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第19話妖精のいたずら3

 一週間の野外訓練が終わる日、いつもより濃いクマを作ってきた直属の上官を盗み見る。普段ならキマっている墨絵のような髪も、今日はワックスが少ないのか艶が少なかった。緋色の目は窓の外をぼんやりと眺めている。ブラインドを上げることもなく。


 ノエルさんの思い出話、あれは眼の前の男の昔話だろう。

 真っ赤なローブも黒光りするブーツですらいつもとなにも変わらないはずなのに今日の男の背中はちいさく見える。


 意図せずあいつの事情を深堀してしまったことで掛ける言葉がみつからない。

 心が落ち着かないまま、おれは訓練先へ向かった。


   ◇◇◇


「今日はいつになく熱が入ってるな!」

 切り込み隊長にはいいぞ、その意気だと背中を叩かれる。

 訓練場内を走ったあとは体幹や腕力を鍛える基礎トレーニングに励んだ。

 それでも足りずに自主鍛錬を追加した。

 鍛錬中はささいなミスが続いた。たとえば走り出そうとすれば靴紐がゆるんでいて、紐の調整すらせずに走り出したことを自覚する、そんな具合に。

 ほかにも気持ちばかりが先走りいつもならしないような失敗までした。遭遇したオーランドには笑われたほどだ。


 自分でも焦っている自覚はあった。

「少しは頭を冷やせ」

 タオルを頭に腰掛けていると、額に冷たいボトルを当てられた。

「いらない」

 お節介を手で払いながら上を向く。

「なにを急いでいる。わけを話せ、ダルク」

 おれの前で説明を求めたのはスピネルだった。


 珍しく命令口調な上官に不器用なやつ、とも思った。

 ――苦労してんのも大変な目に遭ってるのもこいつの方なのにな。

 こんな自分にまで気を回す必要があるとは難儀なやつだ。

 抵抗を諦めて長椅子の隣に座るよう促した。


「おれは強くならなきゃいけないんです」

 思う、思うのにうまくいかないのはなんでだろ。

 理解できない顔つきでスピネルは質問した。

「なぜだ?」

「このままじゃあなたの副官なんてとても務まらない」

「……みなそういう。俺には理解できない」

 スピネルは消沈したように、目線を下げて言った。

「私が上官失格だからか? 悪いところがあるなら――……」

 どうやらこの人は先の意味を履き違えて理解したらしい。おれはゆるく首を振ると、ボトルを開けて冷水を飲んだ。


「あなたのせいじゃないですよ。戦わないと守りたいものも守れない。それだけですよ」

 具体的に失いたくないのは今のじぶんの地位なのか。はたまた、ノエルさんの話に感化されたために生まれた同情かは、曖昧だった。

「守りたいものだって? バカバカしい。人の争いから遠ざけられるものなんてないに決まってる」

「それでも、ですよ。いつか参謀長にもわかるといいですね」

「くだらん。さっさと仕事をしろ半人前」

 ごまかすように参謀長は立ち上がる。手に持っていたボトルを要求されたので返すと、黙ってそれに口をつけていた。効率重視でそれ以外を無視するのはいいがおれは複雑な気分になった。

「お前も来い」

「え? でも今からだと門限、」

「外出届は出してある。行くぞ」


   ◇◇◇


 夕方、街並みをみながら参謀長とともに歩く。スピネルは街道の花や樹木、通行人の顔、家々の様子と、物珍しげに観察しているようだ。

「このあたりは暢気(のんき)なところだな」

「そうですよね。ノエルさんも出店する場所を選ぶ時――あ」


 やべっと心の中で声を上げた。

 傷心に浸っていた上官の心の傷を抉る切り口に、自分でもやっちまったと後悔する。

 だが予想に反してスピネルは静かな顔で構わんと、ついで目で続けるようにうながした。

「できるだけ家族連れが多くて安心して住める場所を、中央から離れた場所に出店したいと、ここに決めたそうです」


「そうか……、悪いことをしたな」

 罪悪感からか、スピネルは自分を責めるようにぼやいた。


「なんで、参謀長が謝るんですか……だって引っ越しは」

 偶然じゃないだろう? あのタイミング、おれが大佐の前で口にさえ出さなければ、もしかしたらあの不思議なやり取りは続いていたかもしれないのに、そして。


「ふたりが会うことだってできたんじゃ――」

「それはない。私が家族に接触することはありえない、ダルク一等兵、貴様のせいではないんだ」

 だから気にするなと肩を叩く上官。


 それから立ち止まった。

 目を泳がせながらスピネルは。

「昔話を、してもいいだろうか」と言った。


   ◇◇◇


「私の名前を覚えているか」

「特別参謀部参謀長のスピネルでしょう、それが?」

「家名は」

「ええと」

 聞いただろうかと頭を回転させると、そういえばサバイバル生活で敵の痕跡をみつけたときに自信満々に明かしていたような気がする……?


『私を誰だと思っている。これでもベスビアス国の死神、『スピネル・ラーゼフォン』だぞ。それこそ屍の群れができるほど私は人を殺められる』


 ――待てよ、その名字どっかで……。


「母はノエル・ラーゼフォン、すでに貴族ではないからその家名は名乗っていないだろうがな。気づいたか。そうだ、グウェル大佐は」

「父親なのか!?」

 おれは驚きのあまり反射的に答えてしまった。

「……おい待て早まるな。第一あの人は子どもが――いてもおかしくない年齢だが、独身だ。親戚の叔父なんだ」

 苦々しい表情で大佐との関係性を説明する。


「おじさん……? でもグウェル大佐とは会えるのか」

「ああ。彼は軍人だからな」

 それならあの人に頼めば手紙ぐらい届けてくれるだろう、安心していたらポケットからくしゃりという音がした。

 よくよく考えて噛み合ってないような答えに疑問が浮かぶ。

「監視役の目もある、軍人としての責務もある、そんな人がおれを連れ出すことはないだろう。まして人質になっている家族と引き合わせることなんて、な」


「今なんて……――?」

「私は軍学校に入学すると同時に家族と引き離された。以降、私からの接触は許されていない。家族の安否は気にしていたが、行方を調べることはどうしてもできなかった。会いに行くことは叶わぬとも、街中で偶然にでも、一目だけでも会えないかとは……願っていたが」


 今にも消えてしまいそうな声で、こいつは何を言っている?

 家族に、会えない?

 それも生存すらわからない状態だった?

 そうだ、軍には望んで入ったわけではないと、当のグウェル大佐が言っていたはず。では、こいつの(まなじり)に浮かぶ水の粒も本物で、悲しみの色が浮かんでいるのは紛れもない、真実?




「私が職務を放棄すれば家族がどうなるかわからない」




「ごめっ、……ん」と謝罪するのが精一杯だった。


「だから謝ってくれるな。お前のおかげで母さんの近況も、夢だった店のことだって、聴けた。私は幸せだった。あの交流が、やってきたことが無駄ではなかったと、証明してくれたのだから。たとえ声も姿も直接確かめられずとも、お前のおかげで彼女の笑顔を思い出せたんだ」


「なに、言って……そんなの!!」

「ありがとう、ダルク。私を母と引き合わせてくれて」

 立ち眩みがしたように、立っていられない。

 ふたりの、いや、ある一家に起きた悲劇を思って。のどが、焼けたように熱くなって、もらい泣きした涙が止まらなかった。


 多感な青春時代どころじゃない、まだ母親も父親も必要な時に家族と引き離されて、たった一人、奮闘する。毒を盛られて死ぬような目にあいながらも会いにいくことは叶わないなんて。


 スピネルは晴れやかな顔で笑っていた。夕日に照らされた表情は憑き物が落ちたように、すっきりとしていた。

「さいごに案内してほしい場所があるんだ。もうなにも残っていないだろうが――……」


   ◇◇◇


 こうしてスピネルを伴って訪れた、グリムノーツの跡地。

 店の中はがらんとしていて、ショーウィンドウの中まできれいに空っぽだった。それでもスピネルはかわいい内壁や、置かれたままの棚をみて、繁盛していたころの店を想像しながら口元をゆるめていた。


「『グリムノーツ』、なるほど。ここに両親が」

 中をあらためた後で建物を出た。残されていたドアプレートに気づくと、手に持って確かめている。少女の絵姿を撫でて。

「私はおとぎ話が好きだったからな」

 しみじみと郷愁にひたり、ローブをそっと広げる。


 未練があったのは、どちらか。

 錯乱するように訴えかけていたノエルさんか。

 立ち尽くしたまま離れがたいスピネルの方か。

 いやどちらも切り捨てられない思いがあったはずだ。こいつみたいにウィットにとむわけでもない俺だけど、ウェットな気分を吹き飛ばそうとジョークの一つでも考えた。けれど慰めの言葉なんか浮かぶはずもない。


 スピネルが例のポケットから小物を取り出す。

「じつは彼女に届けてもらおうと思って用意したんだ」

 そう言って渡された小包の中には香水の瓶なんてしゃれたもんが入っていた。

「話を聞いた時に、ちょうど出先でみつけたんだ。私が持っていても仕方ないからな、お前にやるよ」

「『乙女の香り』なんて俺が付けてどーすんだよ!?」

「ふっはは、べつに使え(・・)とは言ってないだろ!」

 たしかに。うん? ということはあれも。


 同じようにポケットを漁るおれに目を丸くしてからスピネルは、受け取ったカードに言葉を失っている。

「母の……文字?」

「ほんとはおれからのプレゼント付きだったんだけどな、そのメッセージカード! 代わりにやるよ」

「代わりって……、まさか!」

 おれにわざわざ開けるないでと告げていたノエルさん、彼女が贈りたかった相手はただ一人だろう。


 生唾を飲み込んで封を開けていく。


 スピネルが震える指で開いたカードの文字を追う。一文字ずつ噛みしめるように、味わうように、男はゆっくりと筆跡を追いかけていた。


 雨が降り出す。

 おれはもどかしい思いで男をみつめる。

 雨脚は強くなり、レンガを叩く音が反響し、静かに街をけむに巻く。

 男はとうとう立てない様子で座り込んでしまった。

 傘も差していない通行人がおれたちに目を向けてから慌てて走り出した。おれは、軍人になりたくなかった軍人の涙を隠すように、体を被せた。


 冷気が足元から伝わってくる。

 雨が男の嗚咽をかき消すのように音を増す。


 自分を抱きしめるように大声をあげて泣く最強の魔法使いに最愛の言葉をかけた彼の母親は。今どこにいるかもわからぬ彼女達を思って涙する大の男の幸せを、彼女はきっと、願っていることだろう。


 スピネルはだれにともなく言った。なにもいらないからそばにいてくれと、珍しい泣き言を。ズボンのすそをつかんでいる男を泣かせるためだけに視線をかがめた。男を慰めるために軽いハグをする。事情を知らない通行人のお熱いわねなんて言葉を耳に、おれは目を伏せた。

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