第十三話
金曜日。
放課後の科学部。
ナナミは、珍しく先に声をかけてきた。
「今日、ひとつ仮説を捨てた」
ユウは椅子に座りながら返す。
「なんの?」
「“人は論理で関係を維持できる”って仮説」
「きっかけは?」
ナナミは迷いなく言った。
「君」
ユウは、一瞬言葉を失った。
ナナミはノートを閉じて、いつもの冷静な声で続けた。
「君を観察して、分析して、
すべて記録していれば、関係が維持できると思ってた」
「でも、君の表情や間、沈黙の揺れは、
どれだけ記録しても“わかった気”にしかならなかった」
「君を“理解”するには、
“一緒に揺れる”必要があるとわかった」
ユウは、ゆっくりと深呼吸して、言った。
「それってさ、もう観察じゃなくて――」
「共鳴」
ナナミが言葉を継ぐ。
そして、少しだけ照れくさそうに目をそらした。
「今日だけは、“白衣”を脱いできた」
「お、部長じゃなくて、ナナミとして来たわけか」
「仮に、ね」
その言葉に、ユウはふっと笑った。
「俺も今日、“いい人”やめた」
「なにをしたの」
「ミナトに“ムカついた”って言った。直接」
「進歩だね」
「でも、それでも“関係”は壊れなかった」
「揺らぎがあるほうが、観測可能性は高まる」
窓の外には、春の終わりの夕焼けが差していた。
ふたりの影が、部室の床に静かに伸びている。
「ねえナナミ」
「なに?」
「俺たちって、友達?」
「定義による」
「そっか」
ユウは、少しだけ笑って言う。
「じゃあ定義とかなしで、明日もまた来るわ」
「論理的じゃないけど、合理的な選択だと思う」
ふたりは、言葉少なに並んで座り続けた。
そこにもう、観察と被観察の境界はなかった。