理由を知り、答えを知る
今回は沙夜視点。ついに姉の真意が明らかになります……そして、その先で出した沙夜の答えとは?
「……っ」
なんなんだアイツは。どうしてあんなことをいきなりしたんだ……。あんなことをされた後じゃ授業に集中も出来ないじゃないか。
いくら私でも、今回はしばらく落ち着けそうにない。キ、キスなんて……されたの初めてだし。
しかもあの馬鹿、何事も無かったかのように教室に戻ってきたし……かと言って私と目が合うと即効で目を逸らすし。何がしたいんだアイツは。
大体初めて話した時からアイツは変人でどこか飄々としてて、大胆なことをさり気なく口走る奴だった。
私だってどうかしている。
あんな男と過ごす時間を楽しい、大切だと感じていたんだから。
そうだ、結局アイツはああいうことがしたいだけなんだ。そうだ、そうに違いない。だから落ち着け私。もうアイツを意識しちゃダメだ。アレは野良犬に噛まれた程度のことだと思えば問題ない。あれ、でも野良犬に噛まれたらその野良犬は保健所行きじゃないか。それじゃ可哀想だ……ならば蚊だ。蚊に刺されたと思えばいいんだ。今は夏だしそれが自然だ。つまり日高は蚊なんだ。
「氷室」
「なんだ、蚊」
「はぁ? てかもう授業終わったぞ」
「え? ……あ」
確かにいつの間にか授業が終わっていた。
クラスの人間はそれぞれ放課後を過ごす準備をしている。
「ねー、ハル君ー。ちょっと来てー」
「え? あぁー」
日高は風花に呼ばれ私の席を離れる。それと入れ替わるように陽菜が私の元へやってきた。
「やっほー、沙夜ちゃーん」
「陽菜……何か用か?」
「ん? ちょっとねー。とりあえず廊下行こ」
陽菜はそう言うと教室を出て、出入り口からこちらを見て手招きする。
仕方がないので従うことにした。
廊下に出ると他のクラスの生徒達が結構な数いた。
「ここで大丈夫かなー?」
「廊下にいる不特定多数の人間の中から、特定の人間に注目する物好きなどいないだろう」
「じゃあ大丈夫だねー」
「で、用はなんだ?」
「いや、最近沙夜ちゃんとお話する機会が無かったからさ。寂しくなっちゃって」
「……そうか」
「ゆっくり話すのは中学以来だね」
思えば陽菜は中学時代、愛想が無いと言われていた私に毎日しつこく関わろうとしてきた唯一の人間だった。
そう考えると、姉さんがいなかった中学でも私は今と対して変わっていないのかもしれない。それでも、友人関係を築くことを制限されていたわけではなかった。
だから、いつの間にか私と陽菜は自他共に認める親友になっていた。
「中学の時、沙夜ちゃんは今と同じような感じだったね。それを私が少しずつ心を開かせて、最後は産まれたままの姿までも」
「おい待て、私がいつどこでお前にそんな姿を見せた?」
「あはは、冗談。でも、最後の方は仲良くなれた実感があったよ?」
「それはそうかもな」
「でも、高校に入ってから沙夜ちゃんは戻っちゃった気がして寂しかったんだよ」
「陽菜は私以外と関わることが多くなったしな。それも仕方がない」
「つまり、やきもち?」
「違う」
「あはは、沙夜ちゃん可愛いー」
「違うって言ってるだろ……全く」
相変わらず陽菜は子供っぽくてよく振り回してくれる奴だ。
「でもさ、最近ちょっとずつ変わったかなって思ってるんだ」
「む……」
「春斗君のお陰かな?」
「あの蚊が私を変えたとでも?」
「蚊?」
「キスされたことを野良犬に例えたが、それだとなんだが野良犬が可哀想だったので蚊に例えたんだ…………ん?」
あれ、今私は何を口走った。
陽菜はぽかんとした顔をして……ない。滅茶苦茶ニヤニヤしてるような。
「キス……したの?」
「ちょ、待てっ。今のは間違いだっ、そんなことをするはずがないだろっ!?」
「うーん、凄い焦りようだねぇ。沙夜ちゃん意外と表情に出るからねぇ……そっかぁ……保健室で二人はあんなことやこんなことを」
「待て! キス以外何も……!」
「キスはしたんだね」
見事に引っ掛かってしまった。
陽菜は今までに無いような笑顔を見せる。
「こうなったら応援しないとね。春斗君呼んで来なきゃ」
「待て! 呼ぶな! 私はあんな奴大嫌いだ!!」
「……え?」
私は自分はとんでもない過ちを犯してしまったと本能的に思った。
恐る恐る後ろから聞こえた声に振り向く。そこには……日高がいた。
「えっと……悪い」
「あ、日高っ……」
日高はそう言うと、廊下を走っていってしまった。
「……」
心に穴が開いたような虚無感に襲われる。
頭の中が真っ白になり、どんなことをこれからすればいいのか分からない。
ただ、アイツの寂しそうな顔だけが何度も頭を過ぎる。
「沙夜ちゃん……やっちゃったね」
「……っ」
「あ、ちょっと!? 沙夜ちゃん!」
私は陽菜の静止も聞かずに走り出した。
とにかく今は一人になりたかった。
ここからなら屋上が近いか。
「っぐ……ぐすっ……うぐっ」
屋上に来た途端、涙が止まらなくなる。
どうして私はあんな心にも無いことを言ってしまったのだろう。
本当は意地を張ってばかりの私に関わってくれることに感謝しているのに。
「……日高っ……」
私はアイツの名前を呟く。
だけどそれでもアイツは来るはずがない。
「あれー? 沙夜じゃん、何してんのアンタ」
「……姉さん」
代わりに現れたのは今一番会いたくない人間だった。
何故なら、姉さんは。
「姉さん、どうして日高にあんなことをしたっ!」
「聞きたい? じゃあ……あの男子のこと、どう思ってんのか聞かせなさい」
「……急に何を」
「そろそろ本気で権力使おうかと思ったのよ」
口調が冷たくなる。
こういう時の姉さんは冗談抜きで恐ろしい。
「今までは我慢してたこともあったけど……流石にもう無理ね。そろそろあの男子を何とかしないと、私の目的が果たせそうにないもん。どんな手を使ってでも、あの男子が逆らわなくなるようにしないと」
「どうして……」
「ん? 何よ」
「どうしてそこまでアイツに拘るんだ……!」
「別に、あの男子が大人しく私を崇拝するなら拘らないわよ。てか、あの男子は何であんなに馬鹿みたいに逆らうのかしら……逆らったって無駄なのに」
最後の言葉には姉さんの悲哀が込められているような気がしてならなかった。
「……あの男子を見てると、母さんを思い出すのよね」
「……っ」
私はその言葉で姉さんの本当の目的がやっと分かった。
姉さんは、きっと母さんを反面教師にしようとしている。
どんな権力にも屈しようとしなかった……あの人を。
「朝香、夕、沙夜ー」
母さんの声はいつも優しくて暖かかった。
母さんは至って普通の人で、俗に言う富豪と呼ばれる父とは似ても似つかない人であり、どうしてこんな人がこの家の嫁に来たのか分からないほどだ。
だけど誰よりも優しい母さんを、私達は心から愛していた。
父も母さんのことを愛しており、私達は幸せな家庭だった。
しかし、ある日のこと。
とある巨大会社の理事長夫婦が私達の中から一人、養子にしたいと頼み込んできた。
もちろん両親はそれを拒否した。すると、その夫婦は権力を使うぞと脅してきた。
何故私達だったのかは分からない。が、きっと何かと都合が良かったのだろう。
結局、権力を使い始めた奴らのせいで父は家に帰らずに仕事を捌かなければならないほど忙しくなった。
その間、私達三人を守り続けてくれたのは母だった。何度も催促の電話が鳴ったが、母はどんな時も拒否し続けた。
だがある日、母は事故で亡くなった。交通事故だった。
あまりにも不自然だったために、他殺の可能性も示唆されたが結局事件は解決しなかった。
それ以来、姉は権力という物について考えを改めたのだろう。
「私はいずれ会社を継ぐ。そして、どんな他の会社も圧倒的なカリスマ性で下に従えるのよ。他の会社が上や同等じゃダメ、私達がトップであり続けるの。今はそのために練習なのよ」
「だからって……」
「沙夜、アンタにも分かるはずよ。母さんは間違いなく殺されたの。権力者って存在に」
「だからって姉さんがその権力者と同じでどうするんだ! それじゃ意味が無いだろ!」
「……別に構わない。たとえどんなに汚いと、クズだと、最低だと罵られても……私はもう二度とあんなことを起こさない。どんな会社も従えるくらいのカリスマ性を持って……いずれはあの憎い理事長夫婦さえも下に従えてやるのよ」
姉さんの本心を聞くのは初めてだ。
でも、やっぱりそれは間違っている。
たとえどんな理由があろうと……姉さんが奴らと同じになったらダメなんだ。
きっとこう思えるようになったのは日高のお陰だと思う。
「沙夜、分かって」
「ダメだ……やっぱり間違ってる」
「沙夜っ」
「でも、姉さんのカリスマ性は計り知れないと思う。だって、権力を使わなくても姉さんを慕う人だってたくさんいる。だったら、そうやっていけばいい。どんな理由があろうと、理不尽に権力を振りかざしたらダメだ」
姉さんは驚いたように少し目を見開く。
「……以前の沙夜ならそんなことは言わない。一体何があったのよ」
「別に……変えられただけだ。アイツに」
「……あの男子に?」
「そういえば、質問の答えがまだだったな」
私は日高の寂しそうなあの顔を見てどうしようもなく苦しくなった。計り知れない罪悪感も感じた。
それが何故なのか、そんなことは簡単だ。
私を変えてくれたアイツが。あの男のことが。私は……。
「私は……日高のことが好きだ」




