病弱な使い魔・あめっこ王子
「あ、忘れ物しちゃった。ニンゲンさん、ここで待っていて」
研究室に入るなり、クライヴはそう言って出て行ってしまった。研究室は物が多く、魔法陣が描かれた紙や本や実験道具で足の踏み場もない。窓から覗く青空がやけにすっきりとして見えた。
「おい」
ゆずが壁一面の本棚を眺めていると、部屋の奥の扉から声がかかった。微かに開いた扉から手招きしている。明らかに怪しいが、クライヴの研究室という安心感から、持ち前の好奇心が恐怖に勝った。
「お前、ニンゲンだな」
恐る恐る部屋に入ると、長い銀髪を一つに結んだ青年が、点滴に繋がれて立っていた。青年の身体にはツノもシッポも生えていない。
「そうよ。あなたも人間?」
「違う。俺は人魚だ。今は陸に対応した姿に変化している。それよりも」
青い瞳が爛々とする。逃げた方がいいだろうかと迷ったが、ヘビ男とは興奮の種類が異なっているような気がしてやめた。青年は、そう。クライヴに似ている。好奇心を刺激された顔をしているのだ。
「俺はクライヴ先生の弟子、セオドアだ。研究分野は先生と同じ、ニンゲン。その中でも俺は使い魔について研究している」
「あー」
「なんだその反応は」
「ううん。なんでもない」
なるほど、似ていると思った。そして、それなら信用できる。ゆずはクライヴを人格者だと勘違いしていた。温厚なマッドサイエンティストと評される彼を。
「まあいい。単刀直入に言うぞ。俺をお前の使い魔にしろ」
「え?」
戸惑うゆずを差し置いて、セオドアは点滴を抜いて本棚へ向かった。
「沈黙は肯定と受け取った。協力感謝する」
「ま、待って!」
今日だけでゆずは痛いほど学んだ。悪魔はニンゲンを尊重しない、道具だと思っている。
「使い魔って何? 私をどうするつもり?」
「どうもしない。お前にはメリットしかない」
「ちゃんと説明して! 悪魔ってみんなこうなの!?」
怒鳴られて、セオドアは手を止めた。
「他の悪魔どもと一緒にされるのは癪だな。よし、質問してみろ。答えてやる」
ゆずはほっとして小さく笑った。口調と態度は全く違うが、どこかクライヴと似ている。
「使い魔って何?」
「使い魔はニンゲンと契約した悪魔のことだ。使い魔は契約者には逆らえない。その代わり契約者は使い魔に魔力を与える」
自分に逆らえない、信頼のおけるもの。今のゆずに必要なものかもしれない。
「じゃああなたのメリットは何? 私ばかりが得をするように思うわ」
少しの間。
「俺の仮説を証明したい。それから、俺は魔力欠乏症だ。ニンゲンが絶滅してから増えた病気。身体が動かず寿命が短い。使い魔になれば、この不治の病が治るかもしれない」
クライヴが言っていた。ニンゲンが絶滅してから平均寿命が短くなったと。魔力欠乏症というものも、それに関係しているのかもしれない。
「お前にとってもメリットはある。使い魔を得ると自分の魔力を制御できるはずだ」
「つまり?」
「つまり、拷問を受けなくていい」
ゆずの目が輝く。これで拷問を受けなくていい。インキュバスだって呼ばれない。
「乗った!」
「いい返事だ。じゃあこの盃に血を落として」
セオドアは満足げに頷き、ゆずに金のナイフと盃を手渡した。受け取りながら、ゆずは涙目になる。
「痛そう……」
「貸せ。できないならやってやる」
セオドアはせっかちだ。ビクビクするゆずの左腕を引き、ナイフを手のひらに突き立て盃をいっぱいにした。
「っ……! うぅっ……ぃたい……」
「ニンゲンの皮膚は柔いんだな。ニンゲン用の回復薬だ、飲んでそこに座ってろ」
ゆずは渡された試験管を飲み干し、ベッドに腰かけ左手をさすった。その間にセオドアは大きな紙を広げ、そこに書かれた魔法陣をチェックしている。
「来い。ここに立って、合図したらこれを飲み込め」
呼ばれて魔法陣の上に立つと、青く輝く爪のようなものを差し出された。
「なぁに? これ。綺麗」
「俺のウロコだ」
「うぇ~」
「わがままを言うな」
「はぁい」
しぶしぶゆずが頷くと、セオドアが呪文のようなものを唱えだした。魔法陣が青く輝く。
「飲め」
「っく」
ごくり、と喉が鳴る。セオドアも血を飲み干したようだ。途端、2人を中心に竜巻が起こった。
「俺に名前を着けろ」
「な、名前!?」
「俺の使い魔としての名前だ」
名前など、突然言われて思いつくものではない。アニメや漫画も流行りものしか見ないので、横文字の名前にも詳しくはない。
「えーと……」
「早く」
「あ……”あめっこ王子”!」
「は?」
竜巻が収束し、光も消えた。荒れた部屋に残された”あめっこ王子”は主人に掴みかかった。
「こんな名前、学会で発表できるか!」
「急かすからでしょ!」
「せめて由来くらいあるんだろうな!?」
「目が飴玉みたいに綺麗だったからよ! 悪い!?」
するとセオドアは耳を赤くして押し黙った。敵の多い性格の彼は、褒められた経験などほとんど無い。
「まぁまぁ落ち着いて」
「先生!」
「クライヴさん!」
一瞬の気まずい沈黙を破ったのはクライヴだった。いつの間にか入り口にもたれかかっている。
「成功したようだね。王子」
「やめてください……。あとその、勝手にすみません」
「大丈夫、想定内だ。今頃魔王様が、このことを頑固な高齢悪魔たちに報告しているだろうね」
クライヴはわざと席を外したらしい。弟子のことをよく理解している、と言えば聞こえがいいが。
「それからゆずさん」
「はいっ」
「僕のことは呼び捨てでいいからね。魔王様を呼び捨てにしているんだから」
「は、はい」
「じゃあちょっと使い魔に命令を出してみて。名前を呼んでから命じるんだ」
命令。少し迷って、ゆずは壁一面の本棚を指した。
「あめっこ王子、”おすすめの本を取ってきて”」
だが、セオドアは動かない。数秒後、セオドアがうずくまった。
「っ……なる、ほどな。」
「だ、大丈夫っ!?」
ふらつきながらセオドアが立ち上がり、本棚に足を向けると動きが自然に戻る。逆らっている間だけ痛みが走るらしい。本を受け取ったゆずは涙目でセオドアを見上げた。
「私、痛いのいやだったのに、ごめん」
今にも泣きだしそうなゆずを見て、セオドアは微笑んだ。勢いで使い魔になったものの、主がこの人間ならば安心だ。
「俺が試したかっただけだ。それにしてもすごい。お前から魔力が流れ込んでくる」
「顔色もよくなっている。魔力の点滴も不要になったみたいだね」
「はい!」
クライヴがセオドアの頭を撫で、揚々と言い放った。
「ここまでは予定通り。さぁ、次の段階に進もう」
「次の段階?」
「そう。魔法の練習だよ」
「魔法!」
ゆずの声が高くなる。魔法はファンタジーだ。架空の夢だ。そんなものを自分が使えるとは。ゆずは、初めてこの世界の利点を見出した。