第一話「ペリクリトルへ」
十月二十四日。
秋の高く澄んだ空の下、レイたちはマーカット傭兵団本部の中庭で馬に荷物を積み込み、出発の準備を終える。
周りにはハミッシュ、ヴァレリア、そして、レッドアームズの傭兵たちが集まり、レイたち三人に声を掛けていた。
ハミッシュが「行って来い!」と笑顔でレイの肩を叩くと、少しふらついたレイが「行ってきます!」と紅潮した顔で元気に応える。
ハミッシュはステラにも同じようにしてから、愛娘アシュレイの前に立った。
「楽しんで来い! まあ、たまには帰って来い。たまには……」
ハミッシュがアシュレイを抱きしめながらそう言うと、隣でヴァレリアが呆れていた。
「まだ、子離れできないんですか? 今から楽しい旅に出る子に帰って来いなんて」
その言葉に傭兵たちが笑みを浮かべる。
「団長も形無しっすね! もう、ヴァレリア姐さんの尻に敷かれてるんすか?」
ハルの一言で傭兵たちの大きな笑い声が中庭にこだまする。
ハミッシュだけが微妙な顔をしているが、レイたち三人も笑っていた。
ヴァレリアはそんなハミッシュの腕を取り、「団長のことは任せておきなさい、アッシュ。さあ、元気で行ってらっしゃい!」とアシュレイの肩をポンと叩く。
そして、ハミッシュの方を見ながら、「でも、時々は連絡をよこすのよ。この人を追いかけさせないためにね」と少し意地悪そうな笑みを浮かべていた。
その言葉で更に笑いが広がっていく。
(本当にここに来て良かった。本当にみんないい人たちだ……)
レイたちは傭兵たちに見送られながら、本部の門を出て行く。
本部が見えなくなるまで、何度も振り返りながら手を振っていた。
彼は寂しげな表情のアシュレイに「寂しくなるね」と小さく声を掛けた。
彼女は「そうだな」と答えるが、彼がもう一度彼女の表情を窺うと、吹っ切れたような笑顔を彼に向けていた。
「旅を楽しむとしよう。どこに行くにしても帰ってくるところがあるのだからな!」
彼は頷き、そして、ステラにも笑顔を向ける。
「久しぶりに三人での旅だね。じゃあ、行こうか」
ステラは小さく頷き、「はい、行きましょう!」と、二人に笑顔を向けていた。
彼女の表情にアシュレイは、初めて彼女に出会ったころとの違いを感じていた。
(ステラも笑えるようになったのだな。初めて会った頃は、泣くことも笑うことも無い人形のようだったが。レイはこのことをどう思っているのだろうか? 私は素直に喜べているのだろうか……)
そして、すぐにその考えを振り払う。
(レイは私を”一番”だと言ってくれたのだ。それでいいではないか。もし、ステラを、彼女を好いたとしても、それは私が認めたことでもある。今更、うじうじ考えることではないのだ)
彼女は彼の横に行き、今日の予定について話を始めていた。
ステラは楽しそうに話すレイとアシュレイの姿を見て、自分の心の中に渦巻く暗い感情に気付いていた。
(お二人の間を邪魔したくない……いいえ、それは本心じゃないわ。私はあの方を、レイ様を独占したいの……アシュレイ様はとてもいい方。でも、あの方を渡したくない……こんなことを考えてはいけないのに……)
彼女は少し暗い表情を浮かべた後、すぐに頭を振り、表情を戻していく。
(今は楽しいことだけを考えよう。折角、一緒に旅に出られたのだから……)
三人は五ヶ月近く過ごしたラクス王国の王都フォンスを発ち、南に向けて馬を進めていく。
三人の頬には、秋の乾いた心地よい風が吹き抜けていた。
時は三ヶ月ほど前、八月に入った頃に遡る。
北方の街なのだろうか。夏の盛り、八月だというのに、街を歩く人々の服装からは、厳しい暑さを感じさせない。
一軒の大きな屋敷、白い壁に黒い屋根、白と黒のモノトーンが美しい、重厚な造りの屋敷では謁見が行われようとしていた。
二十代後半だろうか。美しい黒髪、切れ長の黒い瞳、抜けるような白い肌、そして、背中にカラスのような黒い翼を持つ美女が、女王然として豪華な椅子に座っている。
その表情は硬く、彼女の前に跪く同じように美しい黒髪の美女を見下ろしていた。
「まだ見付からないのかしら? アスラたち陽動部隊を送り出してから既に三ヶ月よ。彼女たちも一度躓いたようだけど、それでも、もうそろそろ行動を起こすはず。ヴァルマ、あなたは何をやっているのかしら?」
やや低い艶のある声だが、ヴァルマと呼ばれた女――黒い革鎧に身を包み、目の前の美女と同じような黒い翼を持つ女――は、押さえつけられたかのように更に頭を下げ、顔は血の気が引き、蒼白になっていった。
「も、申し訳ございませぬ。ペリクリトルという街におられるらしいという情報は手に入ったのですが、未だ、ご本人か確認できておりません。今しばらく、今しばらく、お待ち頂き……」
「それでは遅いと言っているの! 既にサイは投げられているのよ!」
椅子に座った女性はその言葉を遮り、更に厳しい口調で「我ら月魔族が翼魔族や鬼人族たちに遅れを取るなど、あってはならぬこと!」と叱責していく。
ヴァルマは「も、申し訳ございませぬ! イーリス様!」と平伏し、「これより私自らが出向き、御子様をお連れ致します」と寛恕を請うていた。
イーリスと呼ばれた女は、「判りました。それではすぐに向かいなさい」と鷹揚に頷く。
「翼魔を何体か授けましょう。何としても今年中に、大鬼族のオルヴォが攻め込む前に、見つけねばならぬのです。判っていますよね」
ヴァルマは「心得ております」と力強く答える。
イーリスはヴァルマを退出させると、ふぅと息を吐く。
そして、「巫女たる私に失敗は許されない。今回は我ら月魔族が主導したもの。絶対に失敗は許されない……」と呟いていた。
十月二十四日、午後三時。
フォンスを出発したレイたちは、順調に街道を南に下っていた。
フォンスとペリクリトルを結ぶフォンス街道は、主要街道らしく人の流れは多かった。
特に南から北に上っていく傭兵たちの姿が目に付く。その中には、同じ装備で身を固めた百人規模の傭兵団もあり、フォンスから更に東に向かい、チュロックの魔族討伐に向かう一団のようだった。
レイは「随分、傭兵が多いね」とアシュレイに話しかける。
彼女も同じことを思っていたのか、「そうだな」と答え、
「十月の頭に陛下が各国に魔族討伐への支援を要請された。有翼獅子を使ったと聞いているから、数日以内には各国に情報が届いたはずだ。今、北上しているのはフォルティス――傭兵の国――を出発した傭兵団だろう……」
魔族の侵攻に対しては不文律ではあるが、各国が協力して当たることが義務付けられている。
ラクス王国の魔族討伐への呼びかけに対し、常備軍を持つ近隣の諸国から軍が派遣されていた。
各国の状況だが、ラクスとの関係が悪化している南部のカエルム帝国へは支援要請自体なされていない。魔族討伐軍がそのままラクス侵攻軍にならない保証がないためだ。
警備隊程度しか持たない商人たちの国アウレラや学術都市ドクトゥスなどからは、資金援助だけが届いている。
南西部のルークス聖王国に関しては、距離的な制約があるということで、こちらにも支援は要請していないが、闇の神を信じる魔族を滅ぼすためと言って、放っておいても光神教が積極的に関与してくるだろうとの観測もある。
南部のカウム王国は今回、援軍を出していない。これはカウム王国が魔族の住む土地、クウァエダムテネブレと隣接しており、更なる大規模な侵攻作戦を懸念しているためだった。
ラクスと連合王国を形成するサルトゥースを除けば、支援に最も積極的な国は、傭兵の国フォルティスだった。
国としては魔族討伐支援なのだが、傭兵たちにとって、魔族を相手にすることは報酬がよく、更に自らの傭兵団に箔が付くため、積極的に参加していた。
フォルティスからフォンスまでは、傭兵たちの移動速度なら通常の街道を通っても、二十日前後で到着できる。更にポルタ山地――フォルティスの北側に広がる東西五百km、南北二百kmの険しい山地――を通れば十五日程度でフォンスに行くこともできる。
レイたちがすれ違った傭兵団は連絡を受けた直後にフォルティスを出発した者たちだろうというのが、アシュレイの見立てだった。
「恐らく数日間は、北上する多くの傭兵たちとすれ違うことになるだろう」
レイは数日間というアシュレイの見立てに疑問を持った。
「数日間? その後、後続はないってことかい?」
「そうだな。これだけ大規模な援軍だ。出遅れれば到着した頃には、既に終わっている可能性もある。そうなれば、足代は出ても儲けが少ない。だから、先を争うように向かっているはずだ。実際、無理をして山越えをする部隊もいるだろう」
レイはその言葉に疑問を持った。
「それなら、護泉騎士団が討伐してしまうとは考えないのかな?」
彼女は少し考えながら、傭兵としての見方を話していく。
「考えるかも知れぬが、かなり大規模な支援要請だったらしいからな。騎士団だけでは対応できないと見るほうが自然だろう」
「しかし、フォンスの傭兵たちも東に向かったし、商隊の護衛は大丈夫なのかな?」
「恐らく困っているだろうな。デューク小父様――フォンスの傭兵ギルド長、デューク・セルザム――が、ぼやいておられたそうだ。商業ギルドから護衛が少ないと散々に文句を言われたとな」
レイはその言葉に違和感を覚えていた。
(魔族の討伐を行うのはいい。だけど、流通に影響を与えるような行動はおかしいんじゃないか? もし、これが魔族の狙いなら……それはないか。でも、魔族の考えることは判らないことが多いしな)
アシュレイの予想通り、三日後を境に北上する傭兵たちの姿は急速に減っていった。
そして、十月二十九日に国境の街、ハスティグローに到着した。
ハスティグローは人口五千人ほどの街で、自由国境地帯との境にある城塞都市だった。地図上では自由国境地帯という区分は無く、カエルム帝国の領土なのだが、都市国家連合の勢力圏であるため、人々は自由国境地帯という認識を持っていた。
高さ十mほどの城壁に囲まれた四角い街で、東側に一箇所だけ城門があり、中に入ると、灰色の石造りの街並で重厚な感じの如何にも城塞都市という趣がある。
ただ、ここ数十年、ここハスティグローに届くようなカエルム帝国の侵攻は無く、人々に国境の街という緊張感はほとんどない。実際、ハスティグローは都市国家連合との通商における通過点であり、宿場町として繁栄していた。
この辺りに詳しいアシュレイの案内で宿に向かっていた。
「父上と何度かこの街にきたことがある。今日は”戦士の憩い”亭という傭兵たちがよく利用する宿にしようと思う」
レイとステラに異存はないため、戦士の憩い亭に向かった。
宿に着くと、午後四時過ぎだというのに閑散としていた。
アシュレイが宿のフロントで声を掛けると、四十がらみのごつい感じの主人が不機嫌そうな顔で出てきた。
アシュレイが「トビー、久しぶりだな」と声を掛けると、主人の顔が急にほころぶ。
体格に似合った銅鑼声で「お嬢じゃねぇか! 元気そうだな!」と、どしどしと足音を立てて近寄ってきた。
「空いていれば一人部屋を三部屋頼みたいのだが……今日は少なそうだな」
アシュレイのその言葉には再びトビーの顔が暗くなる。
「ああ、商隊の護衛が減ったせいだ。二、三日前までは魔族討伐に参加する連中で賑わっていたんだがな……」
彼の話では、北行きの傭兵たちがいなくなり、更に商人たちを護衛する傭兵たちが減った影響で閑古鳥が鳴いているということだった。
商隊自体は減っておらず、他の宿はそれほど影響していないそうだが、傭兵の客が多いこの戦士の憩い亭は護衛の減少の影響をもろに受けたそうだ。
一言二言、世間話をした後、俺とステラを紹介される。
「こいつはレイ・アークライト、そっちがステラだ。私の旅の仲間だ」
レイとステラが簡単に挨拶すると、トビーがレイを胡散臭そうな顔で見るが、すぐに腕の赤い腕甲に気付き納得する。
「お前さんもマーカット傭兵団か。なら、自分の家だと思って寛いでくれ」
トビーは元レッドアームズの傭兵だそうで、十年ほど前にケガを負って引退した。ハミッシュは彼のことを気に掛け、フォンスとペリクリトルの間にある、ここハスティグローで働くことを勧めた。その後、護衛の仕事などでハミッシュも何度か泊ったため、次第に傭兵専門の宿という評判が立ち、最終的には前の宿の主人から、トビーが後を任されるようになった。
(だからこの人は少し足を引き摺っているのか。しかし、ここでもハミッシュさんは有名人なんだな。泊るだけで宿の宣伝になるんだものな……)




