第十七話
週明けの月曜日。
ナナミは朝一番に部室へ向かった。
ユウもレンもまだいない。
静まり返った空間に、彼女の足音だけが響いていた。
机の上には、前日ユウが忘れていったノート。
それを見つめながら、ナナミはしばらく立ち尽くしていた。
「どうして、手放せないんだろう」
自分が最も大切にしてきた“距離感”が、
いまはこんなにも居心地が悪い。
ふいに、部室の扉が開く。
入ってきたのはレンだった。
「先輩、早いですね」
「習慣」
「私も、つい来てしまって。…落ち着くので」
ナナミはうなずく。
そして、ためらいながら口を開いた。
「レン。あなたは、誰かに“必要とされた”経験はある?」
レンは少しだけ目を丸くしてから答えた。
「たぶん、“役に立った”ことならあります。でも、それと同じかどうかはわからない」
「私も。いつも“成果”で測られてきた」
「だから、“誰かとの関係”って、実感がなかった」
レンはゆっくりと歩いてきて、隣に立った。
「でも、ユウくんはそれを言葉にしないまま、
確かに“ここ”を居場所にしてますよね」
ナナミは、ノートを握りしめながらつぶやく。
「もし、私が観察をやめて、“私自身”として誰かと向き合ったとき、
その関係が壊れるなら、私は――」
言葉の先が詰まった。
レンは静かに言った。
「その恐さに触れたなら、もう“観察者”には戻れないと思いますよ」
ナナミは、黙っていた。
けれどその沈黙は、
初めて“観察ではない関係”に向かって、一歩踏み出す前のものだった。