第十一話「レベルアップ」
レイとアシュレイは完了報告をするため、ギルドに向かっていた。
まだ早い時間――午後三時――ということもあり、受付カウンターはかなり空いている。
完了報告は顔見知りのエセルがいいだろうと、彼女のカウンターに向かった。
エセルは、淡々と業務をこなすが、心の中では、時間が掛かるはずの灰色熊の討伐が、こんなに早い時間で終わったことに驚いていた。そして、彼らのオーブをまじまじと見つめ、あることに気付き、思わず声を上げた。
「レイ様の階級が……第七級に上がっています。それよりもレベルが……十に上がっています……たった二日で……」
最後は絶句し、言葉になっていない。レイの隣にいるアシュレイも、驚きの表情で彼を見つめていた。
「階級が三段階上がったのか。レベルも一気に十……そうか、五級相当の灰色熊を一人で倒したから、一気に……」
「ひ、一人でですか! 大きな声を出してすみません。ですが、アシュレイ様は本当に手を出されなかったのですか?」
常識人のエセルはその異常さに、いつもの冷静さを失い、思わず大きな声を上げてしまった。すぐにいつもの表情に戻そうとするが、あまりの異常さに引き攣った笑顔しか作れない。
「ああ、私が手を出す前に一人で倒した。どうやって倒したのかは言えないがな」
アシュレイはレイの魔法を隠蔽する必要があると思い出す。そして、例えギルド職員のエセルであっても、言うつもりはなかった。
周りが騒がしくなる前に、レイとアシュレイは報酬を受け取り、ギルドから早々に立ち去っていった。
宿に戻る途中、彼女は「あとでレベルとスキルを教えてくれ」と一言言ったきり、考え事をしながら、黙って先を歩いていく。
(レベルが一だったことが間違いだったのだろうが、こんな話は聞いたことがない……そもそもスキルが確認できないことからして異常なのだが……私の前に初めて現れた時のことと合わせて、神の使いだと言われても信じてしまいそうだ……)
彼女は傭兵団に長く在籍していた経験から、レベルの上昇とスキルの上昇は、ほぼ同じであると知っている。
例え、実戦経験が無くともスキルが上がるほど訓練をすれば、経験値は溜まり、レベルも上がっていく。
稀に天才と呼ばれる者がいるが、その天才でもスキルが十を超えた辺りからは、スキルとレベルの差はほとんど無くなる。
彼女が知る限り、レベル一から十に最も早く上がった者でも一年は掛かっていた。それがたった二日でレベルが十に上がるなど、人に話せば笑い飛ばされるレベルの話であった。
宿に着くとすぐに部屋に入り、レイのレベルとスキルを確認する。
「レベルは……魔道槍術士の十? スキルは……やっぱり確認できないな」
「そうか……ここまで急激な上昇は初めて聞いた。レイ、本当に何も心当たりはないのか? 神の啓示とか、そう言った何かを」
彼は「うーん」と唸っただけで、言葉を発しない。
(アシュレイに話してしまおうか。ここで気味悪がられるのも困るし……今はまだ無理か……)
「どれだけ考えても心当たりはないな」
アシュレイは納得していないものの、それ以上追求することはしなかった。
彼はギルドの階級と職業レベルについて、設定を思い出そうとしていた。
(ギルドの階級は“貢献度”によって上がるはず。貢献度は自分より高い階級の依頼を受ければ十倍ずつ増えたはずだ。五級なら三階級特進でもおかしくないな……)
レイの場合、前日のリザードマンの分――リザードマンは七級相当――があるため、前日中に九級に上がっていたのだが、魔力切れのため確認していなかった。
高い能力を持つ者が、初めて登録した場合に良く起こることだが、これが起こり得るのは、五級相当以上の実力を持った者だけだ。つまり、彼は五級相当の実力を有していることを示していた。
(職業レベルは、経験とスキルの低い方が“レベル”として、表示されるんだったな……)
彼の考えた設定では、職業レベルはあくまで、その職業(剣術士や弓術士など)の有効度を表す物であり、経験と技能=スキルの低い方が“レベル”として、表示されるというものだった。これは経験だけあっても、適正なスキルがなければ力が発揮できず、逆に、スキルだけあっても、経験がなければ力が発揮できないであろうということから、決めた設定だった。
経験だけあるベテランのならず者が、訓練された若い剣士と戦うことを想像すると判りやすい。正式な訓練を受けた剣士が全くの実戦未経験者であった場合、ならず者が勝つ可能性がある。だが、剣士がある程度の経験を有していた場合は、どうだろうか。剣士側が勝つ可能性が高いのではないか。
経験と技能は車の両輪であり、片方だけでは強さが測れないと考え、設定された物だった。
(魔道槍術士ということは、経験がレベル十相当かつ、魔法と槍術もレベル十相当になったということだな。ようやく新兵並になったということか……二日で新兵並か、早いのか遅いのか判らないな……アシュレイと模擬戦をやって確かめるか)
だが、彼はなぜアシュレイが驚いていたのか、理解できていなかった。
確かにレベル十は新兵相当の数値だが、二日前に登録した時はレベルが一しかなかった。全くの素人を、曲がりなりにも戦場に立てる新兵に仕立て上げるには、どんなに早くても一ヶ月は掛かる。それも十未満の“本当の新兵にする”のにだ。
彼の十というレベルは、数ヶ月以上の訓練を終え、初陣を経た兵士と同じレベルに当たる。それが僅か二日で、そのレベルに達したということは異常以外の何者でもない。
アシュレイは本当にそれだけの腕になっているのか気になっていた。
そして、二人は急に顔を見合わせ、「「確認しよう!」」と裏庭に向かっていった。
裏庭で模擬戦を始めたが、レイの動きは今朝と大して変わらなかった。
彼は朝の自分と大して動きが変わらないことに、安堵していた。
(戦闘経験は死線を潜り抜けないといけないということだな。ゲームの世界じゃないんだから、数字が絶対じゃないんだ……訓練での動きと実戦での動きが違うことは、昨日嫌と言うほど思い知らされた……逆に言えば、今でも新兵並の強さだが、もっと強くなれる余地があるということだろう。数字は気にしないでおこう)
一方、アシュレイは戸惑っていた。
(レベルが急激に上がったにも拘らず、動きがそれほど変わっていない。訓練と実戦が違うとはいえ、このレベルまで来ればそう大差はないのだが……記憶喪失の影響なのだろうか? どちらにしてもレイの場合は、レベルを気にしても仕方がないな)
二人は別々の理由でレベルに拘る必要はないと、結論付けた。
その後、夕食まで軽く手合わせしていた。
翌日から、レイは討伐系の依頼を積極的に受けていった。
岩猪や大牙猿などの獣系の他に、きのこの魔物フォングス、全長三mの巨大なヒルであるジャイアントリーチの討伐も受けていた。
そして、その討伐時にもできるだけ魔法を使わないようにして、槍と剣の技能向上と、接近戦での経験を上げることに努めていた。
その結果、七日後にはレベルは十三になっていた。
魔法も毎日研究を重ね、光の魔法である”閃光”や、水と土の複合魔法の”泥沼”などのオリジナル魔法も増やしていた。
二人はいつも行動を共にしており、次第に周囲もこのコンビがいつも一緒にいるのは、当たり前の物と思うようになっていた。
レイが冒険者になってから、十日後の四月十二日、傭兵ギルドからアシュレイに連絡が入る。
裏切りにあった賠償金が確定したということで、ギルドに顔を出すようにとの連絡だった。翌日、アシュレイはレイと共にギルドに向かうことにした。
二人はいつもより遅い時間に宿を出て、傭兵ギルドに向かいながら、いつものように話をしながら歩いていた。
「ところでレイは決めたのか? ギルドからの謝礼だが」
「ああ、やっぱり現金にするよ。ギルドの提示する額を貰うことにする」
その時、後ろから声を掛けられる。
「アシュレイ、元気そうじゃないか」
振り返ると、腰に曲刀を下げた三十代前半の冒険者風の男が立っていた。
その男は黒髪を後ろで縛り、浅黒い肌でジプシーのような彫の深い顔をした、如何にも女性にもてそうな男だった。
アシュレイは一瞬、嫌な顔をしてから、振り返り、
「久しぶりだな、セロン。先を急ぐから、これで失礼する」
「そんなつれないことを言うなよ。俺とお前の仲じゃないか……」
その言葉を遮るように、
「誤解を招くような言い方をしないで貰おうか。お前と私の関係は、ただ同じ街にいる冒険者同士というだけだ。レイ、行くぞ!」
彼女は不機嫌そうな表情を隠そうともせず、レイの腕を引っ張るようにして、その場を立ち去ろうとした。
しかし、セロンと呼ばれた男は、
「そいつがお前の“男”なのか? 随分いい所のお坊ちゃんを垂らし込んだようだが。まあいい、その内、嫌でも俺の女にしてやるからな」
セロンはそう言い放ってから、彼らの元を立ち去る。
レイはどうしていいのか判らなかったが、
「今のは誰なんだ? 何だか感じが悪い人だったけど……」
「奴はセロンという四級の冒険者だ。腕は悪くないのだが、性格がな……なぜか知らんが、言い寄ってくる。ああいう男は嫌いだ。何度もきっぱりと断っているのだが……未だにしつこく付きまとってくる」
(ストーカーか……四級冒険者ってことは、かなりの実力者なんだろう。アシュレイが“腕は悪くない”と言うことは、かなりの使い手なんだろうな)
「レイも気を付けておけ。あいつは非合法スレスレのことを、平気でやる奴だからな」
彼は厄介な男に付き纏われているんだと、同情していた。
(まあ、いくらなんでもオーブがあるから、犯罪行為は仕掛けてこないだろう。いざとなれば、この街から出て行けばいいだけだから……)
彼はこの時、あまり深刻に考えていなかった。
警察組織が整備されている日本でも、ストーカーによる被害が後を絶たないというのに……。
気分は沈んだが、しばらく歩くと傭兵ギルドに着いた。
カトラー支部長に面会を申し込むと、五分ほどで支部長室に通される。
「時間が掛かって済まなかった。ようやく、君への賠償金が確定した。千Cだ。顧客ではなく、ギルドに登録している傭兵ということで、フォンス――ラクス王国の王都――の本部が渋ったんだ。済まないな……」
「いえ、私にも油断がなかったとは言えませんから、構いません」
「そう言って貰えると助かるよ……盗賊の懸賞金と装備類の買取額は合わせて千五百Cだ。こちらはここの裁量範囲だから、少しだけ色を着けておいた」
アシュレイは支部長に礼をいい、金貨の入った皮袋を受け取る。
カトラー支部長はレイの方を向き、
「ところでレイ殿、ギルドからの謝礼の件だが、要望は決まったのだろうか?」
「できれば現金でお願いしたいのですが……」
「了解した。可能な限り渡せるよう本部に掛け合おう。済まないが、十日ほど時間を貰うことになる」
話が終わり、部屋から出て行こうとしたとき、支部長から、
「レイ殿は傭兵になる気はないのかな。冒険者ギルドに登録しているなら、手続きは簡単だが」
「今のところ、人間相手より魔物や獣相手の方がいいので……すみません」
彼は軽く頭を下げて、部屋を出て行く。
(さすがに“人殺し”は無理だ。自分を守るためならまだしも、職業にできるほど“殺す”ことには慣れていない。それに人はできるだけ傷付けたくない……)
彼は強くなりたいと思っていたし、日本の常識を捨てることを心に誓っていたが、人を殺す、人に武器を向けることに躊躇いを感じずにはいられなかった。
傭兵ギルドに行ったため、時間が中途半端になるだろうと、今日は依頼を受ける予定にしていなかった。だが、思いのほか、早く用事が済んだため、二人は時間を持て余していた。
レイは特に思いつくことがなかったが、アシュレイが、
「時間があるから、街でも散策するか。その前に、物騒だからこの金を預かってくれないか」
彼は判ったと言って、人影の少ないところに行き、アイテムボックスに皮袋を入れる。
(確かに安全だけど、一々隠れて出し入れしないといけないのが、ネックだな)
その後、二人は街を散策していく。
この街に一年間住んでいるアシュレイも、街の中を積極的に散策したことはなかったようで、彼に説明しながらも、時々感心したような表情で街の中を歩いていた。
街の中心部――丘の上側の住宅地――に向かうと、南側の商業地区とは違う小さな商店が軒を連ねていた。
狭い路地には、住民相手の食料品店や、服や小物などの生活用品を売っている雑貨屋が多い。
威勢のいい魚屋の親父の声や、きれいに並べられた色とりどりの野菜、おいしそうな匂いを漂わせるパン屋など、ただ歩いているだけだが、二人は十分に楽しんでいた。
(よく考えるとデート? えっ? 初デート??? 一気に緊張してきた……)
彼は今まで女性と付き合ったことが無く、もちろんデートをしたことはなかった。
(どうしたらいいんだろう? 普通にしていたらいい? アシュレイはどう思っているんだろう?)
そんなこととは全く関係なく、彼女は急に顔が赤くなったレイを見て、「どうした?」と尋ねていた。それに対し、彼は首を振るだけで言葉が出てこなかった。
その様子に心配した彼女が顔を近づけてくると、更に彼は赤くなっていく。
彼は「大丈夫、何でもないから」と言った後、話題を変えるように、
「前から気になっていたんだけど、あのでっかい風車は何のためにあるんだ?」
「ああ、あれか。あれは水を汲み上げているそうだ。丘の上に水を汲み上げ、街に飲み水を供給していると聞いた」
丘の上の男爵の屋敷の裏に大きな貯水槽があり、そこを水源にして各地区へ水を供給しているそうだ。ちなみに下水道も整備されており、ヨーロッパ風の町の割に臭いがないのだが、彼はそのことに気付いていなかった。
二人は商業地区に向かった。
レイが武器屋に行きたいと言ったためだが、特に買うべき物がないアシュレイには、彼が武器屋に行きたい理由が判らない。
「お前も私も武器は十分だと思うが、なぜわざわざ武器屋に行くのだ?」
彼は普通に歩いていると意識してしまうため、共通の話題がある武器屋に行けばいいと思ったことと、折角のファンタジー世界なので、ゲームでよく出てくる武器屋に行ってみたかっただけだった。
(ただ見たいだけなんだけど、武器が見たいからっていうのも変かな? 適当な理由を言っておくか)
「今使っている槍は良過ぎて、腕が上がったのか判らないんだ。普通の槍で依頼を受けてもいいかなと思ったんだけど……」
「そういうことか。いろいろな武器を経験しておくのもいいかもしれない。だが、無駄遣いのような気もしないでもないがな」
アシュレイも消極的な賛成といった感じで、同意してくれた。
武器屋に入ると、中には様々な剣や槍、斧、棍棒などが並んでいる。
鉄と油、皮などの臭いが充満する店内で、彼は興味深そうにそれらを見ていく。
(こういった物を見ると、本当にファンタジーな世界に来たと思う。博物館にあるみたいな手入れの仕方じゃなく、実戦用に油の引かれた刃物は、見ているだけでも心が躍る。これで殺し合いがなければ本当にいいんだが……)
店の奥から、四十代半ばの如何にも鍛冶師といった、がっしりとした人間の男性が出てきた。
「何を探しているんだ? 言ってくれれば見繕うぞ」
レイはただ見たかっただけですとは言えず、
「槍を見せてもらえますか。このくらいの長さの物を」
と言って、手に持った彼の槍「アルブムコルヌ」を見せる。
鍛冶師――モリス・シェリダン――は、その槍を見ながら、
「修理でも必要なのか? うん? ちょっとその槍を見せてくれないか」
モリスはレイの槍がかなりの業物だと気付き、興味を持ったようだ。
レイは仕方がないなという表情で、モリスに槍を手渡す。
「うっわ! 何だ、この重さは! お前さん、本当にこれを使えるのか?」
彼の槍:アルブムコルヌは、鎧:ニクスウェスティスと同様に、重量軽減の魔法陣が描かれており、彼が持つ限り、普通の槍と同じ重さで使える。だが、実際には通常の槍の数倍の重さ十五kgもの重量がある。
「ええ、使えますけど。できれば、軽い槍がいいんで、普通の槍を見せて欲しいんですが」
モリスはアルブムコルヌを返すと、奥から穂先が二十cmほどのショートスピアと呼ばれる槍を持ってくる。
レイはそれを受け取ると、軽く振った。
(使っている槍と同じくらいの重さだな。かなり重量軽減の魔法が効いていると言うことなんだろうな。今日は冷やかしだけで、買うのは止めよう)
彼は、「今日は見に来ただけだから」と言って、槍を返す。
モリスは、名残惜しそうにアルブムコルヌを見つめてから、
「その槍の手入れが必要なら、俺のところに持ってきてくれ。いや、俺にやらせてくれ」
「構わないけど……今度頼むよ」
二人はそのままモリスの店から出ていった。
残された彼は、
(あの槍は業物なんて言うレベルじゃねぇ。神器、そう、神槍だ……しかし、あの若者は何者なんだ? 一緒にいたのはアシュレイだったが……)
彼は鍛冶師になって三十年以上経つが、彼が見た最も素晴らしい武器だった。彼は「次はじっくりと触らせてほしいものだ」と独り言を呟いていた。




