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第4章 現場検証

 (らん)()たちは、さらに(おお)()の遺体を調べたが、胸の刺し傷の他に外傷は見られなかった。


「……頭部にも、頸部の切断面以外に傷はないわね」


 屈み込み、大瀬の首を調べていた()(なか)が言って、


「そのようですね」


 同意して、立ち上がった乱場は、


「先生、胸を刺した凶器は、どのようなものか分かりますか?」

「そうね……」間中も立ち上がり、改めて大瀬の胸の傷口を見て、「たぶん、刃渡り十数センチくらいの両刃のナイフのようなものだと思う」

「両刃のナイフ、ですか……」


 乱場は部屋を見回す。この資料室には、塞神(さいがみ)()()(すけ)が蒐集した、古今東西に渡る、断頭に関する資料や器具が展示されているが、見たところ、間中の見立てに合致するような凶器は見当たらない。


「刀なら、あるけどな」


 (しお)()が、ガラス棚に展示されたひと振りの日本刀を見やった。その刀の説明文を見て、朝霧(あさぎり)は、


「明治時代に斬首刑の執行を担当した、八世(やま)()浅右衛門(あさえもん)吉亮(よしふさ)が実際に使用した刀だそうです。本当でしょうか?」

「まあ、これが本物であれ、どうあれ、先生の凶器の見立てには合わないな」

「そうね」と間中は、汐見の言葉に頷いて、「日本刀のような片刃の刃物では、凶器の特徴と一致しないわ」

「念のため、見てみるか?」

「とは言っても、汐見さん、刀はガラスケースの中ですよ」

「開いちゃうんだな、これが」


 汐見が、ガラス面に手を付けて横に引くと、ケース前面を覆っているガラス戸が、ガラガラと音を立ててスライドした。


「鍵がかかっていないんですね。まあ、不用心な」

「てことはさ、偽物なんじゃねぇ? 触ってもいいだろ」


 汐見は、ガラス戸を開けると、展示されている日本刀を手に取り、ゆっくりと鞘から引き抜いていく。


「手入れはされているみたいですね、いちおう」


 鞘の中から徐々に姿を現してくる白銀色の刀身の輝きを見て、朝霧が言った。


「なんか……ぞくぞくするな」


 完全に抜刀し終えると、汐見はその刀を蛍光灯の明かりにかざした。乱場と間中も、それを見て、


「……血痕の付着はないようですね」

「そうね。拭ったような形跡もない。ルミノール反応を見られれば一発なんだけど……」

「他に、刃物はありませんか?」


 乱場は刀から目を離し、改めて室内を見回した。


「日本刀や小刀があと何振りかありますが、どれもひどく刃こぼれを起こしたり錆び付いているものばかりですね」


 朝霧と一緒に間中もそれらを見て、


「……駄目ね。そもそも片刃の日本刀だし、こんな状態の凶器を人体に突き刺したら、必ず錆なんかが皮膚に付着して痕跡が残るわ。血痕も完全に拭い取ることは難しいだろうし」

「他には……これも中世で実際に使われたものという触れ込みが書かれてある、ギロチンの刃があるくらいですね。凶器と合致するものはありません」


 朝霧は、同じようにケース内に展示されている金属板を指さした。確かにギロチンの刃の形状をしているが、全体に錆が浮かんでおり、それと言われなければ用途不明の金属板にしか見えないだろう。


「あとで、管理人の駒川(こまがわ)さんに確認を取ったほうがいいですね」

「ええ、何かなくなっているものがあれば、分かりますから……って、汐見さん、もう物騒なものはしまってくださいな」


 未だ日本刀をかざしていた汐見は、朝霧の声で刀を収め棚に戻した。


「しかし、これで」と乱場は、「大瀬さんの自殺説は消えましたね」

「そうね」間中が応じ、「あの胸の傷は、即致命傷となるくらいに深かったわ。傷口から生活反応が出ている以上、大瀬さんがギロチンで首を落とされたのは、胸を刺されたあとというのが確実よ。あの傷を負ったうえで、自分で自分をギロチンに掛けられるとは到底思えないわ。しかも、死体のそばに胸を刺した凶器がない」

「ですよね。死体の周辺に目立った出血痕はありませんでした。ということは、大瀬さんの胸に刺されたナイフは、少しの間そのままの状態で放っておかれて、大瀬さんが完全に絶命してから引き抜かれたんだと思うんです。生きているあいだはナイフが栓の役割を果たして出血は抑えられますし、絶命後にナイフを引き抜いても、もう心臓は止まって体内の血流は途絶えているわけですから、傷口からの出血はほとんどなかったはずですから」

「明らかに第三者による犯行、つまり、他殺ってことね」

「はい。同時に、事故説もないですね。あんな状況の事故なんてあるわけがありません。大瀬さんの死は、間違いなく殺人によるものです……」


 次に乱場は、窓際に移動してカーテンを開けた。露わにされたこの部屋の窓は、建築された当時の空気を色濃く残す、クラシカルな上下スライド式のものだ。窓の鍵は、上下の窓枠が重なる場所に空けられた穴にネジを貫通させて開閉を防ぐ、スクリュー錠と呼ばれる形式のものだが、その施錠はされていない。乱場は両手を枠にかけて窓を持ち上げる。流れ込んできた冷たい外気に身を震わせた乱場は、窓から顔を出して外を見回したが、周囲に人工の明かりもなく、夜空も厚い雲で覆われている今の状況では、周囲の様子を窺い知ることは出来なかった。唯一、ここよりも下――一階に位置する窓から、カーテンの隙間を通して照明の明かりがこぼれているのが見えた。この“スキーロッジ深雪”では、宿泊部屋、及び従業員の部屋は二階と一階に割り当てられている。窓から顔を抜いた乱場は、窓枠から手を離さないまま、ゆっくりと窓を降ろしていく。というのも、この窓は窓枠と桟との滑りがよく、手を離すと自重で窓が降りてきてしまうためだ。窓を開放した状態を維持しておくには、上げた窓枠を止めておくストッパーを噛ませるしかない。窓の開口が残り十センチ程度になったところで、乱場は枠から手を離す。すると窓は自重でもって、すとんと音を立てて閉まった。

 窓は全部で四箇所開けられており、汐見たちも同じように窓を開けて外を見ていた。


「鍵は掛けられていないな」

「こちらも」

「ここもよ」


 汐見、朝霧、間中、それぞれが言った。窓の状態は四枚どれも同じで、乱場のときと同様、手を離すと窓は自重で閉まっていた。


「今は暗くて分かんないけど、この窓の外は断崖絶壁だったよな」


 汐見は両手を擦り合わせる。


「ええ」と朝霧も、かじかむ手に息を吹きかけて、「真下には小さい湖がありましたね。水面までの高さは、少なく見積もっても五十メートルはあったと思います」

「そうですね。僕もそんなふうに記憶しています」乱場はカーテンを閉めて、「あの部屋は、給湯室でしたね」


 資料室の一角にあるドアを見やった。


「そうね」と間中もそちらを見て、「ここがまだ“塞神喜之助記念館”だった頃、展示物の解説を担当する係員の控え室として使われていた名残だそうね」

「そちらも見てみましょう」


 乱場たちは小さなドアをくぐり、給湯室へと移動した。

 隣接する給湯室は、客室よりもはるかに手狭な部屋だ。部屋の一角に、ボンベをセットして使うタイプの携帯型ガスコンロが置かれた流しがあり。その隣にはウォーターサーバーが設置してある。このスキーロッジ深雪には、ガス、電気、上下水道等は通っていないため、ガスはボンベ、電気は地下室の自家発電、飲み水も含め使用する水はすべて、近くを流れる川から賄われている。川とロッジの厨房とを繋いだホースを介し、ポンプによって水は汲み上げられているという。よって流しにも蛇口はなく、使った水を流す設備としての機能しかない。


「喉が渇いたな」


 と汐見は、ウォーターサーバー備え付けの紙コップを取り、栓をひねって水を注ぐ。サーバー下部にセットされたタンクからポンプで水が吸い上げられ、注ぎ口から紙コップに水が注がれた。


「このロッジの水は美味いよな」


 一気にコップを煽った汐見が、おかわりの水を注ぎながら言った。


「源泉近い山奥を流れている川から汲んできた、問答無用の天然水ですからね」と朝霧も紙コップを取って、「飲用だけじゃなくて、お風呂も、食器を洗うのも、洗濯も、トイレの水も、ここで使われる水は全部が天然水です。考えて見れば贅沢な話ですよね」


 コップに口を付けると、サーバー横に置かれた棚を開いた。中には水で満たされた半透明素材のビニール製のタンクが数個しまわれている。サーバーのタンク取り付け箇所は蓋でカバーがされているため、乱場たちは、このサーバーで使用される水タンクがビニール製であることをここで知った。ビニールで出来ているタンクは、中身が空のときは畳んで小さくして持っていける。一階の厨房から三階のここまで、階段の上り下りの際の利便性を考えてビニール製のものを選択したのだろう。

 二人が水を飲んでいる間に、乱場と間中は流しの下や戸棚を調べ始めていた。


「包丁がありますけれど、片刃ですし、凶器ではありませんね」


 しゃがみ込んで、流し台下の収納スペースを覗いている乱場が言うと、


「そうね。こっちは果物ナイフを見つけたけれど、これも違うわね」


 戸棚を漁る間中が答えた。


「だいたいさあ」と紙コップを握りつぶしてゴミ箱に投げ込んだ汐見が、「両刃の刃物なんて、そうそう普通の家にあるものじゃないぜ」

「ですよね」と朝霧のほうは、そっと紙コップを置くようにゴミ箱に投じ、「包丁、ナイフ、カッター、はさみ等々、日常で使う刃物なんて、どれも片刃なのが普通です」

「日本刀も」

「汐見さん、普通のご家庭に日本刀なんて置いてません」

「西洋の剣なら両刃だな」

「ますます一般家庭とは縁遠い代物です」

「ということは」立ち上がった乱場が、「大瀬さんの命を奪った凶器は、犯人が用意してきたものということに……」

「両刃のナイフを持ち歩いてるって、どういう人なんだ? 登山用のナイフとかだって、片刃のものばかりだぜ」

「謎ですね」

「謎と言えば、そもそも、大瀬さんはどうして首を斬られたんだ? 胸の一撃ですでに絶命していたっていうのに」

「確実に息の根を止めるため、とか?」

「それにしたって、ギロチンは大げさすぎだろ。心臓をめった刺しにするとか、首を絞めたほうが早いだろ」

「確かに」


 朝霧が頷くと、


「ちょっと、整理してみましょう」と乱場が、「今回の事件で、謎とされることは……」

「待って下さい、乱場さん。私、書き出します」


 朝霧は懐から手帳とペンを取り出し、筆記体制を整えた。


・心臓を刺されてすでに絶命していた大瀬の遺体は、なぜギロチンに掛けられたのか。

・大瀬を殺害した凶器は両刃のナイフと見られるが、それはどこにあるのか(あったのか)。

・犯人が大瀬を殺した動機は何か。

・犯人は何者なのか。外部犯か内部犯か。


 朝霧がそこまで書いたところで、乱場が、


「そして、今回の場合、犯行時刻――少なくとも、大瀬さんの死体がギロチンに掛けられた時刻は、おおよそ絞れますよね」

「娯楽室で私たちが、あの音を聞いた時間だな」


 汐見の言葉に、乱場は頷いた。


「私は、何時だったかまでは憶えてないけど……」


 汐見が頭をかくと、乱場が、


「八時十五分くらいでした。咄嗟に時間を確認しましたから、間違いありません」

「さすがです」


 笑みを浮かべて朝霧は、


・犯行時刻は午後八時十五分前後


 と手帳に書き加えた。が、


「ちょっと待て、朝霧」と手の平を見せて汐見が、「そう決めつけるのは早いんじゃないのか?」

「どういうことですか?」

「大瀬さんは、ギロチンで首を落とされるより前に、すでに胸を刺されて殺されてたんだろ。だったら、ギロチンが落ちた時刻、イクォール、死亡時刻、とは簡単に結びつけられないんじゃないか?」

「おお、汐見さん、珍しく鋭いですね」

「鋭いは余計だ」

「余計なのは『珍しく』のほうだと思うのですが。で、どうですか、乱場さん」


 朝霧から意見を求められた乱場は、


「確かに、汐見さんの指摘はもっともです。ですが、僕が見る限り、あの胸の傷は、付けられてからそう時間は経っていないように思うのですが……」


 乱場から視線を送られた間中は、


「そうね。傷口付近の血も、完全に乾ききっていなかったし、死斑も現れていなかった。だから、大瀬さんが刺された――つまり絶命した死亡推定時刻は、多めに見積もっても、私たちが死体を調べる一時間くらい前を上限としていいんじゃないと思うわ」

「今が、八時五十分ですから……」と朝霧は腕時計を見て、「隣の資料室で死体を調べてから、十分くらい経過していますね。ということは……大瀬さんが刺された時間、すなわち、死亡推定時刻の上限は、七時四十分、ということになりますね。下限は、私たちが資料室に踏み込んだ時間ということで、いいですか?」

「ええ、いいわ」

「私たちが資料室に到着したのは、乱場さんや汐見さんがあの物音を聞いてから、五分と経ってはいませんでしたよね」

「はい」と、それには乱場が答え、「ですから、死亡推定時刻の下限は、八時二十分としましょう」


 朝霧は手帳に、


・死亡推定時刻は午後七時四十分から八時二十分の四十分間。


 と書き足した。


「そろそろ、取り決めた集合時刻の九時になるわ。私たちもいったん部屋に戻ったほうがいいんじゃないかしら」


 間中が言うと、


「そうですね」


 乱場が答えた。その横で朝霧は、


「私、このロッジにいる人たちのことを、分かる範囲で書き出しておきます」


 なおも手帳にペンを走らせ続けていた。

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