きたように膝を付いていた。
中の様子を覗き窓から見ていたアシュレイたちも部屋の中に駆け込んでくる。
レイが「大丈夫ですか! 先生!」と叫びながら慌てて檻に入っていく。
ラスペードの顔は蒼白になっており、手に持つ杖も手放し、ぜいぜいと荒い息をしている。
「失敗だが、これが何かは判ったよ。転送というより召喚の魔法陣だ」
「何か人型の靄のような物が見えましたが、あれが召喚されるものだったのですか?」
ラスペードは魔法陣にへたり込みながら、大きく頷く。
「翼魔系の魔物だろう。今回あれを呼び出すことは出来なかったが、恐らく呪文が違うのだろうね」
「翼魔系ですか……それより、ここを出ましょう」
レイはラスペードに肩を貸し、檻の中から出て行く。
そして、ラスペードの研究室に彼を運び込んだ。
ラスペードは休む間もなく、すぐに机に向かい始め、必死にメモを書き始めている。
レイたちは魔力切れの症状を見せるラスペードを止めようと声を掛けるが、「うるさい!」と言ってメモを取るのを止めようとしない。
三十分ほど机に向かったラスペードだったが、メモを書き終わったのか、ようやく机から顔を上げた。その顔は血の気が失せ、青白くなっているが、満足そうな表情を浮かべていた。
「あの魔法陣は魔族、それも翼魔族の使うもののようだね。召喚できそうだった魔物は翼魔かそのワンランク上の魔物だろう。呪文さえ解れば私でも呼び出せるのだが……」
心底悔しそうな顔でそう呟く。
「翼魔を呼び出しても使役できないのではないですか?」
レイの問いに「そうだな」とラスペードは頷く。
「確かに使役はできないが、それは別の研究者が行っている。私は転送、召喚の秘儀を解明できれば良いのだよ……」
ラスペードの無責任とも言える言葉にレイたちは呆れるが、ラスペードは自分の世界に入ってしまい、勝手に話を続けている。
「翼魔や小魔という存在がどこからやってくるのか。我々は野生の翼魔や小魔の存在を知らないのだよ。以前、ラクスで手に入れた小魔の死体ですら、かなり貴重なものなのだ……」
(もしかして、僕が持ち帰った小魔の死体のことかな?)
「……まだ、小魔の研究は進んでいないが、私は翼魔や小魔が別の世界から来ているのではないかと考えている」
レイはその言葉に「別の世界……」と呟く。
「そうだ。魔族は召喚という手段で別の世界から翼魔たちを呼んでいるのではないか。そして、召喚した直後に何らかの手段で隷属化しているのではないかと考えているのだ」
レイはラスペードの仮説に疑問を持ち、「先生はなぜそうお考えになるのでしょう?」と尋ねる。
「確たる理由はないのだよ。強いて言うなら、翼魔や小魔、更には悪魔と呼ばれる存在が確認されたのは、それほど昔ではない。魔族は神話にすら出てくる古い存在だ。だが、悪魔系の魔物は、わずか千年前に初めて存在が明らかになったのだよ。悪魔は明確な知性を持っている。そして、少なくとも数百年以上の寿命を持つと噂されている。それなのにだ……」
ラスペードの目に狂気にも似た色が浮かぶ。
「私は知りたいのだよ! 悪魔たちの世界があるのか。あるのならばどこにあるのか。彼らは何を考え、何のために魔族に使役されているのか。無理やりなのか、契約に基づくのか……魔族と悪魔の関係は何なのか。魔族が悪魔の世界から来たのか。それとも魔族が悪魔の世界を作り、使役したのか……そして、もし、悪魔たちの世界があるなら、私は行って見たいのだよ。危険だとしても、一目でいいから見てみたいのだよ……」
その勢いにアシュレイたちはたじろぐ。
そんな中、レイは別の世界と言う言葉を聞いて、自らの体と魂のことを考えていた。
(もし、別の世界から召喚できるなら、僕の魂が召喚されたことも解明できるかもしれない。このレイ・アークライトという青年の体がどこから来たかも……でも、そんなことを言ったら、間違いなくラスペード先生の実験動物兼助手にされるな……)
レイは話を変えるべく、別のことをラスペードに質問する。
「召喚できるということは、返すことも可能でしょうか?」
レイの唐突な質問に、ラスペードは一瞬不思議な顔をするが、
「理論的には可能だろうが、あの魔法陣の仕組み自体まだ解明できていない。召喚元が特定の場所に限定されているのなら、あの魔法陣が解明できれば、元に戻ることは理論的には可能だ。だが……」
ラスペードはそこで言葉を切り、小さく首を振る。
「いや、やはり難しいかもしれんな。転送ならば双方向性を確保できるが、召喚は入口の魔法陣があるかも判らん。もし、魔法陣があるなら返送することは可能だろうが、無理やり呼び寄せるなら、同じ場所に戻すことは理論的に無理だな……」
レイはその言葉を聞き、自分が日本に戻れる可能性は低いと思っていた。
(少なくとも僕の部屋には魔法陣はなかった。そもそも僕が目覚めた場所にも魔法陣らしきものはなかった。これについては、気絶している僕をあの場所に運んだ可能性があるから、何ともいえないけど……少なくとも僕がこの魔法陣を使って日本に帰るというのは無理だということだな)
彼は少しだけ残念に思うものの、それほど落胆はしていなかった。
(アッシュやステラ、ハミッシュさんやヴァレリアさんがいるこの世界の方がいい。家族には会いたいけど、この世界に僕の居場所があると思えるんだ……)




