第18話妖精のいたずら2
「最近民間人と仲よくしてるそうだな」
久しぶりに会ってそうそう、スピネルは嫉妬、――ってノエルさんとの会話があとをひいてやがる――あいつは咎めるように言った。
なおスピネルはどこの隊とも合流せず書類を片付けているようだ。まあこいつ軍の戦力だもんなー。
「べつにいいでしょう、ノエルさんはいい人ですよ」
カシャン、と床に叩きつけられる物音がした。振り返ると机の掃除をしていたスピネルの足元には割れた花瓶が。
指を切って呆然とするスピネルは、破片を拾おうとしてさらに傷を広げた。みていられない上官の様子に声をかけて破片を回収していく。
「おれがやるからおまえはじっとしてろ!」
それでもスピネルは破片を気にするように手を開閉させては言葉を飲み込んでいる。
「さっき、の、……聞き間違いか?」
「いい人ですよ、彼女は。お人好しでちょっと天然が入ってるかわいらしいおばあさんです。女性向けの商品を扱う雑貨屋を営んでて、庶民にしては裕福な暮らしぶりですから、だからスパイの問題はないか、――ッ!?」
絶句したのはこちらだ。
静かに男泣きするスピネルなんて、みようとおもってみられるものではないだろう。
よかった、それだけをこぼしては涙を拭っている。
なにが琴線に触れたのか、スピネルが泣いているあいだ、おれは見てみぬふりをし、黙々と花瓶を片付けたのだった。
◇◇◇
それからはノエルさんとの交流が終わるとスピネルにまで話をせがまれるようになってしまった。スパイを疑われているのか、そんなことも知らない彼女と、まさか自分たちのことが話題にされてるとも知らない男。不思議なやりとりの仲介役となったおれはただただ疑問でしかない。
他人の話ばっかり聞いててこの人らは楽しいものだろうか?
「参謀長、いますでしょうか!」
相変わらず堅苦しい物言いで室内に呼びかけたのはグウェル大佐だ。
「入れ」
失礼しますときっちりとお辞儀をして入室したグウェル大佐、そのあとに続き男性秘書さんも入ってくる。
スピネルが報告を受けている間おれは黙ってわきに控えていた。用事を終えると大佐はそんな副官にも愛想よく話を振る。
「ダルク一等兵は最近逢い引きにいそしんでいるんだとか?」
からかう素振りをみせるかの人に、おれも口が弾んだ。
「最近、ですか? やだなあ違いますって……ノエルさんとのおしゃべりはすきですけどね」
「……まさかグリムノーツの店主か」
「よく御存知ですね! スピネ……あいえ参謀長にもお土産をねだられてよくおしゃべりを、」
突如大佐の顔がこわばった。なぜか秘書さんが出張って大佐に耳打ちしている。投げかけられた質問に視線で応じる大佐、と秘書官と二言三言会話すると慌てて部屋を退出していった。
「なんだったんだ?」
おれは首をかしげるだけだったが隣にいたスピネルは違った。
「彼女とはもう会えないかもしれないな」
「えっ」
◇◇◇
スピネルは予感していたのだろうか、この別れを。
「ドタバタしててごめんなさいね。急なことで私もなにがなにやら……」という彼女は雑貨店グリムノーツで戸棚の整理をしていた。彼女がみえて店に入ったおれはがくぜんとした。なぜならかわいらしいお店の内装がほとんど撤去されていたからだ。
「リニューアルオープン、ってわけじゃないですよね」
「たんなる改装だったら私も喜べたのだけれど」
上品そうに頬に手を当てて彼女は答えた。
「主人の転勤が決まったの。あの人ももう年だからびっくりしちゃって」
「うそっ、こんなに素敵なお店があるのに引っ越すんですか!?」
「ええそうなの。私だけでも残るか、お店が営業できる範囲で、とも考えたのだけれど夫が首を振らなかったわ」
「そうですか……」
「ごめんなさいねダルクちゃん」
おれは辛いのはノエルさんの方でしょうと彼女の気持ちを慮った。
「そうなの。地道に獲得したお客さんもいるからここを離れるのは残念だわ。こんなことのせいであの時のことも思い出しちゃて……」
つつっと伝った涙に、ノエルさんはなにを回想したのか。
淡い色調の壁をみつめながら寂しそうに語るノエルさんは、未練を思わせる口ぶりだった。
ほんとうに悔しくてたまらない、といった様子でまだまだダルクちゃんのお話が聞きたかったわと。
あんな話を聞きたがるなんてやはり謎だ。
不思議そうなおれの顔をみたのか、彼女はとある思い出話を始める。
「ほんとうにちいさな命で生まれてきたのよ。その瞬間、だれよりなにより愛おしいものになったわ。でも腕の中であんまりも頼りなくって、わたしは伝説に縋ったの。だからのあの子の名前は妖精になぞらえて――……」、と。
おばあさんはどうやらこどもについて語っているようだ。
「あの子は絵本が好きだったわ。幼い頃はよく読み聞かせていたけど、そのうちもっと読みたかったのかしらね、聞かせる分じゃ足りずに自分でもこっそり本を開くようになったの。隠れて読んでるのがおっかしくて、こっそり買い足しては主人と様子を盗み見たのよ、ふふふ」
聡明なその子はそのうち絵本に飽き足らず神話やおとぎ話の載った小説に手を伸ばしたようだ。そして数年もたてば、この世の魔法に興味をもった。
「ここだけの話、魔法って体つきとか性格とかっていう才能の差じゃないのよ? 想像力が関係するんですって。それもまあ気質とも言えるかもしれないけれどね」
ノエルさんはとびっきりの秘密を得意げに明かした。
得意げに魔法を使うわが子に尋ねて返ってきた秘訣なのだと彼女は語る。
「そうなんですか。おれは魔法が使えないんで知りませんでしたよ」
「あら! そんな人もいるのね……。ああ、あの子もそうだったらよかったのに」
「え?」
「いえ、ダルクちゃんはそのままでいてね」
ぼやいた言葉はよく聞き取れなかった。
イメージやビジョンに長けているほどより高度なものを扱えるという魔法。小手先の技術よりはるかにセンスが求められそうな魔法は、しかしその子にとってはお茶の子さいさい。手に馴染んでるように曲芸じみた魔法を披露していたそうな。
まるでネーミングから性質を引き継いだかのように。
「あの子は夢中になって練習していたわ。日が暮れても飽きもせず魔法の研究ばかりしてた。どうすれば遠くまで水が飛ばせるかに始まり、蝶々のきれいな羽を再現する方法から、かわいい小鳥を鳴かせる方法まで、ね。子どもの頃から絵本で想像力が豊かに育ったせいかしら、日に日に彼の魔法は育っていったわ」
わくわくしながら魔法を愉しみにしていた、それはおれにも覚えがある。自分は使えない身だったが、もし使えたらやってみたいことは十や二十ではきかなったろう。ましてこどもだ。
「目を輝かせてね、『お母さんみてみて!』って。エプロンにくっつくあの子は、ほんとうに楽しそうだったの……、なのに」
声のトーンが一気に落ちた。
「最初はお偉いさんに勧誘されたの。でも優しいあの子をあんな場所になんて、死んでも受け入れないつもりだった。私もあの人も闘ったわ。でも、そのうちに命令が下った」
――貴族として、国の防衛に尽力せよ。
「そういう文言だった。覚えてるの、無慈悲な通知だったわ。なにが防衛よと当時は思った。だって中身は召集令状と一緒じゃない!!」
ハンカチでは抑えきれないほどの涙を溢れさせるノエルさんに、おれはだんだん確証をもってきた。
「あの子の価値に気付いた大人はくだを巻いて愛され守られるべき子供を軍事利用するために要請という形であの子を軍学校に引き渡せと命令してきた。裏側から透けて見える「どうなろうと構わぬならすきにしろ」の文字。あの時ほど家を恨んだことはないわ。結局さいごは、強引に、国の圧力で、あの子は連れて行かれてしまった。表向きはあの子の意志であるかのように! あああっ」
錯乱したように取り乱す彼女を支える。大げさに泣くノエルさんの悲しみはいくばくのものか、おれにははかれない。
「国が? いや待ってください、そもそも貴族って……」
「一貴族が国に楯突いて、万が一他の家にまで目をつけられて、それで生きていけると思う? 無理よ! でも、一番はっ、あの子を送り出したばかな自分たちだわ。出ていく時まであの子は脅…………、なにも、言わなかったのよ……」
うなだれたノエルさんから力が抜けていく、支えられていた彼女は、しっかりとおれをみた。
「無邪気さは罪なのかしら。楽しくて、仕方なかったあの子の宝物は宝石に目がくらんだ人たちに奪われて。あの子、いまも魔法はすきなのかしら。ねぇ、ダルクさん」
支えていた手を離すと彼女は約束していたものとして、例のカードを手渡してきた。
「商品は間に合いそうもないけど、これを。中は開けないでちょうだい」
そうして受け取ったメッセージカードを黙ってポケットにしまった。
「それじゃあねダルクちゃん。おばさんの話を聞いてくれてありがとう。遠くに行っても、よろしくね」
遠回しにこれが最後だと彼女は別れの言葉を口にした。最後の一文はおそらく、彼のための伝言だろう。
「どうか魔法にだけは狂わされないで」、と痛烈な思いを込めて階段を上っていくノエルさんだった。