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「異世界の物語……ですか」
オルタは、目の前に座る知恵者が、キキとトビに楽しんでもらうために本を持ってきたとは思えなかった。ましてや、異世界を舞台にした物語となれば、なおのことだ。
「もしかして、アインデル翁は物語の舞台となった異世界が、キキとトビ君の世界だとお考えなのですか?」
「可能性は有ると考えておる。この物語の冒頭はな、『これは、私の実体験だ』という主人公の語りから始まるのじゃ」
「なるほど。ただの売り文句ではなく、本当に作者が経験した話しだとお考えなのですね?」
アインデルはゆっくりとうなずいた。
「作中には個性的な名前の人物や道具が数多く登場する。例えば、ゴンゾウ・カネコ、ジュウ、ゼロセンなどじゃ」
「確かに個性的ですね。例に挙がったものがなんなのか、まるで想像がつきません」
個性的すぎる。想像すらできない名称というのはいかがなものかとオルタは思う。
ただ、それだけで作者が異世界に行ったとは断定できない、しかし彼は、作者が異世界に行ってきたのではないかと感じていた。
「なんにせよ、小童らに読んでもらいたいものじゃ。もしも作者が異世界に行ったのであれば、この本がきゃつらの役に立つやもせぬ」
「そうですね。ところで、彼らが帰ってくるまでこの本を読んでいてもよろしいでしょうか?」
「それはかまわぬが、政務をしなくてもよいのか?」
「それは……後でどうにかします」
「ふむ。よほどこの本が気になるようじゃな」
「まだまだ私も若いということですよ」
言ってオルタは子供のように笑った。後々、政務で無理をすると分かっていても、どうにも、好奇心には勝てなかったらしい。
◆
「まさか、こんなにも早く再開するなんて思ってもみなかったよ」
「同感だ」
ずきずきと痛む頭を触りつつ、俺はぎろりとトビを睨んだ。
「そんな怒るなって、ちょっと鉄球が当たっただけじゃん」
「ちょっとだと? ふつう死ぬぞ」
「いや、ほんとだよ。だというのにコブだけなのだから奇跡だよ」
異世界の人間というのは、身体が丈夫なんだな。うんうん、と勝手にうなずいているおっさん。単に飛んできた鉄球に勢いがなかっただけだ。
武器屋で気絶した俺は、トビたちによって医術院に運ばれたらしい。気が付けば頭に包帯が巻かれ、目の前でおっさんが覗き込んでいたので、それはもう驚いたものだ。
「キキさん、大丈夫ですかにゃ……?」
「少し痛むが、大丈夫だ」
心配そうに覗き込んでくるミーニャ。どうやら、このごたごたで悪かった機嫌はふきとんだらしい。不幸中の幸いとは、このことだろう。
「キキが無事で良かった、リーリエ、すごく配したぞ」
「それは悪かったな。ところで、俺はどれくらい寝てたんだ?」
「かれこれ四時間ほどだね」
言われて窓の外に目を向ける。日はすでに沈んでおり、外には黒がかかっていた。
「夜になってたのか」
はあ、などとため息をつく。今日はもう遅い、武器の購入とアインデルの話しは明日にしたほうがよさそうだ。
「キキさん、今日はもう帰りませんか?」
「俺もそう思っていたところだ。残念だが、帰ろう」
「それがいい。時間も二十時をまわっているしね」
ああそうか、夜の八時をすぎてるのか。ってちょっと待て。
「いま、時間を言ったか?」
「言ったが、それがどうしたのかい?」
何かおかしなことを言ったのか、と不思議そうにおっさんは訊いてくる。
「いや、なんでもない」
そういえばこの世界の時間の概念はどうなっているのだろうか?
二十時、という単語が出てきたことから、まさかとは思うが……日本と同じってことは……
ふと、いまさらながら木製の掛け時計があることに気が付いた。というか、何で動いてるんだろうな、あれ。
「魔法、いや、魔術ってところか? まあ、なんでもいいか……さて、そろそろ行くかな」
時間の事はオルタにでも聞こう。
「そうだね、それがいいよ。眩暈や吐き気といった症状が出たら、またここに来てくれたまえ。夜中でも大丈夫だからね」
本当に医者の鏡だな、睡眠時間を削ってでも患者が優先か、たいしたものだ。
「分かった、そのときは遠慮せずに頼らせてもらう。また世話になったな、じゃあ、俺たちは帰るよ」
「ああ、気を付けて」
おっさんに別れを告げて医術院を出る。
医術院の外はすでに街灯が灯っており、ぼんやりとした魔術の明かりが大通りを照らしていた。
そのため、朝や昼ほどではないが人が行き来していて、夜独特の雰囲気がでていた。
「夜になると人が居なくなるかと思っていたが、そうでもないんだな」
「夜になると酒場が開きますので、お仕事帰りや呼び込みの人たちで賑やかになりますのにゃ」
「キャバクラとかあんのかな、かな?」
「あっても行かないからな」
「きゃばくら?」
首を傾けて疑問の声をあげるリーリエ。もちろん俺はスルーだ。
雑談をしながら夜の街を歩く俺たち。領主館に向かう道中、すれ違う街の人たちに声をかけられては立ち止まって話しをする。
特にリーリエに声をかける者が多く、そのたびにリーリエは街の人たちと楽しく会話をしていた。リーリエほどではないが、ミーニャも知り合いが多いらしく、たびたび声をかけられていた。
また、呼び込みの女の子がトビに声をかけるものの、「おっぱい触らせてくれよ」と言われてびんたをみまっていた。
三人に比べ、俺は声をかけられることは少ないが、それでも俺と話したい物好きも何人かいた。リーリエとミーニャは別として、俺とトビはゲローブの件で人気があるようだ。
しかし、俺に対する街の人の反応は酷いものがある。
全員がキキ『様』と呼び、やたらと低姿勢で偉大な人物のように接してくる。ふつうの高校生の俺としては、どうにも反応に困ってしまう。
「おや、キキたちじゃないか」
本日七回目となる呼び込みの女の子のびんたが、トビの頬に炸裂したとき、誰かに声をかけられた。
「オルタ!」
走り寄ってオルタに抱き着くリーリエ。俺たちに声をかけてきたのは、オルタときのうのアインデルという老人だった。