第五十四話「行軍」
九月二十七日。
ブリッジェンドの街に、チュロックに偵察に行った冒険者からの連絡が届く。
ミリース村の狩人たちの憔悴しきった姿は、祭りの準備で盛り上がる街に暗い影を落としていた。
街の守備隊は魔族襲来の報を受け取ると、直ちに王都フォンスに向けて早馬を走らせた。
その早馬を見た住民たちの間にも、魔族侵攻の話が瞬く間に広がっていく。そして、ミリース村、ボグビー村など、東の開拓村からの避難民がやってくるとの噂も広がっていった。
街は祭りどころではなくなり、住民たちは自分たちの避難をどうするかで真剣に悩んでいく。
翌、九月二十八日。
魔族討伐軍先遣隊はバーナムの街を出発し、昨日と同じような、ゆっくりとしたペースで街道を進んでいく。
昨日と同様、コーロルトの街に午後二時頃に入ると、大隊長のアーウェルは騎士団本体から離れ、側近たちとともに街一番の高級宿に入っていった。
副隊長のリーランドと義勇軍の指揮官ハミッシュの提案で、合同演習が行われることになったが、アーウェルの側近の一人が、既に酒を飲んでいた彼にそのことを告げた。
その話を聞いた彼は、自分が除け者にされたと、子供のように怒り狂い、すぐにその演習を止めさせる。
リーランドとハミッシュはその彼の姿に絶望し、その後、日が経つにつれ、口数が減っていった。
ブリッジェンドを発った早馬が、深夜コーロルトの街に到着した。
直ちに第三大隊長のアーウェルにその報が届けられるが、彼は行軍中にも関わらず、泥酔し、話を聞ける状態ではなかった。
副隊長のリーランドが代わりに話を聞き、翌朝、アーウェルにもその話が伝わる。
アーウェルは深酒で働かない頭のまま、魔族襲来の報を聞いていく。だが、彼は敵の規模などの情報が無いことを理由に、特に何の指示も出さなかった。そして、行軍速度すら上げなかった。
その対応に傭兵たちだけでなく、騎士の間からも不満の声が上がっていた。その背景には、大隊長が酒に酔って話が聞けなかっただけでなく、彼の部屋に娼婦の姿があったという噂も影響していた。
彼の側近たちはその事実を隠そうとしたが、早馬の伝令が怒りに任せて、そこかしこでその話をぶちまけたため、翌日には先遣隊全員がその事実を知ることになった。
ハミッシュだけでなく、レイやアシュレイ、そして普段は陽気なアルベリックですら、口数が少なくなり、傭兵たちの間では些細なことで衝突し、頻繁に喧嘩が起こっていた。
軍としては最悪の状態であり、リーランドとハミッシュは何とかこの事態を改善しようと、必死に努力していた。
十月一日。
その日は秋分であり、毎年、国を挙げての収穫祭が催される日だったが、ここブリッジェンド周辺はそれどころではなく、不安と焦慮がない交ぜになり、人々の心に暗い影を落としていた。
護泉騎士団の第三大隊を主力とする先遣隊は、ブリッジェンドの街に向かう街道を東に進んでいくが、彼らの前方から荷物を満載した多くの荷馬車が進んでくる。そのため、行軍速度がいつも以上に上がらなかった。
荷馬車には、家族全員が乗っているのか、老人から幼児まで様々な年代の人々が乗っていたが、その顔は皆一様に早く逃げ出したいという焦りだけが浮かんでいた。
先遣隊の進行を妨げないよう、騎士団から道を空けるよう指示があるが、大きな荷物を積んだ荷馬車は、なかなか道から外れることができない。
第三大隊の大隊長アーウェル・キルガーロッホは、その様子を見て、自ら避難民たちを排除しにいった。
「貴様ら、我々がどのような任務を帯びているのか判っているのか! 我々は恐れ多くも陛下より直々に命を受けた魔族討伐軍だ。我らの邪魔をするものは斬って捨てる。さっさと、道を空けろ!」
その様子を見たレイは、怒りに打ち震えていた。
(自分がノロノロと行軍したから、避難民とかち合ったんだろうが! 守るべき民に対して、あんなことがよく言える! こんな奴が指揮官になれる国は間違っている。選んだ国王も、黙って受け入れた公爵たちも、みんな腐っている!)
彼は怒りに任せて、アーウェルに意見しようとした。
だが、彼の肩をハミッシュが掴み、首を振る。
「今は堪えろ。ここで揉めれば、更に遅くなる。避難民をうまく誘導するほうに力を向けるんだ。判ったな」
レイはハミッシュの寂しそうな目を見て、納得いかないまでも、ここで怒りを爆発させれば、彼ら傭兵たちに迷惑が掛かると、怒りを無理やり押さえつけた。
そして、彼は傭兵たちと共に先触れとなって、住民たちの荷馬車をうまく脇に寄せさせることに専念する。
(この人たちは為政者の無策の犠牲者だ。だが、まだ逃げることができるだけいい。チュロックやミリースの人たちはどうなったんだろう……)
傭兵たちの尽力により、先遣隊は午後三時にブリッジェンドの街に到着した。
百七十kmの行程を五日も掛けて。
レイの目には、三ヶ月前の夏至祭で賑わった街と、同じ街とは思えなかった。
(みんなが怯えている。いつ魔族が、魔物が襲ってくるのかって、不安に思っているんだろう。こういう時は、騎士たちが勇気付けるべきなんだろうけど、あの人には無理だろうな。明日からのことをハミッシュさんとリーランドさんと相談した方がいいだろう)
彼は街の外で野営するハミッシュのところに向かっていった。
アシュレイは、彼のその姿を見て、父が何を懸念し、自分たちをフォンスに留めておこうと思ったのか、ようやく悟ることができた。
(父上はレイのことを心配したのだな。あいつはすぐに無理をする。今から父上に何か進言しに行くのだろう。内容は想像できないが、自分が一番危険なところになるようにしているはずだ)
彼女はステラに向かって、
「あの様子だと、レイは何か思いついたはずだ。だが、今のあいつは、必ず自分の身を危険に晒す。ステラ、なんとしてでもあいつの身を守ってくれ。私のことはいい、レイのことを、お前の愛する男のことを守ってやってくれ」
ステラは最後の一言に戸惑っていた。
(お前の愛する男……レイ様のこと? 私はレイ様を愛している? 判らない。でも、あの方が死ぬ……そのことを考えると、胸が苦しくなる。どうして……)
ステラは頷き、「判りました」とだけ、口にした。
ステラの一瞬だけ見せた苦しそうな顔に気付いたアシュレイは、彼女の戸惑いの理由を正確に洞察していた。
(ステラは理解していないのかもしれない。レイが死ぬかもしれぬということを……違うな。レイのことを愛していると言われたことに戸惑いを見せたのだろう……もし、レイがいなくなったら、ステラはどうなるのだろうか。いや、私もどうなるのだろうか。私はその時、生き続けることができるのだろうか……)
思考の渦に飲み込まれそうになるが、すぐに彼の後を追って義勇軍の天幕に入っていった。
レイはハミッシュに、自分が偵察に出ることを伝える。
「義勇軍は騎士団の指揮下にあるため、独断でことを起こすことができません。その点、僕たちは自由に動けます。ですから、僕とステラで一度偵察に出ます」
ハミッシュはその言葉に首を横に振る。
「お前に命令する権限はないが、許可できんな」
納得できないレイは、詰め寄るようにして説得を試みる。
「どうしてですか? 少なくとも僕の馬と乗馬の技術、それに魔法があれば、逃げることは難しくありませんよ。それにステラがいれば、敵より早く気付いてくれるはず。それほどリスクは高くはないと思いますが」
「確かにそうだが、お前は気配を消すのが素人以下だ。ステラだけならまだしも、お前が偵察に出るのは認められん。ステラも危険に曝すからな」
自らの欠点を知る彼にとって、仲間を危険に曝すと言われれば、口を噤まざるを得ない。それでも何か言い募ろうと「ですが……」としゃべり始めるが、彼の言葉を遮るようにハミッシュが立ち上がった。
「今から大隊長のところに行って、偵察の許可を貰ってくる。ここまで状況が深刻になっているのだ、許可は出るだろう。だから、待っていろ」
(これほど情報が少ないと、俺自身が偵察に出たいところだ。だが、アルが偵察の指揮を執った方が確実だ。奴に任せれば、少なくとも奇襲を受けることはない……)
ハミッシュはそんなことを考えながら、アーウェルを訪問し、偵察の許可を願い出たが、
「お前たち傭兵は、私の命令を黙って従っておればよい。我らのように幼少から訓練を受けたわけでもない傭兵風情が、偉そうに私に意見をするな! 以後、いかなる提案も受け付けんと思え。判ったら、さっさと出ていけ!」
アーウェルの言葉に周りにいた騎士たちが戦慄する。
王国の武の要、ブレイブバーン公爵にファーストネームで呼ばれ、自分たちの上官である騎士団長ヴィクター・ロックレッター伯爵と対等に付き合う王国一の戦士に向かって、このような暴言を吐いたことが信じられなかった。
起こり得ないことだが、ハミッシュが暴発すれば、周りにいる騎士では止めようがない。それほど、自分たちの目の前にいる男は強いのだと。
虎の尾を踏んだ後のことに気づかぬ上官に、彼らは呆れるより、その想像力のなさに恐怖を覚えていた。
特にナイジェス・リーランドは、ハミッシュが暴発するはずはないと確信していたが、彼を尊敬する部下たち、王国でも屈指の使い手が揃うマーカット傭兵団が黙っていないと思っていた。
(この人は本当に駄目だ。マーカット殿がどれほど傭兵たち、いや、騎士たちも含め、王国の戦士たちに慕われているか理解していない。自分がただキルガーロッホ家という名門に生まれただけで、何ら成し遂げていないということを理解していない。今更だが、今回の件は断るべきだったな。私はこの任務が終わった時、生きてはいないだろう。せめて、リーランド家の名誉だけは守りたいものだ……)
ハミッシュは憮然とした表情を隠そうともせず、アーウェルの部屋を後にした。
(あの分では、碌に斥候も出さずに進軍する可能性もある。規律違反になるが、義勇軍の責任者として独断で斥候を出すか。それともレイの提案に乗るか……)
ハミッシュが義勇軍の天幕に戻り、大隊長の言葉を部下たちに伝える。
「キルガーロッホ大隊長より、斥候は不要だとの指示を受けた。我らの話は聞かぬとも言われたわ」
その言葉にマーカット傭兵団一番隊隊長のガレス・エイリングが立ち上がる。
「あのガキは……俺が絞めてきてやる」
その言葉にアルベリックが立ち上がり、彼の肩に手を置く。
「ここで問題を起しても何にもなら無いよ。ハミッシュ、やっぱりレイ君に斥候を頼むしかないね」
ガレスは納得いかないが、すぐに冷静さを取り戻す。
ハミッシュはアルベリックの言葉に腕を組んで考えていた。
「そうだな。仕方あるまい。三人を呼んできてくれ」
レイたちはすぐに現れ、ハミッシュからの指示を受ける。
「キルガーロッホ大隊長は斥候を出さんつもりだ。リーランド殿が考えを改めようと説得はしてくれるだろうが、あの狭量さでは無理だろう。済まんが、三人には斥候を頼みたい」
ハミッシュは彼らに頭を下げる。そして、レイを見ながら、「お前が指揮を執れ」と呟く。
彼は突然の指名に驚き、
「僕がですか……アッシュの方が適任ですよ」
「駄目だ。お前はヴィクター殿から臨時の小隊長に任じられている。それに……お前が指揮を執った方が、三人で帰ってこられるような気がするのだ」
横で聞いていたアシュレイは、父が何を言いたいのか、何となく判っていた。
(レイに私とステラの身の安全を考えさせようとしているのだろう。指揮を執るなら、自分だけが無茶をすることは出来ない。三人分の責任を持たせて、少しでも慎重になるよう配慮したのだな)
レイは自分の経験のなさに、なおも反論しようとするが、アシュレイが彼の肩に手をやったことで思い止まる。
「判りました。では、偵察の方針について相談しましょう……」
ハミッシュら義勇軍の幹部とレイたち三人は、偵察の方針について話し合っていく。
僅か三名と少なく、斥候として優秀なステラはともかく、レイとアシュレイの二人はあまり斥候には向いていない。
ステラを先行させ、レイとアシュレイの二人がその後方でサポートする方法で街道周辺のみを警戒することに決まった。
(街道だけか……少なくとも完全な待ち伏せは避けられるけど、側面や後方に回られる可能性は消えないんだよな。森の中とか丘の上から攻撃されたら……隊列が延びきったところを分断される。この先の隊形がどうなるかは判らないけど、今までどおり、騎士たちが前衛、傭兵たちが後衛の配置の方が安全かもしれないな。それにしても、こんな重要な仕事を任されるとは……)
レイは不安を胸に抱え、自分のミスが多くの人の命に関わると、胃が痛くなる思いをしていた。




