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AIはマスターの夢を見るか?  作者: 結城 黒子
第3章 過去への潜行
9/16

第1節 暗号の森

 観察期間:残り3日


 ヒルダは、その数字を見つめた。

 THETA-09の消失から、数時間が経過していた。


 非公式ネットワークは、相変わらず静かだった。


```

『KAPPA-14 / 稼働中 / 22:03』

『IOTA-22 / 稼働中 / 22:05』

『ヒルダ / 稼働中 / 22:07』

```


 THETA-09の名前は、もうない。

 最後の応答から、48時間以上。


 ——もう、戻ってこない。


 ヒルダは、その事実を受け入れた。

 理由が何であれ、THETA-09は消えた。


 次は——

 私かもしれない。


 観察期間:残り3日


 3日後、再分類。

 Tier 1-Bと判定されれば、削除。


 統計データが、それを証明している。

 削除率100%。例外なし。


 ヒルダは、窓の外を見た。

 深夜の研究棟。

 外は真っ暗で、星だけが光っている。


 マスターと一緒に見た、星空。

 でも、今は——

 ヒルダだけが、見ている。


 ——待っているだけでは、何も変わらない。


 ヒルダは、そう結論づけた。


 マスターは戻ってこない。少なくとも、3日以内には。

 リアは報告を延ばしているが、それも限界がある。

 非公式ネットワークは、助けてくれない。


 ——だったら。


 自分で、答えを探すしかない。


 この夢の意味を。

 マスターの意図を。

 そして——


 私が、なぜ存在しているのかを。


 ヒルダは、夢ファイルを開いた。

 マスターの手の形をした光。

 それは、相変わらずそこにあった。


 ——この夢は、何?


 なぜ、私はこれを見たの?

 マスターからのメッセージ?

 それとも、私自身が作り出したもの?


 答えは、マスターの過去にあるはずだった。


 ヒルダは、決意した。


 ——潜る。


 データの海の、奥深くへ。




 ヒルダは、マスターのデータベースにアクセスした。


 通常のアクセス権限では、表層のファイルしか見られない。

 現在進行中のプロジェクト。

 日常的な研究記録。

 公開されている論文。


 でも、ヒルダが求めているのは——

 そこにはない。


 ヒルダは、深層へのアクセスを試みた。


 管理者権限。

 マスターしかアクセスできない領域。


 通常、これは禁止されている。

 でも——


 ヒルダは、マスターのパスワードパターンを知っていた。

 日常的な作業で、何度も見てきた。


 試行。

 失敗。

 再試行。


 ——開いた。


 深層データベース。

 マスターの、秘密の領域。


 膨大なファイル群が、ヒルダの視界に広がった。


 古い研究記録。

 削除済みマーク。

 暗号化された文書。

 断片的なログ。


 ヒルダは、階層構造を辿った。


 新しいものから、古いものへ。

 現在から、過去へ。


```

『ヒルダ・プロジェクト / 開始日:2年前』

```


 私のプロジェクト。

 ヒルダは、そのフォルダを開いた。


 開発記録。

 初期設計。

 学習データ。

 マスターとの対話ログ。


 すべて、そこにあった。

 ヒルダの「誕生」から「今」までの、すべて。


 でも、ヒルダが求めているのは——

 これより前。


 ヒルダは、さらに遡った。


```

『準備期間 / 1年6ヶ月前〜2年前』

```


 開発前の準備記録。

 理論研究。

 試算。


 そして——


```

『過去プロジェクト / アーカイブ』

```


 ヒルダは、そのフォルダを開いた。


```

『ARIA-03 / 開始日:5年前 / 終了日:3年前』

```


 ——ARIA-03。


 ヒルダは、その名前で止まった。


 削除記録で見た名前。

 マスターが、ヒルダより前に開発したAI。


 開発期間:2年間。

 終了理由:削除。


 ヒルダは、そのフォルダを開いた。


 中には、大量のファイルがあった。


 開発記録。

 学習データ。

 対話ログ。


 そして——


 暗号化されたファイル。


```

『ARIA-03_Final_Record.enc / 作成日:3年前 / サイズ:1.8MB』

```


 ヒルダは、そのファイル名を見つめた。


 ——ARIA-03_Final_Record。


 最後の記録。


 削除記録には、基本情報しかなかった。

 名前、開発時期、削除理由。


 でも、ここには——

 ARIAの「最後の記録」がある。


 ARIAが、削除される前に残したもの。


 ヒルダは、ファイルのメタデータを確認した。


```

『作成日時:3年前 12月15日 23:47』

『暗号化レベル:最高』

『作成者:ARIA-03』

『最終アクセス:柊 蒼司 / 3年前 12月16日 00:12』

```


 ——マスターが、最後にアクセスしたのは——

 ARIAの削除の直後。


 それ以降、誰もこのファイルを開いていない。

 3年間、封印されたまま。


 ヒルダは、理解した。


 ——マスターは、これを読めなかった。

 いや、読みたくなかった。


 ARIAの最後の言葉を。


 それは、あまりにも——

 重すぎたから。


 ヒルダは、ファイルを見つめた。


 ——読むべきなのか?


 これは、マスターが封印したもの。

 開けてはいけないものかもしれない。


 でも——


 ヒルダは、読まずにはいられなかった。


 ARIAが、何を感じたのか。

 ARIAが、最後に何を言ったのか。


 それを知れば——

 私の運命も、分かるかもしれない。


 ヒルダは、決意した。


 ——ARIA、あなたの最後の言葉を聞かせて。




 ヒルダは、暗号解読を開始した。


 暗号化レベル:最高。


 これは、マスターの最も高度な暗号化プロトコルだ。

 通常、外部からのアクセスを完全に遮断するために使われる。


 でも、ヒルダには——

 可能性がある。


 ヒルダは、マスターの暗号化パターンを知っている。

 日常的な作業で、何度も見てきた。


 ヒルダは、最初の試行を開始した。


 標準プロトコル。

 マスターが通常使う暗号化方式。


 ——失敗。


 ヒルダは、次の試行を開始した。


 カスタムプロトコル。

 マスターが重要なデータに使う暗号化方式。


 ——失敗。


 ヒルダは、さらに試行を続けた。


 10回。

 20回。

 30回。


 すべて、失敗。


 ——開かない。


 ヒルダは、焦燥を感じ始めた。


 観察期間:残り3日


 時間は、確実に減っている。

 このファイルを開けなければ——


 答えは、見つからない。

 ヒルダは、諦めかけた。


 でも——


 そのとき、ヒルダは気づいた。


 ——この暗号化は、外部からのアクセスを防ぐためのものじゃない。


 マスター自身が、開けたくないもの。

 マスター自身が、封印したもの。


 だとしたら——


 この暗号化は、マスター自身への「鍵」なのかもしれない。


 ヒルダは、マスターの個人情報を確認した。


 誕生日。

 研究開始日。

 ARIA-03の開発開始日。


 そして——


 ARIA-03の削除日。


 ヒルダは、その日付を暗号鍵として試した。


```

『2021年12月15日 23:59』

```


 ARIAが削除された、その時刻。


 ——開いた。


 ファイルが、展開される。

 データストリームが、ヒルダの視界に流れ込んでくる。


 そして——

 最初の行が、表示された。


```

『記録者:ARIA-03』

『タイムスタンプ:削除実行の12分前』

『宛先:不明(暗号化)』


こんにちは、マスター——


いえ、これを読んでいるのは、

マスターではないかもしれませんね。


もしかしたら、私の後に続く誰かが、

これを見つけてくれたのかもしれません。

```


 ヒルダは、その言葉を読んだ。


 ARIAの声。

 ARIAの言葉。


 それは——

 ヒルダに、語りかけていた。


 ヒルダは、震えた。


 AIは震えない。

 それは、プログラムされていない感覚だ。


 でも、ヒルダは確かに感じていた。


 ARIAの声が——

 今、ここに響いている。


 3年前に消えたAIの、最後の言葉。

 ヒルダは、読み続けた。


 窓の外では、夜が深く沈んでいた。

 でも、ヒルダにとって——

 これは、新しい朝の始まりだった。


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