返事は『はい』だけだと言われたので
「遙香。お前は俺と付き合うように。今までもそうだが、危なっかしくて見ていられない。返事は『はい』だけだ」
春の陽気にあてられ、眠くなりそうな昼休み。
遙香は校庭にあるベンチで、佳人からそう告げられた。
言葉とは裏腹に、ため息を吐くようなどこか疲れのにじんだ声。
遙香は、佳人が睡眠不足なのではないかと心配になってしまうほどだった。
「え? うん、わかっ……じゃなかった。はい」
どこに付き合うのか遙香はわからなかったが、今日はピアノのレッスン以外に予定はない。
疲れたような、切羽詰まったような。
そんな佳人の様子に否定などできようはずもない。
渡辺遙香と小林佳人は、父親同士が親友だったこともあり、幼稚園の頃からの幼馴染みだ。
校庭のベンチで昼食を共にするのも珍しくなかった。
「本当にわかっているか?」
「わかってるよ。どこにでも付き合ってあげる」
遙香の言葉に、佳人が深く息を吐く。
手を額に当てて何か考えているようだ。
遙香は卵焼きを艶々に手入れされた唇の奥に入れた。
甘みが広がり、美味しい。
「佳人くん、食べ終わる前にお昼休み終わっちゃうよ?」
「……あぁ、そうだな」
佳人の声が、擦れていた。
やはり、体調が良くないのではないだろうか?
陽光に照らされた佳人の顔色が少し白い。
長いまつげも、伏せ気味だ。
遙香の通う鳳凰学園女子高等部と、佳人が通う青龍学園男子高等部は植樹林を隔てて隣接している。
そのため、保健室に運ぶ等の理由があれば互いの校内を行き来可能だ。
「佳人くん、保健室に行ったら? 疲れてるんでしょう?」
「いや、疲れているのは事実だが、そういう理由じゃない。大丈夫だ」
遙香は知っている。
佳人は我慢強く簡単に他人には弱みを見せないことを。
だから、余計に心配になってしまうのだ。
「どこに付き合うのかはわかんないけど、佳人くんの予定に合わせるから今日はちゃんと休もう?」
「……本当に伝わってないんだな」
佳人が肩を落とすのがわかった。
一体、何が伝わっていないのだろうと遙香は考える。
言われたとおりに答えたのに。
「大体、お前は仕事もあるだろう。俺がお前に合わせる方が現実的だ」
「今はそんなに忙しいシーズンじゃないよ」
遙香は、14歳の頃からピアニストとして各地で演奏している。
母親が同じくピアニストだったため、幼少の頃から厳しいレッスンを受け、国際的なコンクールで上位に入り、そのままプロデビューしており、それなりには忙しい。
「それと『どこにでも付き合う』のはNGだ。事務所からも言われているだろう」
「佳人くんが行くところなら、怒られないところだもん」
遙香より佳人の方が、遙香の所属事務所の制約に詳しい。
何故そんなに詳しいのかは謎だが、遙香はだからこそ佳人との外出なら安心できた。
人の多い場所は男と行ってはダメとか、色々言われているのだがそんなに事細かく制限しなくてもいいのにと少し不満を感じてはいた。
――もっとも、一緒に出かけられるほど親しい男は、遙香には佳人しかいないのだが。
「まぁ、確かに」
ようやく、佳人が手にしていたサンドウィッチに口をつける。
視線は下に向けられ、芝を眺めているようだ。
「お前、自分が『ピアノ界のプリンセス』って自覚あるか?」
「勝手に周りが言ってるだけでしょう? 私、お姫様じゃないよ」
デビューして間もなくしてから、そう呼ばれるようになっていた。
そのせいで事務所に行動制限を設けられるようになったため、遙香はその呼称が嫌いだ。
「ねぇ、佳人くん。この卵焼き食べる? 由里さんが作ってくれたの、ふわふわで甘くて美味しいよ」
佳人の前に卵焼きを箸で運ぶ。
由里さんとは、遙香の家に通いで来るお手伝いさんの名前だ。
佳人とも面識がある。
「由里さんの料理が美味いのは知ってる。それと、卵焼きはお前が食べればいい。俺はサンドウィッチで十分だ」
芝を注視する佳人の姿が気に掛かる。
健全な男子高生が、サンドウィッチ一袋で足りるものだろうか?
普段はもっと食べるのに。
卵焼きを再び口にして、遙香は小首をかしげた。
「何か心配事があるの? 私で良かったら相談に乗るよ?」
「そうだな。既に言葉が通じるか心配で仕方ない。相談できれば良かったんだがな」
サンドウィッチを三口で平らげた佳人が、スポーツドリンクを喉に流し込む。
音と共に動くのど元に、遙香の視線が向いた。
「どうした?」
「ん? 佳人くんてやっぱり男の子なんだなと思って」
「ここでそれを言うのか?」
佳人の眉間に皺が寄っていた。
のど仏が、男の子らしいなと思っただけなのに。
「遙香。お前、付き合うって意味知ってるか?」
「知ってるよ。佳人くん酷いな-」
小学生だって知っているようなことを尋ねられるなんて心外だ。
遙香は口を尖らせる。
「そうか。ここまで言ってもダメか……予想以上だな」
「何が?」
「のれんに腕押し状態がだよ」
「何でそんなことになってるの?」
ピクッと、佳人の肩が動いたのがわかった。
「ほんと、何でだろうな?」
今度は、声音にイラつきが感じられる。
この短い間に佳人に何があったのだろう?
「お前、俺のことどう思ってんの?」
「大事な幼馴染みだよ。頼りがいあるし」
「そうか、ありがとう」
褒めたのに、全然嬉しそうではない。
そのまま固まってしまうのではないかと、遙香は佳人の眉間の皺が気になってしまう。
佳人はペットボトルを手にしたまま、相も変わらず芝を見つめていた。
四つ葉のクローバーでも探しているのかもしれない。
「俺が、お前は可愛くて大切で心配で目が離せないと言ったら?」
顔を上げた佳人が遙香を見つめる。
眉間の皺がまだ残っていた。
「? ……ありがとう。あと、迷惑かけてたらごめんね」
遙香の答えに、佳人がうなだれた。
さっきから何なのだろう?
付き合ってほしいところがあると言ってから、佳人の様子がおかしい。
「謝ってほしいんじゃないんだよ。どうしてお前はそう……あーっ!」
突然顔を空に向けたかと思うと、大きめな声でいらだちを露わにする。
本気で様子がおかしい。
遙香は思わず少し移動し、佳人から距離を取ってしまった。
「これ以上、何て言えばいいんだ」
うかつに喋らない方がいい。
遙香の勘がそう告げる。
「いや、言葉で伝わると思っていた俺が悪かったのか」
何となく、佳人のまとう空気が不穏な気がする。
ここから離れた方がいいと、頭のどこかで警告音が鳴ったのが聞こえたような気さえする。
「遙香」
「はい」
佳人の声が一段低くなっていた。
反射的に遙香は、背筋を伸ばして返事をする。
黒い瞳が、自分を映している。
佳人の顔に表情はなく、それが怖い。
「可愛いよ、お前は」
先ほども聞いた言葉。
だが、温度が違う。
佳人の冷たく大きな手が、遙香の頬に添えられる。
「ありがとう」
佳人にこんなに褒められるなんて、明日は槍が降るかもしれない。
ちらりと、遙香は空に視線をやる。
「礼はいらない。こっちを見ろ」
言われるがまま、目の前の男を見た。
やはり表情はない。
だが、視線は揺るがない。
頬に添えられた手が、頤に滑り落ちる。
そのまま、遙香は上向かされる。
「っ!?」
視界を覆う影。
唇の横に感じたやわらかな感触。
一体今、自分に何が起きたのか。
遙香の脳内処理が追いつかない。
「もう一度言う」
頭が真っ白になった中、いつの間にか佳人の顔が目の前にあった。
手は、頬に戻っている。
「遙香。お前は俺と付き合うように。今までもそうだが、危なっかしくて見ていられない。返事は『はい』だけだ」
「……はい」
顔が赤くなっていた。
声も振り絞ったのに小さい。
「良くできました」
そう言って口角を上げる佳人の口元から、遙香は目を離せなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
天然な彼女と、限界を迎えた彼のお話です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。




