夏の終わりと旅の終わり
沙夜ルートもいよいよラストスパートですね
夏休みが終わり、今日は始業式。二学期が始まる日だ。
もう秋が近いはずなのに、暑さは夏休み中からほとんど変わらない。
正直、朝からしんどい。
「風花はなんでそんな平気な顔してられるんだ?」
隣を歩く風花に尋ねる。
「だって今日からまた皆に会えるからね」
本当に無邪気で純粋だなぁ風花って……。
そんなことを考えながら歩く。
風花を無邪気で素直だと思うと、あまり素直じゃなくてクールな彼女のことを思い出すのだ。
俺は彼女にあの日以来――彼女のお母さんの麦わら帽子を思い出の場所へと放って以来会っていない。
時間にして、一週間とちょっとって所か。
夏休み中はあの後会う時間が作れなくなってしまったが、学校に来ればまたいつでも会える。
そう考えたら、先ほどまでの気だるさも無くなってくる。
「でも沙夜ちゃん、大丈夫かな」
「もう沙夜は大丈夫だよ」
俺は風花の言葉で、あの日を思い出す――。
柔らかな風が吹く丘の上に俺達は並んで立っていた。
「ごめんな、沙夜」
「ハルが謝る理由はないだろう」
「いや……」
俺は首を振り沙夜を見つめる。
「俺は、自分勝手だったって思ってる」
「そんなことない……私の方がずっと自分勝手だった。ハルはそんな私を必死で助けようとしてくれたんだ……」
「……俺は怖かったんだ。こうでもしないと、沙夜が俺を頼ってくれなくなるような気がして」
風花の言葉を思い出す。
俺は沙夜を失うのが怖くて、自分に頼ってもらいたくて、傍にいてほしくて……あんなことを言ったんだと思う。
「そんなことない、私はただ……今まで頼ったことがほとんどなかっただけだから」
「そっか……なぁ、沙夜」
「ん?」
「俺の中学時代のことを、話しておくよ」
それはいつかは話さなければいけないことだった。
そしてそれは、きっと今だろう。
「俺が中学二年生の時……当時の母親が、俺と父さんを裏切って勝手に家を出て行ったんだ」
「え?」
「元々遊び癖があって、父さんへの愛情が薄れていたことは前々から分かってたんだけどね。父さんもそれをどこかで感じていたんだと思う。その頃には、夫婦仲は完全に冷め切ってたし母親は家事をやらなくなっていたよ」
「そんなことが……」
「それから俺は、人間不信になりかけたよ……どうせ皆、打算や損得を考えて人付き合いをしてるんじゃないか、なんて思ったりもした」
「……」
沙夜はちゃんと聞いてくれている。
俺は続ける。
「でも、そんな俺のことをずっと励まして、時に叱ってくれる友人がいた。それが風花と久代なんだ」
「そうなのか?」
「うん。母親のことで悩むって点と、その時の俺は誰にも頼ろうとしなかった……まるで、少し前までの沙夜みたいにさ」
「……」
「それからしばらくして、父さんは再婚した。相手は俺が小さな頃から顔見知りだった近所に住んでいた人だった。あ、あと俺には妹がいるんだけどさ」
「ハルに凄い懐いてる可愛い子、って風花が言ってた子か?」
あれは懐き過ぎな気もするけどな。
「まぁ、そうなのかも……その妹の凛子は再婚相手だった今の母さんの連れ子だったんだ。二人とは昔から面識があったから、仲の良い家庭になるまでに時間はかからなかった。それで、今に至る……」
「同じ母親でも、ハルの元母と私の母さんじゃ違うんだな……」
「うん、だからちょっと沙夜が羨ましいんだ。自分の産みの親をこの上なく愛せているから」
「そうだな……私は母さんのことが今でも大好きだから」
沙夜はちょっとだけ落ち込んだような声で言った。
「それでいいんだよ。自分の親を愛せなくなったら……きっと日常が壊れてしまうから」
「……うん」
「実は……昨日はそれに似た不安を感じてたんだ。当たり前だった日常がある日急に砕けてしまうような……そんな気がして」
当時の母親が家を出た時、俺達の日常は完全に壊れた。
そして今の日常を築くまでに、苦悩したことも多かったと思う。
「いや……ハルの話を聞いてて、やっぱり誰かに頼ることは大事だって思えた」
沙夜はそう言った。俺は静かな喜びを感じる。彼女がそう思ってくれたのは凄く大きなことだと思うから。
「ハルだって、誰かに頼って……一人で抱え込まなかったから今があるんだろ?」
「あぁ……だから、風花と久代は俺の恩人なんだ。あの二人がいたから、俺は立ち直れた。そして、今は優しい両親や可愛い妹と一緒に、幸せに暮らせてる」
「そっか……なんだかいいな、そういうの」
沙夜は小さく微笑む。
少しの間が空き、彼女は続ける。
「……私に母さんはいない。でも、私にもハルと同じように支えてくれる暖かい人が周りにいるんだな」
「あぁ、そうだよ」
「私には……姉さんや兄さん、お祖母ちゃん達がいてくれる。それに、ハルもいてくれる」
沙夜はお祖母さんの家の方角を見た後、俺を見る。
そして、目が合う。お互いにお互いの目を見つめ合う。
「だからもう……過去にすがることは止めようと思う。辛い時があったら、誰かに頼りたいと思う」
この時、沙夜はきっと変わることが出来たんだ。
「もちろん支えてもらうだけじゃない……誰かが辛い時は、頼られる存在になりたい。そうやって支え合って生きていきたい」
沙夜はとても優しい表情をしている。
「私はどこにも行かない。もう過去に縛られたりもしない……だから、ハルにはずっと傍にいてほしい」
「そんなこと……当たり前だろ」
俺と沙夜はお互いに手を繋ぐ。
やっぱり暖かいな、沙夜の手は。
「そういえば、その麦わら帽子ってなんなんだ?」
「これか……これは、母さんが小さな頃に使っていたものだ。多分お祖母ちゃんの手作り」
「へぇ……」
沙夜に見せられた帽子をまじまじと見つめる。
「母さんはこれをずっと大事にしていたらしいんだ」
「いいのか? そんなに大事なもの……」
「私も迷ったけど……きっといいんだ。母さんはこのひまわり畑と、この麦わら帽子と一緒に成長してきたんだろうから」
沙夜は数回、帽子を優しく撫でる。
「だからこれを、母さんの思い出の場所……このひまわり畑に返して――私の過去を追う旅を終わらせる」
沙夜の母さんはもういない。
そのことを、きっと彼女は実感しようとしているのかもしれない。
「もうさよならだ、母さん……」
沙夜は最後にもう一度帽子を撫でて呟くと、そっと帽子をひまわり畑の方へ差し出す。
そして――風が吹いた。強く優しい、暖かな風は沙夜の手から帽子を奪い、その身に乗せて高い空へと運んでいく。
俺達は互いに飛んでいく帽子を見つめる。
宙でひらひらと舞った帽子は少しずつ高度を落とし……やがて、広大なひまわり畑へと消えた。
「沙夜……」
予想はしていた。
沙夜の瞳は潤んでいて……少しずつ表情が歪んでくる。
「……胸を貸してくれないか……ハル」
いくら割り切ろうと、やっぱり心に迫る思いはあるのだ。
「いくらでも泣けよ……俺は沙夜の傍にちゃんといるんだから」
だから俺は今、沙夜を支える。
学校へ到着し、教室に入る。
早速、風花は清川や久代と楽しそうにじゃれ合う。本当に仲が良いんだな、こいつら。
俺は教室をさっと見回す。まだ、沙夜は来ていない。
しばらく教室の外で待ってみる。
がやがやと騒がしい廊下、夏休み前と変わらない風景。
そんな中を、いつものように毅然とした態度で歩いてくる少女がいた。
彼女は俺を見ると、口元に小さな笑みを浮かべる。
「おはよう、ハル」
「おはよ、沙夜」
「今日からまた学校生活が始まる。夏休みのように遊んでばかりはいられないぞ?」
「分かってるよ」
色々なことがあった夏休みも終わり、俺達はまた一緒に学校生活を送っていく。
これから築かれていく日常を再び過ごしていくんだろう。
目の前で笑う、沙夜と一緒に。
次回がエピローグ、そして次のルートのヒントはこの話の中にあります




