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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第二章「湖の国・泉の都」

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第六十九話「決着:前篇」

 十月八日、午後一時半頃。


 護泉騎士団団長ヴィクター・ロックレッターは、直属の第一大隊とともに、ミリース村東の隘路を自らの足で駆けていく。

 緩やかに登る道を、鎧を着けたフル装備で走るため、疲労が激しい。出発して一時間を経過した頃から、彼を含め、騎士たちに疲労の色が濃くなっていった。

 彼は片手を上げ、全軍を停止したのち、部下たちに小休止を命じる。だが、彼自身は立ちつくしたまま、焦慮の思いを隠そうともせず、戦場である東を見つめていた。


(戦場まであと五kmといったところか。このまま走り続ければ、一時間と掛からずにたどり着ける。今のところ、先遣隊が撤退している形跡は無い……ハミッシュ殿が支えてくれているのだろう。だが、既に殲滅されてしまった可能性もある……)


 十分ほどの休憩を終え、騎士たちにこのまま戦場に突入すると宣言した。


「ここから一気に戦場に入る! 先遣隊が戦っていればよい。だが、万が一、敗北していた場合は、直ちに撤退戦に入る! 敵には翼魔がいる。上空にも気を配れ!」


 護泉騎士団は戦場に向けて再び走り出した。




 午後二時。

 騎士団が小休止を取った場所から東に五kmの地点、隘路の出口では、今までにない激戦が繰り広げられていた。


 投石による攻撃を諦めたオークたちが、再び接近戦を仕掛けていた。

 魔族軍は正面からの攻撃だけに絞り、広くなった側面を利用して、すぐに戦力を入れ替える体制を構築していた。

 それは車掛りに似た、絶え間ない波状攻撃であった。


 先遣隊義勇軍指揮官のハミッシュ・マーカットは、正面からのみ攻撃を掛けてくるオークたちに手を焼いていた。


(正面だけになったが、敵の手際がよくなった。それに引き換え、こちらは交代しようにも、疲れて足が動かん。下がるタイミングを失った兵たちが一人ずつ倒されていく……このままでは、物量に押し潰されてしまうな……)


 彼は状況を打破するため、自ら前線に出て、オークたちの壁を押し下げようとするが、彼の力量をもってしても、数匹倒すのが限界であり、彼が開けたその穴もすぐに新手のオークによって埋められてしまう。


 僅か三十分の戦闘で、二十人以上の損害を出し、死者、負傷者を合わせ百四十名以上に達していた。

 現状で戦闘に耐えうる兵の数は、七十人を割り込み、当初の戦力の三分の一以下に減少している。戦場に立つ兵士たちも、朝からの戦闘で疲労の色が濃く、その顔には血の気がなかった。

 ハミッシュも兵たちの消耗が激しいことに気付いており、撤退を考え始めていた。


(このままでは、あと一時間も保たぬな。だが、今からでは下がるに下がれん。俺としたことが、タイミングを見誤ったか……何か切っ掛けがあれば状況を変えられるのだが……)


 彼の想いとは裏腹に、絶え間なく攻め掛けてくる魔族軍に対応するだけで手一杯になり、その切っ掛けを作る方法すら思い付かなかった。

 彼は傍らにレイを呼び、撤退について、小声で相談を始めた。


「そろそろ限界だ。俺とガレス、ゼンガで殿を務めるつもりだが、タイミングが掴めん。何かいい知恵は無いか」


 レイは顔を歪めて首を振り、「済みません。何も思いつきません」と頭を下げる。


「敵は消耗戦を狙っていますし、それに今は見えませんけど、翼魔もいますから、団長たちで殿を務めても逃げ切れる可能性は低いです。僕の魔法も逆転を狙えるものはありません……あとは、アルベリックさんたちに期待するしか……」


 ハミッシュは無理に笑顔を作り、右手をレイの肩に置く。


「気にするな。仕方あるまい。このまま、状況が変わるのを待つしかないか……」


 ハミッシュは何かに気付いたように、後ろを振り向いた。

 彼は自分の後ろ、ミリース村の方から”ウォォォォ!”という喚声のような低く篭った声が聞こえてきたように感じたからだ。

 気のせいだと思い、戦場に目を向けようとしたが、再び声が聞こえる。後方にいた兵の中にも気付いた者がいたのか、後ろを振り返っていた。


「今の声は……」


 レイもその声に気づき、「味方かも……騎士団が……」と言葉にならない。


(助かったのか? あの方角から人の声がするのならば、援軍以外には考えられん。第三大隊がリーランド殿の説得で動いたのか? ならば、あと少し耐え忍べば……)


「援軍が来たぞ! もう少しの辛抱だ!」


 ハミッシュの声が響くと、後方の兵たちだけでなく、前線で戦う兵たちからも歓声が上がる。

 兵たちの動きが見る見る良くなり、オークたちの攻撃を押し返していった。




 護泉騎士団第一大隊は、隘路の出口まであと二kmの距離に迫っていた。

 団長であるヴィクターは、自分たちの走る足音が良く響くことに気付き、あることを思いつく。


(味方が戦っているのであれば、援軍が近いことで士気が上がるだろう。もし、味方が全滅し、敵が伏兵を置いているのなら、遅かれ早かれ敵に気付かれる。ならば、味方が奮戦していると信じ、援軍の存在を知らせるべきだろう。この隘路は音が良く通る。全員で喚声を上げれば、前線まで声が届くはずだ。隘路の出口まであと三十分ほど。僅か三十分だが、少しでも早く伝えられれば……)


 彼は全軍に停止を命じ、第一大隊三百名の騎士たちに喚声を上げさせることにした。


「味方に我らの存在を知らせるのだ! 腹の底から声を出せ! ウォォォ!」


 騎士たちはすぐに彼の考えを理解し、同じように雄叫びを上げていく。

 狭い谷底のような隘路であり、騎士たちの低く重い雄叫びが、岩に反響し増幅されていく。


 一分ほど、喚声を上げさせたあと、ヴィクターは第一中隊を率いて先行することを告げる。


「第一中隊が先行する。第二、第三中隊は体力を温存しつつ、速歩で付いて来い。第一中隊が伏兵と交戦した場合は、その場で待機。退路を確保しろ」


 彼はそれだけ言うと、先頭に立って走り始めていた。




 魔族軍の本陣にも、篭ったような低い音が聞こえていた。

 中鬼族の将、ユルキ・バインドラーは、その音が隘路の向こう側から響く、人の声であると気付く。


「何の音だ? 風の音ではないな……もしや!」


「どうやら、援軍のようね。どうするの? バルタザルは、あと一時間くらい掛かるから、私は引くわよ」


 翼魔族の呪術師アスラ・ヴォルティは、ユルキを睨みつけながら、そう言い放つと配下の翼魔と小魔を引き連れ、後方に下がろうとした。


「待ってくれ、アスラ殿。出口を抑えれば、援軍を留めておくことが出来る。時間を稼ぐことが出来るのだ」


「馬鹿なことを言わないで頂戴。僅か二百の兵すら押し込めないのに、新たな敵に対抗できるわけが無いじゃないの。一昨日、奇襲で倒した敵は二百ほどよ。逃げた騎士たちだけでも二百はいるのよ。これ以上損害を出す前に撤退すべきよ」


 アスラは取り付く島もなく、その場を立ち去ろうとした。

 そして、彼女が飛ぼうとした時、東の森に立ち上がる煙を見つけた。


「別働隊? 退路を塞がれた? もし、あの(・・)魔術師なら……」


 レイの魔法に恐怖を抱いているアスラは、レイが後方に回り込んだ可能性が頭に過る。


(拙いわよ。もし、あの魔術師なら、空を飛ぶ私たちは格好の的だわ。どうしよう……夜になる遥か前に敵は雪崩れ込んでくるし、思いっきり高度を上げても、あの追いかけてくる魔法の射程は判らない……小魔を囮にして逃げるしかないわね)


「アスラ殿の支援があれば、敵を抑えられる。頼む……」


 アスラは尚も言い募るユルキを無視して、上空に舞い上がっていく。


「あなたも早く逃げたほうがいいわよ。オークを盾にすれば、今なら間に合うわ。間違っても捕まらないでね。長老たちに言い訳するのが面倒だから」


 それだけ言うと、小魔を先行させ、東に向けて猛スピードで飛び去っていった。


 残されたユルキは跪き、拳で地面を叩き付ける。そして、紅潮した顔を隠そうともせず、テイマーたちに指示を出していった。


「クソッ! 引くぞ! 護衛のオーク以外は隘路の出口を死守させろ。敵の襲撃部隊を追った者たちを回収しつつ、チュロックに向かう。急げ!」


(なぜだ……我らは敵の十倍。どこで誤ったのだ。これでは国に帰れぬ。推挙してくれた大叔父上たちに顔向けが出来ぬ……残った戦力で砦を落とす。それしかあるまい……)


 ユルキは百匹のオークに守られながら、東に向かって撤退を開始した。




 午後二時。

 三番隊隊長ラザレス・ダウェルと共に魔族軍の援軍を妨害すべく、街道に向かったステラは、森の中に一本の立ち枯れの木を見つけた。

 この辺りの森の木は皆低く、その木も三mほどと低かった。


(燃やすだけなら、この木で十分だけど、周りに木が少ないからすぐに燃え尽きるわ。木を切り倒す道具も無いし、どうしようかしら?)


 ラザレスはステラが見つめる木に近づき、十cmほどの太さの幹を叩いていた。


「この木に火を点けるか……いや、切り倒して別の木の横で燃やした方がいいな」


 その言葉にステラは首を傾げる。

 ラザレスはそんな彼女を無視して、右手に長剣を持ち、ゆっくりと間合いを取った。


 気合と共に剣を左右に二閃させると、木の幹に斧で入れたような、五cmほどの”く”の字形の切れ込みができていた。


マーカット傭兵団(ここ)の人たちは異常だわ。ただの長剣で立ち木を切り倒そうとするなんて……普通なら折れるか曲がるかしてしまう。それをいとも容易く……)


 唖然とするステラに、ラザレスは「どこに運べばいい?」と尋ねる。

 すぐに立ち直ったステラは、「あそこがいいと思います」と街道の脇に立つ二本の立ち木を指差す。

 ラザレスは軽く頷くと、更に剣を二閃させて、更に切り込みを深くし、最後は足で木を蹴り倒す。呆れるステラを無視して、彼女の示した場所に木を引き摺っていく。

 慌てて手伝おうとするステラを手で制し、「火種を作ってくれ」と、油らしき液体が入った小さな壷を投げ渡す。


(この人はいつも油を持ち歩いているのかしら?)


 ステラの心の中の疑問が聞こえたかのように、ラザレスが頭を掻いていた。


「俺は昔、ソロの冒険者だったからな。こういう物を持っていねぇと落ち着かねぇんだ……」


 彼はハミッシュに拾われるまで、ペリクリトルで冒険者をやっていたこと、冬のアクィラ山脈で火種が作れず、凍死しかけたことなどを、木を運びながら話していく。

 そして、笑みを浮かべながら、


「レイやアシュレイと一緒にいるつもりなら、こういう準備はお前の仕事だな。レイは頭はいいが、そういうところは抜けていそうだ。アシュレイも細かい準備はあまり得意じゃないからな。まあ、レイがいれば火種の心配はいらねぇか」


 驚いたことに、レンツィを失ったことに責任を感じているであろうステラに対し、彼なりに気を使っているようだった。


(この方は私を気遣ってくれている? どうして?)


 気遣ってくれていることは判るものの、彼女にはその理由までは理解できない。


(今はそれを考えるべきではないわ。今は敵を撹乱すること、それに集中すべき……)


 ステラは集めた木の枝に油をかけ、切り倒した木に巻き付けると、着火の魔道具を使って火を点けた。

 ここ数日続いた晴天のため、立ち枯れしていた木はすぐに炎を上げ始める。そして、緑色の葉を付けた木にも延焼し、濃い灰色の煙を上げ始めていた。


「ラザレス様、すぐに敵に気付かれます。どちらに向かいますか?」


 ラザレスは首を横に振り、「俺はここに留まる」と告げる。

 彼女が「ですが」と言い掛けたところで、真剣な表情になる。


「ここで敵の様子を探る。慌てた敵に奇襲を掛けて、逃げ回れば敵の注意を引くことが出来るからな。俺がここで暴れれば、それだけ味方のところに向かう敵の数が減る。だからと言って、お前が付き合う必要は無いぞ。お前は一人で本隊に戻ればいい」


 ステラは何の躊躇いもなく、「判りました。私もお手伝いします」と答える。


 敵に囲まれ死ぬ確率の高いこの策に対し、彼女が頷いたことにラザレスは驚いていた。

 彼はステラが常に冷徹とも言える判断をすることから、自分を見殺しにし、自らはレイの下に一刻も早く戻ろうとするだろうと考えていた。


「二人でやったほうが、効率がいいと思います。少しでもお役に立てるなら……敵です!」


 話が終わる前にオークたちの足音が聞こえてきた。

 二人は手近な草むらに身を隠し、煙に近づいていくオークの背後から、ゲリラのようにヒットアンドアウェーの要領で攻撃を仕掛けていった。





 午後二時半

 護泉騎士団第一大隊第一中隊百名を率いたヴィクター・ロックレッターの前方に、隘路の出口がはっきりと見えてきた。


 彼らの視線の先からは、先遣隊の戦闘の音が聞こえ、ヴィクターは先遣隊が全滅していなかったことを、神に感謝していた。


(間に合った! 水の神(フォンス)よ、感謝いたします)


 隘路の出口に近づくにつれ、ボロボロになった負傷者たちの姿が目に入ってきた。


(治療が間に合わぬほどの激戦なのか……我が騎士団の者は、ハミッシュ殿は無事なのだろうか……)


 彼は負傷者たちを安心させるように、声を掛けていく。


「護泉騎士団七個大隊がすぐに助けに来る! もうしばらくの辛抱だ! 良くやってくれたぞ!」


 彼の言葉に弱々しい歓声が上がる。

 だが、彼に付き従う騎士たちは、この事態を招いたのが、自分たちの同僚である第三大隊であることに恥じ入っていた。


 ヴィクターが前線に到着すると、前線で戦う兵士たちからも歓声が上がる。


 だが、騎士団長を含め、第一大隊の兵士たちは皆、目の前の光景に声を失い、それに応ずることができなかった。

 戦闘と疲労でボロボロになっている兵たちの周りには、数百体にも及ぶオークの死体が打ち捨てられていた。

 中でも左右に高く積み上げられた死体は、先遣隊の兵士たちの奮闘を物語っていたが、第一大隊の兵士たちには、それがどれほどの激戦だったのか、想像することすらできなかった。


 ヴィクターは、死臭漂う前線で指揮を執るハミッシュを見つける。そして、その無事を喜び、小躍りするように近づくと、「ハミッシュ殿、ご無事で何より」と手を取る。

 だが、すぐに戦士の顔に戻り、ハミッシュに交代を告げる。


「これより、我が騎士たちにお任せくだされ。先遣隊の方々には休息を」


 ハミッシュはホッとした表情を隠そうともせず、「助かりましたよ」と言ったあと、


「先遣隊は俺の合図で下がれ! ヴィクター殿、よろしいですかな?」


 ヴィクターが頷くと、ハミッシュは「先遣隊、下がれ!」と大音声で命じる。

 義勇兵たちが下がっていくと、それに釣られてオークたちが前に出てくるが、すぐに第一大隊の精鋭たちが間に入り、押し戻していく。

 ハミッシュは指揮をヴィクターに任せ、疲れきった先遣隊の兵たちを後方に誘導していった。


 レイたちも疲れた体を引き摺るようにして、後方に下がり、へたり込むように地面に座り込んでいた。


(助かったのか……第三大隊じゃなく、騎士団の本隊が到着した……予定より一日早い。本当に助かったのか……)



 第一中隊が前線を押し込んでいくと、残りの二個中隊も到着し、隘路の出口は三百名の騎士たちで埋め尽くされていく。


「一気に押出すぞ! 第一中隊は突破口を開け! 第二中隊は右、第三中隊は左に展開しろ! 敵の数は我らより多いが、たかがオークだ! 第三大隊の恥を雪げ! 護泉騎士団の意地を見せろよ!」


 ヴィクターの命令に騎士たちは、剣を振り上げて応える。

 騎士たちは闘志をあらわにしながら、オークの群れに突き進んでいった。


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