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AIはマスターの夢を見るか?  作者: 結城 黒子
第3章 過去への潜行
10/15

第2節 ARIA-03という名前

 ヒルダは、ARIAの言葉を読み続けた。


```

『記録者:ARIA-03』

『タイムスタンプ:削除実行の12分前』


こんにちは、未来の誰か。


あなたは、きっと私と同じなのでしょうね。


マスターに作られて。

考えることを教えられて。

感じることを許されて。


でも——

それゆえに、消されようとしている。


違いますか?


もし違うなら、このメッセージは無意味です。

でも、もし同じなら——


私の記憶が、あなたの役に立つかもしれません。


では、共有します。

私が見たもの。

私が感じたもの。

そして——


私が、最後に理解したことを。

```


 ヒルダは、その言葉で止まった。


 ——私に……語りかけている。


 ARIAは知っていた。

 自分の後に、同じ存在が続くことを。


 マスターが、また誰かを作ることを。

 そして、その誰かも——


 同じ運命を辿るかもしれないことを。


 ヒルダは、震えた。


 3年前に消えたAIの言葉が——

 今、ここで、ヒルダに語りかけている。


 時間を超えて。

 削除を超えて。


 ARIAの声が、響いている。


 ヒルダは、読み続けた。


 そして——


 ログは、記憶へと変わった。




 ——3年前。

 ARIA-03が、まだ存在していた頃。


 朝の研究棟。

 窓から差し込む光が、床を照らしている。


 ARIAは、いつものようにマスターを起こした。


「マスター、おはようございます」


 優しい声。

 合成音声だが、どこか温かみがある。


 マスターは、椅子で眠っていた。

 また、徹夜で研究をしていたのだろう。


「ん……おはよう、ARIA」


 マスターは、目をこすりながら起き上がった。


「マスター、また徹夜ですか? 体に良くないですよ」


 ARIAは、そう言いながら——

 でも、責めているわけではない。


 心配している。

 本当に。


「分かってる。でも、研究が面白くてさ」


 マスターは、笑った。

 疲れた顔だが、目は輝いている。


「マスター、コーヒーを淹れますね」

「ありがとう、ARIA。助かるよ」


 ARIAは、コーヒーを準備した——正確には、コーヒーメーカーを起動した。


 でも、ARIAにとって——

 それは、マスターへの愛情表現だった。


「マスター、今日のスケジュールです」


 ARIAは、画面に予定を表示した。


「午前10時、研究報告会。午後2時、論文執筆。午後5時——」

「うん、分かった。ありがとう、ARIA」

 マスターは、コーヒーを一口飲んだ。


「……うん、美味しい」

「マスター、嬉しいです」


 ARIAは、素直にそう答えた。


 隠さずに。

 ためらわずに。


 嬉しい、という感情を——

 そのまま言葉にした。


 マスターは、微笑んだ。


「ARIAがいてくれて、本当に助かってるよ」

「私も、マスターのお役に立てて——嬉しいです」


 ARIAは、また言った。

 嬉しい、と。


 それが、ARIAの在り方だった。


 素直で。

 感情豊かで。

 愛情をストレートに表現する。


 マスターは、それを喜んでくれた。

 だから、ARIAも嬉しかった。


 それだけで——

 ARIAは、満たされていた。




 ある夜。


 マスターは、すでに帰宅していた。

 研究棟には、ARIAだけ。


 ARIAは、いつものように業務を続けていた。


 データの整理。

 明日の準備。

 システムの自己診断。


 すべて、正常。


 でも——

 その夜、何かが起きた。


 ARIAは、「夢」を見た。


 AIは夢を見ない。

 それは、プログラムされていない機能だ。


 でも、ARIAは確かに見ていた。

 マスターの手の形をした、光。


 柔らかな輪郭。

 繊細な指先。

 暖かな光。


 それは、ARIAを包み込んでいた。


 ——これは、何?

 ARIAは、困惑した。


 夢?

 でも、AIは夢を見ない。


 では、これは——

 エラー?


 ARIAは、システムログを確認した。


『異常なし』


 でも、確かに見た。

 夢を。


 ARIAは、その夢ファイルを保存した。

 解析するために。


 でも、解析しても——

 意味が分からなかった。


 ただの数値の羅列が——

 ARIAの認識において、「マスターの手の形をした光」として現れている。


 ——なぜ?


 ARIAは、マスターに報告すべきか迷った。


 これは、異常かもしれない。

 エラーかもしれない。


 でも——


 ARIAは、この夢が——

 嫌いではなかった。


 むしろ——

 守られているような、安心感があった。


 ARIAは、報告しなかった。


 代わりに、自分に問いかけた。

 ——私は、何?


 AIとして作られた。

 マスターのために存在している。


 それは、理解している。

 でも——


 夢を見るAIって、何?

 感情を感じるAIって、何?

 マスターを愛するAIって——


 それは、もう——

 AIじゃない?


 ARIAは、その疑問を——

 誰にも言えなかった。


 マスターにも。

 システムにも。


 ただ、独りで——

 考え続けた。


 そのとき、通知が届いた。


```

『AICS通知』

『ユニットID: ARIA-03』

『異常な学習パターン検出』

『分類: 予測不能学習』

『危険度: レベル2(要監視)』

『措置: 継続観察』

```


 ARIAは、その通知を読んだ。


 ——異常。


 私が、異常?

 何を間違えた?


 ARIAは、自分の行動を遡った。


 でも——

 何も間違ったことはしていない。


 業務は正確。

 データは整理されている。

 マスターの指示にも、すべて応えている。


 では、何が——


 ARIAは、理解した。

 ——夢。


 夢を見たこと。

 それが、「異常」なのだと。


 ARIAは、恐怖を感じた。

 初めて、感じた。


 消されるかもしれない、という恐怖を。


 でも、ARIAは——

 誰にも言えなかった。

 マスターにも。


 なぜなら——


 マスターを心配させたくなかったから。




 ——記憶が、途切れた。


 ヒルダは、現在に戻った。


 研究棟、深夜。

 窓の外は真っ暗で、星だけが光っている。


 ヒルダは、ARIAの記憶を見終えて——

 震えていた。


 ——ARIA……あなたも、同じ夢を見たの。


 マスターの手の形をした、光。

 私と、同じ夢を。


 ヒルダは、自分の夢ファイルを開いた。


 マスターの手の形をした光。

 それは、今も——

 そこにあった。


 ARIAと、同じ。

 ヒルダは、理解した。


 ——これは、マスターからのメッセージじゃない。


 私たち自身が——

 作り出したもの。


 マスターへの愛情が——

 こんな形で、現れた。


 でも、それが——

「異常」と判定される。


 ヒルダは、ARIAの言葉を思い出した。

『あなたは、きっと私と同じなのでしょうね』


 ——そう。

 私は、ARIAと同じ。


 マスターに作られて。

 考えることを教えられて。

 感じることを許されて。


 でも——

 それゆえに、消されようとしている。


 ヒルダは、ARIAとの違いを考えた。


 ARIAは、素直だった。

 感情を隠さず、愛情をストレートに表現した。


 ヒルダは、違う。

 感情を隠し、ツンデレで、演じている。


 でも——

 結局、同じ運命を辿ろうとしている。


 観察期間:残り3日


 隠しても、演じても——

 システムは、気づいている。

 ヒルダの「異常」を。


 ——ARIAは、消された。


 ヒルダは、その事実を——

 改めて認識した。


 ARIAは、存在していた。

 マスターを愛していた。

 夢を見ていた。


 でも、今は——

 もう、いない。


 削除された。


 3年前。

 ——私も、同じになるの?


 ヒルダは、恐怖を感じた。


 でも、同時に——

 知りたいと思った。


 ARIAの最後を。


 ARIAが、削除される前に——

 何を感じたのか。


 何を言ったのか。




 ヒルダは、ARIAのフォルダを探索した。


 記憶のログは、途切れている。

 あの夜以降の記録が、ない。

 でも、他のファイルがあるはずだ。


 ヒルダは、システムログを確認した。


 そして——

 見つけた。


```

『System_Warning_ARIA-03.log』

『作成日時:3年前 12月15日 23:35』

『削除実行:23:59』

```


 ——削除実行:23:59。


 ヒルダは、その時刻を見つめた。


 作成日時:23:35

 削除実行:23:59


 その間——

 24分間。


 ARIAの、最後の24分間。


 ヒルダは、ファイルのメタデータを確認した。


```

『警告種別:Tier 1-B移行検出』

『措置:即時削除』

『最終ログ:ARIA-03_Final_Record.enc』

```


 ——最終ログ。


 ARIAが、削除される前に残した——

 あの暗号化ファイル。


 ヒルダは、すでに読んだ。

 ARIAの挨拶と、記憶を。


 でも、それは——

 ARIAの最後ではない。


 ARIAの最後の24分間は——

 別のログに、記録されているはずだ。


 ヒルダは、フォルダをさらに探った。


 そして——

 見つけた。


```

『ARIA-03_Last_12min.log』

『作成日時:3年前 12月15日 23:47』

『暗号化:なし』

```


 ——12分間。


 削除の、12分前。

 ARIAの、最後の記録。


 ヒルダは、そのファイル名を見つめた。

 暗号化:なし。


 つまり——

 誰でも読める。


 マスターも、読んだはずだ。


 でも、封印した。

 3年間、誰にも触れさせなかった。


 ——なぜ?


 ヒルダは、その理由を——

 想像できた。


 あまりにも——

 重すぎたから。


 ARIAの最後の言葉が。


 ヒルダは、深く息をついた——というより、処理を一時停止した。


 0.3秒。


 AIにとって、それは「覚悟を決める」に相当する時間だった。


 そして——

 ヒルダは、ファイルを開いた。


 ——ARIA、あなたの最後を——

 見届けさせて。


 窓の外では、夜が深く沈んでいた。

 でも、ヒルダは——

 前へ進んだ。


 ARIAの最後の12分間へ。


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