魔法の練習
魔界では魔力を使って魔法を起こす。これは悪魔しか行えないが、使い魔を得たゆずにもできるはずである。つまりゆずは「魔」の世界に片足を踏み入れたのだ。
「呪文とかって使うの? さっき契約した時みたいな」
魔法を教えられることになったゆずは、目を輝かせていた。
「自分の魔力に命じるんだ。大がかりな魔法を使う時には古の言葉を使うこともある。例えば”水を生み出せ”」
セオドアが唱えると、ゆずの血を入れていた盃に水が溢れた。青い光がはじける。
「すごーい」
「そうか、すごいか」
「うんうんすごいよ!」
「そうかそうか」
セオドアは褒められ慣れていない。素直な賞賛を浴びて口元を緩ませる。
「じゃあお前もやってみろ」
「うん!」
「待って」
うきうきで盃を受け取ろうとしたゆずからそれを取り上げ、クライヴが外を指した。
「ゆずさんの魔力量を考えると外に行った方がいいだろうね」
「確かに……」
「そうなの?」
きょとんとするゆずを中庭まで案内して、クライヴはひらひらと手を振った。
「僕は魔王様に報告してくるから」
セオドアの肩が跳ねる。
「っ……す」
「そんなに気にしなくても怒られないよ」
「はい……」
何かしらの処分はあるだろう。5千年かけて召喚した人間を、勝手に実験材料にしたのだから。
「怒られるときは一緒だよ。私だってクライヴやレジナルドに相談せず決めたし、何よりあめっこ王子のご主人様だし」
「そりゃあ心強い」
「あ、思ってない」
ゆず自身には期待していないが、人間が味方になれば、少なくとも処刑は免れるだろう。
「まぁまぁ、悪いようにはしないから」
クライヴの言葉は信用できる。何せ魔王の宰相候補だ。
「覚悟はしときます」
甘えない弟子に苦笑しながらクライヴは立ち去った。
「じゃあやりますかー!」
「おう」
どことなく緊張を纏っているセオドアの背中を叩いて、ゆずは盃を掲げた。
「盃を……なんだっけ」
「命じ方はなんでもいいが、とにかく具体的に。『盃を』で始めるなら『水で満たせ』が妥当だな」
「なるほどなるほど。”盃を水で満たせ”……あれ? なんも起こらないよ?」
セオドアの時には青い光が綺麗だったのに、とゆずが首を傾げる。その時、白い光がゆずを包み、天に昇って行った。
「これはまずいやつかもな」
直後、滝のような大雨が魔界全土に降り注いだ。雨雲で空が暗くなる。
「ニンゲンに魔法を使わせるとこうなるのか! どうだ、盃は満ちたか!?」
「あ、うん。もう少し」
セオドアが興奮を抑えきれずに叫ぶ。ゆずは実感が湧かず、むしろ冷静になっていた。
やがて盃が溢れ出すと雨は止み、何事もなかったかのように光がさす。
「盃一つに雨ごいか。派手なのは嫌いじゃない」
セオドアが目を輝かせ、紙とペンを取り出して何やら記録し始めた。
「魔法ってなんでもできるの?」
「いや、使い魔の俺が人魚……水属性だから、水属性の魔法しか使えない」
「水を操ったり、水を作ったり?」
セオドアがペンを走らせながら頷く。不思議だ。セオドアと話していても怖くない。クライヴやレジナルドもだが、ヘビ男のような捕食者の目をしないからだろうか。
「あめ太は悪魔なのに私をいじめたくならないんだね」
「そうだな。データの塊にしか見えない」
クライヴの弟子らしい回答だ。ゆずは安心して芝生に腰を下ろした。今日はいろいろあって疲れている。
「お前、口調が丁寧な時があるな」
セオドアのペンが止まる。ゆずは膝に顔を埋めて答えた。
「気持ちで負けたくなくて。私だって、知らない人には敬語で話すくらいのしつけはされてる」
それを聞いて、セオドアの「食欲」が瞬発的に増した。弱いくせに虚勢を張って。なんと健気でウマソウダ。
「ん? どしたの? だまちゃって」
「……いや、なんでもない」
なるほど、この生き物を拷問してもいいと言われたら、確かに加減はできないだろう。殺してしまうかもしれない。
「あ、でもあめ太とはずっと素で話せてる」
「どーも」
その感情をメモして、セオドアは筆記用具を片付けた。