伝えていないから、伝わらない
その日、ユウは部室へ行く足を止めていた。
手には、前回ナナミが持ち帰った自分のノートの控え。
「…なんか、最近タイミングずれるな」
ふとつぶやいた声は、誰にも届かない。
教室では、レンと話す時間が自然に増えていた。
彼女は的確で、賢くて、でも意外と人懐っこい一面もある。
「ユウくんって、ちょっと他人の心を解くの上手ですよね」
「いや、それはお前が論理で話してくれるからだよ」
「それ、ナナミ先輩にも言ってました?」
「…かもな」
その“かもな”に、自分でも曖昧さを感じた。
放課後。
科学部の扉を開けると、そこにはレンだけがいた。
「先輩、今日は来られないって。レポート提出の打ち合わせで」
「そっか…」
ユウは、そのまま部屋の隅の椅子に腰を下ろした。
視界の端で、ナナミの机に整然と並んだ道具だけが“変わらない何か”を示していた。
「ねえユウくん」
レンがふいに言った。
「私、少しだけナナミ先輩が羨ましいんです」
「…なんで?」
「あなたに“選ばれた”みたいだったから」
その言葉に、ユウの中で何かが静かにひび割れた。
「…違うよ」
「え?」
「俺は、ナナミに“選んでほしかった”んだ」
「でも結局、ちゃんと言ってないんだよな。
お前と話すと落ち着くとか、
ここが居場所になったとか。
…何一つ、ちゃんと伝えてない」
レンは静かに目を伏せた。
「なら、まだ間に合うかもしれませんよ」
ユウはしばらく黙ったあと、
ようやく立ち上がった。
ノートを手に、
“伝えるために”彼は部室を出た。