盲目令嬢と醜い辺境伯
最後までお付き合いいただければ幸いです。
盲目の令嬢は、音楽を聴くことが好きで、目が見えなくても優しい心を持っていた。
令嬢の周りは愛で満ちていた。
家族、使用人に愛されて、少ないけれど友人にも恵まれた。
しかし、令嬢は結婚する歳になっても貰い手がなかった。
令嬢は何も不満を持っていなかった。
結婚が全てではないし、令嬢の心は愛で満ちていたから。
この国には醜いと有名の辺境伯がいた。
辺境伯は家を男爵から辺境伯に一気にのし上げた。
辺境伯は優秀だった。
しかし、孤独であった。
辺境伯は常に人の為、世の為に尽くしていたが、異例の陞爵に敵を多く作った。
嫉妬と恐れを抱いた権力者たちは辺境伯を醜い辺境伯と呼んだ。
流行病を病院を作ることを提案、投資し、飢饉に備えて、異国の地から安定的に安価で食糧を仕入れた。
そして、辺境伯は自分の持っているものを惜しみなく他人に与えた。
辺境伯は自身の家に誇りを持っていた。
家族が幸せに暮らせるなら、努力は厭わなかった。
家族が亡くなった後も、家族が愛していた花を育て続け、毎日家族が天国で幸せにいられるよう祈った。
国王の支持はあったが、家族が亡くなってからは、辺境伯は多くの時間を独りで過ごした。
姿を隠しながら、街に出ては貧しい人達に施しを与えたり、バイオリンで音楽を奏で、街に音で彩りを与えた。
姿を隠せば、人は辺境伯を避けることはなかった。
辺境伯にとって、そこが唯一の居場所であった。
結婚はとうに諦めていた。
このまま、独り死んでいくのだと思っていた。
ある日、二人は同じタイミングで街に繰り出した。
その日は雨だった。
ぬかるんだ地面に足を取られた令嬢は転んでしまった。
転んだ拍子に令嬢は頭を打ってしまった。
それを見た辺境伯は令嬢を抱き上げ、近くの自身が立ち上げに携わった病院で処置をした。
令嬢が目覚めるまで、辺境伯は令嬢を見守った。
そして、令嬢が目覚め、辺境伯の気配を感じた。
「ありがとう。貴方は命の恩人です。」
令嬢は屈託のない笑みで辺境伯を見た。
こんなに破顔した笑顔を自身に向けられたことがない辺境伯は戸惑い、令嬢に恋をした。
「私はミッシェル。ミッシェル・グレイと申します。お名前を伺っても?」
令嬢がそう尋ねる。
「私は名を名乗るほどの人間ではございません。私ができることをしたまでです。貴女が無事でよかった。もうすぐご家族がいらっしゃいます。お大事になさってください。」
辺境伯はそう言ってその場を去った。
これ以上、令嬢と関わっても令嬢が損するだけだ。『醜い辺境伯』と関わった。そう言われてしまう。
令嬢は何かを言おうとしたが、何を言えばいいか分からず、立ち去る足音だけをただ聞いていた。
その後、辺境伯は何日経っても令嬢の笑顔を忘れられずにいた。
家の庭で育てている花、ハーデンベルギアを見て、令嬢を思い出す。
華奢で上品で優しそうで可愛らしい女性。
眺めるだけでいい。辺境伯は思った。
どこか自分の知らないところで令嬢が幸せになることを願おう。
辺境伯は自分に言い聞かせるようにそう心の中で呟いた。
それから、どのくらいの月日が経っただろうか。
令嬢と辺境伯が出会った頃は、花が咲き始めたばかりだった。少しまだ肌寒さを感じる時。
今は日差しの暖かさを感じることも増え、緑色の蔦よりも色とりどりの小さな花が綺麗に見えるようになった。
久しぶりに辺境伯は街に繰り出した。
しばらくの間、令嬢に偶然会ったら、平静でいられないかもしれないと思い、しばらく足が遠のいていたのだ。
いつもの場所で、バイオリンのケースを開き、音楽を奏でる。
すっかり、季節は春めき、街も彩られている。
「素敵な音色ですね。」
ふと、曲を弾いているとそんな声がした。
辺境伯は思わず手を止める。
一度聞いただけなのに、忘れられなかった声がした。
声を聞いただけで、胸が高鳴った。
見上げると令嬢がにこやかな笑顔でこちらを見ている。
パステルカラーのワンピースが彼女の白い肌や栗色の髪と良くあっている。
そして、白杖を持っている。
きっと令嬢はかつて会った辺境伯であることに気がついていないだろう。
「なんという曲なんですか?」
「愛の挨拶という曲です。」
「素敵ですね。繊細で、新しい季節の訪れにはぴったりだわ……この前は病院まで運んでくださり、ありがとうございました。」
令嬢があの時と変わらない笑みで、辺境伯にそう微笑みかける。
「覚えていらっしゃったのですね。」
辺境伯は驚き、思わずそう口にした。
「もちろん、命の恩人を簡単に忘れたりしませんわ。それに貴方からはあの時と同じ優しい花の香りを感じましたから。」
令嬢は軽く自分の鼻を触り、得意げに話す。
「そうでしたか。あれから体調はいかがですか?」
「ええ、おかげさまで、すっかり良くなりましたわ。たまに、ここでヴァイオリンを弾かれてますよね。貴方はヴァイオリニストさんだったんですね。」
令嬢はしゃがんでこちらに微笑みかける。
「ヴァイオリニストではありません。趣味でやっているだけなんです。聞かれていらっしゃったとは……」
辺境伯も令嬢の笑顔に釣られて、慣れない笑みを浮かべて返した。
「趣味でこんなに素晴らしい演奏ができるなんて貴方には才能があるのね。ねえ、この前は聞かせてもらえなかったけれど、もう一度名前を伺ってもいいかしら?ここで再会したのも何かの縁でしょう?」
首を傾げてお願いを乞う令嬢に対して、辺境伯はこれ以上、拒否ができなかった。
「ナバイアです。ナバイア・アーバスノット。」
ナバイア・アーバスノットと言えば、この国で知らない人はいない。
悪名高い自分の名前を自負していた。
「ナバイアね。素敵な名前。天国を模しているのね。」
「……よく分かりましたね。」
「貴方も両親に大切にされていたのね。天国や神を模した名前はこの国では子の幸せを祈る最大の象徴とされているもの。」
辺境伯は名を名乗っても、変わらない令嬢の振る舞いに驚いた。
きっと、令嬢も驚いて逃げ出すかと思ったのに。
「……お忍びできている気がしたから、フランクに接してみたのだけれど、フォーマルな振る舞いの方が好ましいかしら?」
驚いた様子を感じ取ったのか、令嬢がそう小声で話しかけてくる。
「いや、このままがいい。貴女は私のことを知らないのか?醜い辺境伯ということを……」
辺境伯がそう尋ねると、令嬢は少し悲しそうに眉を顰めた。
「中には、心のないことを言う人もいるのね。でも私は噂を信じないわ。自分で感じたことを信じるの。私は貴方と二回しか会っていないけど、確信を持っているわ。貴方は優しい人よ。貴族は鼻につくような香水をしているけど、貴方からするのは優しい花そのものの香り。きっと、貴方のことだから花を育てているんでしょう?繊細かつ優しいヴァイオリンの音色。何より知らない私にこんなに優しくしてくれた貴方を醜いと思うわけがないわ。」
令嬢は白杖を傍に置き、手を辺境伯の方に差し出した。
「私、もっと貴方のことを知りたいわ。お友達になってくれないかしら?」
令嬢の申し出に辺境伯は戸惑いながら手を握る。
令嬢の手は温かかった。
人の手を握るなんて、いつぶりだろうと辺境伯は思った。
家族が亡くなってからは、手を握るなんてことしなかったからだ。
「もちろんです、ミッシェル嬢。」
「ミッシェル嬢なんて、堅苦しか呼ばなくていいわよ。シェリーとみんな呼んでいるからシェリーと呼んで。友達なのだから。私もナビーと呼んでいいかしら?」
令嬢の曇りのない笑顔に辺境伯の今まで抱いていた暗い自分に対する想いが晴れていく気がした。
「ナビーと呼んでくれて構わない……ありがとう、シェリー。」
二人は笑顔で微笑んだ。
一本の路地で新しい愛が芽生える瞬間だった。
二人が結ばれるのはそう遠くない未来だろう。
テーマソングは愛の挨拶。ハーデンベルギアの花言葉は、「壮麗」や「運命的な出会い」「広い心」「思いやり」です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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