第3章 首を斬られた死体
塞神喜之助
明治43年(西暦1910年)10月3日、福島県安積郡郡山町(現:郡山市)に生まれる。昭和55年(西暦1980年)9月8日没 享年70。
昭和10年帝日医科大学卒業、昭和15年同大学大学院医学研究科修了後、東京都監察医務院に入り監察医となる。
監察医として多くの縊死(首つり)体に携わるうち、「縊死は非常に多くの苦痛を伴う死に方である」と確信し、現行の死刑執行方法である「絞首刑」のあり方に異議を唱え、絞首刑の代わりに「断頭台を使用した頸部切断」を採用するよう、当局に働きかけを行うようになる。
塞神は、「刑が一瞬で執行されるため死刑囚の苦痛を事実上伴わない」、「執行時のロープの切断等、執行を妨げる要因が極めて少ない」点などを「断頭台を使用した頸部切断」を採用する利点として上げ、死刑執行用として自らが考案した“塞神製特製断頭台”も試作した。
塞神は、「断頭台による死刑執行」を訴えるに先駆けて、古今東西の「斬首」による死刑執行方法の研究も行っており、斬首刑に関する文献等の資料のほか、西洋で実際に使用された断頭台の現存するパーツや、江戸時代の斬首刑に使用された首斬り刀なども蒐集していた。
60歳で監察医を引退すると、所有していた山中に洋館(当館)を建設し終の棲家とした。
乱場は、資料室に提げられた案内プレートの説明を黙読した。ここが“スキーロッジ深雪”ではなく、“塞神喜之助記念館”だった頃に作られたものだ。塞神の死後、彼の館は“塞神喜之助記念館”として一般開放されていたが、麓の村が人口減により閉鎖されたことで客足が途絶え数年で閉館。さらに数年後、冬期のみ営業する“スキーロッジ深雪”に改装されて現在に至っている。その際、塞神の蒐集品は三階の部屋にまとめられ、“資料室”としてロッジの宿泊客に開放されている。この資料室があることから、スキーロッジ深雪は、“首切り館”という異名で呼ばれることもある。その気味悪さから、スキーロッジ深雪は、家族連れや若い男女が宿泊することは稀だが、物好きな客や、観光やレジャーずれしていない山深い立地にあるということで、純粋にスキーを楽しむ客などに好んで利用されている。
「しかし、まさか……」と汐見もプレートを見ながら、「スキー旅行先で、こんな事件に出くわすとは、思ってもいなかったな……」
「まったくですね」
朝霧も、ふう、とため息を漏らした。
「ごめんね、みんな」その後ろでは、間中が済まなそうな顔をして、「私が、みんなをスキー旅行に誘ったりしたばかりに……」
「先生のせいじゃありませんよ」
「そうそう」
振り向いた汐見と朝霧は、そろって間中の言葉を否定した。
「とにかく、現場検証を済ませてしまいましょう」
と乱場はまず、出入口である両開きの扉を調べ始めた。
「……鍵穴は、扉を貫通している古い形式のものですね。恐らく、この館が建てられた時代に作られたものを、そのまま使っているんでしょう」
「室内からでも鍵がないと施錠できないタイプですね」
朝霧も屈んで鍵穴を覗き込む。鍵穴を通して、廊下を隔てた反対側の壁が見えた。
「客室の鍵とは違うな」
朝霧に代わって鍵穴に目を近づけた汐見が言った。
「そうですね」と乱場は、「さすがに、宿泊客を泊めるのに、こんな古い形式の鍵では不安だったので、ドアごと取り替えたんでしょうね。このタイプの錠は、鍵を差しておかないと、鍵穴を通して廊下から室内を覗かれてしまうというのもありますし」
乱場たちが使っている客室ドアの鍵は、室内からはサムターンを回して施錠できる近代的なタイプのものだった。
「とはいえ、僕たちが踏み込んだとき、扉に施錠はされていなかったので、鍵の問題はとりあえず考えなくてもよさそうですね」
「現場は密室ではなかった、ってことだな」
汐見は鍵穴から目を離して立ち上がった。
「ですね。……じゃあ、行きましょうか」
乱場の視線は、資料室中央にそびえ立つ断頭台に向いた。
断頭台の高さは三メートルほどあるが、この資料室は天井が高く作られているため、断頭台の最上部と天井との間には、まだ数十センチの空間が残されている。木製の二本の柱間のスリットを垂直移動するギロチンの刃は、今は落とされた状態となっているため、被執行者の首を挟み込む首かせの間に収まっている。その首かせの後方、すなわち、被執行者を乗せる台の上には、大瀬竜彦の首から下だけの体がうつ伏せにされている。当然のことながら、大瀬の首の断面は首かせにぴたりと付いた状態にあった。そして、首かせ――と、その間に収まる刃――を挟んだ反対側の床には、大瀬の生首が無残に転がっていた。
まず、台に横たえられた大瀬の体を調べることにした乱場は、
「拘束されていませんね……」
大瀬の死体を見て言った。ギロチン台には、被執行者の体を拘束するためのベルトが二本備え付けられているのだが、乱場の言葉どおり、大瀬の体にはそのベルトは巻かれていなかった。
「そうね」と間中も、「受刑者が暴れるのを防ぐ目的で付けられているんでしょうね、このベルトは」
「それが締められていないということは……」
「やっぱ、自殺?」
乱場のあとに汐見が言った。それを聞いた朝霧が、
「確かに、自分で自分にベルトを巻くことなんて、無理ですからね」
「もし、自殺だとしたら、ギロチンの刃はどうやって落としたんだ?」
さらなる汐見の疑問に四人は、ギロチンの刃に結ばれたロープを目で辿っていった。刃の上部に固く結わえ付けられたロープは、二本の柱の間を垂直に上がり、断頭台頂点に位置する滑車を通って、台の後方へと垂れていた。
「あれ? このロープ」汐見は、床に落ちたロープを指さして、「先端が輪っかになってるぞ」
彼女の言ったとおり、ギロチンの刃から伸びるロープは、その先端が環状に結ばれた状態となっている。
「それが」と乱場は、ギロチンの横に添えられた説明文に目を落として、「この“塞神式断頭台”の特徴なんですよ」
「特徴?」
汐見と――他の二人も乱場の横に来て、一緒に説明文に目を走らせた。
「このギロチンは、塞神喜之助が死刑執行用に自分で試作したものなんです。だから、普通のギロチンのように、ただロープで引き上げた刃を落下させる、というものではなく、独自の改造が施されているんですよ」
「改造って?」
「それです」
乱場は、ギロチンの後方を指さした。そこには、ギロチン本体と繋げられた構造の、奇妙な機構を備えた台があった。二メートル角程度の面積を持つ厚い木の板で、その中央からはフックが飛び出ている。そのフックのさらに後ろには、一メートルほどの高さがある横長の箱のようなものが据え付けられており、その箱からは、刃渡り数十センチはある片刃の刃物が突き出ていた。
「……なんだあれ?」
興味深そうに汐見がその機構を見やると、乱場も目を向けて、
「それこそが、この“塞神式断頭台”の肝とも言える“ロープ切断装置”です。まず、ギロチンの刃を引き上げたうえで、その台の中央に生えたフックに、ロープの先端を引っかけておきます……」
と乱場は、先ほど汐見が指摘した、環状になったロープ先端を指さした。
「ああ、それで、このナイフみたいなのでロープを切るってことか」
汐見は、箱から突き出ている刃物に視線を動かす。
「ええ。でも、ただ普通にロープを切るわけじゃありません。その刃物が突き出ている箱の上を見て下さい」
箱の上面には、横一列に五本のレバーが並んでいる。
「これは……?」
「少し話は変わりますが、皆さんは、現在の死刑執行方法である絞首刑が、どのように執行されるかご存じですか?」
乱場は、汐見の疑問にはすぐには答えず、三人の顔を見る。
「確か……」と朝霧が、「死刑囚の首にロープを回したあと、その死刑囚が立っている床が抜けることで絞首が実施されるんですよね。で、その床を抜くボタンというのが全部で五つあって、それぞれのボタンについた五人の刑務官が同時にボタンを押すんです。でも、実際に床を抜くボタンというのはひとつしかなくて……あ、そういうことですか」
「なにが?」
納得した表情の朝霧の横で、汐見は怪訝そうな顔のままだった。
「それと同じです」乱場は話を再開して、「この装置も、レバーを倒すと、それに連動して刃物が動き、引っかけられていたロープを切断します。でも、五本のレバーのうち、実際に刃物を作動させるのは一本しかないんです。で、それぞれのレバーの前に立った刑務官は、五人が同時にレバーを倒すわけです」
「どうして、そんなことをするんだ?」
さらなる汐見の疑問に、乱場は、
「執行する刑務官の心理的負担を軽減させるためですよ。いくら法で定められた刑の執行だとはいっても、たとえ相手が何人もの命を奪った凶悪犯罪者だったとしても、直接人の命を奪う仕事なわけですよ。人ひとりの命を――しかも、ボタンを押すことで直接――奪う行為なわけです。刑務官にかかる心理的負担は、相当なものがあるはずですから」
「……なるほど。つまり、五人のうち誰が実際に“執行”したのか、分からなくするってことか」
「そうなんです。ちなみに、この切断装置も、内部の機構を操作することで、五本のうちどのレバーが刃物と直結するか、毎回ランダムに決めることが出来るそうです」
乱場は、レバーの付いた箱の側面にある蓋を開けて、中を覗き込んだ。無数の歯車やシャフトが複雑に絡み合っており、手元にある小さなハンドルを回すことで、それを操作するものにも、どのレバーが刃物に直結するのか分からないよう設定することが出来るようになっている。
「こんなものまで試作していたなんて、塞神喜之助という人は、本気で“首斬り”を死刑執行方法として採用させようとしていたんですね」
乱場は、改めて“塞神式断頭台”を見上げた。
「ギロチンによって一瞬で首を切断されると、苦しまずに死ねる、って書いてありましたが、本当なのでしょうか?」
と朝霧も断頭台を見やる。
「過去にも、斬首された首が数十秒に渡って瞬きを繰り返したですとか、眼球を動かしたなどの記録は残っていますが、それが当人の意志で行われたことなのか、それともただの筋肉の痙攣などの作用に過ぎないのか、誰にも分かるはずはありませんからね……」そう言ってから、乱場は、「遺体の検分を再開しましょうか」
ギロチン台に横たえられた、大瀬の胴体のそばに戻った。
大瀬の服装は、セーターに厚手のデニムパンツ、冬用スニーカーという、生前と同じものだ。パンツのポケットの中に大瀬の部屋の鍵が入っているだけで、財布等は所持していなかった。
「……特に外傷のようなものは見当たりませんね。血痕の付着もない」うつ伏せにされた大瀬の背面をひととおり見終えると、乱場は、「仰向けにしてみましょう」
遺体と台との間に手を入れたが、
「乱場くん、ここは私が」
「先生、私も手伝います」
間中と汐見の二人が、協力して台の上で遺体を半回転、仰向けにした。すると――。
「あっ!」
乱場のみならず、四人全員が声を上げた。仰向けにされ、正面を晒した大瀬の胴体、その胸部には、グレーのセーターをほぼ円形に染める血痕が広がっていた。間中がセーターと肌着をめくると、そこには、
「……これは?」
間中は乱場を見た。乱場も大瀬の胸を凝視し、唇を噛んだ。露出した大瀬の胸には、刃物を突き立てたことで出来たと思われる創傷が穿たれていた。その位置は心臓の真上。
「間中先生」と乱場は、「この傷が、大瀬さんの致命傷になったと思うんですけれど、生活反応の有無を見ることは出来ますか?」
「待って」その傷口を覗き、指で周囲を押した間中は、「……傷の周囲に皮下出血が見られるわ」
「皮下出血ですか。じゃあ……」
「そう、乱場くんが言った“生活反応”ってやつ。つまり、ここを刺された時点では、大瀬さんは生きていたことになるわ。しかも、この深さからして、傷口は心臓に達しているんじゃないかしら。だから、この刺し傷が致命傷っていう乱場くんの読みは当たってると思う」
「やっぱり、そうですか」
「よく分かったわね、乱場くん」
「生きたまま首を切断されたにしては、出血量が少なすぎると思ったものですから」
乱場の言葉どおり、断頭台周辺にほとんど血痕は残されていなかった。
「さすがね」
間中は笑みを浮かべて乱場の顔を見る。
「と、ということは……」顔を青くした朝霧は、「大瀬さんは、胸を刺されて殺されたあとで、ギロチンに掛けられて首を切断されたと、そういうことですか……?」
「な、何のために……?」
その汐見の疑問に答えを出せるものは、今この場にはいなかった。