156 遠山の金さんについて考える
先日から「遠山の金さん」について考えてます。
江戸時代に「遊び人」って存在したのだろうか?と。
「遠山の金さん」というのは、勧善懲悪の時代劇ドラマで、江戸の町民たちの暮らしを守る北町奉行の遠山金四郎を主人公とした話です。
普段は奉行ではなく、「遊び人の金さん」という何をして暮らしているのか判らない粋人として市井に馴染む生活をしているのですが……
町のご隠居さん的立場の人なら、身元は周囲もなんとなく知ってるだろうな、と思います。
そこまでの年齢ではない金さんの場合、周りはもう「どこかのお侍さんのお忍び的行動であろう」、というのは分かってるんじゃないでしょうか?
部屋住みという、所謂「冷や飯食い」的な存在って、お侍さんの身分にはあり得ても、町人には難しいんじゃないでしょうか?
ドラマ的には「遊び人」と称されている金さんですが、この時代の「遊び人」というのは、おそらく「粋人」というお茶だとか絵とか骨董とか、教養的な芸事に通じた人の事だと思うのです。
現代でも通じるだろう「花街」も、上の方の花魁とかなら、下手な田舎侍の家の娘よりずっと博識であっただろうし、勉強してたんじゃなかろうか?と思います。
武士であっても内職をすることはあったようですし、決して裕福な生活が出来てなかったであろうことは、容易に想像できますよね。
それなのに金さんは困窮している様子もなく、しかも町民からは頼りにされるほど学も腕もありそうなのです。
下級武士や御家人クラスではなくて、もっと高給取りのお武家様であろうと、周囲から思われているはずです。少なくともそのご家族あたりか……
案外、その正体もみんな分かってたけど、知らない振りして見逃してもらってたんじゃないでしょうか?
コナン君と眠りの小五郎の正体は、なんで誰も考えないんだろうか?と未だに不思議で仕方ないきむらきむこでした。
ちなみに「水戸黄門」に関しては、なんとなく「名刺詐欺」を思い浮かべてしまうのです……
そんな事はありえないけれども、葵の御紋入りの何かを手に入れた人が、身分を偽ってやれたかも知れない、と考えたりします。




