シャッター街のアリス
ルイス・キャロルは果てしなく悪夢にも似たアリスの世界を書き上げ、何故アリス・リデルに贈ったのだろうか。
作者の素朴な疑問
電車なんてとっくに終わってしまった。
時折商店街を吹き抜ける風がシャッターを揺らし、ガタガタと乾いた音を立てる。
深夜にこんな所に座り込んでコンビニで買ったウイスキーのハーフボトルをチビチビ飲む事になるなど、考えてもみなかった。
昔は華やいでいたこの商店街も今では半分以上の店がシャッターを下ろしている。
俺が若い頃は夜中も防犯のためにアーケードには照明が灯され、若い奴らが踊ったり、歌ったり、始発までの時間を潰すためにたむろしていたが、今では昼間でも暗いアーケード街になってしまっている。
アーケード街の端から端まで敷き詰められたインロクも所々が欠けて、煤けて汚れ、踏み潰されたガムがこびり付いていた。
そのインロクの上に転がした数本の吸い殻が風で転がって行く。
俺はそれを見て、吸い殻を拾う訳でもなく、またタバコに火をつけた。
その煙は舞う様な風に流されて直ぐに消えて行く。
俺はそれを見て苦笑するしかなかった。
俺の人生の様だと感じたからだった。
「書けない作家なんて紙屑以下なんですよ」
俺は持ち込んだ作品を若い編集者にそう罵られ、真っ直ぐに帰る気にもなれず、気が付くと、この町に来ていた。
若い頃に住んでいた町で特に良い思い出がある町でもなく、ただノスタルジックな感傷に浸ってみたくなっただけだった。
駅前の居酒屋で安い酒を飲み、気が付くと日も暮れて、追い出される様に店を出た。
駅前にある唯一の光が新しく出来たコンビニで、若者たちが蛾の様にその光に集まっていて、それを掻き分ける様にコンビニに入ると酒を買って、このアーケードの下に座っていた。
以前、あった筈の駅前の古いビジネスホテルも取り壊され、今はコインパーキングになっていて、俺はこのアーケードの下で始発を待つ事にした。
昔、一度、酔い潰れて同じ場所に座り込んでいた事があった。
その時だった。
俺がアリスに会ったのは……。
目を開くと俺を覗き込む少女の姿があった。
俺は徐々に開けて行く視界の中の制服姿の少女を見て、夢を見ているのかと思った。
「こんな所で寝てると風邪ひくよ」
少女は酔いのせいで頭痛の残る俺に言った。
「ああ、分かってるよ。大人だし」
そんな返事をして、俺は手に持った酒を口にした。
そして俯くと顔を顰める。
少女はそんな俺に微笑むとスカートを抱え込む様にして俺の前にしゃがんだ。
逆光の中に浮かび上がる彼女を俺は眩しそうに目を細めて見た。
「お酒って美味しいの」
少女は俺の手からウイスキーのボトルを引っ手繰る様に取るとマジマジと見ている。
俺は慌てて少女からボトルを取り上げる。
「酒ってのはな、その日の気分で味が変わる不思議な飲み物なんだよ。楽しい酒は美味いし、沈んだ気分の時は味が無い。怒られながら飲む酒なんて飲まない方が良いくらいに不味い。同じ酒でもまったく違うモンになるんだ」
俺はまたウイスキーを一口飲んだ。
少女は俺に興味を持ったのか、俺の横に肩を付けて座る。
「お兄さんも怒られる事あるんだね……」
そう言いながら歯を見せて笑っていた。
俺はその少女を見て、
「お前らはさ、悪い事、いけない事をしたら怒られるだろ。大人は違うんだよ。良い事をしても怒られる事もあるし、何もしてなくても怒られる事もある。理不尽な生き物なんだよ。あ、理不尽って分かるか」
そう言う。
少女は俺を真っ直ぐに見て頷いていた。
それを見て俺も頷く。
「大人になるってのはその理不尽に耐えるって事なのかもしれないな……」
少女は膝を抱えたまま、体を揺らす。
「アタシたちだって理不尽な事ってあるよ。焼き肉食べに行く予定だったのに、お鍋になったり。週末に訳分かんないくらいの宿題が出たりさ」
俺はウイスキーのボトルを床に置いて、タバコを咥えた。
「そうやって少しずつ理不尽ってモンに慣れて行くんだよ。そして気が付くとその理不尽を受け入れる事が出来る様になっている。それが大人になったって事だな」
俺は何処かに転がしたライターを探した。
すると少女は俺が咥えたタバコを取り、自分で咥えて、探していた俺のライターで火をつけた。
「こらこら。未成年がタバコ吸っちゃダメだろうが……」
少女の咥えたタバコを取ると俺はそれを咥える。
少し少女の唾液で湿っぽいタバコだった。
少女は俺にライターを返した。
俺はそのライターを上着のポケットに入れた。
「お兄さん、名前教えて」
少女はまた膝を抱えて体を揺らす。
「何で……」
「良いじゃん。教えてよ」
少女は膝に頬を付けて俺を見ていた。
その少女の姿に俺は少し動揺した。
「人に名前を訊く時は、まず、自分から名乗るんだよ」
俺は煙を吐きながら言った。
「アリス」
彼女はしっかりと聞き取れる声で言う。
「アリス。椎野アリス」
俺は少女を見て頷いた。
「アリスか……。洒落た名前だな」
「ママが好きなのよ。『不思議の国のアリス』って本が。もう本はボロボロになってるわ」
少女はクスクスと笑いながら言う。
俺はタバコを床で消すと、少女に掛からない様に煙を吐いた。
「ルイス・キャロルか……。お前……、アリスも読んだのか」
アリスは俺を見て小さく頷いた。
その様子に俺は眉を寄せた。
「嫌いなのか」
アリスはにっこりと微笑んだ。
「好きじゃないかな……。本も、この名前も」
そして自分の膝に顔を埋めた。
「考えてみてよ。あの本って怖い話よね……。ウサギも猫も話しかけて来るし、トランプに処刑もされちゃうのよ……」
確かに考えようによっては怖い話かもしれないと俺は思い苦笑した。
「そんな事よりさ」
アリスはまた俺の方を見た。
「名前。アタシは教えたんだからさ」
俺は頷く。
「タクジだ。荒山タクジ」
「荒山……タクジ」
アリスは俺から顔を背け、アーケードの入り口の方を向いた。
「荒山タクジって、もしかして小説家の……」
アリスは勢いよく、俺の方を向き直すと声のトーンを上げて言った。
その声に近くでダンスをしていた数人の男女がこっちを見た。
俺は無意識に唇に指を当てた。
アリスはそれに気付くと、声のトーンを落とす。
「何、何……アタシすごい有名人と知り合っちゃった訳……」
俺は苦笑してウイスキーのボトルを手に取った。
「大した事ないよ。今はただの酔っぱらいだ」
そう言いながらウイスキーを飲む。
「ううん。そんな事無いよ。本が嫌いなアタシだって知ってるモン」
アリスは何度も「すごいすごい」と繰り返した。
「分かった。もう分かったから」
俺は少女を宥めて、またタバコに火をつけた。
「で、タクちゃんはこんな所で何をしてたの」
俺は呆気に取られ、
「タクちゃん……」
と口にした。
俺は煙を吐きながら、アリスに微笑む。
「次の話のネタを探してるところだ」
「話のネタ……。小説の題材って事」
俺は何度か頷き、ショウウインドウに映る自分たちの姿を見ながら踊る連中を指差した。
「ああやって踊ってる奴らとか、俺みたいに酔っぱらって寝てる奴らとか……。お前みたいにこんな時間に制服姿で出歩いている奴とかさ。そんな奴らにもドラマがある」
「ふぅん……。もっとお洒落な所でそういうのは考えてるのかと思ったよ」
アリスは微笑む。
「まあ、勿論そんな作家もいるんだろうけどな。俺はこういう所の方が向いているんだよ」
俺はタバコを消して、背伸びをした。
「恰好良い小説なんて柄じゃないしね」
俺は笑ってアリスを見る。
アリスは体を揺らしながら、ローファーの爪先をじっと見つめていた。
何だよ。
興味無いのかよ……。
俺はウイスキーを一口飲んで、上着のポケットにボトルを入れる。
「ねぇ……」
アリスは俺を見ると立ち上がり、手を差し出す。
「面白いモン見せてあげるよ。一緒に来て」
俺は半信半疑のままアリスの小さな手を握った。
幾つの路地裏を抜けただろうか。
さっきまでいた場所に戻れと言われても、既に無理だった。
俺はスカートを翻しながら前を歩くアリスの後を必死に着いて行った。
時折振り返り俺に微笑むが、やはり高校生の体力には適わない事を知る。
「タクちゃん。大丈夫」
少し大きな通りに出た所でアスファルトにへたり込む俺を覗き込んでアリスは言う。
「大丈夫じゃない」
俺は酔いが回る頭を振り、目を白黒させながら答えた。
「お酒とかタバコとか、体に悪いモンばっかやるからだよ」
アリスは近くの自動販売機で水を買うと俺に手渡してくれた。
俺は礼を言ってその水を飲んだ。
思いの外口の中はカラカラに渇いていた。
「まだ先か……」
息を整えながらアリスに訊く。
アリスは周囲を眺めながら、
「もう少しだよ」
と答えるとまた手を差し出した。
「もう少しゆっくり頼む」
俺はアリスの手を握って立ち上がった。
コートに付いた汚れをアリスが払ってくれた。
「もうホームレスみたいになってんじゃん」
アリスはニコニコと笑いながら俺を見上げる。
その表情に俺は顔を赤らめていた。
そしてアリスはまた路地へと入った。
わざと行先が分からない様に路地に入っているのかとも思った。
しかし、アリスにはそんな路地は庭の様なモノで、暗がりの中をスイスイと進んで行く。
路地の窓から零れる光が笑顔のアリスを照らした。
俺はそんなアリスの手を握ったまま、覚束ない足取りで着いて行く。
そしてその路地を抜けると大きな洋館の前に出た。
アリスは立ち止まりその洋館を見上げていた。
少し遅れた俺は膝に手を突いて息を整えながらアリスの視線を追う。
「此処か……」
アリスは無言で頷いた。
そしてゆっくりとその洋館の門を潜った。
「おい……」
俺はアリスの後を追い、その洋館に入る。
「此処は何処なんだ」
アリスに訊くが、答えない。
そして洋館のドアの前に立つと、そのドアはゆっくりと開いた。
「いらっしゃいませ」
バリっと決めたギャルソンが俺とアリスに頭を下げて言う。
「ちょっと待て……」
俺はアリスの袖を摘み、足を止めた。
アリスは振り返ると、
「何……」
と言う。
俺は息を吐くと、
「高そうだな……。そんなに金持ってないぞ」
とアリスに言った。
アリスはクスクスと笑って、
「心配ないわよ……」
とだけ言い、ギャルソンに着いて歩いた。
広間の様な部屋に通され、窓際のソファの席を案内された。
俺は沈む様にソファに座った。
オイルの敷かれた床板は何処か懐かしい匂いで、部屋の隅で燃える暖炉の火の香りと混じり何故か気持ちが落ち着いた。
少し暑い程の広間で俺はコートを脱ぐとギャルソンが手を出した。
「コートを預かり致します」
俺は手を出して、それを断り、隣の席にコートを投げ出した。
ギャルソンはそれに小さく頭を下げると、
「何に致しますか」
と訊く。
俺はポケットから飲み掛けのウイスキーのボトルを出して、
「これより美味い酒を」
とだけ言った。
ギャルソンはテーブルに置いたウイスキーのボトルを手に取り、
「かしこまりました」
と頭を下げると、その俺のボトルを持って行ってしまった。
汗をかいていた俺は向かいに座るアリスを見た。
「こんな所、良く来るのか……」
アリスは俺を見て微笑む。
「三回目かな……」
なかなか高そうな店に思えた。
しかも誰もが入れる様な店でもなく、多分会員制なのだろう。
店の中を見渡すと数人の客が酒を飲んだり、食事をしたり、葉巻を燻らせている老人の姿もあった。
アリスは身を乗り出す。
「此処は誰でも入れるって訳じゃないのよ。店の方でお客さんを選ぶの……。勿論、私一人じゃ入れないわ。タクちゃんと一緒だから入れたのよ」
俺はさっきアリスが買ってくれたペットボトルの水を飲む。
口の中がカラカラになっていた。
そしてそのボトルをテーブルの上に置くと、ギャルソンがやって来て俺の前に琥珀色のグラスを置いた。
それと引き換えに今度は水のボトルを下げて行く。
アリスの前には紫色のソーダの様な飲み物が置かれた。
無数の泡が立ち上り、幻想的に見える飲み物だった。
もしかすると光の加減がそう見せているのかもしれない。
ギャルソンがメニューを持ってやって来た。
そのギャルソンにアリスは手を上げて、
「いつものモノで」
と言うと、メニューも開かずにギャルソンは踵を返した。
「何だよ、いつものって」
俺はテーブルのグラスを取り、口に付けながらアリスに訊いた。
アリスはソーダにストローを差しながら俺に言う。
「どうせフランス語のメニューなんて一行も読めないでしょ」
アリスは笑いながら紫色のソーダを飲んだ。
確かに……。
俺は黙って二口目の酒を飲む。
やけに美味い酒だった。
グラスをテーブルに置くと俺は周囲を見渡した。
「此処は何という店なんだ」
俺はアリスに訊いた。
アリスもグラスを置くと、クスクスと笑いソファに寄り掛かる。
「聞いてどうするの」
俺もソファに片腕を掛けて寄り掛かった。
「いや、どうするって訳では無いが……」
アリスはまたクスクスと笑った。
「タクちゃんが一人で来ても入れない店……。勿論、アタシが一人で来ても入れないけど」
アリスの言う事が理解出来なかった。
それを俺は酔っているせいだとその時は思っていた。
俺はそれ以上訊くのを諦めて周囲の客を見た。
妙に古めかしい身形の客が多い事に気付く。
俺は酔った頭を手で叩きながら、他の客を見た。
薄暗い照明の下で、原稿用紙に万年筆を走らせる男が気になり目をやる。
「タクちゃんと同業者ね」
アリスは俺に気付いたのか、俺の横に座り直して言った。
「同業者……。作家って事か」
俺は閉じて行く瞼を無理矢理に持ち上げながらアリスに訊いた。
「芥川龍之介先生よ」
アリスは静かに言った。
馬鹿な……。
俺は立ち上がり、アリスが芥川龍之介と言った男の座るテーブルにフラフラと歩いた。
「無駄よ……。芥川先生にはタクちゃんは見えないわ」
アリスはまたクスクスと笑った。
俺ははっきりとしない視界の中で、芥川龍之介の向かいに座った。
そして身を乗り出すと、
「何を書いておられるのですか……」
俺はテーブルの上の原稿を見た。
青いインクで書かれた原稿は達筆とは言い難い癖のある文字だった。
両切りの質の悪いタバコが灰皿で燃え、紫色の煙を立ち上らせていた。
「うん……。これで良い……。これで良いだろう」
芥川龍之介はそう言って万年筆にキャップをするとテーブルの上に転がし、書いた原稿用紙を重ねるとトントンと揃えた。
そして、少し腕を組んで考えると、新しい原稿用紙を一番上に置き、『藪の中』と走り書きでタイトルを書いた。
「藪の中……」
俺は思わず声を出してそのタイトルを読んだ。
気が付くと俺の横にアリスが立っていて、ソファの肘置きに座り、俺の肩に手を置いた。
「知ってる話……」
アリスは俺に訊く。
「ああ、勿論だ。お前は知らないのか……」
アリスは分からないという表情をして、目を逸らす。
気が付くとタイトルを書いた横に芥川龍之介と記名されていた。
本当に芥川龍之介なのか……。
俺は強く目を閉じて、今一度その記名を見た。
間違いなく芥川龍之介と書かれていた。
アリスはゆっくりと立ち上がった。
「今は一九二一年、大正十年の三月一日よ」
俺はアリスの言葉に柱時計を見た。
時間は午前一時を回ったところで、大きな振り子が鈍い光を放ちながら揺れていた。
大正十年だと……。
俺はゆっくりと立ち上がり、自分の席に戻ると、テーブルの上のグラスを取り、一気に飲み干し、空のグラスをテーブルの上に置く。
「この酒も大正時代の酒だというのか」
アリスは首を傾げて微笑む。
「今が大正十年で、今日が芥川先生の誕生日である事と……」
アリスは紫色のソーダを手に取る。
「もうすぐ此処に憲兵がやって来る事は確かだわ」
「憲兵……」
アリスは曇った窓の外を見ていた。
「ほらね……」
窓の外に数人の憲兵が軍刀を持って歩いて来るのが見えた。
「芥川龍之介が何かやったのか」
アリスは視線を俺の方に戻すと首を横に振った。
「憲兵が連れて行くのは向こうの男」
俺はアリスが指差す方を見た。
「橋下喜代治朗って言ってね、数年前に起こった米騒動の時に大儲けした商人よ」
俺はタバコを吸うその老人を見た。
「もう老人じゃないか」
アリスは頷く。
「心配ないわ。直ぐに釈放されて、無罪放免。少し財産の差し押さえなんかはあったかもしれないけど、穴だらけの法律しかない時代だから、抜け道はいくらでもあるわ。でも……」
広間のドアが開き、数名の憲兵が入って来る。
「この騒動で芥川先生が怪我をするのよ」
憲兵の一人が老人の横に立つ。
それを見て芥川龍之介は立ち上がった。
憲兵に何かを言っているのが聞こえる。
そして芥川龍之介は一人の憲兵に突き飛ばされ、床に転がった。
俺は立ち上がるが、それをアリスは止めた。
「タクちゃんには何もできないわ。言ったでしょ、あの人達に私たちは見えないんだから」
俺はゆっくりとソファに座った。
芥川龍之介はどうやら手首を痛めた様だった。
「芥川先生はこれでしばらく書けなくなるのよ。そしてそのまま中国へ視察員として行く事になるの。この事件を境に芥川先生の作風が一変するのよ……」
俺はアリスの言葉を聞きながら連行される老人の姿と罵倒される芥川龍之介を見ていた。
憲兵は芥川龍之介の書いた原稿を手に取り、荒々しく捲っていた。
そしてその原稿を引き千切る様に破り捨てた。
俺はその様子を見て立ち上がる。
「多分、破り捨てられた『藪の中』とタクちゃんの知ってる『藪の中』はまったく違う作品だと思うわ」
アリスは連行される老人を窓越しに見ていた。
店の中は騒然となり、俺たちを案内したギャルソンも走り回っていた。
アリスは立ち上がると、制服のスカートを直した。
「アタシたちも出ましょうか」
アリスは俺のコートを手に取ると、そそくさと広間を出て行った。
俺もそのアリスの後を追う様に外に出た。
そして来た時同様に路地から路地を抜け、俺はアリスの姿を見失わない様に歩いた。
気が付くと、アリスと出会ったアーケードに立っていた。
この少女は俺に何を見せたかったのだろうか……。
俺はさっきまで座ってウイスキーを飲んでいた場所にまた座り込んだ。
あの洋館で見た事が夢だったのか、現実だったのか、それさえも分からなくなった。
アリスはスカートを抱え込む様に座り、俺を覗き込む様に見た。
「答えの出ない小説ってのもアリなんじゃないかな」
俺はアリスが『藪の中』という作品を知っている事を悟り苦笑した。
そうか……。
そのためにアリスは俺をあの場所に連れて行ってくれたのか……。
俺は大きく頷いた。
「なるほどな……」
俺は風でガタガタとなるアーケードの屋根を見る。
「なあ、アリス……」
俺は視線を俺の前にしゃがみ込むアリスに戻した。
しかし、そこにはもうアリスの姿は無かった。
直ぐに周囲を見渡したが、もう彼女の姿は何処にも見当たらなかった。
俺はコートのポケットに手を入れた。
そこにはギャルソンに持っていかれた筈のウイスキーのボトルが入っていた。
俺はそのボトルを見て苦笑すると、一口飲んだ。
さっきあの洋館で飲んだ酒の方が美味かったな……。
俺はウイスキーのボトルをポケットに入れると立ち上がった。
「ありがとうよ……。アリス」
俺は人気の無いアーケードを駅の向こうにあるホテルの方へと歩いた。
あの洋館は多分、此処には無い。
俺にもそれは分かっていた。
それどころかあの少女、アリスも存在しない筈だ。
あれは多分、俺が自分で作り出した幻影でしかない。
俺はそう思う事にした。
だが俺は何故、今日ここに来たのだろうか。
何かに誘われるかの様に此処に来て、あの場所に座っている。
アリスに会えるのではないかと微かな期待をしているのかもしれない。
俺はウイスキーを飲みながら苦笑した。
そんな事はあり得ないのだ。
あのアリスという少女は俺が生み出した幻影にすぎないのだから。
俺は白くなりだした東の空をアーケードの屋根の隙間から見て、立ち上がる。
そろそろ始発が動き始める頃だ。
俺は痛む腰をトントンと叩き、ウイスキーのボトルをコートのポケットに入れた。
タクちゃん。
また来てね。
そんな声に俺はアーケードを振り返る。
しかし、そこにアリスの姿は無かった。




