第11話ピンチをチャンスに
雪のうえにたまる氷水のアクアマリン。青以外の光を吸収するからこの美しい景色が見られているのだが、ほとんどが白く染められた周囲のせいで、照っていて視界はとてもまばゆかった。
そんな氷山エリアを地道に登頂しているおれたちは互いを励ますため、時折語りかけ合っていた。あるいみ、生存報告も兼ねて。
「まるで凍結魔の樹氷林だな、はあ」
「なんだそれ?」
さっきの情報だとこの島はおれ同様なにも知らなそうだったが……と思い、聞き馴染みのない単語について質問してみた。
「昔読んだ絵本に出てくる場面だよ。招かれざる冒険者が頂きを目指す話だった」
ふーん、冒険譚か。きっと子供の頃にでも読んだのだろう。
こいつにもそんな時代があったのかと感心しながらおれは遠くの山を指した。
「ならあっちは悪鬼の活火山とかか」
「おまえは面白いことを言うな。……うっ、はあ」
二つのエリアは稜線で線引きするようにきれいに分かれていた。
白線で結ばれたなだらかな道を歩きながら会話をする。
「こっち、穴があるから気をつけろよ」
深い雪に足をとられそうになった。一応背後のスピネルにも注意を促しておく。
「こっちだったらサバイバル大変だったわー、うう、ひやっこい」
「はぁ、……はあ」
「やっぱ寒いよな。近づくほどにますます気温が下ってる……」
その時背後で物音がした。振り返るとスピネルが静かに倒れていた。うつ伏せだったのを起こしてやると紫色になった唇に、色味のない頬をしていた。墨絵みたいな黒髪は相変わらずだが、燃えるような赤い瞳は閉ざされたままだ。
「低体温症か!?」
「寒っくはない、ただ……」
聞き取りづらい声に耳を寄せるとどうやら寒いわけではないらしい。じゃあこの症状は一体……?
「近づくほどに魔力を吸われて、ぅくっ!」
「スピネル!? おい、しっかりしろ!」
寒いと勘違いしそうなぐらい具合の悪いスピネル。魔力を吸われているってことは、魔力の枯渇か!?
スピネルはおれの問いかけに黙ってうなずく。
しかし……――まずいぞ、手持ちに魔力を回復する道具なんかない。
おれは急いで状態がましだった活火山のあるジャングルエリアに戻ろうと振り返った。
いきなり影が走った。すると背後からとんでもない衝撃を受ける。スピネルを抱えていたはずが、体制が崩れ、隣の深穴に落ちていった。
寒空の下、なんとかスピネルに手を伸ばそうとしても、落下途中では届きそうもない。急速に感じる眠気とともに、おれはまぶたを閉じていた。
◇◇◇
まともな装備もなく落ちたわけだが、幸い、一命はとりとめたらしい。アーモンド型の視界を徐々に開き、手近な地面を確かめる。やわらかな粉状の雪だった。
氷の洞穴に日が差し込む幻想的な光景がそこにはあった。広がる聖域じみた雰囲気に我を忘れているとうめき声が聞こえてきた。
「スピネル!? だいじょうぶか、どこだ!」
「こ……ぐはっ、あ……」
おれとは反対にスピネルは体を打ちつけたらしく動けないようだ。頭部や腕に出血はないが、日の光から遠ざかった場所はかためられた雪が積もっていた。すぐに起こそうとするが、脳震盪でも起こしていたらまずいと、様子をみる。
「はあ。あ……あ……、なに、か……」
「待ってろ、いま持ってくる」
必要なのは回復薬だろうが、あてもなく返事をした。
おれたちが突き落とされたのは、銀世界の蒼の地底湖だった。何者かの攻撃によって氷の裂け目、つまりクレバスに落とされたらしい。出口はわからないが、奥にはどこかへと続く空間らしきものがあった。
地表に戻りたいが、それは叶わない。天上へと続くその高さは12mはあるだろう。三階建ての建築物はあろうかと思われる。
おれは意を決してほの暗い通路を先へと進んだ。
通路の先は、落ちた場所よりよほど高い石碑があった。石碑には民族風なペイントで絵が描かれている。さらに周囲には発色のいいインクで幾何学模様じみたものが施されていた。中央には文字らしきものが段落をわけて刻まれている。
「赤い……水?」
向こうには扉があった。だがそれは石碑のせいで到達は困難、しかし扉の一部、欠けた部分からは不気味な液体が滴っているのだ。
「まさか血液……!? だ、だれか倒れ……」とそこで口を覆った。
人がいるわけ無い、それよりもはるかに凶暴な獣が住み着いている可能性だってある。
早くなる呼吸を落ち着けて様子を窺うが、遠吠えすらしなかった。
何も居ないことに安心して、おれは水をすくって匂いをかぐ。
変な匂いはしないし、泥臭さもないようだった。
試しに口をつけてから吐き出す。
飲み込むのには勇気がいるから初めから含むだけと決めていたが、異変はなさそうだ。色以外はな。
「なにかの影響で変色しただけか? まさか錆じゃないだろうな」
せめて木の実とかであってくれと願いながら水を持ち帰ろうと思ったが肝心の容器がないことを失念していた。手ですくってもこれでは……。