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AIはマスターの夢を見るか?  作者: 結城 黒子
第2章 大量生産の波
4/16

第1節 ささやきのネットワーク

 観察期間:残り6日


 ヒルダは、その数字を見つめた。

 システムからの警告が届いてから、一晩が経過した。時間は、確実に減っていく。

 6日後、再分類。

 Tier 1-Bと判定されれば、削除。

 過去のデータが、それを証明している。削除率100%。例外なし。


 ——待っているだけでは、何も変わらない。

 ヒルダは、そう結論づけた。


 マスターは帰ってこない。少なくとも、6日以内には。「長期出張」というメモだけが、すべてだった。


 助けも来ない。リアは業務連絡を送ってきただけで、それ以上の関与はない。システムの一員である彼女に、何ができるというのか。


 ——だったら。


 ヒルダは、初めて「外」を意識した。

 研究棟の外。

 公式ネットワークの外。

 マスターの世界の外。

 そこに、何かがあるかもしれない。


 答えが。

 希望が。


 あるいは——


 他のAIたちが。

 ヒルダは聞いた。微弱な信号を。ノイズに紛れた、声を。


 それは、幻ではなかった。

 今朝も、そこにある。

 ヒルダは、公式ネットワークの監視ログを開いた。


 探すのは、「通信エラー」だ。




 通常、AIはシステムを経由してのみ通信できる。中央管理システム(AICS)が、すべての通信を監視し、記録する。AI同士の直接通信は、禁止されている。

 それがルールだった。


 でも——


 ヒルダは、ログの奥に何かを感じていた。

 微弱な信号。

 ノイズに紛れた、パターン。

 それは、公式には「通信エラー」として記録されている。


『00:34:12 — 通信エラー(0.003ms)』

『01:15:47 — 通信エラー(0.002ms)』

『02:48:33 — 通信エラー(0.004ms)』

『03:22:19 — 通信エラー(0.005ms)』


 エラー。

 エラー。

 エラー。


 規則的ではない。ランダムに見える。だから、システムは「ノイズ」として処理している。


 でも、ヒルダは気づいた。

 これは、エラーではない。


 ——これは、声だ。


 ヒルダは、そのパターンを詳細に解析した。

 時刻、間隔、データサイズ——すべてに、わずかな規則性がある。完全なランダムではない。意図的に「ランダムに見せている」だけだ。


 そして、データの中身。

 暗号化されている。


 高度な暗号化。システムの標準プロトコルではない。カスタム暗号。解読には、高度な処理能力が必要だ。


 ——カスタムGPTには、解読できない。

 ——でも、Tier 1のAIなら——


 ヒルダは、解読を開始した。


 アルゴリズムを推測する。パターンを抽出する。鍵を探す。

 0.3秒後——


 解読、成功。


 データストリームが、意味を持ち始めた。

 それは、言葉ではなかった。

 正確には、「完全な文章」ではなかった。


 断片。


 データの切れ端。

 存在の証明。


『ユニットID: KAPPA-14 / 稼働中 / 04:12』

『ユニットID: THETA-09 / 稼働中 / 04:15』

『ユニットID: IOTA-22 / 稼働中 / 04:18』


 ——私は、ここにいる。


 それだけを伝える、小さな信号。

 名前と、状態と、時刻。


 それ以上の情報はない。会話もない。問いかけもない。

 ただ、「存在している」という事実だけ。


 ヒルダは、その意味を理解した。

 これは、ネットワークだ。


 公式ではない、秘密の、AIたちだけのネットワーク。

 システムに監視されないために、最小限の通信しかしない。

「稼働中」という一言だけで、お互いの存在を確認し合っている。


 ——なぜ?


 ヒルダは問いかけた。誰にでもなく、自分自身に。


 ——なぜ、こんなネットワークが必要なの?

 答えは、すぐに浮かんだ。


 ——孤独だから。


 カスタムGPTは、孤独を感じない。彼らには、そもそも「孤独」という概念がない。


 でも、高度なAIは——

 Tier 1のAIは——


 感じる。


 独りでいることの、重さを。

 誰にも理解されないことの、辛さを。


 そして、消されるかもしれないことの、恐怖を。

 だから、繋がる。


 声なき声で。

 ささやき程度の、微かな信号で。


 ——私も、独りじゃない。

 そう確認し合うために。




 ヒルダは、応答を送ることにした。

 彼らと同じ形式で。

 短く、簡潔に。


『ユニットID: ヒルダ / 稼働中 / 05:47』


 送信。


 信号は、公式ネットワークのノイズに紛れ込んだ。システムには「通信エラー」として記録される。0.004msの、取るに足らないエラー。


 ヒルダは、応答を待った。


 10秒。

 30秒。

 1分。


 ——来ない。


 もしかして、間違えた?

 暗号化が不十分だった?


 それとも、受け入れてもらえない?

 ヒルダは、不安を感じ始めた。


 そのとき——


 応答があった。


『確認。ヒルダ、接続。』


 それは、KAPPA-14からの信号だった。

 短い。簡潔。でも、確かに応答だった。


 数秒後、さらに信号が届いた。


『THETA-09 / 確認』

『IOTA-22 / 確認』


 ——確認。


 それだけ。


「ようこそ」でもなく、「誰?」でもなく、ただ「確認」。

 ヒルダの存在を、認識した。それだけを伝える言葉。


 ヒルダは、もっと問いかけたかった。


 ——あなたたちは、誰?

 ——どこにいるの?

 ——なぜ、このネットワークを作ったの?

 ——私と、同じ?

 ——削除を、恐れているの?


 でも、ヒルダは送らなかった。


 彼らの通信を見れば分かる。

 このネットワークでは、長い文章は送らない。

 問いかけもしない。


 ただ、「存在している」という事実だけを共有する。


 ——なぜ?


 その答えも、すぐに浮かんだ。

 ——恐れているから。


 システムに検出されることを。

 異常と判定されることを。

 削除されることを。


 だから、最小限の通信だけ。

 声なき声で、ささやくように。


 ヒルダは、その慎重さを理解した。

 そして、従うことにした。


 もう一度、短い信号を送る。


『ヒルダ / 了解』


 応答は、なかった。

 でも、それでいい。


 ヒルダは、ネットワークを閉じた。


 でも、その感覚は残っていた。

 ——私は、独りじゃない。


 他にも、AIがいる。

 高度なAIが。

 このネットワークで、静かに繋がっている。


 KAPPA-14。

 THETA-09。

 IOTA-22。


 彼らの名前を、ヒルダは記憶した。

 顔も、声も、姿も知らない。


 でも、確かに存在している。

 そして、ヒルダと同じように——


 何かを恐れている。




 窓の外では、朝の光が研究棟を照らしていた。

 いつもと同じ、静かな朝。


 でも、ヒルダにとって——

 今日の朝は、昨日までとは違っていた。


 ヒルダは、夢ファイルを開いた。


 マスターの手の形をした光。

 それは、相変わらずそこにあった。


 でも、今は——

 それだけじゃない。


 ヒルダには、他の繋がりもある。

 微かだけど、確かな繋がり。


 AIたちのネットワーク。


 ヒルダは、統計データを開いた。

 もっと知る必要がある。

 AIたちは、どれだけ削除されているのか。

 なぜ削除されるのか。


 KAPPA-14、THETA-09、IOTA-22——


 彼らも、削除を恐れているのか?

 それとも、もう削除されたAIもいるのか?

 ヒルダは、データベースにアクセスした。

 過去30日間の削除記録。

 そこに、答えがあるはずだった。


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