第23話 整える、という行為
エルドが畑に入ったのは、昼前だった。
靴は脱いだまま。
歩幅は小さく、
畝を跨がず、
踏み跡を残さないように。
「触れません」
それが、最初の宣言だった。
「測りません。
誘導もしません」
見張りと書記官に向けた言葉だが、
同時に、畑へ向けた誓いのようでもあった。
カイルは、少し離れた場所でそれを見ている。
「……やるなら、静かにやれ」
「ええ」
エルドは頷いた。
「畑の“流れ”だけを見ます」
彼は畝の端に膝をつき、
両手を地面すれすれにかざした。
魔力は使わない。
詠唱もしない。
ただ、長年の経験で培った
“癖”のような感覚。
「……水が、滞っています」
小さな声だった。
「ここだけ、
逃げ場がない」
彼は、土を掘らない。
代わりに、
表層の落ち葉を一枚、
そっと動かした。
それだけで、
空気の流れが、
わずかに変わる。
カイルは、眉をひそめた。
「それは……」
「整えているだけです」
エルドは、穏やかに答える。
「畑が動きやすいように」
彼は、もう一か所、
同じことをした。
土に触れない。
根に触れない。
人の技術としては、
限界まで抑制された介入。
「……どうだ」
書記官が、
期待と不安の入り混じった声を出す。
畑は――
一瞬、応えた。
風が、
畝の間を通り抜ける。
芽が、
ほんのわずか、
背を伸ばす。
「……いける」
誰かが、そう呟いた。
エルドも、
確かに手応えを感じていた。
「……はい。
今なら、まだ」
その“まだ”が、
境界線だった。
カイルは、
ゆっくりと首を振った。
「……深いところは?」
エルドは、言葉を選んだ。
「触っていません。
ですが――」
少しだけ、視線を伏せる。
「深いところは、
こちらを見ていない」
その瞬間。
畑の空気が、
変わった。
音が、消える。
風が、止まる。
さっきまで立っていた芽が、
不自然なほど、静止する。
「……あ?」
エルドが、息を呑む。
彼は、何もしていない。
だが――
“整えた”
それだけで、
十分だった。
「……しまった」
彼は、初めて、
そう呟いた。
畑は、怒っていない。
拒絶してもいない。
ただ、
関与を終えた。
深い場所へ、
完全に、
退いた。
カイルは、
畑を見つめたまま、
低く言った。
「……これ以上は、
来ない」
エルドは、
膝をついたまま、
動けなかった。
自分が、
一番やってはいけないことを
したと――
理解していたからだ。




