告白
春の陽射しが降り注ぎ、暖かい日が続いている。
美桜が学校内で一番気に入っている場所が、今座っている中庭の枝垂れ桜の正面。風に揺れる桜を見ながらとる昼食は贅沢な時間で、食べているものがパンでもとても優雅な気分になれる。美桜の特等席は高二になっても同じだった。風を感じて軽く目を閉じる。
「河原美桜くん。好きです」
「……」
なにか聞こえた気がしてゆっくり瞼をあげると、一年のときから同じクラスの志波高良が立っている。
好きです、と言われたように思うけれど聞き間違いだろうと志波を見る。男子からも女子からも人気の美形男子。背が高くてスタイルがよく、つややかな髪が春風に揺れる。ひとりでばかりいる美桜とは正反対の、いつも生徒達の中心にいる志波がなんの用だろう。
「えっと……?」
「つき合ってください」
意味がわからず首を傾げる美桜に志波が微笑みかける。先ほどの言葉は聞き間違いではなかったようだ。
人生で初めて告白なんてされたので、美桜はどうしたらいいかわからない。なんとなく空を見あげると綺麗な青で正面を見ると枝垂れ桜があり、斜め左には志波。
「俺、志波くんのこと全然知らないからつき合えないよ……」
ようやく至った答えはそれで、ごめんなさい、と頭をさげる。
「そっか」
志波はすんなり納得して、「邪魔してごめんね」と言いながらも同じ場所にずっといる。こういうシーンでは去って行くものではないだろうか。
「他にもなにか用?」
「ううん」
そのわりには志波は美桜をじっと見ている。こんなふうに見つめ合っていたら昼休みが終わってしまう、と美桜がパンを食べると、志波はそれもじっと見る。
「……あんまり見ないで欲しいんだけど」
「あ、ごめんね」
ようやく背を向けた志波が、一度振り返って微笑む。
「これからよろしくね」
意味がわからない。
手を振りながら遠くなって行く背中をぼんやりと見つめた。
放課後になり、帰ろうとすると志波が近寄ってきた。またなにか用事だろうか。
「志波高良、誕生日八月二十日、身長一八〇センチ――」
なぜか自己紹介を始める志波に首を傾げる。
「えっと、……なに?」
「俺のことがわかったらつき合ってくれるでしょ?」
どうしたらそういう発想になるのか。でもそれを口に出していいのかわからなくて美桜は悩む。志波の自己紹介は続く。
「趣味は河原を見ること」
「えっ」
自慢げな志波にぽかんと口を開けたまま固まってしまう。これはどう反応したらいいのか。冗談を言っているようにも見えないし、本気だとしたら――。
「ごめん。俺帰る……」
とりあえず逃げよう、と通学バッグを持って教室を出ると、志波が追いかけてくる。
「美桜って綺麗な名前だよね」
「……」
「河原の美しい桜って、すごくイメージできる。河原にぴったり」
志波の言葉に悔しくて唇を噛む。美桜自身はこの名前が好きではない。なにをとっても平凡なのに「美しい」だなんて、名前ばかりが立派すぎると常々思っている。桜が満開のときに生まれたから「桜」の字を入れた、と両親は言っているけれど、それでももっと違う名前があったのではないか。「みお」という響きも女子のようで小さい頃はよくからかわれた。
「美桜くんって呼んでいい?」
「だめ」
ファーストネームで呼ばれるのは好きではない。頑として頷かずにいると、志波は「わかった」と微笑む。
「俺のことは『高良』って呼んでね。美桜」
「……」
だめと言ったのに勝手に名前で呼んでいて、しかも呼び捨てだ。それほど親しいわけではないのに、呼び名だけ距離感が近い。
「志波くんって、よくわからない」
「『高良』だろ?」
「……」
この会話はなんだろう。
つき合いきれない、と早足で歩く美桜の隣を余裕の表情で志波が歩く。脚の長さが違いすぎて、これは不公平だろう、と眉を寄せた。
できることなら志波を振り切ってひとりで帰りたいが無理そうだ。諦めて並んで歩いていると、志波はずっと美桜を見ている。
「なに?」
「美桜って可愛いなと思って」
「そういうお世辞は他の子に言えば?」
美桜に言ったところで効果はない。美桜自身が自分の平凡さを一番わかっているのだ。ちゃっかり名前呼びをしているし変なやつだ。一歩距離をとると一歩近づかれる。やはり変なやつだ、と美桜はもう一歩距離をとる。やはりその分近づかれる。
「美桜は照れやさんだなあ」
「……」
あまりかかわらないほうがよさそうな気がする。
電車の方向は逆で、改札を入って志波と別れる。
「明日もここで」
別れ際、志波が一方的に言って去って行く。
ここで、とはまさか待ち合わせではないよな、と志波がおりて行った階段を見つめる。
「……まさかな」
呟いてから美桜もホームへの階段をおりた。
翌朝、前日に志波と別れた場所に着くと、なぜか志波が立っている。美桜を見つけてスマホをポケットにしまった。
「美桜、寝坊したの?」
「え?」
「待ち合わせしたじゃん」
してないよ、と言っていいかわからない。そもそも時間も指定されていない待ち合わせなど有効ではない。美桜がもし学校を休んでいたらどうするつもりだったのだろう――そう考えて、いつまでも待っていそうだ、と小さく身震いする。
「美桜、寒い?」
「ううん。大丈夫……」
なんだか怖い。距離をとってみるけれどやはりその分近づかれたので諦めた。
ふたりで歩いていると人気者の志波はいろいろな生徒から声をかけられる。こんなあぶなそうな男が人気なのがよくわからない。一年の頃からの印象だと、もっとまともに思っていたのだが違ったようだ。見た目だけなら確かに恰好いいけれど、と隣を見ると目が合った。
「俺達つき合ってるんだから手繋いでもいいよね」
「つき合ってないけど!?」
手を握られそうになって慌ててよけると、志波が驚いた様子で俺の顔をまじまじと見る。
「俺のこと知ったらつき合ってくれるって言ったじゃない」
「言ってない……」
志波のことを知らないからつき合えないとは言ったけれど、それはイコール知ったらつき合うということではない。やはり志波はあぶない、と美桜が距離をとるとすぐに近づかれた。あぶない男だ。
大通りを渡る横断歩道で止まると、志波はなぜか美桜をじっと見てくる。
「なに?」
「……ううん」
どこか寂しげに見える表情を浮かべた後に微笑む志波に小さく首を傾げた。
一日つきまとわれて、帰宅して自室に入ると同時にぐったりと疲れがのしかかってきた。
志波はとにかくしつこく美桜を追いかけ、周囲も、なにかやっている、と楽しそうに見ているから助けもない。まさかこんな日が続くのではないだろうな、と大きなため息が自然と零れた。
本当にそんな日々が続いた。ずっと志波につきまとわれて、お願いだから距離を置かせてくれ、と土下座してしまいそうだった。
どうして志波はこんなに美桜を追いかけるのだろう。こうなる前に言われた言葉を思い出す。
――河原美桜くん。好きです。
あの言葉は本当だったということだろうか。罰ゲームという言葉が頭によぎり、それにしてはしつこすぎる、と今日何度目かわからないため息をつく。
でも志波が笑いかけてくれるのは心地よい。いつでも笑顔で、それが優しいところは悪くないと思う。他は問題がありすぎるけれど。
昼休み、珍しく志波がくっついて来ないのでひとりで購買に行ってパンを買った。中庭に行こうとして、なんとなく隣を見てしまう。
気がつけば志波がそばにいることに慣れてしまった。
「……」
仕方がないから昼食を一緒にどうかと聞いてあげよう。
「まだ河原落ちないの!?」
教室に戻ると扉が閉まっていて、開けようと手を伸ばしたら中から大きな声が聞こえてきた。なんだろう、とそっと聞き耳をたてる。
「美桜って名前で呼べとか、いつでもくっついていろとか、とにかく強気でいけって言われたからそのとおりにしてるけど全然だめ……」
これは志波の声だ。
「頑張っても美桜は俺に全然笑ってくれないんだ……。迷惑がられてるようにも感じる。本当に大丈夫かな。嫌われてないかな」
真剣な志波の声に、励ますような声が聞こえる。誰がいるのだろう、と扉の隙間から教室内を覗いてみたらほぼクラス全員揃っていた。
「どうしよう。こんなの経験ないからわかんないよ……」
「一年のときに河原を好きになったのが初恋。それからずっと片想い……。そんだけ恰好いいと逆に奥手になるのか?」
「しょうがないだろ。今まで好きになれる人に出会えなかったんだから。美桜は俺の命の恩人なんだ」
みんなの中心で志波が頭を抱えている。よしよし、と頭を撫でられて心細そうにクラスメイト達に助けを求めている。
「でもだめかあ……。河原はどういうタイプが好きなんだろう。しつこくしすぎたか?」
「えっ、じゃあ俺嫌われてる可能性あり!?」
「まだそうとは決まってないよ、高良くん。ここから巻き返して行こう」
「もう……どうしたら美桜に好きになってもらえるんだよ……」
会話を聞きながら美桜は自分の顔に触れる。そういえば志波がそばにいるときは笑ったことがない。
今聞いた話に呆れてしまう。志波はもとからあんなふうにしつこくつきまとう男ではないのだ。なんだかほっとして、それから可笑しくて声をこらえる。
盗み聞きしていたのがばれたらまずい、とその場を離れようとしたら教室の扉が開いた。飛び出してきたのは志波で、美桜は思いきりぶつかられた勢いで転びそうになる。それを志波に支えられ急にどきどきと心臓が暴れ始めてしまい、なんでだ、と目を逸らす。
「美桜……まさか、聞いてた?」
ここはどう答えるべきか、と悩んでいると表情からばれたようで志波の顔がみるみる真っ赤になっていく。
「えっ、ほんとに……? なに、こういうときどうするべき? ちょっと、おい。どうしよう、美桜に聞かれてた!」
今度は真っ青になった志波が教室の中に呼びかけると、「まじか!」と声が返ってきた。おろおろしている志波があまりに可愛くて笑いが込みあげる。
「……高良」
初めてきちんとその名を呼ぶと、志波――高良が固まった。
「一緒にパン食べよう?」
また顔を真っ赤にして固まっている高良の手をとって中庭に引っ張っていく。
「待って、美桜。……どういうこと?」
問いに答えず、いつもの場所に着くと腰をおろす。高良が座るのを待っていたら、潤んだ瞳で美桜を見つめながら恐る恐るといった様子で隣に腰をおろした。
「ごめん、美桜。俺のこと迷惑だった……?」
美桜をじっと見て高良が謝罪を紡ぐ。首を横に振り、美桜も高良を見る。
「最初は怖かった」
「だよな……。ほんとごめん」
頭をさげる高良にもう一度首を振る。
「俺、高良が好きかわからないけど」
「うん……」
「でも、嫌いじゃないよ」
微笑みかけると高良はさらに真っ赤になる。湯気が出そうなくらいに見えて、それが可愛くてなんとなくその頬を撫でてあげると、とても熱かった。
「……うん」
小さな答えが返ってきて、ふたりで散りかけの枝垂れ桜に視線を向ける。
「ねえ、高良」
「なに?」
「もう一回言って?」
なにをかがわからなかったようで、高良が少し悩んでいるのを感じる。
「えっと、なにを……?」
わからないよな、と苦笑して、それから高良を見る。
「最初に言ってくれた言葉」
「最初……」
ようやく思い至ったようで、高良は緊張した面持ちになりぐっと拳を握った。美桜をまっすぐ見つめて熱い視線でとらえる。
「河原美桜くん。好きです。つき合ってください」
「はい」
美桜が頷くと、高良は泣き出してしまった。つややかな髪をそっと撫でて、涙がおさまるまで手を握っていてあげた。
「ねえ、高良。命の恩人ってなに?」
「……どこから聞いてたの?」
「『まだ河原落ちないの!?』から」
「最初からじゃん……」
頭を抱える高良はこれ以上ないくらい顔を赤くして、耳も、首まで赤い。
「クラスのみんなに相談してたの?」
「うん……。俺、本当に初恋で、どうしたらいいかわからなくて困ってたんだけど、そうしたらみんながいろいろアドバイスくれて……でも間違ってたんだよな?」
「いろいろね」
美桜が苦笑すると高良は「そっか……」と大きくため息をついた。握った手をぎゅっと握り返され、とくんと胸が甘く高鳴る。
「……駅から学校の途中に大通りの横断歩道あるだろ?」
「うん」
「一年のとき、俺、ぼんやりしてて赤信号で渡りかけたことがあって」
「あぶないね。大丈夫だったの?」
高良は少しがっかりしたような瞳で美桜を見る。その意味がわからず首を傾ける。
「すぐにバッグを引っ張って歩道に戻してくれたのが美桜だったんだ」
「え……」
「覚えてないか……」
まったく覚えていないので、美桜は「ごめん」と謝る。でも高良は嬉しそうに破顔する。
「美桜にとって、あれは特別なことじゃなかったんだろうな。それからずっと美桜を見てた」
「そっか……。ごめん。覚えてなくて」
「ううん。そんな優しい美桜だから好きなんだ」
涙の名残で赤い目尻を手で擦って高良が微笑む。温かい気持ちでもう一度手を繋いだ。
美桜にはあっという間に高良に夢中になる自分が見えるようだった。
END