告白
四話目です。
今日は雨が降っていた。強いわけでも弱いわけでもない、ただ黙々と振り続けている雨だった。
時期的にはもう梅雨に入ったらしい。
湿気があり、気温もそこまで低くないため制服の中がべたべたして気分が悪い。
「うーん。やっぱじめじめしてて嫌だなぁ」
「ハル君、雨もなかなか情緒があっていいものだよ」
「だからってこんなにじめじめしてる雨は嫌なんだが」
「ハル兄、洗濯物が乾かなくてイライラしてるよね」
「だって次の洗濯物干せないし」
「なんていうか……家庭的過ぎる男子も珍しいよハル君」
「そうか?」
「うん、ハル君ならいいお嫁さんになれるよ!」
「俺は男だ」
そんな会話を続けながら三人で歩く。
二年生になって数ヶ月が経つ。勉強はそれなりに理解出来ているし、調理部も楽しい活動が出来ていていい毎日だと思う。
変化があったことといえばリンの俺への呼び方が変わったことくらいか。
本人曰く、お兄だと周りの人にブラコンだと言われるかららしい……自覚、あるのかな。
「じゃ、私こっちだから。じゃーねー」
途中、リンは一年生の棟に教室があるので俺達と別れ歩いていく。
彼女も学校には慣れたようで、毎日楽しいらしい。良かった。
放課後、俺は調理部へ行く前にリンの教室へ向かう。部活へ行く際はいつも一緒に行っているからだ。
リンの教室を覗いてみたが、どうやらいないようだった。
教室を見ていた俺に気づいたのか、真由子ちゃんがこちらへ歩いてくる。
「もしかして凛子を探してるんですか?」
「うん、どこに行ったのかな?」
「さっき、三年生の男子に呼び出されたみたいですよ。多分告白ですかねぇ」
「告白!?」
思わず声を張り上げてしまい、無数の視線が向けられる。
俺は口を手で覆って視線を泳がせる。
「おおっと……てか、告白って……リンが?」
「そうですよ。凛子って滅茶苦茶可愛いじゃないですか、自然と男子の間で噂にもなるんですよね」
「……マジか」
なんだろうな、この気分。
可愛がってきた妹が他の男子に恋愛感情を向けられるか……兄としては複雑というか嫌だというか……。
「それにしても遅いですね……どうしちゃったんだろ?」
「……」
真由子ちゃんは真剣な表情で数秒間考える仕草を見せる。
「お兄さん、ちょっと探してみたらどうでしょうか? 体育館の方って言ってたみたいですけど」
「そ、そっか。ありがと、じゃあ探してみるよ……てか色々と協力的なんだね、真由子ちゃんは」
「いやー……私は別に。お兄さんと凛子のためになることをしたいだけですから」
真由子ちゃんは苦笑しながら言った。
そういえば、この子も俺やリンの事情を知っているんだっけ……リンもいい友達を持ったな。
俺はもう一度真由子ちゃんにお礼を言って体育館の方向へ向けて走り出す。
人目の付かない場所だから、もしかしたら……。
「なんて、そんなわけないよな」
まさか、な。
嫌な予感をそうでないと言い聞かせつつ、俺は廊下を駆ける足を速める。
窓の外には雨がまだ降っていて、嫌な予感を更に煽られるような気がした。
そして、校舎から体育館へ向かうための渡り廊下に男子生徒とリンがいた。
リンは後姿しか見えないからどんな表情をしているか分からないが、男子生徒の少し必死な表情からしてきっと困っていると思う。
男子生徒の顔立ちは整っていて、よく見たらバスケ部のキャプテンだった。女子生徒からは人気が高いらしい。……そんな男子までもがリンを狙うのか。
話し声は微かに聞こえる。
「お願いだ。俺と付き合ってくれないかな」
「何度もお断りしてるじゃないですか……お付き合いは出来ません」
「どうして? 他に好きな人でもいるのか?」
「…………」
「もしいないなら付き合ってほしい。お互いのことを知るのはそれからでもいいじゃないか?」
「……私は……もう、ずっと前から好きな人がいますから。ごめんなさい」
リンは相手にお辞儀をするとこちらへ向かって歩いてくる。
その表情は曇っていて、リンらしくないと思った。男子生徒は残念な気持ちと悔しい気持ちを織り交ぜたような感情を表情に出し、体育館へ帰っていった。
渡り廊下のすぐ近くにいた俺に気づいたリンはどこか気まずそうな顔をした。
「……見てたの?」
「リンを探しに来たら、たまたまここに遭遇したんだ」
「そっか……」
「リン、部活には行かないのか?」
「……今日はちょっと休もうかな。気分も悪いし」
「大丈夫か? 何なら俺も今日は休んで一緒に帰るけど……」
リンの顔色は確かにあまり良さそうではない。
どこか無理をしているようにも思える。
「ううん、一人で帰れるから大丈夫……ハル兄は優しすぎ、妹のことなんか心配しないで部活に行った方がいいよ?」
元気の無い笑みでリンが言った。
「でも……」
「大丈夫だってば」
「ならいいけどさ。てか、お前モテるんだな……あの男子って女子からかなり人気あるらしいぞ?」
リンは「だからどうしたの?」と言いたげな目で俺を見て呟く。
「……迷惑だったよ」
「ちょ、そんな言い方。あの人だってお前を好きになって告白したんじゃないのか?」
「よく知らない相手のことを好きになるなんて理解出来ないよ……私、そういう人は嫌いだから」
「そっか……てか、お前の好きな人って……?」
個人的に、一番気になる部分はそこだった。
「……」
「おい、リン?」
「……やめてよ」
「え?」
「やめてよ、そういうこと躊躇も無く聞かないでよ!」
「っ!」
リンが怒鳴る。
俺は思わず怯んでしまう。リンがこんな声を出すなんて。
「馬鹿! ハル兄の馬鹿! なんで……っ」
「り、リン?」
物凄い剣幕で怒りを見せたリンに俺は何も言うことが出来ない。
リンは少し俯いた後、響きのある口調で言った。
「なんで、ハル兄が私のお兄ちゃんなの……!?」
リンはそう言うと、昇降口の方へ走り出してしまった。
「おい! リン!」
俺の声に振り向きもせず、リンはただ走っていく。
そして、軽い気持ちでリンにあんなことを聞いてしまったことを悔いる。
そりゃ、聞かれたくないことだってあるよな……。
俺は携帯を取り出し、風花に『俺今日は部活休むから、あとリンも』とだけメールしておいた。
とりあえず、追いかけて謝らなきゃ……。
「ただいま!」
「あれ、ハル。今日はリンと一緒じゃないの?」
「え? 帰ってないの?」
「うん」
家に帰った瞬間、琴姉にリンがまだ帰宅していないことを知らされる。
「リン、どこかに行ったの?」
「俺も今追っかけてきたつもりなんだけどな……」
リンはどこへ行ったんだ?
考えても行きそうな場所は思いつかない。
「……何かあったの?」
「うん、ちょっとね……」
「そう、まぁ詳しくは聞かないけど……喧嘩したんなら早く謝りなさいよ。こういうのは早く誤っちゃ方がいいわ」
「分かってる……てか、琴姉はどうして家に?」
「家じゃないと出来ない仕事があったから早めに帰ってきたの」
「そっか、お疲れ。まぁリンを連れ戻したら何か作るよ」
「ふふ、ありがと。楽しみにしてる。まぁとりあえず、早く仲直りしてきなさいな」
「うん」
俺は再び家を出る。
カバンと傘は邪魔なので置いてきた。
道に溜まった雨をばしゃばしゃと跳ね上げながら俺は走る。
とはいえ、どこに行けばいいんだろう。
「リン……」
リンの言葉を思い出す。
流石にちょっと胸が痛くなったな……あれは。
とりあえず、近所を探してみるか。
もうすぐ日が沈み始める時間だし、急がないと。
……意外なことに、リンはすぐ見つかった。
近くの小さな公園――昔、俺と風花とリンでよく遊んだ公園のブランコにリンは座っていた。
しかしその隣には中年くらいの男性が座っていて、リンに傘を差しながら何かを話していた。
見るからに下心がありそうな目で、リンのスカートから覗いている足や雨で濡れて透けかけている制服を舐めるように見ていた。
「リン!」
俺はリンを呼ぶ。
リンはこちらに気づいたのか、少し驚いたような目で見ている。
走ってブランコ近くまで向かう。
「な、なんだお前は。この子の彼氏か!?」
「…………」
俺が近づくと、中年男性は挙動不審な様子で尋ねてくる。
ここはもしかしたら、彼氏のフリをする方がいいのかもしれない。
俺は中年男性を軽く睨んだ後、低い声で
「そうだ、この子の彼氏だよ……俺の彼女に何か用か?」
「い、いや。なんでもない! なんでもないんだ!!」
中年男性はやけに慌てながら走って逃げていく。
そして、中年男性がいなくなった後……。
「お前、こんなところで何してんだよ……?」
リンに尋ねた。
「え、それは……」
「あいつに何言われたんだ……?」
「……」
リンは俯いて黙る。
「黙ってちゃ分からないだろ……リン」
「……お小遣い上げるから、おじさんに少し付き合わないかって」
俺はその言葉を聞いて、背筋が冷たくなる。
つまり、リンはあの親父にまで狙われてしまったということだ。
もしも力の弱いリンが無理やり連れ去られたら、そんなことは考えたくもない。
「リン……ごめんっ!」
「っ……」
「俺、あんなデリカシー無いようなこと聞いちゃって。おまけに、一歩間違えば危険な道を歩かせそうになって……」
頭を下げる。
そして、こんな間抜けな自分がどこまでも憎らしくなってくる。
「ハル兄、大丈夫だよ……私は無事だし……。あと、さっきはあんなこと言ってごめんね? 私も言い過ぎたよ……」
「リン……」
リンはやけに落ち着いている優しい声で言った。
「それに、今はちょっと嬉しいんだ。たとえお芝居でも、ハル兄が私の彼氏になってくれたから」
その笑顔に心がちくりと痛む。
雨に濡れたリンの笑顔はやけに綺麗に、そして幸せそうに見えた。
「ほら、帰ろ? 傘は一つしかないけど」
「俺はいいよ。傘なんか無くて」
「ダメだよ、風邪引いたらどうするの? ……へくしっ」
「リンこそ風邪引いちゃったんじゃないか?」
「うーん……そうかも……」
俺とリンは一つの傘に一緒に入って帰る。
どうしてリンはここまで、俺を慕ってくれるのだろう。どうして兄である俺に、あんなことを言うのだろう。
ふと沸いてくる疑問。
俺は本当は気づいている……リンの俺に対する気持ちに。
ただ、たとえ義理であろうとも兄と妹という関係がどうしても頭から離れない。
今の俺に……リンからの気持ちへの答えを出すことは、まだ出来そうになかった。




