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第5章 抱擁

「待て待て、待て」


 朝霧(あさぎり)が書き記した“滞在者名簿”を覗き込んだ(しお)()が、手を伸ばしてきた。


「どうしたんですか汐見さん。飛龍革命のときのアントニオ(いの)()ばりに突っ込みを入れてきたりして。私、いきなり前髪を切り始めたほうがいいですか?」

「うるせえ。突っ込みたくもなるわ。何だ、その名簿は。しれっと虚偽の情報を挟み込むな」

「えっ? 汐見さんの必殺技って、フランケンシュタイナーじゃありませんでしたっけ?」

「今、主に使ってるのはシャイニングウィザードだ……って、そこじゃない! (らん)()についての説明だ」


 それを聞くと朝霧は、自分が書き込んだメモ帳のページに、じっくりと目を落としてから、


「……何も虚偽は書いてありませんが」

「お前、ふざけるなよ。何が“好きな人:朝霧万悠子(まゆこ)”だ。消しとけ。登場人物紹介に虚偽の情報が書いてあるなんて、これがミステリ小説だったら、重大なルール違反になるところだぞ。作者は読者から垂直落下式ブレーンバスターを食らっても文句は言えん」

「まあ、これが虚偽の記述だなんて、失礼ぶっこいてくれますわ、汐見さん。それじゃあ、当人に訊いてみましょうか」と朝霧は、乱場に目を向けて、「いかがですか、乱場さん。この情報はまったくのでたらめ、虚偽の記述ですか?」

「えっ……?」


 突如として闘争に巻き込まれた乱場は目を丸くする。


「もちろん、そうだよな、乱場」

「もし、これが虚偽だとしたら、ここには私以外の誰の名前が入るべきなんですか?」

「そりゃ当然、私だ」

「馬鹿をお言いなさい」


 汐見と朝霧に左右から詰め寄られ、さらに当惑の表情を見せた乱場は、


「まあまあ」


 背後から()(なか)に肩を引かれ、二人の先輩による板挟みから救出された。


「こら、二人とも、あまり乱場くんを困らせちゃダメでしょ」


 間中はそのまま乱場の体に腕を回し、背中から抱きしめるような体勢になった。


「あっ! 先生、どさくさに紛れて何をしやがるんですか!」


 汐見は眉を釣り上げ、


「そうですよ! 教師と生徒でそういう関係になるのは、いけないと思います!」


 朝霧も語気を荒げた。


「あら、私はただ、乱場くんが困ってたから、助け出しただけよ」


 そう言った間中は、回していた腕をほどいて乱場を開放すると、その背中を、ぽんと押す。


「うわっ」


 押し出され、先輩二人に受け止められた乱場が振り向くと、


「……間中先生?」


 軽く腕組みをした間中が、笑顔を浮かべていた。その笑みは、どこか哀しげな色を帯びている。


「どうかしたんですか? 先生……?」

「……ううん。三人とも、強いなって思って」

「強い、ですか?」

「まあ、確かに」と朝霧が、「汐見さんの強さが我が学園一のものであることについて、疑いの余地はありませんけれど……」

「ぷっ」と吹き出した間中は、「そういう物理的な強さじゃなくってね……。こんな、外界と断絶されたロッジで、首が切断された恐ろしい死体が見つかったっていうのに、冷静に状況を判断して、死体と現場の検証までこなしてしまって……」


 喋るうちに間中の表情からは、より憂いの色が濃くなっていく。


「ま、まあ、さっきも言いましたけれど……」と当惑したように乱場が、「僕たちは、こういう事態に遭遇するのに慣れているっていうか……」

「そう、そうですよ。我ら本郷学園映像芸術部を、そこらの部活動と一緒にしてもらったら困りますよ」

「そうですとも。正直、映像芸術――つまり映画――に関する活動よりも、事件捜査に割く時間のほうが多いくらいなんですからね」


 汐見と朝霧はそろって胸を張った。それを聞くと間中は、


「そう……そうね。それと、こんな状況だっていうのに、面白い話をして、明るく振る舞って……」


 それに対しては、朝霧が、


「こんな事態だからこそ、明るく振る舞わなきゃっていうか……怖がったり泣き叫んだりしていたって、状況が好転するわけじゃありませんから……」

「そうよね……。みんな、本当は怖いのよね……」

「それはもう……正直、怖くないわけはありません……」


 と朝霧は目を伏せた。それを見た乱場は、


「で、でもですね、僕は、いつも助けられていると思ってます。こんな状況の中でも、お二人が――言い方は悪いですが――馬鹿な話をしてくれていることに対して。それで、僕もリラックス出来て、頭を働かせられるっていうか……。だから、先生、これからも、僕たちが何か、場に相応しくない冗談や軽口を叩くこともあると思いますけれど、大目に見て下さい。端からしたら、不謹慎に見えてしまうのかもしれませんけれど……」

「ううん」と間中は首を横に振って、「そんなことない。そんなことないのよ……」


 歩み寄り、三人の体をまとめて抱き寄せた。


「えっ?」「なっ?」「先生?」


 乱場、汐見、朝霧は、困惑した表情をしながらも、互いに顔を見合わせて、間中の腕の中に包まれるのに身を任せることにした。


「……ごめんね」

「えっ?」乱場は、抱き寄せられたまま、「どうして、先生が謝るんですか?」


 だが、質問に答えることないまま、間中は三人を抱き寄せ続ける。その目尻に涙が浮かんでいるのを、乱場は横目に捉えていた。


「……あの」と十数秒も経ったところで、乱場が、「そろそろ、皆さんを迎えに行かないと……」

「……そうだったわね」


 間中は、三人を自身の腕の中から解放すると微笑みを浮かべた。その目には、もう涙は見えなかった。

※飛龍革命

 1988年4月22日、沖縄県で行われた新日本プロレス興行の試合終了後、藤波辰巳(現:藤波辰爾)がアントニオ猪木に対してリング上の世代交代を訴えかけた直談判のこと。

「この状態(猪木がトップを張る体制)が何年続いてるんですか」「だったらぶち破れよ」という言葉の応酬が何度かあり、互いにビンタをし合った直後、藤波がハサミを取りだして自分の前髪を切り始めた。この予測不可能な奇行に対しては、さすがの猪木も虚を突かれたらしい。悠然と座って構えていた猪木が、驚いたように立ち上がり「待て待て、待て」と前髪にハサミを入れる藤波に対して突っ込むシーンは、プロレス史上に残る名場面としてファンの中に記憶されている。


※フランケンシュタイナー

 対戦相手同士が向かい合った状態で、技をかけるほうが真上に跳び上がって相手の首を脚で挟み、そのまま後方へ回転して相手の脳天をリング上に叩きつける技。スコット・スタイナーが開発した。


 ※シャイニングウィザード

 相手の膝を踏み出しにして跳び上がり、自分の膝を相手の側頭部に叩きつける技。技の構造から分かるように、基本的には、相手が片膝を突いた状態になったときに仕掛ける技だが、他の選手やレフェリーを踏み台にするなど様々なバリエーションがある。武藤敬司が開発した。

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