サイドストーリー 1 (現代)
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小さなアパートの一室。酒瓶が散乱するせまっ苦しい部屋の中、不安な表情で電話をする女性が一人。
染め上げた金色の派手な髪、三十路を越えているというのに、まるで崩れていない抜群のスタイルと若々しい肌。顔つきは凛々しく、見る者に勝ち気な印象と男勝りな性格を連想させるが、しかし女性特有の繊細さも備えている。
「……そうですか。ええ、お願いします」
女性はかちゃんと受話器を元の位置に戻し、自宅のソファで不安を吐き出すようにため息をついた。
彼女は、トビこと金子鳶春の母親で、金子春恵という。夫はおらず、女手一つでトビを育ててきたシングルマザーだ。
どこに行っちまったんだい、トビ。
トビが家を空けることは珍しくはないが、一週間以上も連絡をせずに家を空けるのは今回が二度目で、そうそうあることではない。いつもならば家を空けるときは連絡が入る。
しかし、今回はその連絡が無いばかりか、彼女が信用しているキキまでもが行方不明になっているため、これは只事ではないと春恵は感じ、すでに警察に捜索願いを出していた。
彼女は先程まで電話をしていた相手の、警察の話しを思い出す。
鏡乃神社で二人の目撃情報はあったものの、それ以降はぷっつりと行方が途絶え、その後は手がかりがまったくない。また、神社に謎の魔法陣が描かれており、もしかしたら猟奇的な犯罪に巻き込まれているかもしれません――と、警察は話していた。
犯罪者だろうが化け物だろうが、相手が生き物ならばあの子が負けるはずがない、ましてやキキ君が一緒なのだからなおさらだ。そういったことに春恵は微塵も心配などしていない、彼女が心を痛め、心配している理由はそんなことではない。もっと単純なことだ。
『家出』、である。
その程度のこと、けれども彼女にとっては何よりも恐いもの。
息子が初めて家出したときを思いだし、春恵はソファで丸くなると膝に顔をうずめてしまう。
あのとき、自分は何もできなかった。仕事仕事仕事、そればかりが頭の中を埋め尽くし、あの子が辛い思いをしていることに気が付きもせず、問題を起こしては学校や警察に呼び出されることに腹立たしく感じていただけだった。
何度も衝突し、いつの間にか二人の間に会話はなくなり、いつの間にか息子は家に帰ってこなくなった。
学校や警察に呼び出されることはなくなった、仕事に専念できるようになった、ご飯も二人ぶん造る必要がなくなった、一人になった。
あのとき、あたしは何をした。日が経つにつれて不安と寂しさ、後悔の念を募らせていただけじゃないか。キキ君がいなかったら、あの子は帰って来なかった。もし、今回も家出をしていたら、キキ君も行方不明だし、あの子は帰って来ないかもしれない――
◆
夏休み明けの登校日。なんとなく朝のニュースを見ていた黒髪おさげの女の子は、驚愕のニュースを目の当たりにした。
『神隠しか! 鏡乃神社に謎の魔法陣。消えた二人の少年!!』
キキとトビが行方不明になった事件を、地元のニュース番組が面白おかしく取り上げていた。
食パンにジャムを塗っていた女の子の手はぴたりと動きを止め、縁取りの赤い眼鏡の後ろでは日本人特有の黒目が見開かれていた。
「ん? この二人……確か、秋穂が良く話題に出すクラスメイトの子じゃなかったか?」
女の子、志津秋穂の父はコーヒーを手にテレビを見ながらテーブルにつく。
「行方不明なのか……大きな事件に巻き込まれてないといいな」
父の声も、コーヒーをすする音も秋穂には届かない。
ただただ、彼女は驚きに静止している。
「秋穂、秋穂!」
「っ、な、なに? お父さん」
「クラスの子が行方不明になって心配なのは分かるが、そうやって固まっていると学校に遅刻するぞ」
「う、うん。ごめんなさい」
無理に笑みをつくって食パンにジャムを塗る作業を再開。
喜衛君と金子君が行方不明……違うよね、いつもみたいに、何か面白いことを見つけて二人で遊んでいるだけだよね。そうだよ、だって、喜衛君と金子くんだもの。
強引に不安を押し殺し、彼女は朝食を済ませると身支度を済ませて家を出た。
電車とバスを使い、自身の通う公立高校に到着。電車、バスの車内にいた同校の生徒は、たびたびキキとトビのニュースを話題にだしていた。同じ高校、それも学内では知らない者がいないほどの有名人がテレビのニュースに取り上げられていたため、注目している生徒は多い。
学校の渡り廊下を歩きつつ、好き勝手な想像を口にする生徒の話しを聞いてしまった秋穂は、無駄に不安を掻きたてられていた。どこか、校内の喧騒が遠くに聞こえる。
自身のクラス、3-1の教室前に着くと彼女は違和を感じた。
騒がしくない。
いつもと比べて静かだ、他のクラス程度の賑やかさしかない。
がらりと戸をスライドさせて開く。
賑やかだ、他のクラス程度に。
彼女の目に、今のクラスは寂しく映る。彼女にとって、3-1のクラスは別世界だ。
ひとたび扉を開くと賑々しさが溢れだし、クラス中がキキとトビを中心に騒ぎ立てている。一学期の終業式の日は、扉を開くと水風船が飛んできた。
そのことを思いだすも、秋穂はくすりとも笑えなかった。寂しさと共に、二人の安否が気になって仕方がない。
自身の席に着き、秋穂はキキの机に目を向ける。そこには誰もいない。
キキだって人間だ、学校を休むことはあった。けれども今回は事情が違う、休みではなく来れない。そのことを意識してしまうと、彼女の胸をちくりと痛みが襲う。
大丈夫かな、このまま会えないってことは無いよね。私はまだ、恩返しをしていないのに……――