第18話 取り返しのつかない距離
弾かれた足を、農学官はゆっくりと引いた。
転ぶほどではない。
怪我もない。
だが――
確かに、拒まれた。
「……魔法ではない」
農学官は、測定具を見下ろし、低く呟く。
「防壁反応、なし。
干渉魔力、検出されず」
書記官が、喉を鳴らした。
「では、今のは……?」
「現象だ」
農学官は言い切った。
「数値の外側で起きている」
それは、学者としての敗北宣言に近かった。
騎士が、カイルを見る。
「君が、何かしたのか」
「してない」
即答だった。
「むしろ、
止めようとした」
騎士は、黙って縄を見る。
畑の内側。
芽のない一帯が、はっきりと広がっている。
数歩分。
人が立っても気づくほどの変化。
「……収量が落ちる」
書記官が、現実的な言葉を口にした。
「このままでは、
“成功例”にならない」
農学官は、唇を噛む。
「引き下がるべきだ」
その一言に、全員が視線を向けた。
「これ以上触れれば、
畑そのものが、
こちらを拒否する」
沈黙。
だが、その沈黙を破ったのは――
外からの声だった。
「引き下がる?
それは、責任放棄では?」
新たに現れた男。
領主館の使者だ。
柔らかな笑み。
だが、目は冷たい。
「管理下に置くと決めた以上、
結果を出さねばなりません」
農学官が反論する。
「これ以上は逆効果です」
「それは、“やり方”の問題でしょう」
使者は、視線を畑に向ける。
「ならば、
もっと確実な方法を」
その言葉に、
カイルは、ゆっくりと振り返った。
「……それ以上は」
声は低い。
「奪うことになる」
使者は、肩をすくめた。
「奪う?
保護ですよ」
言葉のすれ違い。
決定的な溝。
その瞬間。
畑の一角で、
芽が――枯れた。
音もなく、
理由もなく。
昨日まで確かにあった命が、
静かに、色を失う。
誰も動けなかった。
農学官が、震える声で言う。
「……戻らない」
カイルは、畑を見つめたまま、
短く答えた。
「戻らせたくないんだ」
「……誰が?」
その問いに、
カイルは答えなかった。
答えは、
全員の足元にあったからだ。
線を引き、
測り、
管理し、
正しいことだけを積み重ねた結果。
畑は、
それ以上、
応える必要がなくなった。
夕暮れが、畑を包む。
静かで、
冷たい沈黙。
そして誰もが悟る。
――もう、
元の場所には戻れない、と。




