公園で泣いていた小さな女の子
この小説だけ更新頻度が異常に高いという現実
暗闇に包まれた寝室に時計の針の音だけが響いていた。
俺は何故か眠ることが出来ず、ベッドに入ってから二時間が経とうとしていた。
どうしてこうなったのかというと、ベッドに入った直後にとある過去を思い出していたからだった。
……それにしても暑い、そして喉が渇いた。ちょっと麦茶でも飲んでこよう。
俺は階段を下りてリビングへ向かう。
「あれ?」
リビングには明かりが付いていて、その明かりは廊下まで漏れ出していた。
「……琴姉?」
リビングにいたのは琴姉こと、美里琴音。
この家に居候して一年が経ち、もはや俺達の姉として両親に扱われるほど一家に馴染んでいた。
最近は一人暮らしのための部屋を探そうとしているらしいが、家事もまともに出来ない今のままじゃ一人暮らしは無理だろうと思う。
「あら、ハル。どうしたのこんな時間に」
「ちょっと眠れなくてさ」
「そう……何か悩み事?」
「うん、ちょっと好きな子が出来てさ」
「えぇ!? そうなの!?」
「嘘。てか驚きすぎでしょ……」
「あ、いやぁ。ハルもよく考えたらお年頃だもんねぇ……でもハルに好きな子て……なんかお姉ちゃんとしては複雑よ。これが娘を嫁に行かせる父親の心情かしら」
絶対違うと思う。つーか俺は男だ、嫁に行くわけあるか。
「リンのことでちょっと考え事してたんだ」
「リン? どうして?」
「んー……なーんか思い出しちゃってさ。昔のこと」
俺は肩をすくめて笑ってみせる。
「そっか……」
「あと、あいつはなんであんなに俺にべったりなのかも考えてた」
「あはは……まぁ、あんた達の事情を知らない人からすればあんた達兄妹はちょっと仲が良すぎに見えそうだもんね」
「んー……俺はリンのこと、れっきとした妹だと思ってるけどなぁ」
冷蔵庫から麦茶の入った容器を取り出しながらそんな会話を続ける。
「リンだってあんたのことはちゃんとお兄ちゃんだと思ってるわよ。ちょっと懐き過ぎなのも、昔のことを考えれば分からなくはないし」
「そういうもんかな」
「そういうもんなのよ。とりあえず、私は仕事終わったし寝るわ。ハルも早く寝なさいよ」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
琴姉がリビングから出て行く。
俺は麦茶をコップに注ぎ、一気に飲み干す。
「ふぅ……」
まぁ喉は潤ったかな。
「ふぁぁ……あれ、お兄……」
「リン?」
俺が麦茶を飲み終えると、パジャマ姿のリンがリビングに入ってきた。
「何してるの?」
「ちょっと眠れなくてさ。喉も渇いたから麦茶飲んでた」
「……私にもちょうだい」
「え、あ、うん。……ほら」
俺は持っていたコップに麦茶を注ぎ、リンに近づいて渡す。
何故かリンは頬を赤らめたが理由は知らない。
「んく……んく……ふぅ」
リンが麦茶を飲み干した後、俺はそのコップを受け取って洗う。
その間、リンはソファの上に寝転がっていた。
「部屋に戻らないのか?」
「今ベッドの上が暑いから……あー……ここひんやりしてる」
呑気で間延びした声でリンが答えた。
今の俺には、そんな何気ない彼女の姿さえも昔を思い出させるきっかけになってしまっていた。
『ふわぁぁぁぁぁぁん!』
小さな公園で小さな女の子が泣いていた。周りには同じくらいの男の子が三人立っていた。
当時、俺が遊んでいた公園ではあまり見かけない子達だった。
そしてどうやらこの日は何か問題が起きていたようだった。
『くやしかったらやりかえしてみろよー』
『やーいやーい、ぶさいくー』
『ここはおれたちのこうえんだぞー、おまえはでてけー』
近所のいじめっ子だったらしい。
泣かされている女の子はたまに公園で見かけるけど、いつも一人だった。
まぁ、いじめっ子からすれば自分より力が弱い小さな女の子など格好の標的だろう。
理由もなくただ本能的に自分のやりたいことをする子供は、実はとても恐ろしいのかもしれない。そして、当時の俺はそんないじめっ子達に滅茶苦茶腹が立ったのを覚えている。
『こらー!! そのおんなのこをいじめるなー!』
『なんだおまえ!』
『おれたちにかてるとおもってるのか!』
『こっちはさんにんもいるんだぞ!』
数で有利だからといって、年上の俺にも喧嘩を売ってくる年下の子供。……今からしてもムカつくなぁ。
『ふーちゃん、そのおんなのこといっしょにはなれてて』
『ハルくん! あぶないよー!』
『だいじょうぶだいじょうぶ!』
当時、いつも一緒に遊んでいたのは風花だった。あだ名はふーちゃん。小学校の中学年辺りで、周りにからかわれるのが嫌で呼び方を変えたんだっけ。
他に解決方法もあったのだろうが、いじめっ子が次に標的にするのはきっと俺達だったと思う。遅かれ早かれ衝突は免れられなかっただろう。
とはいえ、当時の俺は怒りの感情に任せていじめっ子達に向かっていったんだけど。
『うわーん!』
『おかあさーん!』
『いたいよぉー!』
結局俺一人でいじめっ子三人を泣かせてしまったのだった。
後ろにいた名も知らない女の子に謝った(俺が謝らせた)後、いじめっ子達は帰っていった。
『だいじょうぶ? どこかいたいところはある?』
『ここがいたい……ぐすっ』
女の子は泣きながら膝を見せてきた。確かにすりむいていて、ちょっと血が出ていた。
『ハルくん。おみずであらったほうがいいよね?』
『そうだね。ふーちゃん、ばんそうこうもってる?』
『もってるよー。おかあさんがもっていきなさいって』
俺と風花は小さな女の子を連れて近くの水道へ向かった。
水で膝を洗ってあげた後、風花が持っていた消毒液(風花のお母さんは準備がいいと思った)と絆創膏で手当てをしてあげた。
『ほらほら、もうだいじょうぶだよ』
『うん……ありがとう』
頭を撫でてあげると女の子は泣き止み、代わりに笑顔を見せた。
『おにいちゃんとおねえちゃん。だれ?』
『このおにいちゃんはハルくん、あたしはふーちゃんだよ』
お互いのあだ名を小さな女の子に教える風花。まぁ子供だし細かいことは気にしなかったんだと思う。
『ハルおにいちゃんに、ふーおねえちゃん?』
可愛らしく小首を傾げて確認してくる女の子。
よく見たら、当時から物凄く可愛かったんだよなぁ。
『うん、そうだよ』
『ねぇ、ハルおにいちゃん。ふーおねえちゃん。わたしってぶさいくなの?』
いじめっ子に言われたことを気にしていたのか、悲しそうな表情で尋ねてこられる。
だけど、当時の俺も風花も即答で
『『そんなことないよ!』』
と言った。
『きみはとってもかわいいからしんぱいしないで。ぶさいくなんかじゃぜったいないから』
『そうだよー。こんなにかわいいこはなかなかいないもん』
『ほんとうに……?』
『『うん!』』
『ん……ありがとう、ハルおにいちゃん。ふーおねえちゃん』
女の子はとても可愛らしい笑顔を見せてくれた。
『きっとかわいいからあのこたちもあんなことしたんだよ』
可愛い子の気を引くために意地悪をするというのはよくあることだ。
まぁ、そんなことをしても嫌われる一方だと思うんだが。
『それに、またこんといじわるされそうになったらぼくがまもってあげるよ!』
『え……? ハルおにいちゃんがまもってくれるの?』
『うん!』
『じゃあ……やくそくね? ハルおにいちゃん』
『うん、やくそくだよ。えーっと、なまえは?』
『わたしのなまえは――』
あれが最初の約束だったっけなぁ……。
思い出に浸るのを終え、俺はソファの方を見る。
「って、寝てるし」
「すー……すー……」
リンは可愛い寝息を立てて寝ていた。
面影が残るその寝顔はとても可憐で……ってそんな場合じゃない。
「ほら、リン。寝るなら部屋で寝ろよ」
「んー……お兄運んでー……」
眠そうな声でそう言いつつ、両腕を伸ばしてくるリン。
俺は仕方なくリンの背中と足のところに手を差し入れ、一気に持ち上げる。お姫様抱っこの形になり、リンはいつの間にか目をぱっちりと開けていた。
「えっ、えっ……お兄?」
「運べって言ったのはリンだろ?」
呆れ混じりにそう言いつつ、階段を上る。
リンの体は思った以上に軽い。……もっとちゃんとご飯食べさせようかな。
「……」
リンは何も言わず黙っている。薄暗い廊下に時々月明かりが差し込み、彼女の表情がうっすらと見える。
やけにとろんとした目でこちらをじっと見つめていて、両腕で俺の服を軽く握っていた。
「――っ!」
そんなリンから目を逸らしつつ俺は部屋を目指す。
部屋に着き、リンをベッドに寝かせると俺はすぐに部屋を出ようとした。
「明日は休みだからって寝すぎないようにな」
「う、うん……あのさ、お兄」
「何?」
リンは上半身を起こし、部屋から出ようとしていた俺を呼び止める。
「あの……ありがと」
「あ、あぁ……うん」
思わずドキッとしそうな笑顔。
暗闇に目が慣れ、リンの表情がさっきよりもちゃんと見えた。
その表情は――昔から変わっていない可憐で可愛い笑顔だった。




