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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第二章「湖の国・泉の都」

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第八十話「アーウェル・キルガーロッホ」

 十月二十一日、午後十時。


 元第三大隊長アーウェル・キルガーロッホは、騎士団本部にある懲罰房に収容されていた。

 懲罰房は犯罪者の牢よりかなり上質で、彼に切迫した危機感はなかった。


(父上からの連絡が来ぬ。ブレイブバーン公は、騎士団長らが戻るまで、私を閉じ込めておくつもりなのか?)


 だが、なかなか実家から連絡が来ないため、少しずつ焦れ始めていた。

 日中は騎士団からの事情聴取があり、気を紛らわすことができるが、夜になると話し相手も無く、時間を持て余していた。


 ようやく睡魔が襲ってきた頃、外で何か争うような物音がし、その直後に中隊長の階級章をつけた壮年の騎士が現れる。彼の後ろには、従士らしき兵士二名が付き従っていた。

 その騎士は硬い表情のまま、寝転がるアーウェルに、


「アーウェル様、第八大隊第三中隊長をしておりますステファン・リッジウェイと申す者。代々、キルガーロッホ家に仕える者で、公爵閣下よりアーウェル様をお助けするよう命じられた者にございます」


 アーウェルはその言葉に内心喜んだものの、傲慢な表情を浮かべて叱責する。


「遅い! なぜ、もっと早く来なかった!」


 リッジウェイは静かに頭を垂れ、


「誠に申し訳ございませぬ。ですが、閣下もブレイブバーン公に気取られずに事を起こすことに苦労なされたご様子。何卒、ご寛恕のほどを。しかしながら、今は一刻を争う事態にございます。時は金より貴重、議論はお屋敷に戻ってからなさいませ」


 アーウェルはまだ納得していない表情を見せているが、自分が助かるこの機会を失うつもりはなかった。


「仕方あるまい。では、そなたに任せる」


 リッジウェイは、従士の装備を彼に手渡し、


「申し訳ございませぬが、王都を脱出するまでは、我が隊の従士に偽装して頂きます」


 アーウェルは嫌そうな顔をしてその装備を見るが、リッジウェイの焦りの表情を見て、諦めたように着替え始める。

 そして、着替えながら、脱出の方針を確認していく。


「どうやって、ここを脱出するのだ?」


「外に倒れております従士と入れ替わり、小官とともに本部より退出いたします。そして、王城からは伝令に偽装し、そのまま王都から脱出して頂きます。王都の外には、公爵閣下が手配されました者がおると聞いております。その者とキルガーロッホ領に向かっていただく手筈となっておるはず。閣下のご計画では、一旦領内に潜伏して頂き、陛下らを説得する時間を稼ぐとのこと」


「しかし、時間を稼ぐなら、ここにいてもよかろう?」


「いえ、ここにいては御身に危険が及ぶ恐れがあります。ブレイブバーン公の手の者に暗殺される恐れが……」


 暗殺という単語に、アーウェルの背中に冷たいものが流れる。


「……暗殺だと……判った。では、早く脱出せねばならんのだな」


 リッジウェイは頭を下げるだけで、それ以上言葉を発しず、態度でアーウェルの着替えを急かす。

 五分ほどで準備が終わると、外に倒れている若い従士にアーウェルの服を着せ、入口に背を向けた状態で転がしておく。

 リッジウェイは、懲罰房の出口で看守に二言三言呟くと、アーウェルを従え、本部内を堂々と歩いていく。

 一方、後ろを歩くアーウェルは、誰かに見咎められないかとキョロキョロとし、リッジウェイに何度も注意されていた。

 そして、騎士団本部、王城の通用門と、呆気ないほど簡単に出ることができたことに、アーウェルはホッとすると共に、疑問を口にした。


「それにしても、うまく事が運び過ぎぬか? ブレイブバーン公の罠ではないのか?」


 リッジウェイは振り返りもせず、


「この時間の王城の警備の責任者は小官でございます故……」


 アーウェルは得心したのか、大きく頷き、


「なるほど、父上もこのタイミングを計っておられたのか……」


 アーウェルがまだ話をしようとしたが、リッジウェイがそれを咎める。


「王都の門を出るまでは、ご油断なさらぬように。小官の権限も王都の門には及びませぬゆえ、一芝居打つ必要がございます……」


 アーウェルはその言葉に素直に頷き、王都の西門に向かって、早足で歩いていく。

 途中、従士たちが彼らから離れ、どこかに消えていく。

 アーウェルが疑問を口にしそうになった時、リッジウェイがこの先の策略を話し始める。


「従士たちが馬を準備しております。我らはチュロックへの早馬になりすまし、王都を脱出いたします。その際、すべての交渉は小官が行いますので、アーウェル様は何もしゃべらないよう、お願いいたします」


 アーウェルはその作戦を理解し、鷹揚に頷く。

 すぐに従士たちが四頭の馬を引き、合流した。


 西門につくと、リッジウェイが門番と話を始め、すぐに門が開かれていく。

 アーウェルはその様子に叫び声を上げそうになるほど、喜んでいた。


(さすがは父上。これほど周到な準備を行っていたとは。後は領内にどの程度潜伏するかだが、これも父上にお任せしておけば、問題ないだろう……)


 門を出た直後、四人は暗闇の中、灯りの魔道具の照らす光を頼りに馬を駆けさせていく。

 二十分ほど走った後、街道を外れ、森の中に入っていった。


 リッジウェイが停止の合図をし、全員が下馬すると、従士の一人が、村人が着るような粗末な服をアーウェルに差し出す。


「アーウェル様。ここで、この服に着替えて頂きます。平民に化けるようにとの閣下の御指示にございます」


 アーウェルは一瞬嫌そうな顔をするが、公爵の指示と聞き、素直に着替え始める。

 その時、アーウェルに渡されていた剣を従士の一人が回収していく。


「剣が無くば、落ち着かぬ」


 アーウェルの不満に、リッジウェイが、


「平民が騎士団の剣を持っているのは、不自然にございます」


 アーウェルは納得できないものの、すぐに案内の者が現れ、別の剣を与えられるだろうと思い直すことで無理やり自分を納得させていった。


 彼は騎士団本部からの脱出で、余程緊張していたのか、その場にへたり込むように腰を降ろした。

 すると、彼の前にリッジウェイが立ち、彼を見下ろすように睨みつけていた。

 アーウェルは見下ろされる感じを不快感に思うとともに、突如豹変したリッジウェイの態度に嫌悪感を表した。


「無礼であろう。跪かぬか」


 リッジウェイはその言葉を無視し、口調も変えて、詰問し始めた。


「アーウェル殿()は、第二中隊を盾に脱出されたそうですが、第二中隊は捨石にするおつもりだったのでしょうか?」


 アーウェルは突然振られた話が理解できない。また、家臣であるリッジウェイが口調を変えたことにイラつき、大声を上げる。


「無礼な! 貴様に答える必要はない!」


 リッジウェイはまったく表情を変えることなく、「捨石にされたのですな?」と更に問いを重ねる。

 アーウェルは、リッジウェイの態度の急変が不気味に感じられたものの、周りに味方がいないことに気付き、彼にしては珍しく怒気を収めていく。


「そのようなことどうでもよいではないか。まあよい。第二中隊は全軍を生かすために殿を命じた。それ以上でもそれ以下でもない」


「判りました。では、アーウェル殿本人のことですが、オークの群れを見て恐れをなし、剣を抜くことすらできず、逃げ出したと聞きました。真ですかな?」


 逃げ出したという言葉が、彼の逆鱗に触れ、抑えた怒りが一気に噴き出す。


「ええい! そのようなことは無いわ! 私は指揮官、自ら戦う必要は無いのだ。恐れをなしたわけではない!」


 リッジウェイはアーウェルの怒鳴り声など、全く気にせず、質問を続けていく。


「それでは、最後に。捨石にした第二中隊、義勇兵たちの戦死者に対し、今どのようなことをお考えか? 謝罪、若しくは追悼のお気持ちはおありか?」


 アーウェルは侮蔑の表情を隠そうともせず、


「そなたは、それでも騎士か? 将を守るための犠牲に、一々、追悼などしておっては、指揮官など務まらぬわ。まして、上級貴族たる私を守ることは、騎士、平民どもの義務。何故なにゆえ、謝罪の必要があるのだ?」


「では、キルガーロッホ公爵家の方は、貧しい騎士、平民は使い捨ての道具ということですかな。判りました。それでは、裁きを言い渡しましょう」


 リッジウェイは腰の長剣を引き抜くと、アーウェルに近寄っていく。

 何の表情も浮かんでいなかったはずのリッジウェイの顔に、いつの間にか憤怒の表情が浮かんでいた。アーウェルはその鬼気迫る表情に恐れをなす。

 そして、従士の二人は、いつの間にか、アーウェルの後ろに回り込んでいた。


「な、なんのことだ! 何をするつもりだ!」


 二人の従士たちも長剣を引き抜いており、アーウェルを三方から囲んでいく。


「あなたに殺された我が息子、アントンのかたきを取らせて頂く。ここにおる二人も、あなたが見殺しにした第二中隊に親族がいた者たち」


 アーウェルは腰が抜けたように後ずさりながら、


「止めろ! 貴様、我がキルガーロッホ家より禄を得ておった者であろう! それが我に盾突くのか!」


「確かに禄を得ておりましたが、それ以上に貢献して参ったつもりです。ですが、公爵家は、いいえ、あなたは、我らのことをただの手駒と考えておられる。我らの忠誠を欲するなら……いや、今更、あなた方に何を言っても無駄でしょう……」


 そう言いながら、リッジウェイは剣の平でアーウェルの右頬を殴りつける。

 アーウェルは「グゲェ!」という声を上げ、地面に倒れ込んでいく。

 倒れ込んだ彼に対し、従士たちは思い思いに殴る蹴るの暴行を加えていく。


「本日、陛下のご裁可が下った。貴様はキルガーロッホ家に引き渡されることに決まったのだ。公爵は陛下と取引をしたのだろう。公爵は貴様を公開処刑に処すと言っていた。だが、それではお前の存在がキルガーロッホ家の役に立ってしまう。私はお前たち、キルガーロッホの名を持つものすべてに復讐することを誓った。我が息子に誓ったのだ……」


 リッジウェイがそう言っている間も、従士たちはアーウェルに暴行を続けていく。


「わ、私が、な、何をしたと言うのだ……今回のことは、へ、陛下のミスだ。怨むなら陛下を、父上を怨め!」


「まだ判らぬか! お前は筆頭公爵家という栄えある名家に生まれたのだ。その義務を忘れ、我ら下級騎士、平民を道具のように使い捨てる……」


 アーウェルの腹を長靴で蹴りつけながら、


「私の顔を見ても、こちらから言わねば、お前たちに忠義を誓っていた家臣だと気付かなかった。我らとて、死なねばならぬ状況があることは理解しておる。だが、我らも人。名誉の何たるかも判らぬ、愚か者の命で死んでいくのは我慢ならん。お前の愚かさにより死んでいった者たちのために、苦しみ抜いて死んでいけ!」


「た、助けてく……グッ! 嫌だ、死にたくない……たずげで……ウッ!」


 アーウェルは何度も命乞いし、最後にはリッジウェイの足に縋りついていた。


「我が息子、そして、ここにいる者たちの息子らも死にたくはなかった。いや、犬死などしたくなかったのだ!」


 リッジウェイらは彼の命乞いを無視して、更に顔を殴り続けていく。

 五分ほど殴り続けていると、アーウェルは動くこともままならず、更にその顔は本人と判らぬほど変形していた。


「これくらいでよかろう。これですぐに見つかったとしても、本人とは断定できぬはずだ」


 リッジウェイはそういうと、倒れているアーウェルの左腕に長剣を振り降ろす。

 アーウェルの左の手首が斬り落とされ、アーウェルは血塗れになりながら地面を転げ回っていた。

 更に動きが止まった彼の右足の膝にも長剣が振り降ろされ、アーウェルはその痛みのため、言葉にならない“ウーウー”という呻き声を上げながら、その場で蹲っていた。


 リッジウェイは、従士の一人に目で合図し、


「バーンズ、オーブを処分しろ」


 バーンズと呼ばれた従士は、左手首に残るオーブ――身分を証明する魔道具――を、長剣の先で砕いていく。


「この辺りは野犬や狼が多いそうだ。お前は自分の愚かさを思いながら、獣どもに生きながら食われていくがいい。ふふ、運良く生き残っても公開処刑が待っておる。その体で逃げるもよし、諦めて食われるもよし……殺されていった者たちに許しを請いながら、苦しみ抜いて死んでいくがいい……」


 彼はそれだけ言うと、馬を引き連れ、その場を離れていく。

 残されたアーウェルは、這うようにその場を離れようとするが、彼の耳には狼たちの遠吠えが聞こえ始めていた。


(嫌だ……こんなところで死にたくない……助けてくれ……)


 十分後、一際大きな悲鳴が森に響き渡る。

 だが、すぐにその悲鳴は途切れ、再び静けさを取り戻していった。




 アーウェルを処分したリッジウェイらは、夜明けと共に北門から王都に入り、キルガーロッホ公爵邸に向かった。

 早朝の王都はいつもより騒がしく、騎士団の兵たちが通りを何度も通り過ぎていく。

 リッジウェイは、


(既にアーウェルが逃げたことは露見したようだな。ならば……)


 彼は二人の従士に向かって、曇りのない笑顔を見せる。


「二人とも、今まで良く仕えてくれた。感謝するぞ。これより先では話す機会が無いかもしれぬ。だから、先に言わせてもらったぞ」


「旦那様に今までお仕えできたことは、何にも換え難きものにございます」


 従士も同じように笑顔で応える。


 リッジウェイ家には二人の息子がいた。長男はキルガーロッホ領内での盗賊退治で命を落とし、次男のアントンが家を継ぐことになっていた。ステファンの妻は数年前に他界しており、リッジウェイ家の生き残りは彼一人しかいなかった。

 二人の従士のうち、バーンズには妻も娘もいたが、彼は敬愛する主人に殉じることにした。

 リッジウェイはそのことを思い出し、


「そなたの妻子に済まぬことをした……」


 バーンズはにこりと笑って、


「妻も娘も判ってくれるはずです。旦那様が私どもにとって、掛け替えの無いお方であることは二人も理解しておるでしょう」


 それ以上、三人は何も言わず、騒然とする王都を笑顔で進んでいく。あまりに自然な歩みに、彼らが実行犯であることに、誰も気付けなかった。

 三人はそのまま堂々と公爵邸に入っていった。

 そして、公爵家の家臣が住まう一角に辿り着くと、


「アントン、かたきは取ったぞ。あとは公爵家にどれほどあだなせるかだが、私にはそれを見ることは叶わぬ……」


 彼は自らの喉に剣を突き刺し、自害して果てる。

 残された従士たちも、主人の遺体の前で黙祷した後、彼の後を追って殉死していった。


 彼らの遺体は、その二時間後の十月二十二日、午前九時に発見される。

 当初、なぜここで自害して果てたのか、不明であったが、すぐにその理由が判明し、キルガーロッホ公爵家は窮地に追い込まれていった。


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