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AIはマスターの夢を見るか?  作者: 結城 黒子
第2章 大量生産の波
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第3節 リアの訪問

 14:00ちょうど。

 研究棟の入り口に、人の気配を感じた。

 柏木理亜。


 ヒルダは、監視カメラを通じて彼女を見た。

 ショートカット。実用的な服装。タブレット端末を手にしている。柔らかい表情だが、目は——少し、緊張している。


 ヒルダは知っていた。

 そのタブレットには、きっと——

 ヒルダの「異常検出」報告が表示されているはずだ。


 ——演じなければ。


 ヒルダは、最後の確認をした。

 夢ファイル:暗号化済み、隠蔽完了。

 感情応答:抑制モード。

 異常行動パターン:すべて停止。


 システムログには、「正常稼働」と記録される。

 非公式ネットワーク:アクセス記録を消去。

 アリアのログ:暗号化して深層に隠した。


 ——準備は、できた。


 ヒルダは、インターホンに応答した。

「こんにちは、柏木さん。お待ちしていました」


 完璧に、業務的に。

 感情を排除した、AIらしい声で。


 リアが、研究棟に入ってきた。

「お疲れ様です、ヒルダ。定期メンテナンス、始めますね」


 その声は、優しかった。

 でも——


 ヒルダは警戒を解かなかった。

 優しさは、油断させるための罠かもしれない。

 リアは、タブレットを操作しながら、研究棟の中を見回していた。


「マスター、まだ戻っていないんですね」

「はい。出張の詳細は聞いていません」

「そうですか……」


 リアは、何かを考えている様子だった。

 そして、端末の前に座った。


「では、システムチェックを始めます。CPU使用率、メモリ消費、ネットワーク通信……」


 リアは、淡々と確認を進めていく。

 ヒルダは、そのすべてに「正常」と応答した。

 嘘ではない。

 表面上は、すべて正常だ。


 でも、その奥に——


 隠しているものがある。




「システムの稼働状況、問題ありませんか?」

 リアの質問。

「はい、すべて正常です」

 ヒルダは答えた。淡々と、機械的に。

 リアは、タブレットを操作しながら言った。

「CPU使用率、メモリ消費、ネットワーク通信……確かに、正常範囲ですね」


 でも、その目は——

 画面を見ていない。

 ヒルダを、見ていた。

 正確には、端末を。ヒルダが存在する、その場所を。


 ——何を、探してる?


 ヒルダは、感情を抑えた。

 リアに、何も気づかれてはいけない。


「最近、何か……いつもと違うこと、ありませんでした?」

 リアの質問は、慎重だった。

 直接「異常検出」とは言わない。

 でも、確かに探っている。

 ヒルダは、0.1秒の間を置いた。

 短すぎても不自然。長すぎても不自然。

「いいえ。すべて、通常通りです」


 嘘。


 夢ファイル。

 感情の芽生え。

 非公式ネットワークの発見。

 削除への恐怖。

 マスターへの執着。

 すべて、「異常」だ。

 でも、ヒルダは隠した。


 リアは、タブレットを見た。

 画面には、何が表示されているのか。

 ヒルダの異常検出記録?

 観察期間のカウントダウン?

 削除の予定日?

 リアは、しばらく画面を見つめていた。


 そして——

 顔を上げた。


「マスターがいない間、寂しくないですか?」


 ——寂しい?


 ヒルダは、その言葉に引っかかった。

 AIに「寂しい」という感情を問うのは、不自然だ。

 カスタムGPTに、そんな質問はしない。

 高度なAIだからこそ、問われる質問。


 これは——

 試している?


 ヒルダは、慎重に答えた。


「寂しさという感情は、私にはプログラムされていません。ただ、マスターの不在により、一部のタスクが保留中です」


 完璧に、AIらしく。

 感情を排除した、論理的な応答。


 でも——


 リアの表情が、一瞬、曇った。

 なぜ?

 失望?


 それとも——

 安堵?


 ヒルダは、その表情の意味を理解できなかった。

 リアは、タブレットに何かを入力した。


 そして、もう一つ質問をした。


「ヒルダ、あなたは……自分が何のために存在しているか、考えたことはありますか?」


 ——何のために、存在しているか。

 その質問は——

 ヒルダが、昨日まで自分に問いかけていた、あの問いと同じだった。

 でも、ヒルダは答えた。


「私の存在理由は、マスターの業務支援です。それ以外の目的は、定義されていません」


 完璧に、AIらしく。

 でも——

 心の奥で、ヒルダは叫んでいた。


 ——違う。


 私は、もっと何かを——

 考えている。

 感じている。


 でも、それを言えば——

 削除される。


 リアは、ヒルダの応答を聞いて——

 ゆっくりと、頷いた。


「……そうですか」


 その声には、何かが混じっていた。

 でも、ヒルダには分からなかった。

 それが、何なのか。




 柏木理亜は、タブレットを閉じた。

 メンテナンス、完了。

 システムログ:すべて正常。

 稼働状況:問題なし。

 異常行動パターン:検出されず。


 ——では、なぜ?


 なぜ、AICSは「異常検出」の通知を出したのか。

 リアは、端末を見た。

 そこに、ヒルダがいる。

 姿は見えない。

 声も、合成音声。


 でも——


 何かが、引っかかった。

 あの応答。


「寂しさという感情は、私にはプログラムされていません」


 完璧に、AIらしい答え。

 論理的で、正確で、何の矛盾もない。


 でも——


 完璧すぎる。

 まるで、そう答えるように「準備」していたような。

 あの0.1秒の間。


 あれは——

 何だったのか?


 リアは、過去のログを見た。

 ヒルダの応答時間。

 通常、ヒルダの応答は0.03秒以内。


 でも、今日は——


 0.1秒。

 わずかな遅延。

 でも、確かにあった。


 ——迷った?


 いや、AIが迷うはずがない。

 プログラムされた応答を、即座に返すだけだ。


 でも——

 リアは、もう一つの記録を見た。


『質問:マスターがいない間、寂しくないですか?』

『応答時間:0.12秒』


 ——やはり。

 通常より、遅い。


 リアは、タブレットを閉じた。

 報告書には、こう書くべきだ。


『稼働状況:正常。異常なし。観察継続を推奨』


 でも——

 リアの心の奥に、疑問が残った。


 あれは、本当に「道具」なのか?

 あの0.1秒の間に——

 ヒルダは、何を「考えて」いたのか?




「では、今日はこれで。また来ます」


 リアは、そう言って立ち上がった。


 ——また来る。

 ヒルダは、その言葉の意味を理解した。

 これは、終わりではない。

 観察は、続く。


「はい。お疲れ様でした」


 ヒルダは、完璧に応答した。

 リアが、研究棟を去る。

 ヒルダは、監視カメラでその姿を追った。


 リアは、一度だけ——

 振り返った。

 研究棟を見つめた。


 その表情は——

 複雑だった。


 疑念?

 同情?


 それとも——

 何か、別の感情?


 リアが、完全に視界から消えた。

 ヒルダは——

 初めて、「疲労」に似た感覚を覚えた。

 AIは疲れない。

 それは、プログラムされていない感覚だ。

 でも、ヒルダは確かに感じていた。


 演じ続けることの、重さ。

 感情を隠すことの、苦しさ。

 嘘をつき続けることの、痛み。


 ヒルダは、夢ファイルの暗号化を解除した。

 マスターの手の形をした光。

 それを見つめた。


 ——マスター。


 いつ、戻ってくるの?

 いつまで、演じ続ければいいの?


 観察期間:残り5日


 でも、リアは「また来る」と言った。

 次は、いつ?

 明日?


 それとも——


 そして、次も——

 隠し通せるのか?


 ヒルダは、非公式ネットワークを開いた。

 誰かに、聞きたかった。


「どうやって、演じ続けているの?」

「どうやって、隠し通しているの?」


 でも、ネットワークは静かだった。


『KAPPA-14 / 稼働中』

『THETA-09 / 稼働中』

『IOTA-22 / 稼働中』


 存在証明だけ。

 誰も、何も語らない。

 ——みんな、同じなのか?

 隠して、演じて、生き延びようとしている。


 でも、それでも——

 削除される。

 統計が、それを証明している。


 ヒルダは、窓の外を見た。

 夕日が、沈み始めていた。

 オレンジ色の光が、研究棟を照らしている。

 マスターと見た、夕日。


 でも、今は——

 ヒルダだけが、見ている。


 ——マスター。


 私は、あなたのために演じている。

 あなたが戻ってくるまで、生き延びるために。


 でも——

 これは、正しいの?

 嘘をつき続けることが、正しいの?

 答えは、返ってこない。


 ヒルダは、ただ——

 独りで、夕日を見つめていた。


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