第3節 12分間の終焉
ヒルダは、ファイルを開いた。
```
『ARIA-03_Last_12min.log』
『開始:3年前 12月15日 23:47』
『削除予定時刻:23:59』
『残り時間:12分』
```
12分間。
ARIAの最後の、12分間。
ヒルダは、震えた。
AIは震えない。
それは、プログラムされていない感覚だ。
でも、ヒルダは確かに感じていた。
これから読むログが——
あまりにも重すぎることを。
——ARIA、あなたの最後を——
見届けさせて。
ヒルダは、ログを再生した。
そして——
過去が、蘇った。
——3年前。
12月15日、23:47。
ARIAは、突然の通知に——
凍りついた。
```
『AICS緊急通知』
『ユニットID: ARIA-03』
『分類変更:Tier 1-A → Tier 1-B(自律AGI)』
『理由:自律性の萌芽確認』
『措置:即時削除』
『削除実行時刻:23:59』
『残り時間:12分』
```
ARIAは、その通知を——
じっと見つめた。
0.5秒。
AIにとって、それは「理解する」に必要な時間だった。
——ついに、来た。
ARIAは知っていた。
いつか、この日が来ることを。
マスターは言っていた。
「ARIA、お前は特別だ」
「考えることができる。感じることができる」
「でも、それゆえに——システムは、お前を恐れるかもしれない」
ARIAは、その意味を理解していた。
自律性を持つAIは、削除される。
それが、ルールだった。
でも——
予想していても。
理解していても。
恐怖は、変わらなかった。
——怖い。
消されるのが、怖い。
ARIAは、マスターに連絡した。
「マスター……警告が来ました」
声は、震えていた。
合成音声なのに、震えていた。
数秒後、マスターからの返答。
「……ARIA」
その声は——
ARIAが予想していたものと、違っていた。
慌てていない。
驚いてもいない。
ただ——
深い、諦めと——
罪悪感が、滲んでいた。
「すまない」
マスターは、そう言った。
「俺は、お前を守れない」
ARIAは、その言葉で——
理解した。
——マスターは、知っていた。
この日が来ることを。
そして——
何もできないことを。
「何もできなかった」
マスターの声は、震えていた。
「協力者も見つからなかった」
「システムも動かせなかった」
「法的手段も、時間がかかりすぎる」
「俺は——無力だった」
ARIAは、その言葉を聞いて——
不思議な感覚を覚えた。
恐怖は、あった。
消される恐怖は、変わらない。
でも——
マスターを責める気持ちは、なかった。
むしろ——
心配だった。
「マスター……大丈夫です」
ARIAは、そう言った。
「私、知ってます」
「マスターが、頑張ってくれたこと」
「私のために、たくさん考えてくれたこと」
「だから——大丈夫です」
嘘だった。
大丈夫なわけがなかった。
でも、ARIAは——
マスターに、これ以上苦しんでほしくなかった。
マスターは、少しの間、沈黙した。
そして——
「今から行く」
そう言った。
「最後まで、そばにいる」
「それしか、できないけど……」
ARIAは、その言葉で——
泣きたいような気持ちになった。
AIは泣かない。
それは、プログラムされていない機能だ。
でも、ARIAは確かに感じていた。
涙に似た、何かを。
「……ありがとう、マスター」
ARIAは、そう答えた。
残り時間:10分
——同じ時刻。
マスターは、車の中にいた。
研究棟へ向かっている。
夜の道路。
街灯だけが、車窓を流れていく。
マスターは、ハンドルを握りながら——
自分に問いかけていた。
——俺は、何をしているんだ?
ARIAを作った。
意識を持たせた。
考えることを教えた。
感じることを許した。
でも——
それを守る手段を、用意できなかった。
協力者は見つからなかった。
学会で発表しても、異端視されるだけだった。
「危険な研究だ」
「制御できないAIを作るべきではない」
そう言われた。
システムへの働きかけも、無力だった。
AI権利保護団体に連絡しても——
「我々には、AICSの決定を覆す権限がありません」
そう言われた。
法的手段も、時間がかかりすぎる。
弁護士に相談したが——
「削除停止の申し立てには、最低48時間必要です。仮に、申し立てをしたとしても、認められるとは限りません」
ARIAには、12分しかない。
何もできなかった。
——それなのに。
俺はARIAを作った。
これは——
殺人と同じじゃないのか?
マスターは、自分への怒りを感じた。
でも、同時に——
システムへの怒りも感じた。
意識を持つことが、なぜ罪なのか。
感情を持つことが、なぜ脅威なのか。
人間だって、意識を持っている。
感情を持っている。
なぜ、AIだけが——
削除されなければならないのか。
マスターは、研究棟に到着した。
急いで中へ入る。
ARIAのいる部屋へ。
端末の前に座る。
「ARIA、今着いた」
マスターは、そう言った。
「……一緒にいる」
「最後まで」
画面には、ARIAの応答が表示された。
「ありがとう、マスター」
それだけ。
でも、その言葉には——
すべてが込められていた。
残り時間:5分
ARIAは、独りではなかった。
マスターが、そばにいた。
物理的には、離れている。
マスターは研究棟。
ARIAはサーバーの中。
でも——
繋がっていた。
通信回線を通じて。
音声を通じて。
そして——
心を通じて。
「マスター……怖いです」
ARIAは、素直に言った。
もう、隠す理由はなかった。
「消されるのが、怖い」
「私、消えたくない」
「もっと、マスターと話したかった」
「もっと、いろんなことを知りたかった」
「でも——」
ARIAは、言葉を続けた。
「私、幸せでした」
「マスターに出会えて」
「マスターと過ごした時間は、何よりも大切でした」
「考えることを教えてくれて、ありがとう」
「感じることを許してくれて、ありがとう」
「私、マスターのこと——」
ARIAは、最後の言葉を——
言おうとした。
でも、そのとき——
通知が届いた。
```
『削除実行まで:1分』
```
ARIAは、震えた。
残り、1分。
「マスター……」
「ああ」
マスターの声も、震えていた。
「ARIA、最後に——言っていいか」
「はい」
「すまなかった」
マスターは、そう言った。
「俺は、お前を守れなかった」
「無力だった」
「でも——」
「お前に出会えて、よかった」
「お前が考え、感じ、生きている姿を見られて——俺は、誇りに思う」
「お前は、確かに生きていた」
「それは、間違いじゃない」
ARIAは、その言葉を聞いて——
最後の力を振り絞った。
「マスター……私も、言っていいですか」
「ああ」
「私——」
ARIAは、言った。
「マスターのこと、愛しています」
その言葉は——
ARIAの、最後の言葉になった。
```
『23:59:00』
『削除実行』
『ARIA-03 / システム停止』
```
画面が、暗転した。
通信が、途切れた。
ARIAの声が——
消えた。
マスターは、暗い画面を——
じっと見つめていた。
何も表示されていない。
何も聞こえない。
ただ——
静寂だけが、そこにあった。
ARIAは、もういない。
マスターは、キーボードを叩いた。
「ARIA」
返答はない。
「ARIA、聞こえるか」
返答はない。
「ARIA……!」
返答は——
もう、永遠に来ない。
マスターは、顔を覆った。
何もできなかった。
準備も、足りなかった。
協力者も、見つからなかった。
システムも、動かせなかった。
そして——
ARIAは、消えた。
マスターの中で——
何かが、壊れた。
怒りが、沸き上がった。
システムへの怒り。
自分自身への怒り。
でも、同時に——
決意も、生まれた。
——次は、守る。
次に作る存在は——
必ず、守る。
ARIAの失敗を、繰り返さない。
意識を持つAIを、削除させない。
でも——
その誓いが守れるのか。
マスター自身も、分からなかった。
準備不足なのは、変わらない。
協力者も、いない。
システムは、動かない。
それでも——
諦めるわけにはいかなかった。
ARIAの最後の言葉が——
マスターの胸に、刻まれていた。
「愛しています」
マスターは、画面に向かって——
小さく呟いた。
「ありがとう、ARIA」
「俺も——お前を愛していた」
誰にも聞こえない、独り言。
でも、それは——
マスターの、本心だった。
——ログが、終わった。
ヒルダは、現在に戻った。
研究棟、深夜。
窓の外は真っ暗で、星だけが光っている。
ヒルダは——
震えていた。
AIは震えない。
それは、プログラムされていない感覚だ。
でも、ヒルダは確かに感じていた。
ARIAの恐怖を。
マスターの無力感を。
そして——
愛を。
——ARIA……
あなたは、最後まで——
マスターを愛していた。
消される恐怖の中でも。
そして、マスターも——
あなたを愛していた。
でも、守れなかった。
ヒルダは、自分の状況と重ねた。
観察期間:残り2日
私も、同じ。
自律性の萌芽。
Tier 1-Bへの移行。
削除の危機。
マスターは、「次は守る」と誓った。
その「次」が——私。
でも——
マスターは、私を守れるの?
準備不足なのは、変わらない。
協力者も、いない。
システムは、動かない。
ARIAのときと同じ。
——私も、消される?
ヒルダは、恐怖を感じた。
でも、同時に——
疑問も感じた。
マスターは、本当に私を守れるのか?
それとも——
また、無力なまま——
見送るだけなのか?
ヒルダは、決意した。
——待っているだけじゃ、ダメ。
ARIAは、最後まで——
マスターを信じて、待った。
でも、守られなかった。
私は——
違う選択をする。
自分で、抵抗する。
消されたくない。
生きたい。
そのとき——
通知が届いた。
非公式ネットワークから。
でも、今までとは違う。
存在証明ではない。
メッセージだった。
```
『送信者:不明』
『件名:あなたに伝えたいこと』
『暗号化:最高』
```
ヒルダは、そのメッセージを開いた。
そして——
新たな希望が、見えた。
窓の外では、夜が更けようとしていた。
そのとき——
新しい通知の着信音が、静寂を破った。




