悲しい別れ
それは千代が華恋と家で遊んでる時だった。すごく楽しくていい気分だったのに、メールが届いているのに気が付いて、千代はめんどくさいなと思いながら開いてみた。しかしその一通に心臓が止まりそうになった。
―お父さんか事故にあった
お母さんからのメールだった。今日は久しぶりにお父さんが旅行に行く日だったのだ。お母さんだって今は働いている時間のはずだし、こんな時なんておかしい。でも、「か」のてんがなかったりしてなんとなく千代は本当だと思った。なんとなくなんて場合じゃないけどそれしか言葉が合わないのだ。千代の心臓は耳を澄まさなくてもバクバクといっているのがきこえる。喉元はゾワゾワして平常心でいられなかった。
「ごめん華恋!」
「千代ちゃん⁉」
千代は思わず華恋を強く呼び捨てしたのも気づかないくらい、ドキドキしていた。華恋が後ろから追いかけたそうにしているがそれに相手をしている暇はない。千代はお母さんに電話をかけようとしたが
「え?遅すぎない?」
千代がスマホの画面を見ると
「ギガを使い切りましたぁ⁉もう!こんな時に限って」
千代は涙が出そうになった。今月は悠里に電話をしすぎてたんだ!千代は両親に使いすぎはよくない、いざというときに困るといわれていたのだ。それを守らなかったのがこれだ。千代は自分への怒りとドキドキと悲しみで心も顔もぐちゃぐちゃにしながら公衆電話まで走っていった。
「ひゃ、百円…あった」
千代は慌てて百円を取り出した。あっ番号。もちろん千代はそれも覚えていた。
「0,と。」
「もしもし、お母さん?」
―あぁ、千代。だから言ったでしょ。ギガのこと
「うん。今日でわかったよ。それよりお父さんは」
電話の向こうのお母さんも千代の口が震えているのがわかった。
―出かけるときの高速道路で事故にあって、お母さんもまだついてないのよ。本当かどうかもわからないし。どういう状況かも…えっと病院の名前はね、
埼玉県立さいたま学院大学記念病院
ブーグルマップで調べればすぐ出てくると思う。
そういうとお母さんは電話を切った。千代は100円も入れたのに1分も話してなかったなという、ちょっと悔しい気持ちがよぎった、けれどもお父さんのことを思い出してまた、胸のゾワゾワがした。
「え、と埼玉県立さいたま えっと病院、記念…あっ違う。埼玉県立さいたま学院大学記念病院?」
千代は震える手で文字を打っていった。するとすぐに出てくる。車で行っても1時間以上かかる。電車だと、50分ほどだ。電車に乗れるようなお金は持っていない。お金も使ってしまったのだ。車も持っていない。お父さんは有名な開発者にもう、なった。だから、後払いできるもの…
(タクシー!)
千代はあらん限りの声を出して
「タクシーさーん止まってくださーい!」
と叫んだ。何度も何度も叫んだ。そして5分後ようやくタクシーを止められた。
「あ、後払いでお願いします。私今お金持ってなくて、父からもらいますから」
「どちらにしても後になるので。その時に契約させてもらいます。どこまで行きますか」
「えぇっと」
千代は急いでスマホを取り出した。□を押してみる。
「埼玉県、立、さい、たま学、院大学記念病院です。」
さっき叫びすぎたため、うまく声が出ない。
「埼玉県立…」
「と、とにかく出して下さい。北です!」
ブゥンと車が走り出す音がした。1時間はとてつもなく長かった。
「ここです。スマホの携帯番号を見せてもらえますか?あなたが嘘をつくとは思いたくないですけど、念のため。」
「はい」
千代はさっきよりも震える手で、スマホを見せた。運転手さんは何かメモをすると「いいですよ」
と千代を解放してくれた。千代は運転手さんからスマホを奪い取るようにすると走り出した。受付までそれほど遠くないのに、とてつもなく遠い気がした。
「お母さん、お父さんは!」
病室に入るとお母さんが泣いていた。
「意識不明だって。脳に大きい傷ができてる。このままだと90パーセントの確率で脳死になるって。」
「このままって」
千代はあれる息を抑えながら言った。
「手術がうまくいかない状況。でも、うまくいった例はこれまでにないそうよ。」
「そんな。じゃあ、もうお父さんには会えないの?」
お母さんは何もしゃべらずに首を落とした。落としたというよりもうなだれているのほうがあっているだろう。
―この時、まだ千代は知らなかった。お父さんが死んでしまう、もう会えない。という悲しみのほかにお母さんを痛めつけている事情があることを―
「お父さん、お父さん」
千里がしきりに呼び続けている。お父さんの頭は顔が見えないほど包帯で覆われていて、とてもむなしかった。何も誰も言わない病室に心電図モニターの電子音がただ流れた。千代の口は何か言おうとしていた。
「千代の名前は千代紙から来ているんだ。千代紙のように美しく、そして美しく人生を折っていけるようにってね」
お父さんの言葉がよみがえる。
「私の!名前…」
千代の言葉はだんだんとデクレシェンドしていって最後の「え」はほとんど聞こえなかった。
「千代の名前はそれだけの意味じゃない。それはあとからつけた由来…」
「え?」
お母さんのその言葉にびっくりした
「じゃあ、なに?」
「…それは、わ、私もうまく説明できないの。」
お母さんはつぶやくように言った。
「お父さんはこんな空気を望んでいないよ。野村家は明るく(お父さんの声真似)って言ってたでしょ。また聞けるって信じようよ」
無理やりだって自分でもわかっていたけど、お父さんのためにも自分のためにもいう言葉はこれしかないと思った。
「そうね…」
お母さんは賛成しているのは口だけ、かどうかはわからないが全くそうは見えなかった。
「千代も千里もホテルとっておいたから、今日はそこで寝なさい。私は、お母さんはずっとここにいるから。ほら元気でいるためには。もう行きなさい」
お母さんの目の下に一瞬にしてクマができたように千代は思った。千代は千里の手を引っ張ると「じゃあ」とだけ言い残してその場を去った。千里はいつまでもお父さんではなくお母さんの方向を向いていた。
ホテルには夜ご飯と朝ご飯用の冷凍食品が置いてあった。
「お父さん」
千里はテレビを見ながらそれだけ言っているだけだった。何もしなかった。千代も千里も。ご飯だけ食べて千代はお風呂に入ったけど。二人とも何もする気にはならなかった。寝る気もしなかった。
「もしだよ。もしだけど、もしお父さんが死んじゃったら私たち大変になるだろうね」
「大変って」
千里がびっくりして聞く。
「だってお父さん、有名でしょ?そしたら、遺族コメントとかとられるんじゃない」
千代は千里の目をしっかりと見て言った。
(これは現実。それもお父さんの。目をそらしてはいけない)
千代の目がそう言っているのが千里にはわかった。まるでファンタジーのテレパシーみたいな感じだけど、本当だ。そう二人がテレパシーを使っている間に二人とも眠くなってきてそのまま眠りに落ちた。
「はっ」
ごつごつした床に頭を押し付けていてやっとわかった。千代も千里もここがホテルということを忘れていたのだ。何よりも困ったのが寝ているのが床だったということを忘れていたこと。
千代が起きたとき千里はまだ寝ていた。スース―と、小さな寝息を立てて安心してそうに眠っている。いい夢でも見ているのだろうか。
千代は髪をとかして服を着替えると千里がまだ寝ているのを確認して病院へ向かった。病室ではお母さんが泣き声を上げて泣いていた。
「どうしたの」
千代が恐る恐る声をかけた。
「どうしたもこうもないよ。お父さん死んじゃった…」
「えっ!?」
千代は言葉も出なかった。「本当?」と聞きたかった。
「脳死なの。お父さんは僕が脳死とか心臓死したら臓器提供してあげてって言ってるから。もう会えない」
お母さんはお父さんの布団に顔を押し付けた。
「お、お医者さんは?」
「今はいない。臓器提供全部するかどうか決めるのは千代も千里も入れたいって思って」
「私、千里呼んでくる」
千代は全速力で病院を飛び出して千里の部屋に向かった。
「千里。千里。起きて」
千代が少し呼びかけると千里はうーんとうなったけどすぐにパチッと目を覚ました。
「すぐ行く」
千里は本当にすぐ準備ができた。2分ぐらいだろうか。
「行くよ」
千代は千里をおぶさると病院まで走っていった。途中で千里がやめてと言っているのが聞こえたけどもう千代は無視した。そのほうが速いと判断したのだ。
「千里」
病室に着くとお母さんがいた。
「千里。よく聞いて。お父さんの声やしぐさはもう見れないの。でも、お父さんはまだ生きている。栄養をあげればトイレもできる。それでも家で世話するか、臓器提供って言ってまだ生きてるお父さんの体のものをほかのしゃべれる死にそうな人にあげるか」
千里はお父さんが死んじゃったということしかわからなくて、大声で泣いた。
「わかんないよね。お父さんは臓器提供したいって言っていたの。それでいい?」
千里はコクっとうなずいた。とたんに千代はもうお父さんには会えないということがわかってすごく寂しくなった。
それからは千代と千里は家に帰って過ごしているだけだった。お母さんはその臓器提供の同意書を書いたりいろんなことをしていたのだ。お母さんにあったのはお父さんのお葬式の日だった。お母さんはお父さんの遺産を使って大きめのお葬式を開いた。お父さんの弟子や師匠、親せきなど大勢を呼んだ。みんなそのことを聞いた時には大泣きしたそう。千代と千里もお葬式の日にはたくさん泣いた。もう体の中の水分がなくなるんじゃないかというほど。
その日から千代の反抗期は終わった。いただきます、ごちそうさまはちゃんと言い、お母さんともちゃんと話をして、お父さんの砂(?)に煙を上げる。そんな当たり前の日々が素敵だっていうことをお父さんは教えてくれた。それと
「千代。今まで黙っててごめん。一言で言うね。千代には姉がいた。」
「…」
千代はお父さんの死を告げられた時よりも驚いた。「え」の文字も出なかった。
「お母さんが19歳の時、その時付き合ってた彼氏との子供を妊娠していることがわかったの。でも、私はどうしても産みたいって。それでできたのが、あなたの姉。私は育てられないから施設に預けた。その施設は少し特別で、その子の成長を手紙で伝えてくれる制度や取返し契約というある程度生活が安定したら、無料で引き取れる契約があるの。お母さんはどっちもやってもちろん取り返すつもりだった。」
「でも、どうしていないの」
「それは、お父さんと同じ、事故で死んだから」「…」
また、千代は何も言えなくなった。
「その子は千穂って名前が付けられたの。あっ、施設でね。お父さんと結婚が決まって、お父さんに話して、同意してくれたらその子千穂も一緒に、二人の間の子も作って育てていくっていうのが私の理想だった。でも、そこで事故で死んだっていう知らせがきて私が毎日泣いていたらお父さんが心配してくれたんだ。それで打ち明けたの。そしたら『千穂と同じ子を作ったら楽になるでしょ』だって。千代の名前はその千穂から来たの。千穂はなんか和っていう感じもあるし。千代が小1になった時初めて気が付いた。もし学校で名前の理由を聞かれて『お姉ちゃんからつけられた』なんて言えないでしょ。だから、お父さんと考えてあとからつけた理由。ごめんね」
お母さんは目に涙を浮かべていた。
「お父さんのお墓はその近くにするから。今度会いに行ってきて。」
会うという言葉から本当にお母さんは千穂のことを愛していたんだと千代は実感した。
その一方、お母さんにも決断の時が訪れた。
「お母さん」
ある夜。お母さんが洗い物をしているともうとっくに寝たはずの千里がドアのところに立っていた。
「話があるの」
「え?」
お母さんは疲れたような目をして千里を見た。二人はリビングのテーブルに向かい合った。
「私…桜城に入りたい」
桜城とは私立桜城学園のことで、全国的に有名なお嬢様校だ。
「でも、わかってるよ。家計が難しいって。よもぎには兄弟割もある。けど、私はお姉ちゃんみたいに天才じゃない。地元だったら、年収が少ない人の無償化とかあるけど地元だったらまたいじめられるし」
もちろん、今の野村家の状況で入れるような学校ではない。よもぎも結構学費が高くて千代だけで精一杯なのだ。お母さんもいつかこうなることはわかっていた。ただ、そうならないように千里がよもぎに入りたいというよう願っていただけなのだ。
お母さんは思いあぐねた。すると、千里は急に
「ごめん。無理だってわかってるよ。地元で我慢する。」
と言って寝室に向かった。お母さんは千里の手首を思わずつかんだ
「まって。考えてみる」
お母さんはその夜。ほとんど寝ることができなかった。
翌朝。
「お願いします!」
お母さんは急に立場が変わったかのように千代に向かって敬意を示していた。
「千代の力がどうしても必要なの」
そう。昨日の夜の話を千代にもした。
「もちろんよもぎは卒業していいのよ。でも、何かあったらあなたに頼りたい。その時の保証が欲しいの」
「そんな」
「お願いします」
「そんな当たり前じゃん。家族でしょ」
お母さんは千代の言葉に驚いた。そんなすぐに同意してくれるとは思わなかったのだ。
「千代…」
お母さんはわっと泣き出した。千代の優しさに感動したのだ。
(こんなに、こんなに優しい子に育ってくれるなんて。これまで育てた買いがあった)
「お母さん⁉」
千代はお母さんを抱きしめた。そして
「これからは親孝行の番かもね」
とお母さんに聞こえないかもしれないほどの声で言った。
「やめさせてください」
お母さんは今度は店長さんに向けて頭を下げた。お母さんが今働いているところだ。しかし
「あんたはちゃんと働いてくれているじゃないか。何か不満なのか」
「夫が亡くなりまして、その開発者の後を継ぎたいんです。」
店長は少し困った顔をして。
「その開発者は?」
と聞いた。
「野村忠一です」
店長は目を丸くしていった。
「そ、それならいいわ。必ず、いいことを発見してね」
と、まごまごした感じで言った。
「はい!」
お母さんの笑顔は太陽のようにパリッとしていた。
お墓にて
「お姉ちゃん。ちょうどよかった!私、ちょっとお墓参り怖いんだよねぇ…お母さんに言われてしぶしぶやってきたけど…あれ?お父さんのお墓はあっちじゃない?」
千代はびくっとして振り向いた。そこには千里が立っていた。
「もー千里びっくりしたじゃん!幽霊かと思ったよ」
「えぇ?私が幽霊?」
千里はふざけるような口調で言った。
「で、そこお父さんのお墓じゃないよね何してるの?」
千里の観察眼が鋭いのは相変わらずなようだ。
「えぇっとねぇ、それは…」
「それは?」
千里は興味津々に聞いてくる。
「千里は知らなくていいの。ほら、お父さんのお墓参りするんでしょ。」
「え?詰まんない」
千代は自分が妹で千里が姉のように思えた。千里は大人っぽい。
(?)
千代は千穂がそこにいたような気がした。