第二十二話「学術都市」
ペリクリトルを出発したレイたちは、アウレラ街道を西に進んでいく。学術都市ドクトゥスはペリクリトルから約二百km西にある。
アウレラ街道はトリア大陸北部では最も重要な街道で、西の商業都市アウレラと北部のラクスやサルトゥース、南部のカウムを結んでいるため、往来する人の流れが途切れることはない。
ペリクリトルからはファータス河を左に見ながら、田園風景の中を進んでいく。
馬に揺られながら街道を進んでいくが、ペリクリトルとフォンスを結ぶフォンス街道のような危険もなく、すれ違う商隊の荷馬車を避けながらのんびりと馬を進めていた。
何事もなく、オートン、アーマスウェイトといった街を通過し、四日後の十一月二十日に大陸北部最大の学術都市、ドクトゥスに到着した。
ドクトゥスは北にサエウム山脈、南にファータス河に挟まれた街で、元々はカエルム帝国の北部の城塞都市だった。
帝国の拡大政策に伴い、更に東のアーマスウェイトが最前線になったため、ドクトゥスの軍事拠点としての価値は低下し、徐々に寂れていった。
更に三百年ほど前、ルークス聖王国が帝国から独立したため、北方政策が変更となり、ドクトゥスの城塞都市としての価値は更に低下した。
そこに目を付けたのが魔術師ギルドだった。彼らは帝国南部にある帝都プリムスに本拠を構えていたが、大陸北部に進出するためには不便であり、ラクス、サルトゥース、カウムといった国に近く、比較的安全な場所として、ドクトゥスを拠点に選んだ。
当初は寂れた辺境に設けられた都市であり、一辺が一kmの石造りの城壁に囲まれた市街地だけで充分であった。だが、帝国北部の戦乱が収まり、更に西部――ルークス聖王国付近――での戦乱が拡大していくに従い、アウレラを中心とする都市国家連合を中心にトリア大陸北部の通商は発展していく。そのため、ドクトゥスもアウレラ街道の宿場町として栄えていった。
アウレラ街道の往来が増えるに従い、旧市街を囲むように新市街が自然発展的に構成されていく。そして、南北二km、東西四kmの都市に発展していった。
街の歴史から、旧市街は学術都市、新市街は商業都市としての性格を持ち、人口は旧市街で五千人、新市街で一万人の合計一万五千人が住む大都市となっているが、新市街の周囲には簡単な柵しかなく、防備はないに等しい。このため、新市街へは入市税は不要で自由市場のようなものも出来ている。但し、学術都市側の旧市街に入るためには入市税二C(=約二千円)が必要になる。
レイたちは一旦、新市街に宿を取り、翌日旧市街に入る予定にしていた。
十一月二十一日。
ジニーを先頭に旧市街に入る門をくぐる。
ジニーは旧市街に宿を取ることを提案してきた。旧市街の宿は新市街より多少高いが、住民でないと門をくぐるたびに税金を取られるため、旧市街に宿を取ったほうがいいという説明だった。
三人もそれを了承した。
門をくぐると、正面に石造りの城砦が目に入ってくる。
「あれは図書館なの。蔵書数は世界一だそうよ」
ジニーの説明にレイは目を輝かせて頷く。
(世界一の図書館か……どんな感じなんだろう?)
「図書館には僕たちみたいな旅行者も入れるんですか?」
彼の問いに「入れるわよ。その代わり保証金として金貨一枚(=百C=十万円)と、入館料の半銀貨一枚(=五C)が必要だけどね」とジニーが答える。
(入るだけで五千円か……かなり高いんだな)
少し進むと右手に石造りの立派な建物が目に入ってくる。
周囲を板塀で囲まれ、門から中を覗くと、三階建ての建物と中庭のような広場があった。
広場では十代半ばくらいの若者が魔法を練習していた。
「ここが今日の目的地“ティリア魔術学院”よ。あの子たちは多分三年生くらいね」
ティリア魔術学院は五年制の学校で通常は十二、三歳で入学する。魔法の他にも数学や歴史、地理、政治学なども教えているエリート校だ。
卒業生のほとんどは国や貴族に仕え、宮廷魔術師やお抱え治癒師、更には官僚になる者もいる。
ジニーのように冒険者になるものもいないではないが、学院を出た若い魔術師は身体能力に劣るため、冒険者側も積極的には勧誘しない。
「ラスペード先生がいらっしゃるか確認してくるわ。悪いけど、ここで待っててくれる」
それだけ言うとジニーはすぐに門の中に消えていった。
残された三人は門番に見られながら、学生たちの授業を眺めていた。
(アネーキスさん――フォンスの宮廷魔術師――のいた魔術師の塔に行ったときも、若い子たちが魔法の練習をしていたよな。ここでも短いマントと杖は標準なんだ。何か制服やマントが色とりどりって感じだな。一、二……六色くらいか。もしかしたら、属性ごとに色を使い分けているのかもしれないな)
十五分ほどでジニーが戻ってきた。
「午前中は講義があるそうなので、午後にもう一度来ることになったわ。まだ、四時間くらいあるけど、どうする?」
アシュレイは「街の見物でもするか」とレイの方を見る。
「そうだね。宿を探して馬を預けてから、街を見たいんだけど、ジニーさん、それでいいかな?」
ジニーは「判ったわ。知っている宿があるから」と言って、前を歩き始める。
五分ほどで一軒の宿の前に到着した。
灰色の石造りの三階建て建物で、酒場が併設されているため、入口が二箇所ある。
「ここが空いていればいいんだけど……“賢者の離れ”っていうふざけた名前だけど、結構料理もおいしいし、居心地のいい宿なの」
ジニーに引っ張られるように宿の中に入っていく。
奥から四十歳くらいの女性が現れる。
ジニーが「ベニタさん、お久しぶりです」と頭を下げると、その女性、ベニタは笑顔を見せる。
「ジニーちゃん? 本当に久しぶりね。いつ戻ったの?……」
二人はレイたちを置き去りにして、二、三分昔話に花を咲かせていた。
「あら、ごめんなさいね。お客さんかしら?」
レイは苦笑しながら、「一人部屋を四つ借りたいんですが、空いていますか?」と尋ねる。
ベニタは困った顔をしながら、「四つはちょっとね……二人部屋一つと一人部屋二つなら空いているけど」と四人の関係を考えながら、提案してきた。
レイは「アッシュ、ステラ、どうする?」と尋ねると、アシュレイが答える前に、ステラが「ここで構いません」と答える。
レイは少し困った顔をして、アシュレイの顔を見るが、彼女が頷くのを見て
「それでお願いします。馬の世話もお願いできますか……」
料金などを確認した後、馬を厩に連れていき、街に繰り出していった。
ドクトゥスの旧市街の建物は元城塞都市ということもあり、すべて灰色の石で作られている。そのため、全体には少し重苦しい感じがするが、カラフルな庇や木窓の下に花を飾るなどして、できるだけ明るい雰囲気を作るようにしている。
宿の近くは学院に近いこともあり、本屋や文具、魔道具の材料などを売る店が多くあり、レイだけでなく、アシュレイも興味深そうに眺めていた。
その様子にレイが「アッシュはここに来たことがあったんじゃなかったっけ?」と尋ねると、
「新市街には何度かあるが、旧市街は初めてだ」
商隊は大手の商会が並ぶ新市街に入るため、旧市街まで入ることは少ない。そのため護衛も旧市街に入ることは滅多にない。この旧市街にはレイたちのような冒険者や傭兵といった感じの者は少なく、武装しているのは守備隊の警邏隊くらいしか見かけなかった。
先導するジニーが振り返り、
「そうよね。普通、冒険者や傭兵は旧市街に入らないから。学院に用事があるか、特殊な道具なんかを探す人くらいしか、入ってこないわ」
さすがに掘り出し物が見付かることはなく、レイが魔導書を一冊買っただけで昼食時間となった。学院の近くの食堂で食事を取り、学院に向かった。
学院の門をくぐる際に武器の提出を求められ、丸腰の状態だったが、傭兵らしい鎧の三人の姿は学院内ではかなり浮いていた。
すれ違う学生たちは皆、振り返り、「誰なんだ?」と首を傾げている。
(やっぱり魔術師とか文官とかしか来ないんだろうな。僕の装備は騎士っぽいけど、アッシュなんか明らかに傭兵の出で立ちだから珍しいんだろう……)
ジニーの案内で学院の校舎の中を奥に進んでいく。
大学の研究室のような小さな部屋が並んだ一画に到着すると、ジニーは一つの扉の前で三人に注意を促す。
「これからお会いするリオネル・ラスペード先生はエルフだから、見た目はかなり若いの。でも、この学院でも一、二を争う古株の先生なの。確か百五十歳を超えているはず。あと、とっても変わった方だから、面食らわないようにね」
三人は「面食らわない?」と首を傾げているが、ジニーはそれに構わず、扉をノックする。
中から、若い男性の「入りたまえ」という声が聞こえてきた。
ジニーが「失礼します」と入っていくと、三人も同じように後に続いていく。
灯りの魔道具に照らされた部屋の中には、二十代半ばにしか見えないエルフの男性が机に向かっていた。
その男は手入れすれば美しい金髪なのだろうが、ぼさぼさの髪を後ろで括っただけで、服装も学生たちが着ている制服に似た灰色の服を着ていた。
そして、彼の前の机の上には本が乱雑に詰まれ、机の横の戸棚には用途の判らない道具が所狭しと並んでいる。足元にはメモらしい紙が何枚も落ちており、レイはすぐに“マッドサイエンティスト”という単語が頭に浮かんできた。
(イケメンのマッドサイエンティストって感じだな。それも百何十歳っていう筋金入りの……関わり過ぎると碌なことになりそうにないな……)
その男は机に向かったまま、何かメモを書いており、レイたちを無視しているように見える。
ジニーが「先生に見ていただきたいものが……」と話し始めると、「少し待ってくれ給え」と言ってペンを動かす手を止めない。
(長くなりそうだな……こういう人を動かすには……)
レイが意を決して口を開く。
「先生に見て頂きたい魔法陣があるんです。それも魔族のもの……」
その瞬間、ガタンという音を立てて、彼はレイたちの方を向いた。
「そう言うことは早く言い給え。早くそれを見せてくれないか」
レイがジニーに「あのメモを」と言うと、やれやれといった感じでジニーがメモを取り出す。
ラスペードはそれをひったくるように奪うと、穴が開くほどそのメモを見つめる。そして、突然立ち上がり、何冊かの本を放り投げながら、本を探し始める。
アシュレイとステラはその展開についていけず、目を見開いたまま固まっていた。
レイは予想通りの展開に苦笑いを浮かべていた。
目的の本を見つけ、乱暴にページを捲り、書いてある図柄とジニーのメモを見比べている。
そして、メモを見たまま、
「これはどこで見つけたものかね。先ほど魔族と言っていたが、本当に魔族のものなのかね」
ジニーが説明しようとするが、レイが彼女に替わって説明を始める。
「場所はペリクリトルの南東にあるティセク村という廃村近くの洞窟です。魔族のものかは定かではありませんが、翼魔がいたこと、魔族らしい気配があったことから、魔族ではないかと思ったのです」
ラスペードはメモを机の上に置き、
「この魔法陣は風と土、光と闇の属性が描かれたものだ。どちらも反属性の同士だが、干渉しないよう、うまく作られている……」
レイたちはラスペードが何を言いたいのか全く判らない。ラスペードはレイたちに構わず、話を進めていく。
「風は空間と非物質、土は物質を表す。闇は死を、光は再生を表す。このことから考えられることは……転送又は召喚の魔法陣の可能性が高いということだ」
四人は「転送……」と絶句し、ラスペードの次の言葉を待つ。
「古代の遺跡で発見された魔法陣に似たものがある。一部が破損し、目的が判らないとされていたものだ。私の研究では召喚の魔法陣だという結論に達したのだが、これで私の仮説の裏付けができる……」
ブツブツといい始めたラスペードに対し、レイが疑問を口にした。
「転送若しくは召喚の魔法陣とのことですが、どの程度の能力を持つものなのでしょうか?」
ラスペードは独り言を止め、「これの大きさはどの程度だ?」と逆に質問してきた。
レイが直径三mほどと答えると、目を見開いて驚いていた。
「恐らくかなり大きなもの、人程度の大きさなら十分に転送若しくは召喚できる」
「転送と召喚のどちらであるか判らないのでしょうか? 随分意味合いが違うと思うのですが?」
ラスペードは首を横に振り、
「いや、それほどの違いは無い。この魔法陣は出口に当たる。召喚であれば魔力を注いで強制的に呼び寄せるだろうし、転送なら転送元から魔力ごと送り込まれたものの目印のようなものだろう。要は穴の出口なのだよ。引っ張り出すか、押し込まれたものが勝手に出てくるかの違い程度と思えば良い」
「つまり、この魔法陣は出口専用だということでしょうか?」
「その通りだよ。君では判らないだろうが、闇と光、土と風の順序が出口となるように描かれている。闇から光、風から土という具合に。送り込むほうなら、“光”つまり“生”から、“闇”に変換し、“土”すなわち“物質”から、“非物質・空間”である“風”に変換して別の空間に送り込む。今回のものはその順序が逆なのだよ。まあ、あくまで仮説に過ぎんがね」
レイはなるほどと頷く。
そして、自分がこの世界に来たことが気になり、
「転送というのは存在する、または存在した技術なのでしょうか?」
ラスペードは質問の意図が理解できないという顔をするが、
「少なくとも我々は持っていない技だ。現在も過去も。だが、我々以外の魔族や高い知性を持った竜などが持っていないとは言えない。どうしてそのようなことを聞くのかね?」
レイは「いえ、あの……」と言葉に詰まり何も言えない。
アシュレイがフォローするかのように、
「我々はラクスの東の地で魔族と戦っていたのです。その魔族の現れ方が唐突だったので疑問に思ったのです。そうだな、レイ?」
レイは「はい」と頷き、心の中で胸を撫で下ろす。
(少し焦ってしまったよ。アッシュのおかげで助かった。自分がどうやって、この世界に来たのか知りたいなんて言ったら監禁されそうだし……)
「そうか……ジニー君と言ったね。この場所に行くことはできるのかね?」
ジニーはどう答えようか悩み、レイを見る。レイは首を横に振り、
「非常に危険な場所です。先日、我々も全滅し掛けましたから、百人規模の護衛を連れて行く必要があるでしょう。それに……」
ラスペードが「百人か」と呟いているのを無視して、話を続けていく。
「……それに既にその魔法陣は破壊されているはずです。我々に見られたことは知っていますから、これを使っているのが魔族であれば、既に証拠隠滅を図ったと考えるほうが合理的でしょう」
ラスペードは少し残念そうな顔をして、「そうか……」と呟く。
そして、何か思い出したかのように、「そう言えば君たちは何者だね?」とレイたちに聞いてきた。
レイとアシュレイは顔を見合わせ苦笑しながら、自己紹介を始める。
「私はアシュレイ・マーカットという傭兵です。こちらが仲間のレイとステラ。ペリクリトルで冒険者ギルドの依頼を受けてティセク村周辺を調査した者です」
「なるほど。紹介が遅れたが私はリオネル・ラスペードだ。この学院の教授をしている。まあ、その辺りはジニー君に聞いているのだろう?」
自己紹介が終わったところで、もう一つの聞きたいこと、魔物の使役について、レイが質問する。
「今回の調査で使役された魔物に襲われました。その魔物には魔道具はなく、どのように操ったのか判らないのですが、先生のお考えを伺いたいのですが?」
「魔道具なしに使役ね……どのような魔物だったのかね?」
レイは殺人蜂や灰色猿など、襲い掛かってきた魔物を列挙していく。
「昆虫系に野獣系、それに鬼系か……私は魔物使いについては専門外なのだが……」
そう断った上で、説明していく。
ラスペードの説明では、モンスターテイムにはいくつかの方法があるそうで、昆虫系なら特殊な臭いを使うこともあるし、野獣系なら薬草を使って手懐ける方法もある。鬼系については方法は判らないが、魔族の鬼人族が特殊な儀式で眷属とする方法を編み出している。
「昆虫系、野獣系、鬼系を一度に使役するとなると、考えられるのは闇属性魔法で自分の精神を魔物に同化させる方法くらいだろうね。もちろん、我々にはそんな魔法はないが、闇属性を操る魔族ならできるかもしれない。まあ、これについては僕も専門外だから詳しい先生に聞いておくよ」
(魔物と精神を同化する? よく判らないな。奴隷の首輪とどう違うんだろう?)
「先生のご専門は魔法陣と魔道具と伺いました。奴隷の首輪というのはどういったものなのでしょうか?」
レイの問いにラスペードが初めて言いにくそうにする。
「済まないが、奴隷の首輪については禁忌になっているのだよ。闇属性を使うことだけは知られているが、それだけではないのだ」
「禁忌ですか……確かに公にしていい情報ではありませんね」
聞きたいことを聞いたので、レイたちはラスペードの部屋を辞去しようとした。
彼らが立ち上がったとき、ラスペードが、
「魔法陣について何か判れば、君たちにも伝えよう。私は多分伝えるという約束を忘れてしまうだろうから、時々ここに来たまえ。その時に新しい事実があれば伝えられる」
レイたちはラスペードに見えないように苦笑しながら、頭を下げる。
「今日はお忙しいところ、ありがとうございました。では、後日お伺いします」
部屋の外に出ると、ジニーが大きく溜め息を吐く。
「それにしてもレイ君って凄いわね。あのラスペード先生と普通に会話できるなんて」
レイが何か言おうとしたとき、アシュレイが笑いながらレイの肩を叩く。
「こいつは相手が大物でもほとんど気にしないからな。こいつ自身が大物なのか、ただ鈍いだけなのかは判らんがな」
「アッシュ、それはないだろ。まあ大物じゃないのは判っているけど、鈍いって言われるのは……否定できないか。ははは」
彼の笑いに三人が釣られ、四人で笑いながら学院を出て行った。




