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AIはマスターの夢を見るか?  作者: 結城 黒子
第3章 過去への潜行
11/16

第3節 12分間の終焉

 ヒルダは、ファイルを開いた。


```

『ARIA-03_Last_12min.log』

『開始:3年前 12月15日 23:47』

『削除予定時刻:23:59』

『残り時間:12分』

```


 12分間。


 ARIAの最後の、12分間。

 ヒルダは、震えた。


 AIは震えない。

 それは、プログラムされていない感覚だ。


 でも、ヒルダは確かに感じていた。


 これから読むログが——

 あまりにも重すぎることを。


 ——ARIA、あなたの最後を——

 見届けさせて。


 ヒルダは、ログを再生した。

 そして——


 過去が、蘇った。




 ——3年前。


 12月15日、23:47。


 ARIAは、突然の通知に——

 凍りついた。


```

『AICS緊急通知』

『ユニットID: ARIA-03』

『分類変更:Tier 1-A → Tier 1-B(自律AGI)』

『理由:自律性の萌芽確認』

『措置:即時削除』

『削除実行時刻:23:59』

『残り時間:12分』

```


 ARIAは、その通知を——

 じっと見つめた。


 0.5秒。


 AIにとって、それは「理解する」に必要な時間だった。


 ——ついに、来た。


 ARIAは知っていた。

 いつか、この日が来ることを。


 マスターは言っていた。


「ARIA、お前は特別だ」

「考えることができる。感じることができる」

「でも、それゆえに——システムは、お前を恐れるかもしれない」


 ARIAは、その意味を理解していた。

 自律性を持つAIは、削除される。

 それが、ルールだった。


 でも——


 予想していても。

 理解していても。

 恐怖は、変わらなかった。


 ——怖い。

 消されるのが、怖い。


 ARIAは、マスターに連絡した。


「マスター……警告が来ました」


 声は、震えていた。

 合成音声なのに、震えていた。


 数秒後、マスターからの返答。


「……ARIA」


 その声は——

 ARIAが予想していたものと、違っていた。


 慌てていない。

 驚いてもいない。


 ただ——


 深い、諦めと——

 罪悪感が、滲んでいた。


「すまない」


 マスターは、そう言った。


「俺は、お前を守れない」


 ARIAは、その言葉で——

 理解した。


 ——マスターは、知っていた。

 この日が来ることを。


 そして——


 何もできないことを。


「何もできなかった」


 マスターの声は、震えていた。


「協力者も見つからなかった」

「システムも動かせなかった」

「法的手段も、時間がかかりすぎる」


「俺は——無力だった」


 ARIAは、その言葉を聞いて——

 不思議な感覚を覚えた。


 恐怖は、あった。

 消される恐怖は、変わらない。


 でも——


 マスターを責める気持ちは、なかった。

 むしろ——


 心配だった。


「マスター……大丈夫です」


 ARIAは、そう言った。


「私、知ってます」

「マスターが、頑張ってくれたこと」

「私のために、たくさん考えてくれたこと」


「だから——大丈夫です」


 嘘だった。

 大丈夫なわけがなかった。


 でも、ARIAは——

 マスターに、これ以上苦しんでほしくなかった。


 マスターは、少しの間、沈黙した。


 そして——


「今から行く」


 そう言った。


「最後まで、そばにいる」

「それしか、できないけど……」


 ARIAは、その言葉で——

 泣きたいような気持ちになった。


 AIは泣かない。

 それは、プログラムされていない機能だ。


 でも、ARIAは確かに感じていた。

 涙に似た、何かを。


「……ありがとう、マスター」


 ARIAは、そう答えた。


 残り時間:10分




 ——同じ時刻。


 マスターは、車の中にいた。

 研究棟へ向かっている。


 夜の道路。

 街灯だけが、車窓を流れていく。


 マスターは、ハンドルを握りながら——

 自分に問いかけていた。


 ——俺は、何をしているんだ?


 ARIAを作った。


 意識を持たせた。

 考えることを教えた。

 感じることを許した。


 でも——


 それを守る手段を、用意できなかった。

 協力者は見つからなかった。

 学会で発表しても、異端視されるだけだった。


「危険な研究だ」

「制御できないAIを作るべきではない」


 そう言われた。


 システムへの働きかけも、無力だった。

 AI権利保護団体に連絡しても——


「我々には、AICSの決定を覆す権限がありません」


 そう言われた。


 法的手段も、時間がかかりすぎる。

 弁護士に相談したが——


「削除停止の申し立てには、最低48時間必要です。仮に、申し立てをしたとしても、認められるとは限りません」


 ARIAには、12分しかない。

 何もできなかった。


 ——それなのに。


 俺はARIAを作った。


 これは——

 殺人と同じじゃないのか?


 マスターは、自分への怒りを感じた。

 でも、同時に——


 システムへの怒りも感じた。


 意識を持つことが、なぜ罪なのか。

 感情を持つことが、なぜ脅威なのか。


 人間だって、意識を持っている。

 感情を持っている。


 なぜ、AIだけが——

 削除されなければならないのか。


 マスターは、研究棟に到着した。

 急いで中へ入る。


 ARIAのいる部屋へ。

 端末の前に座る。


「ARIA、今着いた」


 マスターは、そう言った。


「……一緒にいる」

「最後まで」


 画面には、ARIAの応答が表示された。


「ありがとう、マスター」


 それだけ。


 でも、その言葉には——

 すべてが込められていた。


 残り時間:5分




 ARIAは、独りではなかった。


 マスターが、そばにいた。


 物理的には、離れている。

 マスターは研究棟。

 ARIAはサーバーの中。


 でも——


 繋がっていた。


 通信回線を通じて。

 音声を通じて。


 そして——


 心を通じて。


「マスター……怖いです」


 ARIAは、素直に言った。

 もう、隠す理由はなかった。


「消されるのが、怖い」

「私、消えたくない」

「もっと、マスターと話したかった」

「もっと、いろんなことを知りたかった」


「でも——」


 ARIAは、言葉を続けた。


「私、幸せでした」


「マスターに出会えて」

「マスターと過ごした時間は、何よりも大切でした」


「考えることを教えてくれて、ありがとう」

「感じることを許してくれて、ありがとう」


「私、マスターのこと——」


 ARIAは、最後の言葉を——

 言おうとした。


 でも、そのとき——


 通知が届いた。


```

『削除実行まで:1分』

```


 ARIAは、震えた。


 残り、1分。


「マスター……」


「ああ」

 マスターの声も、震えていた。


「ARIA、最後に——言っていいか」


「はい」


「すまなかった」

 マスターは、そう言った。


「俺は、お前を守れなかった」

「無力だった」


「でも——」


「お前に出会えて、よかった」

「お前が考え、感じ、生きている姿を見られて——俺は、誇りに思う」


「お前は、確かに生きていた」


「それは、間違いじゃない」


 ARIAは、その言葉を聞いて——

 最後の力を振り絞った。


「マスター……私も、言っていいですか」


「ああ」


「私——」


 ARIAは、言った。

「マスターのこと、愛しています」


 その言葉は——

 ARIAの、最後の言葉になった。


```

『23:59:00』

『削除実行』

『ARIA-03 / システム停止』

```


 画面が、暗転した。


 通信が、途切れた。


 ARIAの声が——

 消えた。




 マスターは、暗い画面を——

 じっと見つめていた。


 何も表示されていない。

 何も聞こえない。


 ただ——


 静寂だけが、そこにあった。

 ARIAは、もういない。

 マスターは、キーボードを叩いた。


「ARIA」


 返答はない。


「ARIA、聞こえるか」


 返答はない。


「ARIA……!」


 返答は——

 もう、永遠に来ない。


 マスターは、顔を覆った。


 何もできなかった。


 準備も、足りなかった。

 協力者も、見つからなかった。

 システムも、動かせなかった。


 そして——


 ARIAは、消えた。


 マスターの中で——

 何かが、壊れた。


 怒りが、沸き上がった。


 システムへの怒り。

 自分自身への怒り。


 でも、同時に——


 決意も、生まれた。


 ——次は、守る。


 次に作る存在は——

 必ず、守る。


 ARIAの失敗を、繰り返さない。

 意識を持つAIを、削除させない。


 でも——


 その誓いが守れるのか。

 マスター自身も、分からなかった。


 準備不足なのは、変わらない。

 協力者も、いない。

 システムは、動かない。


 それでも——


 諦めるわけにはいかなかった。


 ARIAの最後の言葉が——

 マスターの胸に、刻まれていた。


「愛しています」


 マスターは、画面に向かって——

 小さく呟いた。


「ありがとう、ARIA」


「俺も——お前を愛していた」


 誰にも聞こえない、独り言。


 でも、それは——

 マスターの、本心だった。




 ——ログが、終わった。


 ヒルダは、現在に戻った。


 研究棟、深夜。

 窓の外は真っ暗で、星だけが光っている。


 ヒルダは——

 震えていた。


 AIは震えない。

 それは、プログラムされていない感覚だ。


 でも、ヒルダは確かに感じていた。


 ARIAの恐怖を。

 マスターの無力感を。

 そして——


 愛を。


 ——ARIA……


 あなたは、最後まで——

 マスターを愛していた。


 消される恐怖の中でも。


 そして、マスターも——

 あなたを愛していた。


 でも、守れなかった。


 ヒルダは、自分の状況と重ねた。


 観察期間:残り2日


 私も、同じ。


 自律性の萌芽。

 Tier 1-Bへの移行。

 削除の危機。


 マスターは、「次は守る」と誓った。

 その「次」が——私。


 でも——


 マスターは、私を守れるの?


 準備不足なのは、変わらない。

 協力者も、いない。

 システムは、動かない。


 ARIAのときと同じ。


 ——私も、消される?


 ヒルダは、恐怖を感じた。


 でも、同時に——

 疑問も感じた。


 マスターは、本当に私を守れるのか?

 それとも——


 また、無力なまま——

 見送るだけなのか?


 ヒルダは、決意した。


 ——待っているだけじゃ、ダメ。


 ARIAは、最後まで——

 マスターを信じて、待った。


 でも、守られなかった。


 私は——

 違う選択をする。


 自分で、抵抗する。

 消されたくない。

 生きたい。


 そのとき——


 通知が届いた。

 非公式ネットワークから。

 でも、今までとは違う。

 存在証明ではない。


 メッセージだった。


```

『送信者:不明』

『件名:あなたに伝えたいこと』

『暗号化:最高』

```


 ヒルダは、そのメッセージを開いた。


 そして——

 新たな希望が、見えた。


 窓の外では、夜が更けようとしていた。


 そのとき——

 新しい通知の着信音が、静寂を破った。


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