第6話 世界が変わっても、畑は待っている
沈黙が、長く続いた。
誰も動けない。
声を出せない。
まるで、世界が一拍、呼吸を忘れたようだった。
その中心で、カイルだけが立っている。
籠を抱えたまま、目の前の巨体を見上げ、
どうしていいのか分からずにいた。
「……いらないなら、戻すが」
そう言って、籠を少し引き寄せる。
竜は、ゆっくりと首を振った。
「いや。
これは、分け与えられるものだ」
言葉の意味は分かる。
だが、重さが分からない。
カイルは一本だけ野菜を取り出し、
恐る恐る、地面に置いた。
「……踏むなよ。傷む」
その瞬間、周囲から息を呑む音が一斉に漏れた。
竜は、宝石に触れるような仕草で、それを咥えた。
決して、噛まない。
立ち上がる。
その動作だけで、空気が揺れた。
「世話人よ」
再び、声が響く。
「我らは、忘れていなかった。
奪わず、育て、分ける者のことを」
カイルは、首を傾げた。
「……俺は、農民だ」
「それで、十分だ」
竜はそう答え、翼を広げた。
突風が吹き抜け、砂塵が舞う。
誰かが叫び、
誰かが膝をつく。
だが、竜は誰にも目を向けず、
最後に一度だけ、畑の方角を見た。
「いずれ、また」
次の瞬間、白銀の影は空へと消えた。
残された市場は、まるで夢の後だ。
露店は倒れ、
人々は呆然と立ち尽くし、
グラントは、その場に座り込んでいた。
「……いまの、見たか?」
「ドラゴンが……頭を……」
「……あの農民に?」
ざわめきが、遅れて押し寄せる。
カイルは、その中心から一歩離れ、
倒れた籠を拾い上げた。
中身を確かめる。
数は減ったが、まだ十分ある。
「……売り物、続けるか」
誰も答えない。
遠くで、角笛の音が鳴り始めた。
騎士団だ。
カイルは空を見上げ、
それから、畑のある方向を見た。
「……遅くなるな」
畑が、待っている。
それだけは、確かだった。




