102 通知表
今日の新聞というか「天声人語」に、岐阜の小学校の一、二年生の通知表廃止について書かれていました。
低学年の子にはのびのびと育って欲しい、というコンセプトで教育委員会が打ち出したらしいのですが…
個人の評価は保護者面談で伝えるらしい。
通知表がどうであれ、結局授業中の態度で子どもたちは自分たちの間でカーストを作るだろうな、と思います。
通知表は友だち間で見せ合うようなものじゃない、というか私自身の記憶から考えて見せあった記憶がありません。かつて、一度だけどうしても他の子もどうなんだろう?と知りたかったことはありますが…
小学一年生の一学期の通知表。
小学生なりに「根拠の無い自信」があった私は、初めての通知表にどんな評価が下されるのかワクワクしながら開いて見たのですが…
当時「よくできる」「できる」「がんばりましょう」の三段階評価。
開いた通知表の「よくできる」「がんばりましょう」の欄に引かれた線。
そうです。私の初めての通知表は、オール「できる」
全くの普通、であるという評価でした。
私が気になったのは、この両サイドの「線」です。
今になって考えてみれば、先生が◯のハンコを押し間違えないように、線を引いていたのかもしれません。ボールペンで引かれた二本の線は、間違え防止の域を越えていたように思えますが…
当時の私は、初めての通知表なので、みんなも同じ評価なのではないか?と考えたのです。
割と仲良くしていた(私が考える私よりも成績の良い)男の子に、「よくできる、何個あった?」と聞いてみました。
彼は「よくできる」が四つあったそうです。
二学期、三学期とその後はどうだったか全く覚えてないのですが、生まれて初めてもらった通知表の衝撃は、いまだに私を少し落ち込ませるのです。
自尊心が打ち砕かれた出来事でもありましたし、自分が「全くのその他大勢の一人」である、と認識した出来事でもありました。
通知表の廃止がのびのびと育つことに繋がるかは不明ですが、個人的にはさほど意味があるようには思えません。
結局のところ、子どもは勝手に自分たちに優劣をつけるのです。
現実に子どもなりに根拠の無い自信を持っていた私も、自分よりも上であると認識していた友人に確認を取ってます。
それでも通知表の廃止は、私に起こったような衝撃と気づきへの「延期と猶予」を与えてくれるかもしれませんね。




