第13話ピンチをチャンスに3
祈るように、願うように。いや、それは腹の底から湧く怒りそのものだった。
「おまえは一流だッ、その力みせてやれ!!」
発破をかけた。それが功を奏したのか、スピネルの指が一瞬、動く。
そこからはあざやかに、マリオネットが定められた運命に従うように、事は運んだ。
「|《反面鏡》」
「うはぁ……ぐっ…………!!」
口から血を滴らせるフォルトゥナは忌ま忌ましげに元上司を睨めつけた。のどをおさえ大げさに出血する傷は、だがしかし修復しきれないようだった。こちらを牽制しつつ後退していく。
どうやら甘い男のおかげで首の皮一枚つながったらしい。
だが眼の前の男はそれに感謝するでもなく、むしろ火に油を注いだような有様で絶叫する。顔は真っ赤に染まり、いまにも額の血管が破裂せん勢いだった。
「なぜ、こんなことを……。このままでは私はお前、を」
殺さねばならない、その一言が、またしてもでてこない様子の赤の魔法使いは、明らかに狼狽している。
だがフォルトゥナはあいつの問いかけを無視する形でしゃべりだした。
「わたしは、わたしのほうが、優秀なのに。なんでなんであなたなんかが!」
「……なんのことだ」
「情けなんていらなかった。それともアレは私が目障りだったからですか!? あんな形で栄転させて、あなたって人はどこまで他人をおちょくれば気が済むんですか! そんな魔法もどきをみせつけて、こどもでもできるって? はは、天才様はどこまで凡人を゛ッ」
拳を握りしめて震える男からは想像もできない憎悪がみてとれた。
「――見くびれば気が済むんだ」
怖気が走る、虚ろな声音だった。
脱力してしばらく笑っていたフォルトゥナだが、亡霊のように面をあげ、こちらの背筋が凍るような笑顔を浮かべた。
「ほんとうに困った方だ。部下の成功を思うなら大人しく殺害されてくださいって……!!」
弦が切れた楽器はどこか切ない哀愁をただよわせて。
「そんな……」
スピネルから視線を外したフォルトゥナは背後の壁を風の魔法で壊した。
「言われなくてもすぐ楽にしてやります」
ズシン、ズシンと重低音を響かせて穴蔵から首をのぞかせる巨体。
招かれざる天竜がおれたちをにらみつけている。
「最期の機会ですからお教えしましょう。なぜわたくしが現れたのか」
自分の真後ろから近づく天竜を気にもせず、会話を続けるやつはすでに異常だった。
「もちろんあなた達をここまでおびき寄せる餌として、ですよお!!」
フォルトゥナは高々と手を掲げ、天を仰いだ。
降り積もる山のふもと、そこで気がついた。
この場所は立地が最悪な条件を揃えていたことを。
巨体が歩き出した洞窟には、石碑とは異なりずいぶんちいさい、板ともいえるような同系の石の塊が置かれているのが分かった。
あいつが魔法を使っていたのを思い出し振り返る。スピネルからは引きつったような呼吸音がしていた。首に手を当てて必死に抗っている様子だが、ちょうど倒れ伏すところだった。またも、いや、今度こそ土気色の顔をして。
「 」
口が動いた。指先が不自然に輝く。
白く煙るような世界で、おれたちのもとには洞穴にいた生き物が迫る。
「これでお別れですね、――参謀長」
◇◇◇
おれは目一杯走り出した。
「くそがっ、死ぬのはてめぇだけにしやがれ!! おれまで巻き込むなよ!」
「あ? ……は、くはははは、やっぱりあなた人望ないんですねぇ」
敵そっちのけで諸悪の根源に向かって走り出す。そんなおれをみて愉快げに笑い声をあげたフォルトゥナ・パラなんとか。
そのおかげか余裕でタッチダウンを決められた。
スピネルの頬に一発お見舞いする。
殴られたことで反射的にねめつけるスピネルはおれの腹部に直接拳を叩き込んだ。おれは腹筋でそれをしっかりと受け止めた。
さらにスピネルをひき倒すように強引に押さえつけ、そこから脇腹めがけて手を伸ばすと、渾身の魔法で吹き飛ばされた。腹いせにしては猛威を振るっている風圧だ。ま、おれも人のこといえないけれど。
「なかよしさんかと思いましたが違ったようですね、はは、いいざまだ」
「……てめぇがな」
「は? まだ動け……あなた、なぜ?」
砕け落ちた音はまるでガラスのような儚い響きだった。
こちらを振り返って目を点にしているフォルトゥナ。その後ろ、おれとの間には天竜が目を光らせて向かっている。
「知らないらしいな、いいかよ~~く聞け。そいつらは視界に入れた獲物にしか興味が及ばないようだぞ。現に、追いかけっこしてた時も無様に倒れてた軍師様には見向きもしなかったようだからな」
「待ってください、これはなにかのジョークですか、ですよね? それともわたしは悪い夢でもみているのでしょうか。まさか石板を破壊するなんて、無能ごときにできるわけが……まさかさっきの茶番!?」
そうだ。今のは命令を受けて実行しただけの寸劇だ。おれの手にはスピネルから受け取った残りがある。
『かけろ』
手には浜に落ちていた空き瓶へと並々と注がれた、赤い液体。
スピネルは探索中気まぐれに拾っていたそれの中身を出し、石碑の裏から滴る液をもれなく詰めていたのだった。
どういう原理かしらないがみるみるうちに溶けていった石板、スピネルは危うい状態ながら復活したようで、謎を明かす。
「この島を覆う結界はあの石碑の裏のものを封印するために存在しているとみて間違いないだろう。つまり裏を返せば、扉を綻びさせて漏れ出た液体は、結界に真逆の力で作用する可能性を秘めていることになる。だから、命じた」
「石碑……? なんですか、あなた達一体何を言って!? そもそも対遺物装備なしになんで魔法が使えるんですか! あなた、いつからそんなインチキを!?」
「さあな」
「どこまでもわたしを侮辱すれば気が済む!」
「形勢逆転だ、観念しろフォルトゥナ。貴様はスパイとして取り押さえ軍部に引き渡す」
「はは、いやになるほど甘い人ですね。そんな不始末、わたしが認めません。あなたの手にもかけられないのならこのままくたばってやりますよ。内通者らしくね」
「なんだと!?」
「最後に置き土産です。わたしは元アルビオン班の一員としてわたしじしんを売り込むつもりでしたが求められていたのはあなたの情報でしたよ?」
「ばかな、一体どうし」
「せいぜい惑うといい、よい終末、う゛ぇ゛を゛、ッ――――」
体が天竜の口の中へと消えていく。すさまじい顎力をまえに怯んだ様子もなく――フォルトゥナは静かに、滅せられた。
◇◇◇
スピネルは天竜を殺して口の中をあらためることはしなかった。巨体に魔法をかけて巣へ促すと洞窟から離れてふもとを降りる。
「聞いてはいたのだ。フォルトゥナは有能な男だ、じぶんの実力に恥じない能力を持っていたが他人からの評価には満足していない様子だった。軍学校の後輩ということで私の下につけられたが、実質的な左遷に腹を立てていたようだ」
「あの様子だと相当情報を渡してるぞ」
「だろうな。裏切りとは、そうか――こういう気分なのだな」
脳天に手刀をかましてやった。魔法がかけられていないおれの攻撃にスピネルは涙目になった。さしもの軍師様もふいうちには弱いらしい。
「そんな悲嘆にくれんなよ。根に持ったやつのことなんか忘れちまえ。どーせ逆恨みだろ? 気にすんなって」
「根に持つといえば……貴様、よくも私に攻撃したな?」
「あ……ええ、今ですか?」
「しかも私は一発しか返していない!! これもいれれば二発だ!」
こいつ今頃思い出しやがった。瓶を自然に受け取るためには敵を欺く必要があったのはあったが、その中でスピネルを容赦なく攻撃する必要など、はっきり言っていなかった。単なる腹いせである。サバイバル生活に溜まりに溜まったもんを晴らすべく嬉々として報復はしたが。
でもない。ないってば、これはない。
なぜなら。
「ふっざけんな、このクソ上司、魔法使いたい放題、実質的な制限なしの状況下でおれがおまえに勝てるわけねーだろうがああああ!」
「ははははは、魔法とはたのしいなあ、なーダルクよ?」
死ねというハンドサインを返すおれに鬼ごっこで切り替えしてくる鬼畜参謀。あたったら大怪我では済まないそれを逃げるべくめちゃくちゃに雪の降りしきるふもとを駆け回る。最後には余力のなくなったスピネルにじかに雪の塊を投げられて決着がついたのだった。
◇◇◇
おそらくだが、さらなる情報は得られずじまいだから拷問も無駄だったろうなとその光景をみながら私は思っていた。かつての部下が、こちらを見据えたまま魔法を撃った、ナイトメアのような光景を。
雪玉を食らい倒れていた男は、脳天気にやられた、と満足そうに笑っている。口の中に入った白玉を嫌そうに吐き出しながらも、どこが清々しい様子に私は疑問を覚える。ほんとうに、こいつはどこかおかしい。
「フォルトゥナは自害した」
「え、うそだって……食われたはずじゃ」
「脳天に魔法を放ったのをこの目で見た」
負け犬の遠吠えというには不穏な言葉を残して去ったかつての仲間。
あいつのことだから手抜かりのないように自分を始末したのだろう、きっと。
「……ほんとうに、仕事ができる部下だったよ」
最悪の気分のあとで、天竜が頬張った痕に、なにかが残されていたのを発見していた。今、その布切れは私のポケットの中にある。大きな巨星に群がる小さな星星、その背後に赤いトライデントが描かれた黒地の布が。
「今回の作戦、どう思う?」
懸念すべき事柄を頭の片隅に置き、男の視点ではどう視えたのか尋ねた。
報告書を出すにしろ私では感情の整理がうまくつかないためだ。近しい人間を失った、こんな気分の時は外部の意見も取り入れてみようと話しかける。
「作戦? まあ、敵はあっぱれって感じだな。おまえのこと封じたみたいだし」
男はこわれた雪玉をもう一度丸めている。いやに固くならしているのを不思議に思っていると覗き込んだ私の胴めがけて一撃をお見舞いしてきた。
「……敵というにはいささか近すぎるが」
遠慮容赦ない反撃にイラっとしながら玉を丸める私。距離をとる金茶の髪の男は軍部でも珍しく鍛えられた体をしている。身長こそ私の方が上だが、あいつと並ぶとどうにもハリボテ感が出てしまう気がする。
自分で評価した私自身が見せかけだけとは、と苦笑していると頬に当たる、冷気。
……どうやらあの部下には厳しい躾が必要らしいな。
私はすぐに氷魔法で氷柱を作って応戦してみせた。案の定見せかけだけの氷柱に度肝を抜かれた男がわめいている。反則だって? それは終わった戦場を蒸し返したお前の方だろう。
「まさかあのたぬきじじいを疑ってんのか!?」
「……お前こそよくもそんな呼称ができるな。相手は大臣だぞ」
もはや決めつけているような有様ではないかと私は指摘した。
「いやだってな~んか黒いもの溜めてそうな笑顔だったから、さ!」
黒、か。
たしかにシロではないだろう。
此度の一見であんな命令を下した上層部が怪しいのには同意する。
男はくだされた命令に違和感をもつことなく、必死で雪山を走り回っている。
飼い犬とじゃれるとはこういう気分か、なんだかほほえましいな。
まさか突然始まった地獄のようなメニューが遊び半分でなされていたとは知らない男は、最後の最後で滑落し、力尽きていた。ぐったりとした体を引き上げながら私は転移の呪文を唱えた。