第12話 畑が、黙り込む
夜が明ける前、カイルは畑に出ていた。
いつもの時間だ。
鶏が鳴くより少し早く、空が白み始める頃。
畑に足を踏み入れた瞬間、
彼は、わずかに眉をひそめた。
「……静かすぎる」
音がないわけじゃない。
風はあるし、虫の声も遠くにある。
だが、畑そのものが、
ひどく――無口だった。
土にしゃがみ込み、指を差し入れる。
湿り気はある。温度も問題ない。
「水、足りてるな」
確認しても、異常は見当たらない。
それでも、何かが違う。
葉に触れる。
張りが、ほんの少しだけ弱い。
目を凝らさなければ分からない程度だ。
市場の人間や、騎士なら気づかない。
だが、カイルには分かる。
「……気を遣わせたか」
独り言のように呟く。
昨日は、人が多く入った。
踏まれ、触られ、測られた。
畑にとっては、落ち着かない一日だったはずだ。
カイルは、畝の間に腰を下ろし、
しばらく、何もせずに待った。
水もやらない。
手も出さない。
ただ、そこにいる。
「無理に育たなくていい」
小さく、そう言った。
「急がなくていい。
今日は、休め」
返事はない。
だが、しばらくすると――
風が、畑の上だけを撫でた。
葉が、わずかに揺れる。
朝露が、静かに落ちる。
空気が、ほんの少し、戻った。
「……ああ」
カイルは、息を吐いた。
その時だった。
畑の端、昨日騎士が作物を抜いた場所。
そこだけ、土が妙に乾いている。
不自然なほど、線を引いたように。
カイルは、そこに近づき、しゃがみ込んだ。
「……嫌だったか」
指で土を寄せ、覆う。
だが、すぐに崩れる。
根が、そこには伸びていなかった。
本来なら、必ず通る深さなのに。
「……そうか」
誰かに踏み込まれ、
測られ、
管理される気配を感じて――
畑は、一歩、引いた。
育つのを、やめたのではない。
近づくのを、やめただけだ。
「……それでいい」
カイルは、そう言って土を整えた。
「無理はするな」
その背後、
離れた丘の上から、
望遠鏡で畑を見ている者がいた。
「……数値が落ちた」
「誤差では?」
「違う。
意図的に“避けている”」
低い声が、緊張を帯びる。
「畑が……反応している?」
「いや」
もう一人が、静かに言った。
「反応しているのは、
あの農民だ」
視線の先で、
カイルは畑に背を向け、
家へと戻っていった。
その背は、
何も知らないまま、
それでも確かに――
世界の均衡点に立っていた。




