第2話いつかの夜戦2
変わり果てた世界。夜の砂漠のように冷え込む一帯に立ち尽くしたおれは、人の姿のなくなった戦場にあってただ一人、自分以外に存在している相手を確認した。
――目が、合った。
おそろしく冷めた顔つきだ。なのに殺し合いをしていたとは思えないほど瞳は透き通っていてまるでエー玉のように美しかった。
男も俺の存在を認知したようだ。夜天の下、人々に絶望を与えた男が、こちらにゆっくりと歩いてくる。
遠く、夜鷹が空で鳴いた。
「あ、」
声をかけようとした矢先、殺気をにじませてローブの男が接近してきた。視界に濃い赤が入り込んだのを確認する。
と、反射的に動いていた。
キィンと高い音がして、眼の前には交差する刃があった。
流れた冷や汗が地面に落ちる。
そこからは力を込め合っての応戦だ。おれの方は受け止めた刀身が痺れている、だというのに男の方は余力を残していそうだ。
(魔法ってのはほんとでたらめだ、なぁ!!)
勢いだけで硬化している手先をはね返すと、相手は不敵にも笑っていた。
幾度となく銀色に輝く手刀が振りかざされる。その度に応戦するも魔法の残像が邪魔で距離感を把握しにくい。
ああもう、だから対人戦はいやなんだよ!!
迎え撃つがそろそろ限界だった。こちらは冷や汗まみれで集中力だって危うい。
それでもなんとか食らいつき、思考の間も動きだけは止めないよう注意した。繊細な手さばきで繰り広げられる攻防のミルフィール、一つ工程を間違えれば、おれの首などあっけなく飛んでいくだろう。先の軍人のように。
両手で掴むロングソードにはいやでも力が入った。
(って今、なんか光――やば!!)
受け入れがたい気配がしていた。直感を信じるおれ。すぐにでも引き下がりたい距離を離れるのではなく、あえて詰めた。それでも爪先から伸びて揺らめく紫の火を確認できた視力には、両親に感謝しようと思った。
本能だけで察知した危機感を信じ、転ぶように体ごと頭の向きを変える。
斜めになった体は地面に叩きつけられるように落ちていった。
それでも見逃せなかった光景に、肝が、冷えた。
耳の横には直前までの軌道をすり抜けていった紫の火炎弾。火炎弾は土砂や瓦礫を巻き込みながら蒸発するように消えていく。
高火力の魔法を危なく避けたおれに、感嘆の声が届いた。
「ほお。これもかわすか」
やっば――!?
ことさら愉快げな相手の反応に地雷を踏み抜いた予感がしてくる。いい加減背中の汗が気持ち悪いし、早くここから逃げ出したい。着衣の泥を払う余裕すらないまま、ふんばりだけで地面から起き上がった。
だが眼の前の人物も悠々とおれを待ってくれていたわけではなかった。指先に魔力を込めているのだろうか、先程とは違う灯るような淡い光をみて警戒する。
また手刀か、はたまたべつの風変わりな魔法か。
休む暇もなく襲い来るであろう魔法使いの攻撃に、身構える。
――瞬く間だった。
気づいたときにはただ一点に向けて照射されていた光線は、しかしおれのもとに届く前に跳弾し、軌道がずれ、空のあらぬところへ向かっていく。
肩透かしな攻撃に唖然とした。
その後も攻撃はない。
緊張しながら相手の様子をうかがった。
そこにはピクリとも動かず、土の上に落ちたドッグタグをみつめる魔法使いの姿があった。
どうやら体の向きを反転させるときに落下したらしい鉄の札のおかげで、攻撃が止んだらしい。
赤の魔法使いは足元に落ちていたそれを拾うとこちらの胸に押し付けてくる。
「お前だったか、紛らわしい」と、じっとりした視線が送られる。
トゲのある言い方をした男に、脳内で疑問符を浮かべるも、理由はまるでわからない。
まばたきをする間に魔法使いの殺気はしまい込まれるのだった。
◇◇◇
おそらくここは敵地との最前線だろう。場所を憶測で特定すると、そこで頭から抜け落ちていた事実に慌てて確認を取る。
「もしかして、みか、……た、ですか?」
おれは恐る恐る声をかけた。
「お前が偵察部隊所属のダルク一等兵だな」
「あ、は、はい!」
「出身は?」
「え?」
「生まれ育った場所はどこかと聞いている」
視線を外さずに魔法使いは尋ねる。腕を交差させて指を叩く仕草からかなり苛立っている様子だ。
厳しい声音にやはりまだ疑われているのを感じながら申告した。
「南部のタッカート村です。家族は四人、軍には知り合いの勧誘を受けて入隊しました!」
「そこまで聞いてない」
こちらは敬礼まで取ったというのに、ぴしゃりと返されたことに反抗的な気分になる。そっちが聞いてきたんだろと、生意気な態度を取りたいのはなんとかこらえた。
相手はさも当然のように上からの態度だ。こんな言い方では苛つくのも無理は――……ん? 待てよ。
そもそも、なんでこんなに偉そうなんだ!? もしかして反抗したらヤバいクラスの上官なのではないか?
俺は交戦していた相手をみていまさらながら青くなる。
「まさか俺殺され……」
「あの魔法は偵察部隊から伝えられた落下地点をもとに算出した。臨時の調整に多少てこずったがどこにいるかも不明な 範囲外の標的を巻き込まないよう制御システムを組み込んだ。死ぬわけないだろ」
んなのこっちが知るかよ!!
なにを勘違いしたのか、例のとんでも魔法ではおれは死ぬことがなかったらしい。
道理で生きていたわけだ、って気づくのおそくね?
それはそれとして、さも魔法に自信があるらしい眼前のお方はやはり不遜な態度だ。カチンと来ていたおれは物申しておくことにした。
「だったら最初に確認しろよ!」
「貴様だって応戦してきたのにか」
「おまえみたいなの相手に、んな隙ねぇっつーの!!」
イレギュラーはあったが仲間たちはどうやら無事らしい。しっかりと無線で伝えたポイントとも合致していたようなので任務は遂行完了のようだ。
「ところであんた、なんで見ず知らずのおれを」
助けようとした、そこまでは言えなかった。
しかし先を汲んだ相手は答えをよこした。
「口うるさく兄弟ガモがわめていていたからな。それに親ガモもお前の特性を買っていた。たかだか使い捨ての駒ぐらいでなにをとは思ったがな」
ほっとしたおれの耳に飛び込でくるかわいくないたとえに、感謝しようとした言葉を引っ込める。
なんだこいつ――!!
「一応礼は言っとく。だがな、これだけは言わせろ! 人命は道具じゃない!!」
「……お前も軍人のはしくれだろう?」
問いかけは心底理解できないという顔で戻ってきてしまった。逆に論破できる語録の引き出しがないおれはうろたえた。
あごに手を当ててふむふむとうなると、相手は口の端をわずかに持ち上げた。
「そう、か」
頭に血が上っていたがこうしてみるとやけに顔のいい青年だった。
「なるほど死ぬのが怖いのか。それはそれは気分を害したようですまないなぁ」
嫌味なぐらいの悪魔的ほほ笑みをみせる美形にたじろいだ。
「お前っじつは機嫌でも悪いんじゃねーの? はは、士官様もざまぁねえな!」
当てずっぽうで、というかどうみても一介の兵士にはみえない相手に威勢よく啖呵を切ってやる。
なけなしの挑発だったのはいうまでもない。
それでも相手は癇に障ったようで……。
腹黒そうな男の含んだ笑みに対し、こちらは憤っているアピール全開のキレ顔で。お互い、引くに引けない押収を視線だけでやりとりするおれ達だったがふいに男が視線を下げる。
――ジッジッジジジジ。
(なんだ?)
男が魔法を使ったらしい。気配と音がしたのはやつの足元だ。わざわざ何かを彫ったようで地面に固く焼き付いていた。文字っぽいところをみるに、これはメッセージか?
満足したのかはたまた興味を失ったのか。風にまぎれるように男は去っていった。
信じられない出来事に白昼夢を疑うが、肌がひりつく現実と耳にこだます風切り音がなによりの証拠だった。
◇◇◇
「って、なに突っ立ってんだ!?」
頬を叩いて気を取り直す。
ところであいつがなにを彫ったのか興味を引かれたおれは文字を読むことにした。
きっちぃ、ん? あいや、これ逆だ。
急きょ立ち位置を変える。むだに偉そうな男の足跡とおれの靴が重なった。なんだか複雑な気分だ。
落ち着かない心のまま伝言を受け取ろうとする。
そこには流れるような筆記体でチキンとご丁寧に書かれていた。
「は?」
数秒、世界が止まった。
「だ、だれが臆病者じゃああああああああ!!」
おれの絶叫は様子を見に来た偵察部隊の面々をひるませた。仲間と感動の再会を終えたおれは、迎えに来た味方が避難していた場所までたどりつくと、夜の砂漠から通信機を用い、事後報告をした。
仲の良い通信兵からは相当心配されていたようで、文句も散々言われたが、おれの脳を占めていたのはべつのことだ。じつは今さっきまでのことがとうてい信じられそうにない。
おれはのちに知ることとなった。
ベスビアス国軍部の秘蔵っ子、冷酷無慈悲で死神みたいな軍人の存在を。
かの男の掌にかかれば、戦場の雑兵などという代替のきく駒を一網打尽にするぐらい造作もない、それこそ赤子の手をひねるように、と語られる男のことを。
(――向けられたあの眼が忘れられない。光の差しこまない、ガラス玉みたいな、眼が)
いまだに夢に見る。美しくも恐ろしいと名高い、最強の魔法使いとの出会い。
いつかの夜の出会いに震えた、おれの未練がましい後悔はここから始まるのだ。