第2話 市場に流れる、見えないざわめき
辺境の市場は、朝が早い。
石畳の広場に露店が並び、人の声が重なり始める頃、カイルも籠を下ろした。
いつもの場所だ。
陽当たりがよく、だが人通りは多くない。
声を張らず、値を釣り上げず、必要な分だけ売る。それが彼のやり方だった。
「野菜だよ。今朝採れたばかりだ」
控えめな呼び声。
最初に足を止めたのは、顔なじみの商人だった。
「……お、今年も出来がいいな」
そう言って覗き込んだ瞬間、商人は言葉を切った。
一瞬、鼻をひくりと動かす。
「……匂い、こんなだったか?」
「? 土の匂いだろ」
「そう、なんだが……」
商人は首を傾げつつも、一本手に取った。
値段を聞き、少しだけ悩んでから買っていく。
それを皮切りに、人が集まり始めた。
露骨に賑わうわけじゃない。
ただ、通り過ぎるはずの人間が、なぜか足を止める。
農婦が立ち止まり、
冒険者が一瞬だけ眉をひそめ、
子どもが引き寄せられるように近づいてくる。
「おじちゃん、これなに?」
「野菜だ」
「いいにおい」
「そうか?」
カイルには分からなかった。
いつもと同じだ。土も、水も、世話の仕方も。
だが、空気が少しだけ違う。
市場の喧騒の中に、見えない流れができている。
「へぇ……」
不意に、鼻で笑う声がした。
顔を上げると、役所勤めの若い男――グラントが立っていた。
書類筒を抱え、露店を見下ろすように覗き込んでいる。
「相変わらず地味だな。辺境の野菜は」
「そうか?」
「そうだ。規格も揃ってないし、色も濃すぎる。
王都じゃ値はつかない」
周囲の人間が、気まずそうに視線を逸らす。
カイルは肩をすくめた。
「ここで売れればいい」
「……まあ、農民ならそれで満足か」
グラントは値段を告げる。
明らかに安い。
カイルは一瞬だけ考え、それから頷いた。
「いい」
「即答か。交渉もできないのか?」
「必要な分は足りてる」
それ以上、言うことはなかった。
グラントが去ったあとも、人は散らない。
むしろ、増えている気がした。
誰かが言った。
「……なんか、落ち着くな」
別の誰かが、無意識に一歩距離を取る。
冒険者の一人が、剣の柄に手をかけてから、首を振った。
「……いや、気のせいか」
その瞬間だった。
市場の喧騒が、ふっと薄れる。
風が止んだ。
布が揺れず、声が伸びない。
空気が、重い。
誰かが空を見上げる。
遅れて、低い唸り声が、遠くで響いた。
カイルは、まだ知らない。
それが、この市場に向けられたものだということを。




