その気持ちに気づいたら
んー……更新速度を速めようと思うとどうしても……うーん
あれは夢か幻か。はたまた夏の幻想か。
今、目の前でむっつりした顔をしている少女を見て思う。昨日屋上にて、この少女は泣いた。しかも俺の胸で。
今の彼女の顔を見ているとそのことがまるで夢のように思えてくる。
「おーい、氷室ー」
「……なんだ」
やっぱり不機嫌そうである。
「昼飯、一緒に」
俺がランチバッグを見せながら言うと
「断る」
即答だった。
「え……」
「……ふん」
氷室はそう言うと教室を出て行ってしまった。
慌てて追いかける。
「え、ちょ」
「日高……お前何か勘違いしてないか?」
「え?」
「昨日のことは何かの間違いだ。私が他の誰かにあんな弱味を見せることなど決して無い」
「え、あ……でもなぁ……胸で泣かれたし」
「お前、埋めるぞ」
「どこにっ!?」
急に物騒だなおい。
「ったく……最近あの女からの迫害も影を潜めてきたというのに」
「それは良かったじゃないか。だったら一緒に」
俺は特に深いことを考えずに言った。
すると氷室は俺をじっと見る。
「……」
「え、何? 顔に何か付いてる?」
じっとこちらを見つめる氷室に尋ねる。
「いや……ただ」
「ただ?」
「お前、結構チャラいんだな」
「え!?」
俺ってチャラかったのか……?
「女子を堂々と誘う男子なんてクラスじゃお前くらいだぞ」
「え、そうなの?」
風花や久代と関わっていると男女の境とか気にしなくなるからなぁ。
「……この変態」
「変態じゃないよっ!?」
「お前はそんなに私の身体が欲しいのか?」
氷室は悪戯っぽく笑う。
そろそろ反撃した方がいいかな。
「……誰がそんなまな板っぐふ」
反撃された。
「山に埋められるのと海に沈められるの……どっちがいい?」
「どっちも嫌だよ」
「ちっ」
氷室……いつからそんな物騒な子に。
「仕方がないから屋上から……」
「お前は俺を殺すことしか考えてないのか」
「かもなぁ……」
「おい!」
きっと冗談だろうから気にしないんだけどさ。
氷室が冗談を言ってくれるのだってきっと進展だろう。
「まぁいい。お前は先に屋上に行ってろ。私も行くから」
「ホントかっ!?」
「うっ……そんな嬉しそうな顔を……するなっ。ばか」
嬉しいものは嬉しいからな。
ランチバッグを手に提げ、少し浮かれ気味に歩き出す。
階段に差し掛かり、一段飛ばしに階段を駆け上がる。
もう少しで屋上だな、と思ったその時。
肩を掴まれ引っ張られる感覚と共に俺の身体は宙に浮いた。そう思った時、寒気がぞくりと背中を駆け上がってきて……宙と地面が逆転するような感覚に襲われていた。
どうしてだろう。
あいつはどうして私なんかに構うんだろうか。
同情なのか、それとも他の理由があるのか、真相は分からない。だけど、悪い気はしない。
「あれれー、沙夜ちゃん。これから春斗君とデート?」
「おい陽菜!? 何を言っているんだ!」
カバンからお弁当が入ったランチバックを取り出している時、後ろから声を掛けられる。
声の主は中学の時からの数少ない友人である清川陽菜だ。
「あははー、顔真っ赤ー」
「ったく……お前は中学の時から全く変わってないな」
「うん。そうだねー。でもさ」
「でも?」
「沙夜ちゃんはちょっと変わったよね。最近」
「えっ?」
少しドキッとする。
陽菜から見ればそう見えるのだろうか。
「そ、そうか」
「うん。なんか……心が安らいでいるように見えるよ」
陽菜は笑顔でそう言うと、グループの方へ戻っていった。
私は待たせてはいけないと思い、少し駆け足で屋上へ向かう。
屋上への階段は人気が少ない場所にあり、教室からも少し離れている。この距離はいざ急いで向かうとなると、結構長い。
やっと階段だ。
私は駆け足を止め、呼吸を整えながら歩く。
「ふぅ……ん? っ!!」
階段を上り、踊り場付近で私は硬直してしまう。と同時に背筋が冷たくなる。
目の前にはある生徒が横たわっていた。
それは……紛れも無くあいつだった。
「おいっ! しっかりしろ! 日高っ!」
返事が無い。どうやら日高は気を失っているようだった。
もしかしたら階段で足を滑らせて頭を打ったのかも……。そうとなると、打ち所が悪い可能性もある。
「でも、私の力で保健室まで運べるか……?」
ここから保健室はかなり離れている。どうすれば……。
いや、もう迷ってる暇は無い。ここには私しかいないんだ!
「日高っ……!」
私は日高を背負い、保健室へ向けて歩き出す。
気を失っているために身体が重く感じる。元の体重がそこまで重くないことが救いだった。
独特の香りが鼻を抜けていく。
うっすら目を開けると、天井が視界に入ってくる。
身体を起こすと、そこは見慣れない景色だった。
カーテンや俺が寝ていたベッドから、ここは保健室なのだろう。
と、その時。カーテンが開かれる。
「日高……っ」
「氷室……?」
カーテンを開けたのは氷室だった。
彼女の顔には心配するような表情と安心するような表情が入り混じる。
「俺……どうしてここに?」
「倒れていたんだ……階段の下の踊り場で」
「え……あ、そういえば」
あの時誰かに肩を掴まれて引っ張られたらしい。
それで下に落ちて気を失っちゃってたようだ。
「氷室が運んでくれたのか……?」
「いや、私だけじゃない。ほら」
氷室の後ろから現れたのは優希先輩だった。
「よっ。なんか久しぶりだなー。久々の再会がこんな形なのはちょっとアレだけどさ」
優希先輩は苦笑して言った。
「どっか痛むか?」
「いえ……特には」
「そっか。良かった」
「この人がお前を運ぶのを手伝ってくれたんだ」
氷室が優希先輩を見て言った。
「そうなのか……ありがとうございました、先輩」
「お礼ならこの子にね。ここに運んでからも凄く心配してたから」
そう言われ、氷室に視線を向ける。
彼女は少し慌てたような表情を見せる。
「いやっ、あのっ、私は別に心配とか……」
「ありがとう、氷室」
「あ、あぁ……」
「それと心配かけてごめんな」
「ん……日高が無事で良かった」
「っ!」
上目遣い気味に見つめてくる氷室にドキッとしてしまう。
こんなことするような奴だっけ。
いつもつり気味の目なのに、今は凄い優しい目をしてるし。
「ん、じゃあ私はこれで行くよ。お邪魔っぽいしね」
「運ぶの手伝ってくれてありがとうございました」
「ありがとうございました、先輩」
「ははっ、いいのいいの。とりあえずハル、あと暇なら氷室ちゃんも調理部に遊びに来てね。いつでも待ってるよ」
優希先輩はそう言って保健室から出て行った。助けてもらった恩もあるし、近いうちに行こうかな。
「日高……」
「ん? どうしたんだ?」
氷室は浮かない顔で俺の名字を呟いた。
「あの先輩が言ってたんだ。あの階段付近で姉さんと、数名の取り巻きの男を見たって」
「そうなのか? でも……」
氷室が何を言いたいのかはなんとなく分かった。
しかし、決め付けていいものなのだろうか。そう言おうとすると彼女に遮られた。
「いや、あの階段を使う奴は少数だ。屋上はあまり使われていない……それに姉さんが「よくやった」と言っていたらしい」
「え……」
氷室は握り拳を作っていた。少し肩が震えているようにも見える。
「私はあの女を絶対に許さない」
「氷室!? 何する気だよ!? 暴力沙汰とかになったら……」
「それでも構わない。私はあの女を懲らしめる……たとえどうなろうが、絶対に」
もしそんなことをしたら退学になったっておかしくない。
むしろ、あの人にそんなことをした時点で退学になってしまうだろう。
そんなことは絶対に防がなければならない。
「氷室、落ち着け。てか、どうして氷室がそんなに怒ってるんだよ?」
「決まってるだろっ……!」
氷室の強い口調に思わず身体を強張らせてしまう。
こんなに感情を表に出す彼女を見たことがない。
「どうして日高がこんな目に……っ!」
「氷室! 俺は大丈夫だ! だから馬鹿なことを考えちゃだめだ!」
保健室の出入り口へ向かおうとする氷室を俺は慌てて追いかける。
彼女の細い腕を掴み、なんとか止める。
「私は今にでもあの女の所へ行く! だから離してくれ!」
「氷室!」
俺は氷室の身体を抱き寄せた。少しでも落ち着かせるために。
氷室は抵抗しようとするも、すぐに抵抗を止めた。
彼女の身体は少し震えている。
「初めてなんだ……ここまで、あの女に怒りを感じるなんて……」
「……俺はその気持ちだけで十分だよ」
「でもっ……」
「俺は被害に遭ったのが氷室じゃなくて俺で良かったって思ってるよ」
「えっ……?」
「きっと逆だったら、俺は今の氷室みたいになってたんだろうな」
「……」
そうだ。氷室が何もされなかっただけマシだ。
「私のせいだよな……」
「え?」
「私のせいで日高は……」
「氷室? ちょっと待ってくれよ」
「……すまない」
氷室は自分を責めるような小さな声で言った。
こんな時どんな言葉を掛けていいか分からない。そんな自分に無性に腹が立つ。
「やっぱり……私は一人でいるべきなんだな」
違う、そんなことはないと言いたかった。
一人でいて欲しくない、そんなことをしても誰も幸せにはならないと。
それなのに、何を言っても届かないような氷室の雰囲気に何も言えない。
「氷室……」
「日高……?」
まっすぐに氷室の瞳を見つめると、彼女も俺の目をまっすぐに見つめ返してきた。
張り詰めた静寂が流れ……俺は氷室に顔を近づけた。
「ん……」
そしてそっと唇を重ねた。
少し柔らかくて暖かい氷室の唇。だけど少しだけ甘かった。
「ん……ふぁ……」
「……」
「…………っ」
突然、氷室は唇を離した。
そして呆然としたような顔をする。
「何故……なんだ」
「……何でだろうな」
「っ……意味も無くこんなことをしたのか!?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「っ、あぁもういい! 忘れろ! 今の出来事を最初から最後まで!」
こりゃあ弁解するのは大変そうだ。
もちろん、俺は意味も無くキスなんてしない。
ただ……一人になろうとしながらも、一人を怖がっているような彼女を放っておけない。そう思ったら、自然と身体が動いていた。
「氷室……」
「私はもう教室に帰るぞ! いいな!」
そう言い残し、さっさと帰ってしまう。
仕方ない、俺も帰ろう。
そういえば……キスなんてしたの初めてだな。
「……」
まだ唇に残る感触を妙に意識しながら保健室を出る。
すると、出入り口付近に見慣れた顔がいた。
「清川?」
「あ、春斗君。沙夜ちゃんどうしたの?」
「いや……その」
キスしたことを話せるはずもなく、適当に言葉を濁す。
「まぁいいや。あのね、春斗君」
「ん?」
「春斗君は沙夜ちゃんのこと、好き?」
「え? ……」
その問いかけで俺は気づく。
そりゃ、たとえ一人にしたくないと思っても特別な感情が無きゃあんなことはしないよな。
「どうして気づかなかったんだろうな」
「ん? どうしたの?」
キスをした理由なんて凄く簡単なことだった。
俺はきっと、いつの間にか氷室に惹かれて……好きになっていたんだ。
はい、というわけで沙夜ルートもだいぶ進行しましたね。でもまだまだ終わりまでは行きません。とりあえずやっとここまで来た、って感じですね。いや沙夜ちゃん逃げちゃったけどさ。




